#2 動き出す力
都内某所。
無数の高層ビルが立ち並び、白衣姿の人々「のみ」が行き来するその光景は都市としてはあまりに異様であった。上空の境目が地上から視認できる建物は数えるほどしかなく、周囲を見渡しても目に映るのは白づくめの人間ばかり。個々の人間の差といったらここでは顔と見た目年齢くらいかもしれない。聞こえるのはほとんど都市に特有の雑踏音だけで、ときどき2、3人の話し声が耳に入るものの、その雰囲気に愉快な様子は一切ない。
「IAD研究区画」
別名「寒冷都市」とも呼ばれるその区画は、各教育機関が所有する研究施設が集まってできた一つの研究機関である。「Individual-Ability-Development」の略である「IAD」とは、学力テストで測ることの難しい人間の能力の育成計画のことを表す。今日の日本ではかつて重要視されていた「学力」はもはや身長などの個人を表現する一つの方法でしかなくなり、代わりにそれぞれが持つ特有の「能力」がその個人を表す指標となっているのだ。例えば運動神経に優れた発達が予測される子供には幼少期から基礎体力強化に集中した教育プログラムが編成され、さらに頭角を現す者にはオリンピック選手育成コースが用意されることもある。前頭葉系の発達が著しければ早期から大学教育を受けるものもいるし、中には数十桁の計算を一瞬で行う能力を身につけた学生もいる。
だがそこまで精錬された能力を身につけるためには様々な学問的視点からのアプローチを交えた教育プログラムが必要で、そして現在ではそれが個々の教育機関のレベルを計る物差しになっている。したがって所有される研究機関は必然的に大きくなり、そしてそれらはここ「寒冷都市」に集まることで互いの技術を共有し、ときに牽制し合いながら一つの研究機関として機能しているのである。
このように全国の小中高および大学は能力育成を「商品」として掲げる企業と化しているため、それらが抱える研究機関が一つに集まる場所となればそこの雰囲気が「寒冷」になるのは自然だろう。競争原理が生み出すギスギスした環境はここの都市区画全
体を「都市」という概念から恐ろしく遠ざけているのである。
「あー・・・ここまで高いとマジで人がゴミみてぇだわ」
ガラス張りのエレベーターの中から外を見下ろす少年は吐き出すように呟いた。
その眼は紅く、ただただ紅い。
ガラス玉を埋め込んだかのような非現実的なその色は、見る者を戦慄させるほどの殺意を放っている。
体格は十代前半の少年だった。最低でも彼の見た目より十歳は年上であろう白衣姿の人々と照らし合わせれば、そんな黒を基調とした私服姿の幼い少年には場違いという言葉がとてつもなく似合う。灰色に染まったショートカットの髪は風もないのに毛先が揺らぎ、それが人間味のない不気味さを異様に醸し出していた。
ヒトの皮をかぶった化け物。
そんな陳腐極まりない表現が、しかし最もしっくりくる少年がそこには佇んでいたのだ。
「にしてもあの野郎、213階とかフザけんじゃねぇよ。いったいどんだけかかると思ってやがる」
エレベーターの室内で彼は一人悪態をつく。
ここは寒冷都市の中で「国立黎明院学校」が所有する施設のうちの一つである。各学校につきだいたい2、3の施設を所有しているのが普通だが、この学校に限ってはその規模は半端なく大きく、所有する施設は寒冷都市全域に点在するほどである。しかもその研究も日本で一番進歩していて、中でも脳神経系の研究は日本に留まらず世界をもリードする存在である。
しかし無数に存在する教育機関の中でこの学校だけが突出した進歩をみせることができたのは、ひとえにこの化け物のような少年の「能力」のおかげに他ならない。それは単にその能力が人間としてケタ外れであることによる宣伝効果というより、むしろ彼の能力そのものによる恩恵といった方が正しいかもしれない。今日呼び出されたのも、来年学会で発表される予定の論文を仕上げるための実験協力が主な目的だった。
「まぁ俺も尋常じゃねぇ謝礼金もらって生活しているから文句言える立場じゃねぇけどな」
ガラス越しに下界を眺めていた少年が振り返ると、ドアの上には「37階」と表示されていた。
寒冷都市に存在する建物には最上階が300階を超すものも珍しくはない中で、217階が最上階であるこの「国立黎明院学校所属IAD研究機関統括本部」は比較的低い方に入る。建物の高層化を招く原因は明らかで、ここの地価が人口密度の最も高い首都中心部よりも約7倍も高騰しているからである。寒冷都市に施設をもつ教育機関は日本でもほんの一握りのトップクラスで、中小研究施設なら日本各地に数知れず存在する。それらも地方で固まって研究施設群をつくっていたりもするのだが、やはり世界レベルを誇る寒冷都市の技術力には足元にも及ばない。
「痛っ・・・やっぱりまだ頭痛は残るか・・・まぁあれだけ能力使って助かっちまったんだから当然か」
振り返った直後、針で突き刺すような頭痛を覚えた少年は片手で軽く頭を押さえた。
少年にとってそれは「やり足りなかった」に違いない。能力の完全抑制自体は不可能だが、普段はその「対象」を「自分に関すること」に限定することで脳への負担を最小限に留めている。全力展開した状態では10秒ももたないことは経験的に分かっていたはずなのに、少年は1ヵ月前にその能力を5時間連続で全力展開していた。当然正気など保っていられるはずもなく、脳細胞の約半数が一時停止し、残りは死滅した状態で国立黎明院学校医学部付属病院へと運び込まれたのだが、そこの卓越した技術のおかげで「不幸にも」一命は取り留めた。
したがって、「世界各国の最重要機密事項を世界に向けて暴露し、最終的に自分も死ぬ」というテロ計画は失敗したことになる。
最も、表面上は彼が単に能力を使いすぎて自爆したに過ぎないため、罪を問われるようなことは一切なかった。黎明院の研究者の上層部には事情を知るものもいたが、彼らが自分達の貴重な収入源をわざわざ警察に差し出すような愚かな正義感を持ち合わせているはずがない。結果として一連の出来事は「事件にならなかった事件」と化し、彼は「能力を安定させる」という名目で一時的に能力を全力展開できないように手術を受けた。
能力の回復することだけが目的の手術なら後遺症を残すことなく成功するはずだったが、この頭痛は能力を無理矢理薬品で抑え込んでいることによる副作用で、能力の抵抗が鎮静化して安定すれば薬は切れる仕組みとなっていた。
「『死ぬほど』面白ぇと思ったんだがなァ。『国立黎明院学校支配下におけるいかなる権利と自由を保障する』って割には死ぬことだけは許さねぇのな。俺は生かさず殺さずってわけですかい」
痛みに顔を歪ませながら。
「けどまぁこんなクスリは1、2週間で切れるんだし、その後今度は時間をかけてゆっくりと慎重にテロるとでもしましょうかね」
放つ言葉は恐ろしく冷たく。
「何せ命を捨ててでも本気でやりてぇと思えた初めての目標だからな。ただ何もせずに死ぬのは不本意だが、これだけデカいことぶっ放して盛大に死ねるってのは後味がいい。『第三次世界大戦を引き起こして死ぬ』・・・いいねえ、実に面白そうだ」
世界の死に歓喜する少年は、奇しくも世界の上空でそれを呟いていた。
213階。
廊下も辺り一面「白」だった。それは行き交う研究者の白衣だけでなく、床も壁もその全てが白に統一されていたからでもある。黒い少年がそこを歩く光景は異様を通り越してもはや神聖さすら感じさせた。
1、2分ほど歩いた後、目的の部屋にたどり着いた彼はイラついた様子でドア付近の入力機械を2、3回叩いた後、指紋、網膜認証など各種セキュリティを解除して中に入った。
そこにいたのは、二十代後半と思しき男性。
少し茶色がかかった髪に、温和な眼つき。通った鼻筋に、ほっそりとした顎。研究職に携わらなければ俳優としてもやっていけそうなその顔立ちには、しかし不精ヒゲがたくさん生えていた。身だしなみをあまり気にしないのは性格なのか、それとも好みでそうしているのかは見た目では判別がつかない。
少年は開口一番、その胡散臭い研究者に向かってこう言った。
「ここ来るたびに毎回思うんだが、お前よくこんなつまんねェ白一色のところでずっと試験管とにらめっこできるなぁ」
「試験管とにらめっこするのが私の仕事だし、生きがいでもあるからね。つまらないなんてとんでもない。むしろ楽しみの毎日だよ」
嬉々とした表情で青年は返す。
少年は「はいそォですか」とまともに取り合うのも馬鹿らしいという感じで部屋を見渡している。
基本的には廊下と変わらない白を基調とした壁と床だが、どこかの国の土産物のような置物がたくさん置かれていたり、何に使うのか分からない謎のガラス細工が飾って(?)あったりするあたり、ここが部屋であることを改めて実感させられる。
キョロキョロと部屋の内装を見ている少年に向かって、今度は青年が口を開いた。
「ところで『トゥルーザー』、ドアを開けるたびに毎回毎回セキュリティを力技で突破しようとするのはいい加減やめてくれ。君の指紋、網膜、脳波は既に登録されているし、暗証番号入力にそれほど時間はかからないだろう」
「そっちこそ俺が来るってわかってんなら最初からセキュリティを解除しておくくらいの気遣いをしろ。213階までのぼってきた挙句セキュリティの解除まで要求されればさすがにムカついてくらぁ」
「いつも予定時刻より何時間も遅く来たり早く来たりで到着の目途がたたないのは君のせいでしょうが。見てみろ、今日だって昼に来てくれって言ったのにもう日が沈む時間じゃないか」
「はいはいすいませんねェ。あいにく俺の体内時計はネジが100個ほど外れていて現在修理中なんスわ」
「まーたそれか。いったいいつから修理中なんだ君の体内時計は・・・」
青年は呆れたように溜息をつく。至極いつものやりとりなのだが、毎回このテの会話で『真実者』の身勝手さに手を焼かされる。このままだと埒があかないので、彼は本題に入ることにした。
「で、『能力』の調子はどうだ?さすがにまだ不安定か」
「そりゃぁそうだろ。脳にクスリ投与したのだって1ヵ月前だぜ?『俺の判断が正しければ』あと1ヵ月は必要だな。この状態で能力使えば62.3%の確率でまた前みたいに愉快な状況になる」
「死にかけたのに愉快だなんて。君はもっと自分の命を大切にするべきではないのかい?まだ小学生だろうに」
「どォでもいいわ、そんなこと。何度も言うが俺はいつ死んでもいいと思ってんだ。自分の愉しめることなら何だってヤってやるさぁ」
「・・・・あんなに能力を全力展開して何をするつもりだったのかは知らないが、ほどほどにしておけよ、まったく」
忠告するが、しかし彼の顔は引きつっている。無理もない。相手はあの「真実者」だ。その気になれば任意の人間一人や二人容易に社会抹殺できることだろう。ましてはそんなバケモノが自分の死を覚悟で何かをしでかすと言っている。目的を聞き出すことはおろか、下手を打てば自分が今この場で殺されかねない状況だ。
自分には、この少年を止められない。
だからこそ、冗談まがいの雑談はできても、それ以上に踏み込むことができない。一応教師として授業を受け持つことはあるものの、この少年は教師が体当たりで生徒の心を掴む熱血先生の次元をとうに超えている。具体的数値とともにサラッと嘘をつくあたりがそれをよく物語っていた。
重い息をついた後、青年は一枚の紙とともに少年へこう告げた。
「じゃあここに書いてある研究施設へ向かってくれ。暗証番号もここに書いてある」
「すぐ行きゃあいいのか?それとももう少し空けてからでもいいのか?」
「遅刻したことを少しは考えてくれ」
「わーったよ。すぐ行きゃあいいんだろ?じゃあな、瀬良」
「ああ」
少年は踵を返し、灰色の髪を不気味に揺らして部屋を出て行った。
「・・・『認識した対象に関する真実が分かる能力』・・・か」
静寂を取り戻した部屋の中で、彼は息を吐く。
それは、少年をあそこまで変えてしまった「能力」に対してか。
少年を前に、すくんで何もできなかった自分に対してか。
あるいは、両方か。
「・・・その能力を極限にまで抑えられれば、あいつは変われるに違いないんだ」
しかし、青年はそれでも思う。
この恐怖を乗り越えてみせる、と。
変えてみせる、と。
地獄に囚われ、それすらも望む哀れな少年を救ってみせると。
それこそが、彼の研究の「真実」だった。
「次の論文が、勝負だな・・・」
西日を見つめるその表情には、もはや一切の迷いは残っていなかった。
#1でも少し触れましたが、この少年の動向が今後の物語の鍵となってきます。全てを知る能力を持つ少年の胸中やいかに!?
次回は少し長くなりますが、どうかお付き合いいただけると幸いです。