#3 「超演算者」の少女 3
「・・・にしてもさっきはありがとう、居舞さん。おかげであの地獄の書き取りから逃れられたよ」
「やーやー、前に私も直樹くんに助けられたし、困ったときはお互い様よ?あんなムチャクチャな課題やってらんないしねー」
「そうだよね。一回やらせるならまだしも、なんで同じ問題をわざわざ50回もやらせるかなぁ?反省しろってのにも限度があるって」
「直樹の兄サン、それはあれですよ?あまり大きい声では言えませんけどね、あいつはきっと私たちがヒーヒー言いながら机に向かっているのを妄想してモンモンしてるアブナイ人なんですよ?」
「『モンモン』て・・・一体何してるのさ?」
「きゃーーそれはとても私の口では言えない!!それをおんなのこに言わせるのは全世界の乙女を敵に回すのと同じことですよ!?まったくもう、直樹くんのエッチー!」
「―――――――――ッ!?」
「・・・・なーんてことを私に言われる妄想をしていた直樹くんもそろそろアブナイ人?」
「してないよッ!!!!!!!!!!!勝手に人を妄想変態セクハラ大臣賞にノミネートしないでくださいぃぃぃぃ―――!!!!」
深緑の街路樹が光を散らす歩道を、賑やかな二人が並んで歩いている。直樹は何やら壮絶な表情を浮かべているが、大きなポニーテールが印象的な、居舞と呼ばれた少女は、むしろ彼の反応を心底楽しんでいるようであった。
「ふっふ〜ん。冗談冗談。直樹くんって必死になると普段からは想像できないようなびっくりワードが飛び出すよねぇ。いや〜眼福眼福。いや、もしかして耳福?」
「ハアァァァァァ・・・もう勘弁してよ〜〜〜」
「だから冗談だってば、シケた顔しないしない。あ、弘毅くんが来たみたいだよ」
言って、直樹の背を叩く。彼も同じく振り返り、立ち止まって弘毅を待つことにする。視線が示すその先には、精悍な顔つきをした、茶色がかった髪を持つ、二人と同年代くらいの少年が走っていた。
「でぅぇ〜〜とちゅ〜〜のおっふたっりさん♪お邪魔ムッシでわっるいっけど〜よっけりゃあ〜一緒に帰ろ〜ぜ」
声に妙なテンポをつけて弘毅が駆け寄ってくる。軽快なリズムの走りにワンテンポ遅れる形で、背中に背負われた濃い灰色のリュックが上下左右とせわしなく動く。今は土曜の昼下がりだが、平日であっても現代ではもはやランドセルという単語は死語となっている。年功序列に従った学年区分が曖昧な上に、そもそもランドセル自体が時代のニーズに合わせて変化していったことでリュックに近い形となったためだ。
「弘毅、僕が女子といるといつもそれだよね。今は周りに知り合いはいないけど、学校ではホントに変な噂が立ちかねないんだから」
「まぁ、弘毅くんらしいっちゃらしいで〜すね。ほんじゃ、一緒に帰るとしますか〜」
日差しが眩しい午後の歩道を、三人は再び歩き始めた。
「・・・で、結局あの鬼九条から逃れたわけか。そりゃあ居舞さまさまだったな、直樹」
並んで歩く三人の中心にいる弘毅が、うんうんと頷いている。
三人は大通りに差し掛かっていた。先ほど弘毅が合流したところとは違い、アーケードの天井に覆われたここは人の数も相当なものだった。窮屈なほどではないが、注意していないと肩がぶつかる。商店街全体でセールをやっているせいもあるのかもしれない。
「ま、人間大切なのは助け合いの精神で〜すよ、弘毅の兄サン」
「それはすごく分かるぞ、居舞。今日だってもし居舞の助けがなかったら俺達の遊ぶ予定は全部パーだった」
「そうだよ。あ、もしよかったら居舞さんも遊ばない?何するかは決まってないけど」
「あー・・・でも今日は」
言いかけたところで、彼女の口が停止する。
おや?と思った弘毅と直樹は、彼女の見る数十メートル先を無意識に目で追うと、そこでは
アーケードを覆う天井が地に向かって盛り上がっていた。
「あれ、結構危なくないか」
「うん。僕もそんな気がする」
二人は顔を見合わせる。かといって崩壊寸前というわけでもなく、別段急を要するようには見えない。そもそもが「言われてみれば」というレベルのため、見方によってはそこだけあえてそういうつくりにしてあるようにも見える。そんなことを適当に考えた二人は居舞にも話を振ろうとして
ギョッとした。
さっきまで隣にいたはずの彼女が、アーケードの凸の下目がけて猛スピードで人ごみをかき分けている。
「ちょ!?い、居舞さん!?」
「ど、どうした居舞??」
聞こえているのかいないのか、呼びかける声も無視して彼女は走り続ける。仕方なく二人も後を追うが、彼女の方が既に10メートル近くリードしているため、なかなかその距離が縮まらない。
「くそ、何がどうなってんだ?」
若干の苛立ちを交えた声で、弘毅が言う。直樹も必死に彼女を呼び止めようとしているが、人と人との間を縫う走りでは思うように声が出ない。悪戦苦闘しながら彼女を追っていると、ふと耳に聞き覚えのある声が入ってきた。というか、ついさっきまで間近で聞いていた声だ。どうやら彼女も何かを叫んでいるらしい。
「自販機周辺にいるみなさん!!逃げてください!!天井があと少しで崩れます!!」
周囲の人々がギョッとして天井を仰ぐ。
見ると、ついさっきまで安定を保っているかに見えていた天井が、まるで水滴が落ちるように中央から崩落しようとしていた。パニック状態に陥ったかと思われる人々の中には、我先にと店内へ避難する者もいれば、率先して人々の避難を促している者もいる。『計算上』あまり効率のいい指示とは言えないが、局所に気を配っているだけの時間的余裕もない。額に嫌な汗を流しつつも、彼女はできるだけ冷静になるように努めながら周囲の人々に指示を飛ばしているうちに、
ぺたりと座り込む小さな女の子を視界にとらえた。
「!!??」
涙を蓄えた目をこすりながら、必死で「おかーさーん!!」と叫ぶ姿を見て、彼女は一瞬時間が止まるのを感じた。少女を挟んで反対方向に『72.3メートル』先には、少女の母親らしき中年女性の泣き叫ぶ姿が見える。2、3人の大人が駆け出しているのが分かるが、そこからではどうあがいても天井の崩落の方が先に少女を襲うだろう。彼女を助ける方法は?崩落から彼女を守る『方程式』の『答え』は?
(・・・=6.239。これなら2秒半あたしの方が速い!)
人ごみを縫って最前列に出た直樹は直後、青いリボンで縛った大きなポニーテールが魔物のような天井の真下に向かって走り出すのをとらえた。
「なっ―――――――」
驚愕で目を見張った彼は、二酸化炭素が抜けるだけの声にならない叫びを上げる。が、それが人々の耳に入るかいなかの、その刹那。
魔物が彼女に瓦礫の山を叩きつけた。