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10話 名前なんか、どうだっていい

 結局、ヨーコとひろし章吾しょうごらは笑いながら帰ってきた。エリーはヨーコの独断専行をなじったが、それほど強くはなかった。遼四郎りょうしろうの言った通り、宙がヨーコを手なずけてきたように見えたからだ。

 そうして、午後はリサに連れられ、勝利かつとしと秀樹が外出することになる。だが、用心深いリサは、勝利の目つきの悪さにこだわる。そして、思いついた。

「そうだ。遮光メガネを使いましょう。勝利君の目も見えないから、嫌がられない」

 そう言って、どこかに消えると、サングラスのようなものを持ってきて、勝利のメガネの上に無造作につける。そして、ニヤッと笑う。

「よかったあ。これで勝利君も外に出れるね。絶対に目立たない服を買わないとね」

 リサは真剣にうれしそうだったが、不審者を扱うように言われた勝利は凹んだ。秀樹がさっぱり似合わないターバン姿で肩を叩いている。

 そんな、いいかげんな空気の広間に、突然、規律正しい足音が響く。みなが振り返ると、赤毛の女性剣士が生真面目な顔で向かってくる。止まる。直立不動の姿勢。エリーが口を開こうとした。

 だが、野球部たちは立ち上がった。脱帽した。そして、直立不動。

「内々に、衛門府征竜部隊尉えもんふせいりゅうぶたいのじょうに任じられました、ケイ・ナイキ・イシイです。着任遅れまして、申し訳ありません!」

 何かを言おうとしたエリーのヒザが折れた。また、失敗したのだ。

「私が、内々に衛門府征竜部隊長に任じられている東遼四郎あずまりょうしろうだ。 着任、ご苦労!」

 選手宣誓のように背筋を伸ばし、遼四郎は応じた。だが、すぐに笑う。

「ところで、えーっと、どうする? 続けるか、エリー?」

 さすがに3度目の遼四郎は慣れていた。自分から崩す。

「ケイ、固いよ。怖いよ。かわいくないよ。友達できないよ」

 ヨーコはこの手の空気が苦手だ。まっ先に崩壊させたい。

「征竜部隊は、特別な状況以外は敬語禁止。キャプテンは、そんなこと言ってるんだよ~」

 こちらもなれなれしさでは負けないハンナが、ケイに忠告する。

「き、禁止事項を私は破ったのですか! も、申し訳ございません」

 ケイはさらに固くなる。エリーは何かを言おうとするが、そこにイケメンが立ちふさがった。

「ケイさん、あなたの失敗はまだ1回。そこの遼四郎はもう2回やって、この3回目を迎えているんです。気にしなくていいですよ」

 一也は相手を緩めようと涼やかに言葉を発した。だが、それも逆効果になる。

「失敗? 私は、もう失敗をしてしまったのですか。 申し訳ございません!」

 ケイは赤毛を深々と下げ、詫びてしまった。ようやく、エリーが声を発した。

「ケイは本当にマジメなの。勝利君の10倍くらいにクソマジメなのよ。ごめん、言うの忘れてた……。お願い、やさしくしてあげて」

 友達を思う一生懸命な感じがこもっていた。でも、そんなことはわかっている。だから、遼四郎はエリーに目で合図を送った。エリーが振り返ると、ケイの近くには、もう耕平が立っていた。

「ごめんな。俺たち、野球部って言って、初見の人には帽子とってあいさつする習慣があるんだわ。怖いよな、あれ」

「でも、軍隊も同じようなもので……」

 そんな会話ではじまる、赤毛女子と小柄な男子。遼四郎はわざと目を逸らす。ほかのナインもそうしていた。なんとなくわかっているのだ。ひとりになってしまった誰かを見つけたとき、まず遼四郎が声をかける。でも、それでもうまくいかないときがある。そんなときに、耕平を頼る。耕平が話しかけると、相手はなぜか楽になる。

「チビだからだよ」

 耕平はいつも笑うが、少しだけ違う。この男は背の高いやつに見下されて育ったから、下からまっすぐ見る。誰もが、目を合わせてしまう。だから、最初の信頼が生まれる。よくしゃべる正則は別にして、りくも章吾も、最初は耕平だった。そして、いつの間にか、チームの一員になっている。それが、この野球部だった。

 少しの時間が過ぎると、もう、ケイと耕平は笑っていた。

「ほら、いつもと同じ」

 そんな目をして、何人かがエリーを見た。ホッとして、リサとハンナに目を合わす。実は、エリー以上にナインの空気に慣れていたふたりは、“当たり前でしょ”という顔で返してきた。だから、遼四郎を見た。すると、なぜかもう、ヨーコが近づいている。

「遼四郎だよね! おばあさまが言ってたよ。最高にカッコいい男子って。本当に、まあまあ、ハンサムね。一緒に町に行こうよ」

 ド派手なお姫様の、あまりに単刀直入な言葉にうろたえる遼四郎。また、高校3年男子に戻る。エリーは猛烈に焦り、瞬時に動いていた。

「ダメ。遼四郎と富夫とみお君は、私が町へ連れていくことになってるの」

 エリーは何をするかわからないヨーコの手首を抑えていた。無意識だ。

「いいじゃん。私の方が、エリーより、おもしろいところ知ってるもん」

「重ねてダメ。数人ずつで分けて担当することになってるの。遼四郎と富夫君はワ・タ・シの担当!」

「エリーって、変なとこあるよね。遼四郎だけ呼び捨てで、富夫は君がつく。なんか、分けてない?」

「遼四郎は話すことも多かったから、そうなっただけ! おかしな想像しない」

「わからないなあ。じゃあ、いいや。エリーも一緒に来ていいよ。随行員が増えても、問題ないから」

 なぜか、まったく立場が逆転した状態で、ヨーコに許可を与えられるエリー。だが、彼女の言っていることは極めて正しい。問題なのは坊主頭の人数であって、随行員の数ではない。

「いいんじゃないか、エリー。俺たちもヨーコとは初対面なんだし、話をしておいた方がいいよ」

 異様な緊迫感に耐えられず、遼四郎は口にした。しぶしぶ、エリーも受け入れる。

「じゃあ、ここからはリサに連れられて勝利と秀樹、エリーらの助けで俺と富夫が外出する。で、ケイは悪いけど、耕平と正則を案内してやってくれない? みんな、何も知らないんだ」

 遼四郎はまとめた。ケイの初任務ということになるが、耕平と一緒だと聞いて、彼女の固さも薄くなっていた。

「わかりました。耕平さんなら、大丈夫だと思います。がんばって、慣れます」

「ケイ、がんばらないでいいよ。どうせ、耕平と正則だけ。失敗して、困らせた方が、いろいろ経験できていいくらいだよ」

 遼四郎は、そう気遣ってケイに言葉をかける。耕平はニッと笑っていた。だが、ヨーコとエリーに囲まれる遼四郎を宙が見ていた。なんというか、グシャッとした感じの顔だった。怒ってるようにも、笑っているようにも見えた。


「で、お昼は何食べようか?」

 ほぼ、ゼロ距離で相対してくるヨーコに、遼四郎はたじたじだ。ただし、それを感じると、宙がうまく相手をできた理由もわかる。宙はまっすぐな人間だった。女子にも変わらず、まっすぐだ。互いに、直球を投げ合うようなキャッチボールで打ち解けたのだろう。

「お腹いっぱいになって、おいしければ、さらにうれしい」

 富夫が先に答えた。こいつも、宙に近い。直球にはフルスイングで応じる。

「ボリューム重視で、おいしいところだね。オッケー! ただし、多すぎるとか言うのは、失礼だからね」

「ウチの野球部に“多すぎる”はないよ」

「だよねー。富夫、でっかいし、いっぱい食べそうだもん」

「いっぱい食べる!」

 町を歩いていく中、ここまで、エリーの出番はなかった。エリーもこの町で生まれ育った人間だった。それでも、少し年齢が上がると、外の町にも村にも、荒野にも行く。ただし、ヨーコは王族だった。城外に出ることはほぼ禁じられ、この町だけで育ったと言っていい。町を知っている量が圧倒的に違う。

「ジャジャーン、ここよ! 絶対、お腹いっぱいで帰れるから」

 連れてきたのは、石畳の広場に面した店だった。店の外にたくさんのテーブルが並び、そこで人々が飲食を楽しんでいる。店で買ってきた品を、好きなテーブルで勝手に食うスタイルのようだ。肉が焼ける匂いが、遠くからでも香ばしい。

「注文は私におまかせでいいよね。ふたりは大サイズで、私たちは中ね。富夫、一緒に来て」

 ヨーコはそう言うと、勝手に富夫を連れて、店に向かう。テーブルに取り残された、遼四郎とエリー。

「エリーが慌てたのがわかるよ。ヨーコって、あんな調子なんだ」

「誰にでもあんな感じなの。顔色を窺わないというか、気にしないというか……」

「いや、大丈夫。ヨーコはウチのアイドルになるよ」

「野球部って、ヨーコみたいなのが好きなの?」

「いや、そうじゃなくて、ああいう明るい人材って、特にピンチのときに大事なんだ。ハンナもそうだけど、助かるよ。ウチは暗いやつが多くてね。正則がペラペラしゃべるタイプだけど、バカだし、ビビりだし……」

「ああ、そうですか。私も暗いもんね。ピンチは慌てるし、変なときに遼四郎よりもうろたえるし、おっちょこちょいだし……」

 ヨーコに押され気味のエリーは、軽く自信喪失している。

「俺さあ、不思議に思ってたんだけど、エリーって、おっちょこちょいなの? 女王も言ってたけど、見たことないし……」

 エリーは嫌なところを突かれた気がして、遼四郎に鋭い眼を向ける。

「そんなこと、知らなくていい!」

 そう言って、手直にあった手拭きを遼四郎にぶん投げた。今日の彼女は、まだまだ、調子が悪い。

 そこにヨーコと富夫が戻ってきた。

「なんか、エリーと遼四郎って、よくないよね。でも、それは忘れて、まずは食べよう。お肉に失礼」

 ヨーコがそう言うと、富夫が持っていたトレーをテーブルに置く。目の前にはハンバーガーの王様のような物体。パン生地に挟まれた、肉の香りが、猛烈に香ばしい。

「さあ、食べよう。おいしいぞ!」

 ヨーコの号令で、遼四郎と富夫もかぶりつく。吹き出すように肉汁が口に広がる。野菜や燻製肉の複雑な味に少しの辛味も絡む。バンズは固めだが、“だから、どうした”と言いたいくらいに味が来る。

「うまいよ、コレ。なんて言うの?」

「名前なんかどうでもいいでしょ。ここに来たら、この味に会えるのよ」

「たしかに、どうでもいいな。絶対、また食いに来る。それぐらいにうまい」

 ヨーコが盛大に笑う。

「遼四郎、わかってる~! そうよ。名前なんかいらないの。心と身体でおぼえりゃいいの」

「たぶん、一生もんだぞ、この瞬間」

「やっぱり、おばあさまの言ったとおり。遼四郎はいいね」

「うまいもん、食わしてもらってるだけだよ。ありがとう」

 ガタガタしゃべりながら、ガッつく遼四郎に対し、富夫は静かだった。でも、目を閉じて、鼻から大きく息を吐いていた。口は絶え間なく咀嚼している。どうやら、死ぬほどにうまいらしい。エリーは、ヨーコのペースに完敗し、何も言えない。

「私たちの国はね、元はこの料理みたいに小麦と肉の文化だったの。でも、長い時間の中、何度も“トライビト”がやってくるの。そして、その人たちが、米と魚の文化も残していく。それが混ざり合って、今の形があるの」

 ぐちゃぐちゃと肉を噛みながら、ヨーコは説明した。

「なるほどなあ。俺たちもさ、元は米と魚の文化らしいんだよ。でも、外国の文化がやってきて、今は、こんな小麦と肉のコンビネーションも食うよ。俺たちみたいな年代は、そっちの方が好きなヤツも多い」

「ええっ! 今日の朝、宙と章吾に魚系の出汁に麺を入れた料理食べさせちゃった。うどんだよ。口に合わなかったのかな」

「いや、大丈夫。俺たちはそっちも大好物だ。おかわりしただろう?」

「うん、速攻で食べたよ。2杯!」

「じゃあ、うまかったんだよ。今度、俺も連れてってくれ」

 そのとき、富夫が黙って手を上げた。空になった皿を指さし、ヨーコの前に指を立ててアピールした。

「富夫、おかわりするの?」

 激しくうなずく富夫に、ヨーコが笑って立ち上がる。彼女が店へと向かうと、富夫の巨体も軽やかについていく。

「ヨーコって、最高じゃん。彼女が、自然に名前を話せるようになるといいな」

 遼四郎はエリーにそんなことを言う。エリーが少し驚いて返した。

「もう、わかったの?」

「なんとなく……」

 目の前で頬杖をつき、遠くのヨーコを眺める遼四郎。この人は、エリーが遠い昔から薄っすらと感じていたことを見抜いていた。ヨーコが自分の名前の後半、“デヨ・ヨート”を、王家の名を拒否していることに。だから、名前で生きる世界を避け、市井に飛び込んでいくことも。

「やっぱり、遼四郎はやさしいんだよ」

 そうつぶやいて、エリーはヨーコと富夫を見た。また、うれしくなってくる。少し、涙腺が潤んでしまう。だから、遼四郎の方を見れなかったのだ。


 町では、一也かずやが言ったように、私服を買うことも大事だった。だが、遼四郎はさておき、富夫の衣類は、ある場所も限られる。

「富夫もカッコよくしてあげるからね~。まかせなさい」

 ヨーコは知識を駆使して、大きなサイズの服がある店をめぐる。外国人も利用する店で、富夫にも着れるものを見つけてきた。

「いいじゃない。髪が伸びたら、めちゃカッコいいよ」

 なんの変哲もないジーンズみたいなズボンと、赤いジャンパー風の上着だった。だが、四肢が長大な富夫が着ると、異様に決まる。

「お前ってさ、アクションスターの資質がある気がするぞ。なんか、その姿見ると、問答無用の説得力がある」

 富夫にそんなことを言いながら、遼四郎もいくつか上下を見繕い、買っていくことにした。

 一通りの仕事を終え、帰途につく4人。そこで、ヨーコがむし返す。

「やっぱり、エリーと遼四郎はよくないよ。一緒にいすぎだよ。みんなが気分を悪くしちゃうかも。だから、私と交代しよう」

 動揺したのは、遼四郎以上にエリーだった。心の中を見透かされたような気がする。たしかに、ずっと一緒にいるのだ。

「ぶ、部隊長と副官の役割を果たそうとしているだけなんだけど……」

「そういう、決められた上下関係とかの話じゃないよ。みんなの話。エリーと遼四郎がなんでも決めて、みんなが従う人間関係って、嫌じゃない?」

 エリーは手も足も出ない。図星なのだ。時間を追うごとに、心理的に遼四郎に頼ることが多くなっている。いや、頼るというよりも、一緒にいたい。

 遼四郎の方は、案外、ヨーコの提案を斟酌しんしゃくなしに計算していた。たしかに、自分がエリーに頼りすぎな気もしてくる。だが、口を開いたのは富夫だ。

「遼四郎はまっすぐだから、誰でもこうなるよ。たぶん、ヨーコとも同じようになる。もう少し、遼四郎と付き合えばわかるよ。半分バカだから、ヨーコもエリーも、自分の役割みたいなのが」

 驚いた感じで反応したのはヨーコの方だった。

「私に役割があるの?」

「もちろんだよ。遼四郎はあんまりたいしたことはできないよ。だから、どう助けるかを俺は考える。俺ができることをすれば、みんながうまくいく。バカの遼四郎も楽だ」

「ええっ! 遼四郎って、バカなの?」

 あまりの言われ方に、遼四郎が怒る。

「バカバカ言うな! これでも、必死なんだ」

 とうとう、ヨーコが笑い出した。そして、自分自身に話すようにつぶやく。

「役割かあ。なんか、私が想像してたのとは違うのかもね」

 少し考え込むヨーコに、陽気な声で遼四郎は応じた。

「俺はリーダー役なんだけど、将軍みたいに偉いわけじゃない。みんながそれを俺に押し付けてるだけなんだよ。みんなが嫌になれば、別のやつに交代させられる」

「ふーん。誰か上の人が決めたのじゃなく、みんなが決めたリーダーなのね」

「そういうこと。でも、俺は富夫が言うようにたいしたことができない。いつも、富夫や耕平たちに助けられてばっかだな。たぶん、これからはヨーコにも助けられるんだよ。もう、いいところを見つけたから、そこは、おまかせかなあ」

「私のいいところって、何よ」

 間髪入れずに、遼四郎は答える。

「宙と章吾と、俺と富夫に、最高に楽しい時間をくれたじゃん。うまいもん食って、明日もまたがんばろう、と思わせてくれた」

「ムチャクチャだけど、明るく気遣いしてくれる。気持ちのキレイな女子と、今日はいい時間を過ごせたよ」

 続く富夫は、さらにバカ正直だった。バカふたりが気分よく先に歩いていく。

 いつの間にか、横にいたエリーに、ヨーコは話す。

「何なの、アレ。なんか、うれしくなってきちゃった」

「あんな人たちなのよ、最初に会ったときから。嫌い?」

 ジーっと、前を歩くふたりを見るヨーコ。

「ごめん。大好きかも。だから、エリー、本当にごめん!」

 そう言って、ヨーコは駆けだし、遼四郎に背中から抱きつこうとした。だが、ヒラリと身をかわされ、気が付くと富夫に担がれていた。

「お姫様抱っこ、ってヤツな。名前は嫌いだろうけど、悪くないと思うぞ。 特に富夫のヤツは安定感抜群のはずだ」

 キョトンとしたヨーコに遼四郎が話す。彼女には、富夫に抱かれて見る町が、今までとは違う景色に見えてくる。

「名前なんか、どうでもいいのよ」

 ヨーコは逆らうのがバカバカしくなって、そのまま、富夫に身を預けることにした。横で笑っている遼四郎の声が、心地よかった。



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