27話 小さな約束、忘れない間に……
朝食の後、ケイは耕平と歩いていた。バットを両手で肩に担ぎ、耕平は振り返る。
「本人に自覚はないけど、遼四郎はウチでいちばん、女たらしだと思うよ。一也はわかってやってるけど、それよりもひどい」
傷だらけの小さな顔が、こっちを見てニッと笑う。いつも、この顔に安心する。
「気づいてないよね。あの人、みんなに好かれていることに」
「まったく、わかってない。だから、勝手に死ぬ。おかげで、こっちも死ぬところだった」
ケイは弓を射ながら、耕平とハーマンが突っ込む姿を見ていた。普通ではなかった。人間というのは、あそこまで鋭くなれるのか、そんな動きだった。
「私、キャプテンが少し好きだった気がする。でも、振られたというか、その他というか、わからない」
「俺も、遼四郎が少し好きだよ」
耕平はまた笑う。バットを両手で持ち、左右に軽く振っている。手首のやわらかさに、特別な資質さえ感じる。強さはなく、空気と遊ぶような仕草。
「ど、どうしたら、いいのかな?」
「今まで通り、少し好きでいいよ。エリーとヨーコのことは、遼四郎の案件だ。でも、俺たちは仕方ないから、助けてやる。そうしないと、あいつはバカだから、また死ぬ」
耕平が笑わずに、バットの先を見ている。自分は、この人のことも、少し好きなのだとケイは気づく。
「また、話していい?」
「いつも、話してるよ」
耕平は、ニッと笑って見ていた。この表情が、大好きだった。
わざと、門の外まで出て、石の防壁近くをジャスティンは歩く。兵士たちの近くを歩くと、彼らを緊張させてしまう。だから、目につかないところを選ぶクセがある。
防壁の近くに、楽器を持った若者が座っていた。たしか、征竜隊の正則だった。ジャスティンは、近くまで行き、声をかける。
「ギークか、練習中だな?」
正則が気づく。中途半端に笑う。手にしているのは、いつか、一也と耕平が弾いていた、ギターに似た楽器。
「ジャスティンさん、おはようございます。楽器くらいやりたいと思うんですけどね。難しくて……」
ジャスティンは笑って、横に座った。
「ちょっと貸してくれ。もしかしたら、ヒントになるかもしれない」
正則がギークを渡す。少し音を確かめるようにジャスティンは弾く。そして、朝にちょうどいい、軽快なリフ。
「楽器はな、答え探しで弾くんじゃないんだ。そのときのリズムで、やればいい。そのときの心のリズムが全部。音なんか、だいたいでいい」
正則はジャスティンのうまさに驚く。一也や耕平のレベルではない。流しよりも上だった。
「ジャスティンさんって、ミュージシャン?」
ジャスティンは小さく笑う。でも、音は止めない。正則を見ながら、手は小器用に動き続ける。
「いちばん得意なのは、実はこれだな。でも、親父も兄貴ふたりも、武官だ。仕方ないから、武官をやってる。でも、剣はギークの次に得意だったんだ」
なんというか、物語がはじまりそうなメロディで、そんなことを話す。
「まあ、キャプテンには、一応、勝ってましたからね」
正則は、ジャスティンの奏でる音には感心したが、剣は特に感心していない。
「そうだ、遼四郎には勝てたのに、耕平に負けてしまった。油断したなあ」
正則は、軽くムッとした。だから、言い返してやる。
「あの負けを油断と思ってるようじゃ、ジャスティンさん、剣で死にますよ」
「油断じゃなきゃ、なんだ?」
「耕平さんは、ウチで2番目に強いんですよ。キャプテンは狡猾ですからね。見た目から最強の富夫さんじゃなく、見た目と強さのギャップが大きい耕平さんを出したんです。いつものことですよ。バント匂わせて、バチンッ、と強打とか」
ジャスティンの指が止まる。
「じゃあ、俺は実力負けしたのか?」
「間違いないですよ。相手が悪い。キャプテンに勝って、余裕こいたんでしょうけど、耕平さんの強さは、次元が違います。ケンカしたら、最強なのは耕平さんです。下手したら、富夫さんより上ですよ」
ジャスティンは驚いた。あの小さな男の強さを反芻してみる。よく考えたら、勝てる瞬間がなかった。身体の大きさに惑わされていたとわかる。自分は、やっぱり、軍人は少し下手なのだ。
「俺のバカさは、思い上がりにある。ありがとうな、正則」
「あの、それから、親のこと偉そうに話すのもやめた方がいいですよ。耕平さんも、陸も片親です。陸が料理できるのは、やるしかないから、身につけたんです。本当は、笑える話ではないんですよ」
ジャスティンは、グッと詰まった。華やかな“トライビト”と思っていた征竜隊が、もっと普通の若者だったと、気づく。
「キャプテンも、俺も、そういう面では恵まれてるんです。だから、それを気にせず、野球をやれたらいいと思ってる。小さな気遣いは大事です」
若い征竜隊員に楽器を教えてやろうと思っていた。でも、結果は違った。いちばん若い男に、自分はたしなめられる。ハーマンが言っていた。“征竜隊はいい”と、その意味が分かってくる。
「なあ、正則。野球って、おもしろいのか?」
ジャスティンがまじめに聞くので、正則は少し、考える。
「たぶん、ひとりでやってると、嫌になるかもしれません。走って、汗かいて、失敗して、そんなのばかり。でも、このメンバーとやりたいと思うときがある。キャプテンとか、耕平さんとか、そんな人とやるのが、おもしろいのかなあ」
ジャスティンの方も正則の言葉を聞いて、考える。指が弦を弾きはじめる。
「なあ、正則よ、教えてくれ。俺も野球ができるのか? 俺のようなつまらない男でも、友はできるのか?」
メロディに合わせてジャスティンが歌う。正則は笑っていた。
「クソみたいに変な歌ですね。でも、大丈夫ですよ。ジャスティンさんは、もう、友達です。野球、やりましょうね。俺、ヘタクソだけど」
「ヘタクソとやりたいんだ。だって、俺が凹まないでいい~」
「クソ野郎ですね。ジャスティンさん。でも、最初は、俺が相手しますよ。ヘタクソ同士、投げ合いましょう」
そう言って、正則はギークを奪い返した。右手の動きが、自然になっていた。ジャスティンは、正則がうまくなるだろう、そんなことを感じる。
「正則、今度お前とキャッチボールがしたい」
笑う正則が、さっきよりキレイなリフを奏でる。それで、ジャスティンは気分がいい。
征竜隊駐屯地に一泊した竜掃使たちは、少しのさみしさを感じながら、荷物をまとめる。
「また、一緒にメシ食おうな」
陸やヨーコに、竜掃使兵士たちは、感謝の声をかける。富夫が手を振ると、軍神を眺めるように歓声が湧く。でも、彼らが見たいのは、そこじゃなかった。日本刀を腰にぶち込んだ男、遼四郎が見えると、さらに歓声が湧く。
「征竜隊長! ムリしないでくれ」
「切り込むときは、一緒だ!」
彼らは、前日の遼四郎のファイトに熱くなっていた。征竜隊のトップは、先に死んでも戦う将だと認識された。その効果は大きい。
ほんの少しの距離にある巨大な軍勢、それが竜掃使だった。征竜隊とそれは、兄弟のような関係なのだ。それが去っていく。残ったのは、いつもの連中。
今日はキツイ練習はひかえようと、みんなに話していた。個人でしたいことをして、ゆっくり過ごせばいい。そんな午後になる。
遼四郎は、ヨーコを探していた。厨房の前の廊下で出会う。いつものブロンドが窓からの日差しに輝いていた。勝気で元気な目。
「なあ、ヨーコ。いや、ヨウコちゃん、リョーシローと一緒にキャッチボールをしないか?」
遼四郎は、自分のグラブと一緒に、ヨーコのグラブを持ってきていた。驚く、ヨーコ。手に持っていた食器がこぼれる。それが、砕ける音にも、驚く。
「び、ビックリさせるから、落としちゃったでしょ! 片づけたら行くから、先に行っててよ」
心臓が、異様に鼓動する。夏の日がよみがえる。
盛夏だった。“トライビト”になってしまった自分には、住む家もあり、おばさんのような人もいた。でも、誰も知らない世界。
外に出る。暑い盛りに、道には誰もいない。遠くで、空気が揺れる。歩いていた。
バンッ、と響く音。セミの鳴き声以外に聞こえた、唯一の音。小さな公園の壁に、少年がボールを投げている。知らないふりをして、ブランコに腰掛ける。鎖が熱い。少し、ゆっくりと触りながら、つかむ。少年を見ていた。
年頃は近いのかもしれない。でも、少し背が高い。長い脚が、キレイに上がり、前に踏み出される。若すぎる身体が、やわらかくしなり、右腕が振られる。壁に当たるボール。少しだけ、大きな音。
少年がヨーコに気づく。目を合わせる。でも、何も言わない。もう一度、ボールを投げる。さっきより、また少し大きい音が鳴る。
ヨーコは暑くなった。木陰に移動し、ベンチに座る。白いワンピースと、大きな麦わら帽子。おばさんが、涼しいと言ってくれた、そんな姿。
好きなだけ、壁にボールを投げていた少年。壁際にこぼれたそれを拾い、荷物をまとめる。ヨーコの方に歩いてきた。
「暑いよな。日本語わかるかな? あそこ行こう。角の駄菓子屋」
ヨーコに話していた。少し背の高い少年。笑っている。やさしそう。だから、笑った。
一緒に行った駄菓子屋。チョコレートのアイスクリームが食べたいと思った。でも、少年は言う。
「それじゃ、一緒に食べられないから、こっちにするよ」
少年は風船の中に入った、丸いアイスクリームをふたつ買う。風船を少しだけかみちぎって、そこから出てくる汁を吸う。甘くて、冷たくて、おいしい。瓶に入った飲み物も一緒に飲んだ。中のガラス玉の置き方を少年が教えてくれる。見つめたガラスが、夏の日差しに涼し気に輝いていた。
最後は、少ししょっぱい、お魚みたいなもの。塩分が不思議においしく感じる。
「ごめんな。俺、今日は220円しか、持ってなかったんだ」
「ごめんね。お小遣い、使わせて」
「別にいいよ。明日も練習するから、来れたら、おいでよ。一緒にアイス食べよう」
誰もいない、無音のような世界だった。壁がボールを弾く音が最初だった。笑ってくれる、少し背の高い男の子。明日を約束してくれる人。
「うん、明日も行くよ。じゃあね、名前を教えて」
「リョーシロー、そっちは?」
「ヨウコだよ」
「じゃあ、髪がキレイな麦わら帽子のヨウコちゃん、また明日な」
少し背の高い少年は、笑って、ヨーコに手を振っていた。思いきり手を振った。もう、この世界が大好きだった。
「いっくぞおー!」
遼四郎は、ヨーコにボールを投げる。胸の高さに来る、捕りやすいボール。
「なんか、私に言いたいこと、あるの~?」
ヨーコは揺れる気持ちのまま、投げ返す。気持ちが雑で、ボールが逸れる。捕れなかった遼四郎が、走って追っていく。
「ゴメン。捕れなかった。ヨウコちゃんが悪くないんだ」
まっすぐなボールが、ヨーコの胸あたりに返ってくる。でも、キレイな回転なのに、どこまでもやさしい。鋭さが全部、削がれている、そんなボール。
ヨーコは、遼四郎を見た。両手をあげて、ボールを待っている。私の言葉を待っている。勝手に、少し涙が出てきた。なんとなく、わかっていた。確証はなかった。でも、わかっていた。
“あなたに、逢いたかった!”
力いっぱい、言いたいことを投げ込んだ。
パンッ、というキレイな音。いつもはしない、両手で受け止める形。遼四郎の顔がグラブで見えない。でも、今日の彼は意地悪をしなかった。グラブを手元に寄せる。笑っていた。あのときの、少年だった。足の上げ方が変わらない。
「駄菓子屋で好きなのは?」
「風船アイス!」
「イカとタラなら?」
「イカ!」
「ラムネの作法は?」
「くぼみに球を引っかける!」
遼四郎が大きく笑った。ヨーコは楽しい。今までで、いちばん、最高に楽しい。
「お別れ、できなかった!」
「こっちに、急に、戻ったのよ!」
「さみしかった。おばさんが来て、言ってた。外国に帰ったって。本当は、キャッチボール、したかった!」
遼四郎が、当時の少年のまま、言葉にした。ヨーコは、なんとか、ボールを捕った。やさしい緩いボールだったから。でも、そこで崩れた。泣いてしまった。
「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい! リョーシローに会いに行こうとした。その日は、200円持ってた! でも、行けなかった。ごめんなさい……」
ヒザをつくヨーコに、遼四郎がゆっくり駆け寄る。
「ゴメン、泣かせたかったんじゃないんだ。でも、また、忘れちゃう前に、また、死んじゃう前に、約束を果たしたかったんだ。“明日、グラブ持ってくるから、キャッチボールしよう”って、あれを」
「リョーシロー!」
ヨーコは、はじめて遼四郎に抱きついた。あの、少し背の高い少年の肩は大きくなっていた。力強さが備わっていた。でも、どこまでもやさしく心地いい。




