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18話【黒の衝撃】

「うわぁ、なにあれ、気持ち悪い」

「あれ……は……」

「なに? リムはあれ知ってんの?」


 結界が破られるという異変を察知し、遺跡から外に飛び出て見たものは異形の化け物だった。

 皆が新種の魔物かと警戒するなか、リムの反応に疑問を抱いたレイが問いかける。


「う、ううん。あれは……本当にいるはずは、ないから」


 かぶりを振ったリムが化け物へと視線をやると、巨体に浮かぶ赤く濁った光が笑むように歪み、人間を丸呑みできそうなほどの大きな顎がグパァッと開かれる。


「……見つけたぜ。もし留守だったら手近なもんで腹ごしらえしようかと思ってたが、どうやら必要なさそうだな。嬉しいねぇ」

「レイ姉、あの新種の魔物? ……普通に喋ってるんだけどさ」

「黙りな。ワタシにいちいち確認しなくても自分の耳を信じればいいでしょ」


 稀に魔物と心を通わせることができる人間も存在するが、通常は魔物との意思疎通は不可能だ。ましてや人語を操ることができる魔物など、知らない。


「おいおい、魔物じゃないってか。そりゃあどんな冗談だ? 魔族だってもうちょっと可愛らしい外見してるだろうが」

「へえ、団長さんは魔族と戦ったことがあるの? おもしろ……強かった?」


 警戒しながらも軽口を叩く団長とセシル。


「あいつ、オ、オラの野菜を踏みつけてやがっ――」


 ドルフォイが叫びかけた瞬間、団長の後ろにいるミレイの姿を捕捉した化け物――ディノが腹に響くような不気味な声を上げて怒りだした。


「ん? んんんん!? おいおい、なんだよおい! なんでそこにその女がいるんだよ!? せっかくこっちが感動の再会を果たそうと考えてたのに、先に会っちゃいましたかそうですかぁ!」


 意味不明な言葉を吐き出す化け物に、一同は黙って様子を窺う。

 母親が化け物に取り込まれたと思わせ、助けることもできずに絶望に沈んでいくリムを鑑賞しようと考えていたディノは、心底がっかりしたようだ。


「こんなことなら記憶だけじゃなく、本当に母親を丸ごと喰っちまえばよかったな」


 記憶、という言葉にリムが耳をぴくりと動かした。


「もしかして、お母さんの記憶がなくなった原因は……あなたなの?」


 珍しく語気を荒くしたリムは、ディノを睨みつける。


「おお、怖いねぇ。そんじゃまあ……その質問に答える前に、こっちも教えてほしいことがある。母親が自分のことを綺麗さっぱり忘れてるってのは、どんな気分だ? ひょっとしたら別人なんじゃないかと思わなかったか?」


 化け物からの質問に、リムは一瞬だけ間を空けて返答した。


「お母さんは……お母さんだから」

「答えになってねえなぁ。考えてもみろ……子供の頃からの想い出も何もかも忘れちまってんだぞ? 夫や娘が大切で愛おしくて、自分の命すら投げ出して守ろうとする……そんなお前の母親はもういないんだよ。外見は一緒でも、その後ろにいる女は抜け殻みたいなもんだ」

「……昨日一緒にいたときに思ったの。料理の味付けや、ちょっとした仕草なんかは昔のままなんだなって。それに、あたしが泣いたときにする困った顔なんかも……昔と同じ。記憶がなくても、やっぱりお母さんはお母さんだよ」


 赤眼の巨体がぶるるっと震えた。表情は読めないが、うねる尻尾が何度も地面を叩いている。


「はっはっは、いいね。今度はこっちが質問に答えてやるべきだよなぁ。たしかに、そこにいる女から記憶を奪ったのは俺だよ。いや、『喰った』ってほうが正しいかもしれねえな」


「喰っ……た?」


「俺のこの姿には覚えがあるんじゃねえか? 悪いことをした子供から大切なもんを奪っちまう化け物ってやつだ。心当たりがあるだろ?」


 そんな言葉に、リムは首を振った。姿形はたしかに母親から教わった通りだ。

 しかし、大切なものを奪われなければならない何をしたというのか。


「本当に? 魔族の襲撃に遭ったときに母親を見捨てて逃げた娘が、良い子だってか? あのとき、父親と一緒に戻れば母親を無事に助けることができたかもしれないのに? 世話になった村の皆が次々と殺されていくところを見てたのに? 助けもせず逃げ出したやつが良い子だってか?」

「……やめて」


 あのときは逃げるしかなかった。それがリムにできた唯一のことだ。


「村で薬師をやってた爺さんがいたなぁ……最後には自慢の薬で傷を治す暇すらなく、一瞬であの世に逝っちまった。ああ……お前が耳飾りを買った商人も最後には面白いことしてたな。売り物だった武器を慣れない手つきで振り回してよぉ」

「……やめてよ」


「なのに……なんでお前だけ生きてんだよ? 自分だけちゃっかり逃げておいて、良い子ですは通用しないんじゃねえかなぁ」


 ディノは気持ちよさそうに喋り終えたあと、弓なりにして赤眼を歪めた。


「そうだなぁ、一つ提案がある。もしお前が大人しく俺に喰われるっていうのなら、母親の記憶は返してやってもいい。悪くない条件だろう?」

「記憶を……戻せるの?」

「ああ、もちろん戻せるさ」


 そんな希望の言葉に、リムは俯いていた顔を上げた。

 一歩前に進み出た少女は、二歩、三歩と歩みを続けていく。

 鋭利な牙が届く位置にまできたとき、少女は化け物の眼をしっかりと見据えて言葉を紡いだ。


「あたし……嬉しいよ。お母さんに酷いことをした化け物が本当にいるんだったら、言いたいことがあったから」


 リムの拳が強く握られ、革製のグローブが捻れて擦れ合う音が響く。


「もう一個だけ質問いい? その記憶って……あなたを倒した場合も戻るのかな? あたしにだって、我慢の限界はあるんだよ?」


 怒気を露わにしてディノを見据える姿は、いつものリムではない。

 野生の猫のように鋭い視線に貫かれた化け物は、嬉しそうに、本当に嬉しそうに歓喜の声を上げた。


「くっくっく、ひゃーーっはっはっはっはっはっは! 面白え! いい! 最高だぁ! わざわざこんなとこまで足を運んだ甲斐があったぜ。こっちのほうがメインディッシュになっちまいそうなぐらいだなぁ! 俺を倒せば記憶が戻るかってか? んなもん……俺が知るわけねえだろ!」


 前傾姿勢となったディノは、獣人の少女を丸呑みできそうな大顎を限界まで広げて嗤った。


「……っぐ!?」


 ギョロリと鈍く光っていた赤眼に、投擲されたナイフが突き刺さる。

 さらに、もう一方の眼には燃え盛る炎槍が突き刺さった。


「あんた、胸クソ悪いんだけど」

「右に同じく」


 リムが啖呵をきると同時に動いていた双子姉弟が、互いに化け物の眼を容赦なく潰しにかかったのだ。硬そうな外皮に馬鹿正直に挑むような真似を、この二人はしない。


「せぁぁぁっ!」


 レイとレンが作り出してくれた隙を逃さず、リムはありったけの力を込めて化け物の眉間を穿つ。魔力変換のスキルによって大気中のマナを打撃力に加算し、凶器となった拳は、ディノの頭部にたしかな衝撃を与えた。


 だがしかし……。


「おお~、いいね。速攻で眼を潰しにくるところは気に入ったぜ。ちょっとだけクラッときちまった……な!」


 潰れたはずの目玉が一瞬で再生し、粘液にまみれた眼球がギョルンッと動いて跳躍していた双子の姿を捉える。体毛に覆われた腕をすっと前にかざしたかと思うと、伸縮性に富むゴムのように腕が――伸びた。


「嘘、や……ばっ」

「あ、これ死……」


 二人の身体は鍛えられているものの、所詮はヒューマンだ。強靭な腕に捕まれば引き千切られてしまうだろう。


「もうちょっと後先考えろ、馬鹿野郎が!」


 レンの身体を蹴飛ばすことで魔手を強引に回避させたのは、団長である。ボテッと落下して草むらに転がっていく姿は痛そうであるが、命を失うよりはマシといえた。


「痛っててて。もうちょっと優しくしてくれても」


 レイのほうは、ミレイが抱きかかえるようにして着地を成功させている。


「ふ、ははは。なかなか粒ぞろいだなぁ。こりゃあ全部喰うのには時間がかかりそ……」


 ズンッ!


 と、ディノの言葉を遮ったのは、セシルが投げ放った巨大な槍だった。オーガロードが使用していたという巨人の槍は、化け物の顎へと見事に突き刺さったが、その生命活動を停止させるには至らない。


「おいおい、俺が喰いたいのはこんなんじゃねえんだよ。不味いもの……喰わせてんじゃねえ!」


 ガリッと何かが削れるような音が響き、セシルは慌てて愛槍を手繰り寄せたが、穂先の一部が欠けてしまっているのを見て舌打ちをする。


「ちょっ、ボクの槍が……まいったな。とんだ悪食だよ」




 ――そんな光景を見ながら、ベルガとシャニアはやや後方で言葉を交わしていた。


「シャニア様……あれは、もしや」

「うん、さっき試してみたけど……やっぱり効かないみたい。見つかるときには見つかるもんなんだねえ」

「それでは、昨日シャニア様が話していたあの少年に続いて二人目ということですか」

「おそらく、大罪スキルの所有者だね。発言からして所持してるのは『暴食』といったところかな? まったく次から次へと。わたしだって色々と大変なのにさぁ」


「例のアレはまだ修復には至っていませんからな。一から作れないかを試した試作品では、力不足でしょうし……」

「まあ、無理だろうね~」

「誰かが遊び目的で姿を眩ませなかったら、もう少し状況は好転していたかもしれませんが」


 ベルガが溜息を吐くと、赤髪の少女は「うぐぅ」と苦悶の声を上げた。


「でもでも、ちゃんと回収すべきものは回収してるでしょうが。そのせいでベルガに見つかったと言っても過言ではないんだよ?」


 二人が会話をしている間にも、化け物が暴れ回ることで木々がなぎ倒されていく。


「さて……と」


 シャニアは奮闘している獣人の少女をちらりと見やり、一歩踏み出したところでベルガが制止の声をかけた。


「どうするおつもりですか? シャニア様。わかっていると思いますが、大罪の業を背負う者と戦うことは長老議会で固く禁止されておりますよ」

「うん、まあ……少なくとも、現時点ではね」


 だが、シャニアはリムに恩を返すと約束したのだ。

 村を滅ぼした魔族とあの化け物の関係はわからないが、無関係ということはないだろう。


「あいつ……たぶんまだ全然本気じゃないよ。どこまで使いこなしているかは知らないけど、遊んでる感じがするもん。だから今のうちに……さ」


 ベルガは、周囲の空気が変色したかと錯覚するほどの濃密な殺意に身を震わせた。さっきまで無邪気な顔で反省の言葉を述べていた少女が、一瞬で変貌したのだ。


「お、お待ちください。シャニア様が戦うぐらいならば、自分がやります」


 忠臣の言葉に微笑みを浮かべた少女は、ふるふると首を振った。


「場合によるけど、大罪スキルの所持者には同じく大罪スキルを持っている者でないとね。もしベルガが喰べられちゃうような事態になったら、わたし……本気で暴れるよ? アレやっちゃうよ? それでもいい?」

「じょ、冗談でもそのようなことはっ! この一帯を灰にするおつもりですか!?」

「失礼な。わたしだって少しぐらいコントロールできるっての」


 ――ズズンッ!! とそんな言い争いをする二人の前に着地したのは、巨体の化け物だ。

 ギョロギョロとシャニアとベルガを舐め回すように観察したあと、ゆっくりと口を開く。


「おいおい、今の殺気をぶつけてくれやがったのはお前らか? んん……ヒューマンにしてはなんか変だな」

「我らとヒューマンの区別もできぬとは、愚かな化け物め。我らは竜人(ドラゴニュート)だ」

 蔑むようなベルガの視線に、ディノは少しばかり苛立ちの色をみせた。


竜人(ドラゴニュート)……だと? ってことは、お前らあれか。過去に魔族をボコボコにしてくれた糞竜の子孫っていわれてるやつらか。はは、一度会ってみたいとは思ってたんだよ」

「ふ~ん。その言い方だと、やっぱり君は魔族なのかな。あんまりにも見た目がアレだから、判断に困ってたんだよね~あはは」


 シャニアの挑発めいた言葉に、ディノも嗤いながら大顎をガパァッと開放する。


「はは! 竜人(ドラゴニュート)か。一回喰ってみたいと思ってたんだよ……な!」


 常人であれば、瞬きしている間に上半身が丸々喰われていただろう。

 しかし――


 バヂンッという何かに弾かれるような音とともに、巨体の化け物がのけぞった。


「な……に?」


 何が起こったのか理解が追いつかないディノに、わずかに焦燥の色がみられる。


「ねえ、ちょっとぐらい力を身に付けたからってさ、あんまり調子に乗るのは良くないと思うんだよね。そんな悪い子には……お仕置きが必要だなぁ」


 ゾブリッ――と心臓をわし掴みにされるような感覚に、ディノは体毛を逆立てて後退した。


「ん? おっとぉ、そう思ったんだけど残念。どうやらわたしの出番はなくなっちゃったみたいだね。ギリギリセーフってところかな」


 ディノには目もくれず、シャニアは上空へと視線を向け、満足そうに笑みを浮かべる。


「――――――――――――ぅぅぅぅぅぅぅぅあああああああああああああああああああああああああああああああああ、スト! ストォォォォォォォォォップゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!!」


 ズドォンッという音とともに地面へと激突した落下物。


 ――黒い落下物。


 それはもぞもぞと動き出し、ひょこりと顔を上げた。

 黒髪に黒眼、黒鎧に黒ズボン、そして黒のグローブ、腰には黒い刀身の剣が下げられており、全身が真っ黒である。唯一白いのは、黒剣と対をなす白銀剣ぐらいのものだろう。


「痛てて……いくら地面に近くなったからって、落とさなくてもいいんじゃないの? もしライムがクッションになってくれなかったら、これ絶対骨の二、三本折れてたよ」

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