25話 小さな愛情の、大きな転機
陸に従えられた竜掃使500名は、それぞれ、与えられた役を猛然とこなした。鳥をさばけると語った猟師の若者は、それが竜ならば将軍に昇進できるほど、鳥を倒した。役割のなかった500人はのんびりできたかというと、逆だ。彼らは、水汲み、運搬、洗濯、皿洗いなど、ありとあらゆる労働に駆り出される。
「訓練の方が、身体は楽ですよね」
「間違いない。でも、これが終われば、身体洗って、さっぱりして、うまいもんが食えるんだ。ゴールが違いすぎる」
「とっとと、終わらせましょうね」
士気、モチベーション、やる気、いろんな言葉があるが、そこが根本的に違った。大汗をかきながら、兵たちは動く。
征竜隊も各自動いていた。ヨーコはいつの間にか城南屋台連を呼びつけていた。うどん屋を筆頭に、茶屋、そば屋、バーガー屋などが出張っている。先日見た、流しのふたりもウロウロしていた。
富夫は薪割り隊の中心にいた。斧を振り回す彼の近くに、力自慢の竜掃使が集い、剛力を競い合う。秀樹や勝利は、その薪や水を運ぶ。
陸は料理の中心人物だった。横には、常にハンナがいた。少しやんちゃな若手竜掃使が、さらに若年の陸に反発を示すときがある。そんなとき、ハンナは前に出た。征竜隊ナンバー3となった達人の圧力が、彼らを圧迫する。でも、そんな状況もすぐに起きなくなる。
陸が包丁を握り、次々に鳥の腹をかっさばいていくと、竜掃使たちには恐怖感が生まれた。食いものに向き合う陸は、神。神はときに、恐ろしい顔をするものだ。
準備が軌道に乗ったところで、エリーは医務室に向かった。遼四郎は眠っている。陸のヒーリングがあったとはいえ、ダメージは身体に残った。それを回復するには、眠りが必要なのだ。
眠る遼四郎の横に座り、周囲を見て、誰もいないことを確認する。安心すると、手を握ってみる。少しだけ伸びた、髪に触れる。小さな声で言う。
「もう少し伸びたら、カッコよくなるね」
遼四郎が、小さく目を開けた。エリーを見ている。少し驚いたエリー、でも、誰もいないから、逃げずにまっすぐ見る。何も言わない。もう一度、髪を触る。
「江理、ちゃん? 久し、ぶりだなあ、げ、元気だった?」
朦朧としている遼四郎が、エリーに向かって言う。今度は大きく驚く。瞬間的に、記憶の奥の方にある小さな引き出しが動く。こぼれてくる思い出。どこの、いつの、思い出?
「し、心配してたんだ。夏休み、終わって、江理ちゃん、転校、しちゃって……。さ、さよなら言えなくて」
意識が混濁している遼四郎は、エリーに話し続ける。引き出しがもっと開く。たくさん、あふれてくる。
「え、江理ちゃん、やっぱ、かわいいよな……。そう、思ってたんだ。いつか、お嫁さんになって、もらおうと思ってた、のになあ……」
エリーの中の、閉ざされ、場所さえ消されていた引き出しが、全部、開いた。
「い、今は、さみしくない? ひ、ひとりで泣いてない?」
遼四郎の小さな声に涙がボロボロと出てくる。嗚咽に変わる。なんで、こんなに大事なことを忘れていたんだろう? ひとりぼっちだった私に声をかけてくれた、少し背の高い男の子。手を握って、立たせてくれた、やさしい人。助けてほしいとき、いつも、いてくれる、そんな、大事な、大事な思い出の人。何もかもがよみがえる。
「リョウくん……、久しぶり。江理は、ずっと元気にしてたよ。 リョウくんのおかげで、今はとても楽しいよ」
気持ちが手を強く握らせる。遼四郎は、少し握り返した。
「よかったあ。じ、じゃあ……、今度はお嫁さんに、なって、もらわな、きゃ……」
少し、ニヤけながら、遼四郎は話して、また、眠ってしまった。
涙が止められない。この人が、なぜ、ここにいるのか、なぜ、一緒に戦ってくれるのか、エリーには全部、わかった。
「うん、お嫁さんにしてね。もう1回、約束するよ。リョウくんが江理のお婿さんだよ」
流れる涙を拭いて、エリーは、眠った遼四郎に、こっそり、小さなキスをした。
「キャプテン、どう?」
ケイが兵舎内に入ってきて、エリーとすれ違う。
「うん、よく寝てるよ。寝言を言うかもしれないけど、忘れてあげて」
たくさん泣いてしまったことに気づかれないように、少し顔を背けて、答える。
「そうだよね。聞かれたくないことも言っちゃうもんね。私も聞かないことにする」
「そうしてあげて。遼四郎の弱みとか、握りたくないし」
ケイに顔を向けず、エリーはそのまま外に出た。陽が西に落ちていた。残照がまだ残っている。東の空には星が見える。もう一度、きちんと涙を拭く。
「リョウくん、がんばりすぎて、ケガしちゃったもんね。その分は、江理ちゃんが、がんばるからね」
あんなに泣いたけど、悲しいことなんて、ひとつもなかった。はるか遠くで、育んだ小さな愛情だった。永く遠く、失ったと思っていた。それなのに、今、目の前にある。心の中は、温かいもので満ちている。前しか、向けない。
ケイが医務室に入る。眠っている、と思っていた遼四郎は、目を開けて天井を見ていた。
「キャプテン、起きてます? 大丈夫ですか」
「うん、大丈夫だと、思う。ケイ、俺、死んだよな」
振り返るケイ。思い出しただけで、心が平衡を失う。でも、冷静さを買われている彼女は、耐えた。そして、装った。
「そうだったかも、しれません。でも、陸君ががんばってくれて、キャプテンが声を発して、みんな安心したんです。よかったんです。今はみんな、一生懸命、竜掃使と仲良くなろうとしています」
「頼りになるよなあ、みんな。ケイもありがとう。今日は、みんなに謝らないといけないんだ。だから、少ししたら、表に出るよ。でも、ちょっと、おしゃべりしていい?」
ケイは最後に征竜隊に合流した。自分は勝手にテンパっていた。遼四郎と耕平が声をかけてくれた。だから、落ち着けた。遼四郎はリーダーだから、余裕なのだと思っていた。でも、本当は全然違う。いちばんテンパっていたのは、目の前のこの人なのだ。だから、みんなのために、屋上から飛び降りてしまう。
「もちろん、どうぞ。私が相手だと、つまらないかもしれないけど」
「そんなこと誰も思ってないよ。ケイはやさしいし、かわいいよ」
遼四郎の答えは、正直だった。この人のいいところだと思う。女子だけじゃない。ハーマンにも同じように相手をする。だから、たくさんの人に好かれてしまう。
「エリーとケイって、仲いいよね」
彼は親友の話をした。
「あの子、なんでおっちょこちょいって、言われるのかな? 女王様もケイたちも、いつも言ってるんだよな。でも、俺、あの子のそんなところ見たことなくて……」
親友の話。だから、なんでも言える。
「エリーって、時間と空間認識が少しおかしいんです。時間と場所を取り違えることがしょっちゅうで、急にいなくなったと思ったら、変なところから出てきて、よくわからない言い訳をする」
「ははは、そりゃ、たしかにおっちょこちょいだ」
「小さいときなんか、急にいなくなって帰ってきたら、“帰りたくなかった。ナントカ君と一緒にいたかった”って泣いちゃって。それ以降、エリーのあだ名は、“超時空少女”ですね。キャプテンたちと出会った日も、いつの間にかいなくなって、数日後に現れたら、みんなが一緒だった、という顛末です。ちょっと、不思議な子なんです」
そこまでケイが話すと、遼四郎が天井を見つめて、考えてしまった。何か、悪いことを言ったような気がしてしまう。
「ケイ、内緒の話をするね。誰にも言わないで」
どうしたらいいのか、わからなくなる。でも、この人は話したいのだ。聞いてあげることが、この人を少しだけ救う。ケイは小さく笑って、応じた。
「エリーってさ、あの子って、“トライビト”になってたんだと思う」
驚くケイ。でも、遼四郎は急いで話さない。その時間が、ケイの思考をつくる。
「俺、たぶん、エリーに会ってるんだ。小さなころ、夏の前に、急に隣のクラスに転校してきた女の子がいたんだ」
遼四郎が何を言っているのか、わからない。でも、聞いてあげるのがケイの役目。
「長い髪を後ろにくくった女の子がね、毎日、いちばん前の席で、ひとりで座ってるんだ。隣のクラスのヤツ、誰も話しかけてあげない。2日、ガマンしたんだよ。でも、3日目もひとりで黒板見てた。俺、勝手に隣の教室に入っていってさ、前に立った。ビックリした。すごい、かわいいんだ。目を合わせて、“名前を教えて”って言ったんだ。その子、恥ずかしそうに俺を見てね。でも、“江理だよ”って答えてくれた」
ケイが考えていたのとは、まったく違う言葉が、遼四郎から出てくる。でも、何かが符合する。話に引き込まれる。
「俺、“リョウシロウ”って名前長いよな。だから、みんなに、“リョウ”って呼ばれてたんだ。だから、江理ちゃんも“リョウくん”って呼んでくれてね。本当の名前、知らなかったんだと思う」
「江理ちゃんと、リョウくんは、どうなったんですか?」
「それからは、毎日、時間があったら隣に行ったんだ。昼飯なんか、勝手に食いもの持っていって、江理ちゃんと一緒に食った。江理ちゃんに嫌なこと言うヤツは、ぶん殴った」
「江理ちゃん、うれしかったでしょうね。リョウくんは、どう思ってたんですか?」
「江理ちゃんが好きで好きで、どうしようもなくてね。そんなことも言ってみた」
「江理ちゃん、どう、答えたの?」
遼四郎は、幸福な思い出を胸いっぱいに膨らませて、答えた。
「“リョウくんが、江理のお婿さんだよ”って言ってくれた。舞い上がりすぎて、だから、何もおぼえていないくらい」
「やったじゃないですか! リョウくん、完全勝利!」
「でもね、江理ちゃん、いなくなっちゃったんだ。夏休みが終わったら、黒板の前の席が、ひとつ空いてた……。俺、さみしいんだけど、江理ちゃんが、またひとりぼっちになったら、どうしようと思った。怖い目にあったら、いけないと思った。助けに行かなきゃいけないのに、どこに行ったらいいか、わからないんだ」
そこまで、遼四郎のつぶやきに合わせていたケイ。でも、その目から、涙があふれだす。メルヘンとか、そんなのじゃなく、小さなころの、遠い思い出を反芻する、ただキレイな心の動き。
「それ、エリーです。思い出しました。あの子、“帰りたくなかった。リョウくんと一緒にいたかった!”って叫んで泣いてたんです……」
遼四郎が天井を見たまま、考えている。少し青い顔。抱いてあげたい、とケイは思う。でも、自分はそうじゃない。届かない、何か。
「さっき、寝てる間にいっぱい思い出したんだ。いや、死んだときかもしれない。でも、誰が好きとか、そんなのはいらないんだよ。だから、忘れてほしい」
少し心が動いていた人に、親友との運命を告げられ、さらに忘れろと言われた。ケイの中の何かがブチ切れる。
「何言ってんのよ! ずっと消されたような記憶を、やっと思い出したんでしょう? 未来はその先にあるんでしょう? いい加減にしてよ! 今日中に江理ちゃんに全部言うのよ。また、忘れちゃうよ。そんなの私がいちばんつまんないよ!」
ケイの強い剣幕に、遼四郎は小さなため息をついた。やっぱり、悪いことを話したと理解した。でも、この人に話すしか、なかったのだ。
「ごめん、ケイ。でも、聞いてくれて、ありがとう」
「知らない!」
いろんな思いが交錯してしまって、ケイはそう言った。だけど、さらに、衝撃的なことを遼四郎は言う。
「俺、もうひとつ思い出したんだ。たぶん、ヨーコにも会ってる……」
ケイは逃げたくなった。でも、遼四郎は話している。誰かに言おうと思った。耕平がいいと思う。こんなのは、彼と分け合うしかない。もう、そう考えるしかなかった。




