#3 「超演算者」の少女 4
見覚えがあると思った。
他でもない、それは彼が両親を失ったあの日。灼熱の業火と人々の喚声で埋め尽くされた『あのときの光景』によく似ていた。違うのは目の前が火事であるか瓦礫であるかだけだ。
季節はずれのゾクゾクとした寒気が背中を撫でる。
瞬間前に見えたのは、紛れもなく彼女のシンボルそのものだった。刹那とも永遠とも思えた『1シーン』の中、彼女は確かに崩落する怪物に向かって駆け出していたはずだった。その危機にも気付かずただ嗚咽を漏らしている一人の少女を助けるために。
死んだと思った。
常識で考えて間に合うはずがなかった。
彼女が『常識の通じる能力』の持ち主だったならば。
それだけに。
「直樹くん、あまり長くいると色々面倒なんでさっさととんずらで〜すよ?」
『後ろから聞こえた』場違いに間延びした聞き慣れた声に彼は戦慄したものだった。
「・・・・は??・・・え??・・・えぇ!!??」
固まっていた思考が正常な回路を取り戻すや否や、彼女は直樹と、数メートル離れた所に棒立ちしていた弘毅の手を引いて一目散にその場から逃げだした。『幽霊を見たかのような』驚愕と困惑に満ちた表情を張り付けている二人が、彼らより若干背の低い女の子に手を引っ張られて走らされている様子は、後に居舞によって散々笑いの種にされることとなった。
「良かったのか?あのまま名乗り出てれば一躍ヒーローだったのに」
「や〜や〜、あの子は結局助かったんだからそれでいいんだよ〜」
「でもあのお母さんは居舞さんにお礼がしたかったんじゃないかな」
「まあ、それはまた今度会う機会があったら、ということで」
閑静な住宅街を縫う通りの一本で、平常心を取り戻した2人と相変わらず賑やかな一人が談笑しながら歩いている。あれだけのことがあったのに外は本当に静かなもんだな、と直樹はポカポカな陽気に目を細めつつ考えた。というのも、当人は瓦礫の雪崩に突っ込んだにも関わらずかすり傷一つ負わずに生還しているからである。
「にしてもホントにびっくりだよね。あんな瓦礫の雪崩に突っ込んだにも関わらず本人はピンピンしてるんだから」
「あんなこと普通じゃできねぇ。『高能力』じゃあないよな?『超』の域に達してるだろ?一体何の能力なんだ?」
「さ〜すが弘毅くん。よくぞ見抜いた!汝に『妄想変態セクハラ大臣賞』の称号を授ける!」
「いらねえよ!!ってかなんでそんな話に飛ぶ!?そんな不名誉な称号もらった日には交番の前歩いただけで警察が血相変えて襲ってっくるわ!!」
突然の意味不明な振りに弘毅が血相変えてギャーギャー騒ぐ。何の負い目があるのか、一方の直樹は伏し目がちに苦い顔で二人を交互に見やっている。居舞はふぅ、と静かに息を吐くと自らの能力についてゆっくりと話し始めた。
「『サーキュレイター』っていうらしいの」
ん?といった感じで二人の視線が彼女に集まる。
居舞は続けた。
「『カリキュレイター』に絶対空間認知能力が付随して進化した『超能力』のことなんだって。単純な計算能力も数十倍上がっているけど、何より大切なのは『自分を原点とした物体と原点との距離が一瞬で分かる』っていうところね」
例えば、ここに同程度の計算力をもつ二人がいたとする。その二人に「ビルの高さを計算せよ」という課題を出す。ただし一人には「自分を原点O、ビルの先端を点A、ビルと地上との接点を点Bとしたときの三角形AOBの辺OA、OBの長さと角AOBの大きさ」を先に教えておき、もう一人には何も教えなかったとする。すると、前者は与えられた条件を使って頭の中でペンを走らせるだけで答えを出せるが、後者はそれに加えて先の条件にあった距離と角度を実際に測りに行かなければならないという手間を負うことになる。どちらの方が先に答えを出せるかは想像に難くない。
大体そういうことだろうか、と直樹は分かったような分かっていないような曖昧な相槌を打ちつつ耳を傾ける。それは弘毅も同じのようだ。
「加えて」
軽いステップで一歩二人の前に出る。
「私の頭の中には数万個もの物理や数学の公式が入っているの。『サーキュレイター』になって新しく手に入った空間情報を使ってこの演算を行うと、さっきみたいなギリギリの救出劇も安心してできる、ってなわけで〜すよ」
「・・・・・・・・・・・・」
普段の彼女からは想像できないような難解な単語が、二人の耳を掠めては消えるを繰り返していた。だた一つ分かるのは、彼女は常人を逸した能力者であるということだけだ。万の位にのぼるほどの理数公式を記憶し、そして臨機応変にそれら全てを使い分けて計算する。そんな演算をものの数秒であっさりとやってのける彼女の姿は、二人にとって近くて遠い、不思議な距離感を持つ蜃気楼のように彼らの前で揺れていた。
「ずっと『役立たず』だったから」
振り返る彼女の瞳は笑う。
しかしそれは先ほどまでのはしゃいだ明るい笑みではなく、翳りと悲哀の色を帯びた、辛く悲しい笑みだった。
「ただ『誰かの役に立てた』ってことだけで、私はすっごく嬉しいの。お父さんもお母さんも喜んでくれたし、こんな能力で誰かが喜んでくれるなら私はそれで感無量・・・ってね」
「・・・・・・・そうか」
弘毅が静かに唇を開く。
結局、彼女は彼女のままだった。彼女は誰よりも人のことを思いやれる「人間」だったのだ。たとえ何百万単位で「ダブった」能力者であったとしても、たとえ何度まわりの人々から役立たずと罵られようとも、その心はずっとただ一つの思いを見つめ続けていた。
誰かのために、何かをしたい。
直樹は何も言えなかった。当然だ。彼の能力も正直そこまで役に立つレベルではない。「だからこそ」、彼は流れていく日常をただ流されるままに生きているだけだったのだ。一方、彼女もあまり実用性のない高演算者であったが、「それでも」常に誰かを笑顔にしたい一心で能力育成に専念し、その芽は先ほどの親子の感謝の涙という形で見事に花を咲かせていた。力と思いを両道した姿勢。そんな彼女に、心打たれないはずがなかった。
かける言葉も見つからず直樹が呆けていると、ふと遠目に見知った人影二つがこちらへ走ってくるのが見えた。若干しんみりしかけた空気をかき消すように、軽い口調でまたもや弘毅が口を開く。
「そんならさ」
祐樹とゆかりがたどり着いたタイミングに合わせるように。
「もういっちょ、俺らで笑顔をつくってみようぜ」