私の願いはひとつだけ
子供の頃から希死念慮があった。
思春期の1歩手前。少し周囲が見えてきた頃、私はぼんやりと死について考えることが多くなった。というよりは、生きている意味について考えることが多くなった。
私は確かに両親に愛され、学校に通い、友達もいるが、果たしてそれにどんな意味があるのだろうか? と。
所詮は子供の浅知恵だ。
両親や祖父母の愛を考えれば、私の生に意味があることは明らかだった。
逆に言えば、それだけが私の生きる意味だった。
10代の頃、それでも死にたいと思っていた。
私にとってこの世界は辛いことが多すぎた。そんな甘ったれた理由だ。
付き合おうと言う相手には全員、私が死にたくなったら私を殺してくれと頼んだ。
でもいつも、出来ないと泣く相手を私は好きになってしまった。
そんな頃1匹の猫を拾った。小さく身体が弱いその黒猫はひと目で私を虜にした。私はこの猫のために生きることになった。朝起きて飯をやり、カーテンを開けて陽にあて、遊び、共に寝た。眠りは深かった。
私は結婚し、離婚した。私には先天的な疾患があった。子供を望んだが、あらゆる意味で乗り越えられる力がなかった。そもそも結婚してすぐ性行為がなかった。子供もなくセックスもなく、友達のような相手とずっといるのは本当は悪くない日々だった。だが私は相手を愛していたので、隣で隠れて泣く日々に耐えられなかった。
ある日私を殺すか離婚してくれと頼み、私達は離婚した。あの人に出来ないことは知っていた。
猫はずっと一緒だ。
30代も終わりに差し掛かったある日、猫が死んだ。長い闘病の末だった。
私の腕の中で、私の顔を見ながら死んだ。
死なないで。置いていかないで。
私は叫んだが、届かなかった。
猫は幸せだったと誰もが言う。私もそう思う。だが悲しいものは悲しい。
祖父母はだいぶ前に亡くなり、あとは両親が残るのみだ。その両親も高齢だ。父には癌が見つかったと言う。
死に方を選べるのなら、どこか知らない地面や海の底や病院の手術台よりも愛する人の腕の中がいい。
私の願いも、それだけ。
あの人に出来ないことは知っていた、でもそれでも願わずにはいられなかった。どうせ死ぬのであれば、せめて。
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