37話 いっぱい働いたら、腹いっぱい食え
午後、陸がよみがえった。ハンナがすぐに昼食を持ってきてくれる。イーデンの差配で病人にもやさしい煮込みうどんだった。ガツガツ食った陸。
「さすが、イーデンさん。おいしいですね。文句なしです」
お怒りモードではなかった。ハンナも安心する。だが、立ち上がって、医務室をすぐに飛び出す陸。ハンナも続いた。
そこにイーデンが走ってくる。聞きにきたのだ。
「夕食の材料ですよね。ハーマンさん寝てるから、鳥はないですね。肉、何かないですか?」
「塩漬けの豚なら、いくらでも……」
「いいですね。それでいきましょう。衛門府のみなさんを、それで半殺しにします」
また、陸の顔は鬼になった。でも、午前のような怖さとは違う。
陸はそのまま、外に出た。昼飯を食い終わった兵たちが、群れていた。恐怖にひきつった。
「昼飯は食えたかあ!」
「はいい!」
従うしかない兵たちは、ただ、応じた。でも、朝とは違う雰囲気。
「ありがとう。みなさんが来てくれて、本当によかったと思います。おかげで、ケガをした竜掃使たちも、ゆっくりと養生できています。でも、夜は、亡くなった竜掃使たちのために、みんなでおいしいものを食べて、弔いたい。そのためには、午後、もう一働きがほしい。みなさん、もう一度、力を貸してください」
しっかり、感謝を伝えた陸。兵士たちも、自分たちがやったことの意味を理解しはじめていた。だが、やはり背筋が凍る。なぜなら、陸の後ろに通りすがった宙が、勝手に右手を燃やして、鬼の顔で立っていたから。逆らうと、爆殺される。
「はいい!」
兵たちは、ビビりあがって答えた。もう、何をやらされてもいい。必死に働く。だから、明日の太陽が見たい。
ジュリアンの投げたボールが、遼四郎のグラブに収まる。でも、どうしても、ボールがお辞儀してしまう。途中で失速して、手前に落ちてしまう。ボールをいいところに置こうとする。
「ジュリアンさん、ボールは置くもんじゃないです。投げる。試しに、俺なんか無視して、思いっきり、あっちの壁をめがけて、投げてみてください」
「いいのか? 遼四郎が捕りに走るのは、大変じゃないか?」
「俺、捕りに行かないです。ジュリアンさんが、思いきり投げるところを見たいだけです」
試しにやってみろ、という意味に感じた。ならば、やってみようと思う。ジュリアンは自分がどこまで投げられるのか、知りたい。
少し、助走をつけて、左足を踏み込む。遼四郎がやるのを真似て、身体を大きく反って、投げてみた。石壁まで届け、と念じてみた。高いところで、ボールが手を離れる。指先に残る、ボールを弾いた感覚。
遼四郎は飛んでいくボールを眺めた。キレイなフォームだった。純粋な人なのだ。ボールは石壁の前に落ち、跳ねて壁に当たる。
「あんなに、あんなに遠くに投げられたぞ! 遼四郎っ」
「それでいいんですよ。今、指先にボールが掛かりましたよね。いつも、それで投げてください。俺たちは捕れます。小さい子を相手にするとき以外は、それでいい」
「大丈夫なのか? 怖くないのか?」
「友達のボールが怖いようじゃ、野球はできませんよ」
ジュリアンの中を、突き抜ける言葉。友達、という響き。ジャスティンが求めていたものが、わかった。壁際にいた兵が、ボールを捕ってくれて、戻ってくる。
「じゃあ、遠慮なく、投げる!」
指にしっかりかかったボールが、遼四郎に向かう。グラブを前に出し、バチンと受け止める遼四郎。ジュリアンは、自分を受け止めてくれる相手をはじめて感じた。さらに、さっきよりは少し強い球が来る。グラブにはっきりと衝撃が来る。遼四郎という人間を感じる。
ジュリアンはもっと強く投げてみた。遼四郎は、大きな音を鳴らしながらも、どうということなくグラブに収める。また、強い球が来る。必死に受け止める。手に心地よい、痛みがあった。
互いに力をぶつけているのだ。でも、それを受け止めてくれる相手というのは、どこまでも心地いい。ジュリアンの顔に笑みが出る。こんなに楽しいのは、久しぶりだった。
グレッグの相手は、まさかのヨーコだった。
「大丈夫なのか、ケガしないか?」
グレッグが心配する。
「ふざけた口をきいてるんじゃないわよ。そっちは初心者。こっちはベテランよ」
そんなヨーコに、グレッグは山なりのボールを投げる。ヨーコの数メートル前に落ちるボール。
「バカにしてるようね。顔面をねらうから、根性入れて受けなさい。ケガしても、知らないからね」
ヨーコは、思いきり足を上げる。踏み込み、ぶん投げた。指にしっかり掛かったボールが、グレッグの顔面に向かう。恐怖を感じ、グラブを顔の前にする。そこに、バチンとボールが収まる。グレッグは、奇跡的に捕れたボールの痛みを感じた。
「女の子なのに、すごいなヨーコは」
「そういう言葉が、すでにバカね。所詮、アンタはボンボンなのよ」
ヨーコが挑発した。ムッとしたグレッグは、少し強い球を投げる。ヨーコはシングルハンドで適当に受ける。
「何も、アンタのボールからは聞こえない。一生懸命やらない。相手のことも上から見下す。つまらないわね。相手を変えましょう。宙っ! こいつのグラブに思いきり投げ込んでやってよ!」
グレッグは驚く。さっき、火球を投げた男が、こちらに向かってくる。ヨーコが上げた手に、軽くタッチして、目の前に立つ。顔が怖い男だ。何かに怒っている。
「じゃあ、グレッグさん。グラブ前に構えて、目を閉じない気持ちで、捕ろうとしてください。たぶん、ケガはしません」
グレッグは逃げたくなった。でも、前の男は真剣だった。横のヨーコも同様だった。退けない。受けるしかない。宙の脚が上がり、腕が降られる。ヨーコのボールとは、まったく違う勢い。
バンッとボールはグラブに収まった。グラブのある位置にボールが来たのだ。逃げるヒマもない。手に強烈な痺れが残る。強く、気持ちのあるボールだった。気持ち? そう、どこかに憤りがある。何にだろう? たぶん、喪失感。弟のジャスティンと、多くの竜掃使を失った、宙自身への怒り。グレッグは、もう一度、味わいたい。
「宙、すまないが、もう一球、投げてくれないか?」
宙は笑った。ボールを受けて、もう一度、足を上げた。腕を振る。恐ろしいほどのボール。グラブに吸い込まれた。左手が痺れる。その中に伝わる思い。
「ありがとう。なんか、わかったよ。弟の気持ちや、それを大事にしてくれた、お前の気持ちが」
「言葉はいらんですよ。投げてください」
宙はグラブを構えた。グレッグは思いきり、投げてみた。少し逸れたが、ボールは宙のグラブに入った。
「それでいいんですよ。カッコつけても、いいボールなんか、いかないんです」
宙は言う。グレッグはその意味が理解できた。
陽が落ちた。兵舎前ではいくつもの大きな鍋が何かを煮倒していた。別の鍋では、湯がグラグラと沸いている。
大所帯である竜掃使の基地なので、風呂の施設はいくつもあった。竜掃使らの中で、入れるものは入り、ケガでそれができない者は、キレイに身体を拭いてもらっていた。戦の垢がようやく落とせて、それだけで幸福を感じる。
衛門府の兵たちは、朝から晩まで、こき使われるように仕事をした。普段、こんなに雑用をこなすことはない。経験がないほどに疲れていた。でも、風呂を使うことを許された。汗を流す喜びを感じた。
碗が配られ、鍋の前に並ばされた。陸に従えられた竜掃使たちが聞く。
「腹は減ってるか? よく食う方か?」
そんな感じだ。うなずいた兵たちの碗には、鍋でゆでられたうどん以上に太い麺が放り込まれ、熱いスープがかけられる。やわらかく煮られた豚の塊と、軽く茹でられた野菜が盛られ、さらに、薬味の好みを聞かれ、それがぶっかけられる。ケガなどで胃に負担がかけられない者には、澄んだスープと、よく煮えた細切れの肉が添えられた。香りが胃袋をわしづかみにする。
兵たちの前に、陸とハンナ、そして、遼四郎が立った。リサが奥から、昼間引きずり出して、殺した形の2名を連れてきて加わる。
兵たちから、驚きと安堵の声が漏れる。リサが口を開いた。
「私たち竜掃使と征竜隊は、人の命を奪う竜と戦うためにある。その私たちが、人の命を奪うことはない。ただし、この2名はルールに従わなかった。竜と戦い、人々の命を守るための大事なルールをだ。だから、罰を受けてもらった。でも、その後は反省し、ケガ人の世話を座ることさえなく、やってくれた。私たちは許してやりたいと思う。衛門府のみんなの意見は、どうか?」
衛門府の兵たちが驚く。裁定を自分たちに委ねられたのだ。考え、何人かが声をあげた。
「悪いのは、その2名だけじゃない。俺たちも似たようなものです。だから、許してあげてほしい。今後、同じことはしない。そう思います」
そんな言葉があちこちから聞こえる。リサは大きくうなずき、2名に声をかける。
「食事をもらって、元の位置に戻れ。今日はよくやってくれた。ありがとう」
ふたりは下を向いて、鍋のある方に向かった。そして、竜掃使たちが碗に盛ってくれた食事を見て、驚く。めいっぱい、盛ってあった。食いきれるのかわからないが、そこには、“ごくろうさん。ありがとうな”という心意気が感じられた。
陸とハンナが、前に出た。
「今日は鬼になった気持ちで、みなさんの相手をさせていただきました。僕たちの傷は深く、でも、できるだけ早く、再起しなければならなかったからです。おかげで、こうしてみんなで食事ができる夜が迎えられました。ありがとうございます」
「しんどいことは、みんなでやるの。誰かに押し付けて逃げるのは、解決法じゃない。自分ができることを探して、誰にも言われずに、やるのよ。みんながそうすれば、大きな問題も解決する。軍隊なんか、いくらでも強くなる。人間関係もうまくいって、いい仲間ができる。誰かを好きにもなれる。それを知って!」
ふたりの言葉が竜掃使たちの心を大きく揺さぶる。それは、ジャスティンと自分たちがやった、心の持ちようの変化だった。同じ言葉を衛門府の兵たちは、今、少し新鮮な気持ちで聞いている。
遼四郎が前に出た。
「すまない。今日は戦の翌日で、休ませてもらった。でも、みんなのおかげで、身体も楽になり、こんなうまそうな晩メシが食える。ありがとう。ジャスティンや死んでいった仲間を思って、泣くなら泣け。笑えるときは笑ってやれ。さあ、食いものに失礼だ。食おう!」
征竜隊、竜掃使、そして、衛門府の兵たちが大きな声を出す。
「いっただっきまーす!」
少し時間はあったが、スープの油膜のおかげで、料理は冷めていない。強めの塩味と豚のうまみがはしを進ませる。
「陸、これ、あれだ。街道沿いの行列ができる店のラーメンだ」
勝利が気づいて、聞いた。
「フッフッフ、そうですよ。この手のラーメンは、小麦麺の甘みと、スープのうまみと塩味、さらに脂です。全部、人類が根源的に好きなもので構成されているんです。特に肉体が疲れたときに求めるものなんですよ。みんなを半殺しにできる究極兵器です」
陸の半殺しとは、満腹中枢を討つことだったようだ。神は満足げだった。すると、リサが勝利に聞いた。
「こんなスゴイ料理出すお店があるの?」
「ああ、運動部の学生とか肉体で仕事するオッサンたちのパラダイスなんだ」
「今度、連れてってよ」
「うん、いいよ。でも、お腹空かせていかないと、女子じゃ食べきれないかも」
そこまで話して、極めてアホな会話をしたことに気づくふたり。
「どうやって行くのよ。ふたりで “トライビト”になるの? “この世界にラーメン食べに来ました!”って」
ハンナが笑った。照れながらリサも笑う。大笑いした勝利のメガネが、久しぶりに曇っていた。なんか幸せで、泣いてるのだ。
衛門府の兵たちも、豪快な豚ラーメンに魅了された。特に一度死んだかのようにされた2名は、感慨深い。連行された彼らは、そのまま、ケガ人たちの棟に押し込められた。最初は嫌で仕方なかった。でも、ケガをした竜掃使たちが、何かするたびに礼を言ってくれた。“ありがとう、少し楽になった”と声をかけられ、止まれなくなった。自分がやってやらないと、彼らは苦しいままなのだ。ずっと、動いていた。肉体は疲れ果てていたけど、心は気持ちよかった。
その疲れた身体に、強いスープがしみる。豚の脂とショウガやニンニクの香りが、胃袋を喜ばせる。食いながら、涙が出てきた。横にいた兵が言う。
「こんな一日も悪くないんだな。メシが特別にうまい」
うなずいて。さらに泣いた。こんな日をもっと味わいたいと思った。たぶん、死んでいった竜掃使たちも、そう思っていたのだ。そこまで考えたとき、胸が張り裂けそうになる。竜と戦ってくれた人々に、心の底で、ありがとう、と言った。




