そして勇者はいなくなった
三日月がのぼる夜空の下、あかりが灯る一軒の家の中から小さな悲鳴が聞こえる。
「いってぇ!折れてる!絶対折れてる!」
「残念だけど折れてはいないね。打撲と擦り傷だ。きみずいぶん丈夫だねぇ。せっかくなら折れてればよかったのにねぇ、骨が見えるくらい」
と、本当に残念そうに答える白衣を着た男は、勇者見習いの体に包帯を巻き終え片づけを始めた。
「骨なんか見えたら下手したら死んじゃうでしょ。相変わらずドクトルはキミの悪いことばっか言うんだから」
しかめっ面で答えたキズリは、勇者見習いの顔を見て、
「残念だけど……こっちは折れてたわよ」
そう言って、壁に立てかけた剣を指さす。見事に真っ二つに折れていた。
「そっか。あの衝撃じゃしゃーねぇな」
キズリのそばにいたノロが両手を合わせて
「ごめんなさい」
と口を動かす。
「やたら重くて動きにくかったからいいよ。新しい剣を買うさ」
勇者見習いがノロを見て笑って答える。するとキズリが不思議そうに尋ねる。
「あれ、剣なのかな?中の鋼、どう見ても磨かれてない、ただの石みたいだけど」
「そうなのか?オレ剣を持つの初めてだからわかんねぇんだよな。武器屋のおっさんに選んでもらったから。もしかして取り違えたかな」
勇者見習いも首をかしげる。ノロは黙って剣を見た。
上着を着なおす勇者見習いに、ドクトルが言う。
「しばらくは無茶をしないことだね。馬と一緒に転ぶなんてもってのほかだ。まぁ今度こそ骨が飛び出たってときにはぜひ鑑賞させてもらうけど」
「いや、鑑賞しないで治療してよ」
すかさずキズリが言う。勇者見習いは笑って、
「あんな偶然、なかなかねーだろうが。気を付けるわ」
と答える。するとドクトルは、帽子の下からのぞく細い目を光らせて、
「偶然なんてない。この世に起こることはすべてが必然。……と、昔読んだ本に書いてあった。君がそんなガラクタの剣を折ってしまったのも、馬と一緒に転んだのも、すべては必然なんだよ。もう少し慎重に行動することだ」
と言う。その眼光の鋭さに、勇者見習いはちょっとだけ身をすくませた。
ケガをしたばかりなのだから、そう注意をされて返す言葉もない。
「ただいま戻りました!」
突然診療所の扉が開いて人が入ってくる。帽子とゴーグルとマスクで顔が全く見えない。森にでも行っていたのか、枯れ葉や泥をあちこちにつけた小柄な女性だった。
「ダワイ、えらく遅かったな」
ドクトルがビーカーに赤い液体を注ぎながら女性に声をかける。
女性は帽子とゴーグルをとると、勇者見習いたち三人に気付いてあら、と声を上げる。
「キズリとノロじゃないか。そちらは患者さん?」
「こんばんは、ダワイさん。こちらは旅人さん。ちょっと事故があってね」
とキズリが答えると、ダワイは散らかった作業台の上に荷物を置いて、
「骨でも出たの?」
と勇者見習いに聞く。
「いや、骨は出てない」
「それは良かった。ドクトルに盗られたら帰ってこないからね」
ダワイは笑顔で答える。ぜんぜん笑える話じゃない。
「ダワイさんは薬剤師なんだけど、街の外で植物調査もしてるんだ」
キズリが勇者見習いに説明すると、ダワイが一息ついて椅子に腰かけた。
「南の渓谷に新しいモンスターが出たって情報があってね、遠回りはするわ、検問は人で混雑してるわで大変な騒ぎだったのよ」
ダワイさんは体の泥や枯れ葉を丁寧に落としながら話す。キズリが一瞬身を固くして、
「南の渓谷にモンスターが?」
と尋ねる。
「行商隊の一つが行方不明なの。情報がまるでなくて、新しいモンスターみたいね。しかも相当強い」
「南は比較的穏やかな地域なのに、珍しいな」
と眉を寄せたドクトルがビーカーに口をつける。
「そうなんですよ。渓谷を行商たちが避けると荷物が遅れるし、下手したらしばらく物流が滞る可能性もある。大迷惑よね。今日は暗いし、明日警護団が調べるって言ってたわ」
ダワイが勇者見習いたちを振り返り、
「しばらくは街を出ないほうがいい」
と忠告する。
勇者見習いの隣で、キズリがぎゅっと両手の拳を握った。
**
診療所を出ると、三人は三日月のもと、わずかな街灯の道を歩く。
勇者見習いが折れた剣を抱えながら、
「この町の近くに強いモンスターはいないって聞いてたんだけどな」
というと、キズリが
「基本的にはいないよ。だけどむかし……この町は一度だけモンスターの襲撃に遭ったことがある。その時、運悪く経験の浅い勇者やパーティがたくさん集まっていてね。全滅したんだ」
少し間が開いて、小さな声を絞りだす。
「町の人も、たくさん死んだ。……わたしの両親も」
酒場が見えてきた。明るい音楽が聞こえてくる。
「でも、今回はきっと大丈夫。警護団の人たちもとっても強いし、すぐ討伐してくれるはず」
そう返すキズリの手はずっと震えていて、その手をノロがそっとつかんでいた。
「旅人さんも、しばらくは街を出ないほうがいい。武器がそれじゃ、出るに出れないかもしれないけど」
酒場の前でキズリが立ち止まる。ノロの手をぎゅっと握り返して、それじゃと笑って店の中に入っていった。
ノロと勇者見習いが黙って歩きだす。
ノロはちらりと勇者見習いの横顔を見る。
勇者見習いの瞳には、まっすぐみつめた道の先の、何かをみているようだった。
しばらく道を歩くと、一軒の家の前でノロが立ち止まる。
勇者見習いが口を大きく開けてここでいいのかと聞く。
ノロはうなずく。そして、
「ありがとう。おだいじに」
と肩を指して言った。勇者見習いはにこりと笑って、
「またな」
と手を振った。
薄暗い道を歩く勇者見習いの後ろ姿を、ノロはその気配が消えるまでじっと見つめていた。
三日月に雲の影がかかり、夜空を暗くした。
*
空はだいぶ白くなってきて、太陽が出るまであと少し。
この時間が一番静かで、一番寒い。
警護団長のグルカは、町の入り口の一つである南の検問の前に一人で立っていた。
遠くから歩いてくる人影に気付き、顔を上げる。
磨かれた時代遅れの鎧を身に着け、門に向かってくるのは勇者見習いだ。
その目には一筋の強い光が宿っている。
グルカは黙って、勇者見習いに相対する。
勇者見習いも立ち止まった。
「……どこに行くんだ」
グルカが低い声で尋ねる。まるで敵を前に相手を威圧するような気配だ。
「オレは勇者だ。冒険に出るに決まってるだろ」
勇者見習いも負けじと答えた。
「武器も持たずにか?」
「……よく考えたら剣なんか使ったことないし、あってもなくても一緒だ」
少しだけ気まずそうに答える勇者見習いは、鎧すら窮屈そうに腕を振る。
「南の渓谷の話は聞いているな」
グルカがそういうと、ぎくりと肩を揺らす勇者見習い。
「モンスターについて何の情報もなく、仲間も連れず、対策もない。考えなしの無謀を英雄とは呼ばない」
グルカは腰に差した剣に手をかけて勇者見習いをまっすぐ見る。
「ただの馬鹿だ。名を上げたいなら自分の実力に見合う場所へ行け」
グルカの迫力に、勇者見習いは肩に力を込め、息をのむ。
しかし勇者見習いはひるまなかった。
「……モンスターに困っている人がいて、それを助ける。それが勇者じゃないのかよ」
勇者見習いはグルカに向かってまっすぐ進む。
その間合いに入ってぴたりと足を止めてグルカをにらむ。
「不安を希望に変えるのが勇者だ。名を上げるなんて関係ねぇ」
グルカは黙って勇者見習いを見つめた。その瞳には険はなく、むしろとても静かだった。
すると、グルカの背後の影が動く。
マントを羽織ったノロが現れる。
勇者見習いは驚いて声を上げる。
「なんでここに?」
ノロはじっと勇者見習いを見つめると、
「ひとりで行くのは無茶。やめたほうがいい」
と身振りと一緒に静かに語りかける。
しかし勇者見習いは、一層胸を張ると笑顔で答えた。
「この町の人はみんな良い人だ。オレ、町の人にずっと笑っててほしい」
そういうともう、勇者見習いは検問を通りぬけて歩き始めた。
グルカもノロももう止めなかった。
もともと警護団には、町人以外の人間がどこかに出ていくことをとがめる必要はない。
森に向かってまっすぐ伸びる一本道を、一度も振り返らずに歩く勇者見習い。
グルカとノロは黙ってその背を見送る。
ノロには、勇者見習いの未来が見えていた。
あの鎧が砕け散る未来だ。
「勇者見習い」はそのまま、姿を消した。
***
このみちずっとゆけば あのまちにつづいてる きがする
子どもたちが夕暮れの広場で歌っている。
買い出しをしていたキズリが、その歌に気付いて子どもたちを見る。
子どもの一人が唐突に、
「あの旅人さん、今日は会えなかったね」
という。ほかの子どもたちも、
「一緒に歌いたかったなぁ」
「今度は鎧着てみせてくれるって言ってたね」
「きっと楽しい冒険にでてるんだよ!帰ってきたらお話聞くの、楽しみ!」
と甲高い声を上げて話をする。
そしてまた歌を歌いながら、それぞれの家路についた。
その会話を聞きながら、唐突に勇者見習いのことを思い出したキズリは、今度は情報屋にちゃんと会ってもらおうと心に決めて、酒場へ向かった。
end