46話 月と冷たい飲み物、少し遠回しな会話
結局、ほとんどの兵は、飛べるか、手ごたえをつかんでいた。もちろん、高いところが苦手な者も、運動能力的にうまくいかない者もいる。彼らは時間をかけて、身につければいいし、戦闘中に全員が飛んでいる必要もないだろう。
むしろ、問題なのは集団戦が主体となる竜掃使や衛門府における運用だった。とにかく、大勢が風の術を使うことになる。場合によっては、風向きが予測不能になって、危険なのだ。自身も飛ぶことに成功したグレッグとともに、征竜隊はそこを話し合った。
「安全に運用できる人数を確認した方がいいな」
そんなことを話してから、グレッグは弟であるジャスティンの葬儀のため、城へと戻った。
はじめて飛んだ兵士たちは、異様な興奮の中にあった。
「なんで俺たち、こんな驚異的な力を知らなかったんだ?」
「わからん。飛んだであろう状況は、今までもあったと思うんだが……」
「やっぱり、征竜隊長のあの謎の言葉が、俺たちの魔力を解き放ったのだろう」
すでに、垣根を失いつつある竜掃使と衛門府の兵は、食堂で夕食をとりながら、そんなことを話している。すると、突然、ひとりの兵が立ち上がって叫んだ。
「そうだ! これはルールブックに入れなきゃならんぞ。野球で飛ぶことも風を使うことも、絶対に禁止だ!」
飛ぶ、という前代未聞の経験はあったにしろ、彼らの目下の関心は野球に注がれている。自分たちで、いい野球をつくりあげようと、情熱を感じているのだ。そこに風の術の出現だ。野球を揺るがす、重大な案件だ。
「それ、俺も感じた。タッチするとき、風を蹴る卑怯者は守備者の喜びを奪うクソだ」
「というか、風に限らず、術は禁止だろう。ボール凍らされたら、危ないし、ボールが痺れたり、燃えてたりすると、試合にならん」
「何より、貴重なグラブがもったいないだろう」
「術は全面禁止だ」
彼らがしたいのは、練習で高めた力を、試合という場所で力いっぱい披露することだった。勝ち負けよりも、そこに価値がある。術は邪魔でしかない。
一也や勝利のところには、野球の講義を受けに来る者も多い。そして、一也の側にはどんどん女性兵が押し寄せる。バラバラにやるのも腹が立った勝利は、秀樹も呼んで、3人で解説役をすることにした。ただ、聞いてくることは、みんなマジメだった。だから、勝利や秀樹もぞんざいにできない。さらに、なんとなく、リサも参加するようになった。彼女は座学のようなことは、嫌いじゃないのだ。
「試合をしていたら、野手と走者がぶつかりそうになったんです。走者は塁間上の任意の位置にいられる存在ですが、野手はボールに対さなければいけません。だから、守備優先として進めたんですけど……」
だんだん、質問も細かいものになってくる。
「すごいところに気がつくね。それで合ってるよ。まず、最初の守備機会が優先なんだ。基本的に野手と走者が交錯しそうなときは、野手が優先されると考えるといい。逆に野手が走者を妨害したと判断するケースは少ないから、それをまず知るといいかもね」
そんな感じで話が進む。一也が人気なのは癪に障るが、勝利や秀樹にとっても、大勢と野球のことを話し合える、楽しい場所だった。
夕食を終え、外を歩いていた遼四郎。ひとりで座っているエリーの後ろ姿を見つける。
「今日は大きく飛んで大活躍だった副長さん、となり、いいかな?」
「おや、秘伝のコツを公開した隊長さん。お疲れでしょうから、座ってくださいな」
適当な軽口を飛ばした後、なんとなく、空を見る。
「今日は月がキレイね」
そんなことをエリーが言う。
「俺たちの世界で、私はあなたが好きだ、って意味の外国語を、そう翻訳した人がいるらしいよ」
「へえ、なんかロマンチックな人なのね」
「まっすぐ言うのが、恥ずかしいだけだよ。たぶん」
「まあ、普通は恥ずかしいわよね」
何を言うでもない時間を楽しんでいたふたりに、声がかかる。ヨーコだった。
「何してんのよ。邪魔するわよ。ちゃんと、飲み物用意してあげたから、嫌がっちゃだめよ」
手に持っていたトレーを近くに置いて、座る。ドリンクピッチャーから、グラスに液体が注がれる。キレイなピンク色。
受け取った遼四郎が一口飲む。冷たいフルーツジュースだった。
「冷たくておいしいな、って、何コレ! 氷?」
なんとなく、元の世界の気分で口にした遼四郎だが、驚いた。この世界で氷があるのは、寒い冬の時間が基本。自然のものなのだ。
「ふふふ、驚いてるわね。これはね、王宮の氷室からパクってきたものではないのよ~。氷の術者の力を借りたもの。手なずけておいたのよ」
ヨーコのアイデアは、まれに常人を超えるときがある。
「おいしいけど、なんか悪いな。術を使うのも大変なんだから、謝っといてよ」
「いいのよ。相手も喜んでやってるんだから。戦闘中じゃないし、固いこと言わない」
遼四郎は、深く考えるのをやめた。もし、問題になりそうだったら、たぶん、ヨーコはやらない。だから、自分は気にしないでいいのだ。
「そうだな。じゃあ、ヨーコのご厚意に甘えるよ」
そう言って、もう一口、冷たい液体をのどに通す。
「何を話してたの?」
「あなたが好きよって、言葉と、月がキレイだね、の関係」
エリーがちょっとだけ、遊ぶように話す。
「そんな風に、直接言わずに、言い換えた人がいるって、話だな」
「ふーん」
ヨーコもぼんやりと月を見る。
「たしかにね。直接、言葉にしなくても、伝わることってあるもんね」
ヨーコも、今夜はそんなにハイではない。グラスを少し傾けて、小さく息を吐く。何も言わない。すると、エリーが思いつく。
「ね、みんなで旅に行かない?」
遼四郎は不思議に思って聞く。
「旅って言ったって、俺たち、毎日、旅してるような生活だし、また、南へ旅に出る予定なんだけど……」
エリーが思いきり首を振って言う。
「そうじゃないの。竜が来る荒野で、緊張しながら生きている旅じゃなく、もっと、豊かな旅。遼四郎やみんなに、この世界のもっといいところを見てもらいたいと思って……」
ヨーコがグラスをグイッと空けて、言う。
「いいわね、それ。ゆーっくり、3大景勝地回って、そのまま、消えてやろうかしら」
エリーが小さく息を吐いて言う。
「本当は、そうしたいね」
もう一度、明るい月を見上げてみる。明るい星も輝いている。
「でも、そうもいかない。それでも、往復4日ほどで、森中湖くらいまでは行けるよ。みんなと、思い出はつくれる」
ヨーコは遼四郎とエリーのグラスを受けとり、3つのグラスに残ったドリンクを注ぐ。残っていた小さな氷が、弱い音を奏でる。
「少し、消極的な気もするけど、いい案だと思う。もし、このまま竜やっつけて、アンタたちとサヨナラしちゃたら、なんか、殺伐とした思い出ばかりになっちゃう。こんなに豊かで楽しいのに、それは許せない」
やっぱり、今のヨーコは静かだった。遼四郎はうなずく。
「竜掃使のみんなが回復するのにも、準備が整うのにも、少し時間はかかるよな。旅しようか。エリーにまかせていい? ヨーコも手伝ってあげてほしい」
ヨーコは何も言わずに、遼四郎の手を握った。きつく握るのでなく、軽く、手を添えるようなやさしい感じだった。
「今日の月はキレイだし、ヨーコもやさしいからうれしいよ」
遼四郎はそう言った。エリーは、怒らずに微笑んで聞いていた。ムッとするよりも、よくやった、とさえ思う。自分もそういうのがいい。
「ありがとう。私もちょっとうれしいよ」
ヨーコがさっきより、少しだけ、手を強く握る。
「じゃ、エリーさ、一緒に計画つくろうか? 遼四郎いると、文句言われるから、ふたりでやろう!」
そう言って、ヨーコは空いたグラスをトレーに移す。
「そうだね」
エリーが応じて、立ち上がる。遼四郎の肩に手を置いて言う。
「また、明日ね」
思いきり微笑んで、去っていく。遼四郎は、少し振り返る。
「ヨーコ、氷を入れてくれた人に、ありがとうって、伝えて。とても、おいしかった」
ヨーコは振り返らない。
「だから、好きでやってるって、言ったでしょ!」
遼四郎はもう一度笑う。なんというか、今日はいい日だった。




