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あやかしあそび  作者: たま
あやかしあそび
19/23

或るお守りの話

「おにいちゃん、これなあに?」


 いつのまにか懐から零れ落ちていたのだろう。くすみ、まだらに汚れたそれを手にした子供がきょとんと男を見上げてきた。

 男は息を飲む。

 それは、戦のない世界に生まれた子供の手にはひどく不釣合いなものだった。




 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・





「お前は戦というものに動じんのじゃのう」

「はい。自分はお国の為に命を懸ける所存であります」


 その男の言葉に先輩にあたる竹之内は薄闇のなかで軽く笑った。

 饐えた匂いの充満する船室は薄暗い。船底にあるこの大部屋は揺れもひどかった。

 壁にもたれかかり、黙々と揺れに耐えていると声をかけてきたのが竹之内だった。

 年の頃は男よりも十ばかり上。嫁と子を故郷である広島に残してきたという男はまれにみる好漢で、無口で協調性のない無愛想な男のことまで、常に気をかけてくれているふしがあった。

 竹之内は男の横に座り込む。そうして故郷の訛りが強い口調のまま話しかけてきた。


「前の戦では凄かったな……。おまえは死ぬことが怖くないんか」

「はい」


 男は率直に答えた。しかし答えた言葉があまりにも簡潔すぎたことに気づき、ちいさく言葉を添える。


「自分には日本に残した家族がおりません。心配をかけるものはひとりもいない。ゆえに、恐怖などありません」

「……そうか」


 竹之内は笑ったようだった。しかしそれはかすかに苦いものを含んでいるようにも思えて、男は無表情の下、視線だけを横の男に動かす。

 よもや竹之内は怖いのだろうか。しかしそれを言葉にすることは日本軍においては重大な軍機違反を意味する。

 この連隊は恐ろしいほどの激戦をくぐってきた。

 全滅寸前までおいやられたことも一度ある。それが母国を離れて遠征した異国の地のことであり、それはこうして命があることが不思議に思うほどの戦であった。隣に居た味方が銃弾に、爆撃にばらばらにされるたびにそう思った。

 ほんの少し立ち位置が違っていたら死んでいたのは自分だった。紙一重の生死は常に自分たちの日常に、あきれるほど近くに寄り添っている。

 しかし、戦死というものは名誉なことなのだ。だから恐れるものではない。自分の死を恐れもせず、敵兵をひとりでも多く倒すことがこの国に属する人間の責務である。

 たとえ、今から向かう南方の島が死地と呼ばれるものであってたとしても。


 だから男は竹之内のことを情けなく思った。軍機違反として上官に密告するほどではないが、けっして尊敬は出来ない。

 そう思い顔を背けた男に向かって、しかし竹之内はさらに言葉を続けた。


「おい、手え出せ」

「……はい」

「これをやる」


 しぶしぶ返事をした男に向かって、竹之内が差し出したのはひとつの古ぼけた袋だった。元は赤い色だったのだろうそれは今やくすんだ茶の色に変色している。袋の表面に文字はない。中には薄い板切れのような何かが入っているようだった。


「……お守りですか」

「ああ」


 竹之内は破顔する。そうして軍服の内側に手をつっこむと、ひもにひとつに括られたいくつものお守りを出して見せた。いずれもくすみ、汗や血などで汚れている。


「母と妻がもたせてくれたんじゃ」

「そんな大切なものいただけません」


 男は手渡されたひとつのそれを突き返す。しかし竹之内は受け取らなかった。

 口元に笑みを浮かべたまま、首をひとつ振る。


「それはワシからお前にじゃ」

「……は」

「まあ、おせっかいと思ってもらってやってくれ」


 男は眉をひそめた。竹之内のいうことはわけがわからなかったのだ。

 何故、縁もゆかりもない自分にこんなものを。

 怪訝そうな表情をした年下の男に、竹之内は続ける。


「それはたぶん、かなりのご利益がある。ワシの家の近所に古い神社があっての。神主もいないやつじゃったがうちのお袋が熱心に参り続けていたんじゃ。で、そこの神木から落ちた枝でつくったらしい」


 そうして頭をかいた。


「なんの神さんかは忘れたけんど、うちの母ちゃんがいうには凄い力をもっとるらしい。だからそれをお前にやる。――自分を、大事にするんだぞ」


 死ぬなよ、と言外にいわれた気がして男は目を瞠った。

 戦死は名誉なことなのだ。

 それなのに竹之内はなにを言っているのだろう。

 上官や他の同僚は自分の活躍を認めてくれている。自分ではわからなかったが、どうやら男の戦闘能力は高いらしくかなりの評価を得ていた。敵を駆逐すればするほど重宝がられ、有り難い言葉を賜っている。

 殺せ、とは言われてきた。

 殺せ、倒せ。そうしてその命令を遂行すれば褒められた。

 ――それなのに。

 ぼうっとしていると、ふいに竹之内が手を伸ばす。

 そうして、男のむき出しの坊主頭をぐしゃぐしゃと撫でてきた。頭がぐらぐらとかしぐほどに強いせいだろうか、何故だか軽く眩暈がした。

 思わず目を回していると竹之内が小さく笑う声が耳に入ってきた。



 そうして、最後の日。

 竹之内はぽつりと洩らした。

 じりじりと太陽が焼けつく下、濃厚な草の匂いに囲まれた土地で。

 銃剣を構え、同じように上官の突撃命令を待つ自分の隣で。



「……お前は見ていて辛いんじゃ。この世にはちゃあんとお前を心配しとるもんもおる。それを忘れんでくれ」



 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




「おにいちゃん、これなあに? 」


 いつのまにか懐から零れ落ちていたのだろう。くすみ、まだらに汚れたそれを手にした子供がきょとんと男を見上げてきた。

 男は息を飲む。

 それは戦のない世界に生まれた子供の手にはひどく不釣合いなものだった。


「……お守りです」

「おまもり?」

「はい」


 頷くと、子供は小汚いそれをまじまじとみつめる。

 そうして小さな手で袋に付いた土を払うと、太陽のようにぱっと笑って男に差し出してきた。


「なら、だいじ、だね!」


 美幸は満面の笑顔を浮かべている。

 それを見て男はかすかに顔をゆがめた。笑おうとしたが、できなかったのだ。

 だからせめて、声を絞り出して答えた。


「……はい。だいじ、です」






 古びた袋はいまだ男の懐にある。



 ――誰かの願いを、形にして。


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