17話【お化けの足音】
「そうそう見つかることはないと思ってたんだけどな~。やっぱり遺跡に留まるのは危険が大きかったか~」
「各地にある遺跡を訪れるというのは、あなたにとっても大切なことでしょうから。何か手掛かりを得られないかと来てみたのですが……本人が滞在していたのは僥倖でした」
「くそぅ、だからわたしは長居するのは嫌だったのに~」
遺跡内部にある広いフロアの一画で、テーブルに顔を突っ伏しているのはシャニアだ。
まるで呑んだくれのオヤジのような姿だが、そんな彼女の対面には屈強な竜人であるベルガが座っている。
「でも、この人はシャニアちゃんの護衛であって、別に捕らえに来た人とかではないんでしょ?」
「なんだか家出娘を連れ戻しに来たお父さんって感じだね。というか、シャニアちゃんって実は偉い人なの? ベルガさんが様付けしてるけど」
興味深そうに質問をしているのは、レンとセシルである。
二人とも早々とベルガの強面に慣れてしまったようで、当然のように隣に座って酒を飲んでいるのだ。
酒の肴は、ベルガの悲哀に満ちた追跡劇といったところか。
「うぅ~、わたしの話は別にいいの。それより、今はもっと気にかけてあげなきゃいけない人がいるでしょ」
シャニアの言葉に、その場にいた数人の顔がわずかに曇る。
死んだと思われていた母親が実は生きていた、なんていうのは泣くほどに嬉しい報せだろう。
実際、リムも感動のあまり涙をこぼしながら副団長であるミラに抱きついたのだ。
しかし、ミラから発せられたのは娘との再会を喜ぶ言葉ではなかった。
戸惑いとともに告げられたのは『あなた……誰?』という疑問の声。
ミラが顔を隠しているとはいえ、確信を持っていたリムにとって、それは衝撃的な返答だった。
団長がミラに覆面を取るように命じ、間違いなく母親のミレイだとリムが断言しても、返事は変わらなかったのだ。
その後、団長はミラが記憶を失っていることを皆に説明した。
「え……と、あの二人は今どこにいるのかな、と」
「調理場にいるわよ。ミラ……ミレイさんが料理を手伝うらしいわ」
レンの問いに、石柱に背をあずけていたレイが答える。
「そっか……なら、オイラたちはここでのんびりしとくのが一番ってわけだね」
「そういうこと」
ドルフォイとテッドは空気を読んだのか、夜だというのに畑の世話に行っている。
「あれ? ところで団長さんはどこに行ったの? オイラ一度お礼を言っとこうと思ったんだけど」
レイとレンは、以前雷獣ヌエと戦った際に手傷を負った。
その傷はかなり深く、セイジの治癒魔法だけでは危険だったのだが、高価な治療薬を提供してくれた団長のおかげで一命を取り留めたのだ。
その後、体力が回復するまでに数日を要したため、きちんと礼を言う暇もなかったのである。
「ああ、団長さんなら疲れたから部屋で休むってさ。ボクにはいつでも部屋に来ていいよとか言ってたから、元気だと思うんだけどね」
セシルの言葉に、レイは呆れたように首を振ったのだった。
「まあ……疲れてるんなら、無理に行くこともないでしょ」
◇◇◇◆◆◆◇◇◇
トントントン、と包丁の音が響く。
調理場にいる二人は、無言で料理に取りかかっていた。
グツグツと鍋で具材が煮込まれ、蓋を閉めた小鍋から勢いよく吹き出る蒸気の音などが室内を満たしている。
「ごめんね。わたし……何も思い出せなくて」
そんな言葉に、リズムよく響いていた包丁の音が止まる。
「本当に……あたしのことも、お父さんのことも覚えてないの?」
「あなたの、お父さん?」
夫の名前すら出てこない母親の姿にショックを受けたのか、リムの耳がぺたんと閉じそうになったが、まだまだ諦めるつもりはないようだ。
「そ、それじゃあ、ドーレさんは? 昔よく遊んでたんでしょ? 村の皆を助けてた薬師のお爺ちゃんに……そう、街で商売をしてたモンドさん!」
今はもう失われてしまった獣人の村――ベスティア。
そこに住んでいた者の名前を、リムは必死に紡いでいく。そのどれかが、母親の記憶の糸につながっているかもしれないという希望を胸にして。
「ベス……ティア?」
(村の名前すら……覚えてないの? こんなのって……)
リムの目の前にいるのは、たしかに母親のミレイだ。それは間違いない。
だが、こうも狙ったように記憶が失われることがあるのだろうか? まるで……あの村に住んでいたときの大切な想い出が根こそぎ奪われているかのようだ。
次に何を話せばいいかわからなくなってしまったリムは、ふとミレイの耳に視線をやった。
そこには、金色に輝く綺麗な耳飾りが着けられている。まぎれもなく、リムが子供の頃に父親と母親にプレゼントしたものだ。
ミレイが高熱を出して倒れたとき、幼かったリムは特効薬の原料を手に入れるため、一人で危険な夜の森に入ってしまった。救出に向かった父親のアーノルドにも迷惑をかけ、ミレイにもさんざん心配をかけてしまったのだ。そのお詫びに、苦労して手に入れた金と銀の耳飾りを二人に贈ったのである。
リム自身も母親と同じ耳飾りを着けており、それはいわば家族の証といえるものだった。
「あの、それ……」
その視線に気づいたのか、ミレイは自分の耳に触れながら困った表情を浮かべる。
「……ごめんね。きっとこれにも、あなたとの想い出が詰まっていた……のよね」
微妙な頷きとともに黙りこんでしまったリムを見て、ミレイも口を閉ざす。
やや重苦しい沈黙が辺りを支配した。
「……昔、お母さんが話してくれたね。村で悪いことをした子供のところにはお化けがやってくるんだよって」
強引にそんな空気を断ちきろうとしたリムは、またもや過去にあった出来事を話し始めた。
覚えていないことで落胆させるのではないかと危惧したミレイは、碧眼の双眸を目の前の少女に向ける。
「そのお化けはね、悪いことをした子供から大切なものを奪っていっちゃうらしいの」
村の子供と喧嘩をしてしまったリムは、母親にこっぴどく叱られた後、そんなお化けの話をされたという。
大きな角を生やし、ギョロリとした眼に鋭い牙、巨大な身体はオーガよりも強靭で、しなる尻尾は家など一振りでなぎ払う――そんな化け物。
もっとも、それはミレイが考えた架空のお化けである。
ありきたりだが、悪さをした子供にお灸を据える方法など、どこでも似たようなものだろう。
「怖くなって泣いちゃったあたしに、お母さんは慌てて嘘だって教えてくれたよね」
そんな問いかけにも、ミレイは答えることができずに黙ったままだった。曖昧な返事をすることで少女を傷つけるかもしれないと思ったからだ。
「子供だったあたしは、嘘だって言われてもちょっとだけ良い子になったんだよ。喧嘩もしなくなったし、お母さんのお手伝いもするようになったもん。自分の行動にも……自分で責任を取れるように頑張ってるつもりだよ」
リムの瞳が、かすかに潤んだ。
「お化けに大切なものを奪われちゃうような悪いことなんて、あたしはしてない」
「そう……そうね」
「きっと、お化けは勘違いしたんだよ。お母さんの記憶がなくなったのも何かの間違いで……そのお化けに文句でも言ってやりたいぐらい」
震える声でさらに言葉を続けようとするリムを、ミレイは優しく抱きしめる。
「本当に、ごめんね。今のわたしにはこれぐらいしかできないけど……泣かないで」
ミレイの胸を借りてしばらく無言で涙を流していた少女は、なんとか心の整理ができたのか、ゆっくりと顔を上げる。
そこには、もう先程までの泣き顔はなかった。
「うん、ありがとう。もう大丈夫……って言いたいんだけど、今日はちょっと疲れちゃったから、あたし先に休ませてもらうね。料理はもう全部できてるし、運んだあとは各自で取り分けてもらったらいいから」
そう口にして、リムは足早に調理場を後にした。
ぽつんと取り残されたミレイは、なんとも微妙そうな表情を浮かべていた。
「――よう、うちの副団長様はどうやら大変機嫌が悪いようだな」
「……団長、いつからいたんですか?」
ミレイが視線を向けた先には、いつの間にか『夜鳴きの梟』団長の姿があった。
「まあ、いつだっていいだろう。それにしても……ミラ……いや、本当はミレイっていうのか」
「別に、団長は好きなほうで呼べばいいでしょう」
ミラという名前は、彼女が瀕死の状態で発見されたとき、何とか聞き取ることができた言葉から団長が付けたものだ。
「それより、わたし、機嫌が悪いように見えますか?」
「ああ、見えるね。今まで一番だ」
言いきった団長に、ミレイは苦笑する。それがおそらく正解だからだ。
なぜかはわからないが、とても腹立たしい気分であることは間違いなかった。
「そんなときは、何かに怒りをぶつけちまったほうがスッキリするもんだぞ。なんなら俺でもぶん殴ってみるか? いつも迷惑かけてるからな」
「ええ、それじゃあ、今日だけはお言葉に甘えておくことにします」
「ぇ? お、おう。どんと来い。一発や二発ぐらい受け止めてやるよ。あ……でも顔はやめろな?」
拳を握りしめたミレイの前に立っている団長は、最後に情けない注文をつける。
「冗談ですよ。それじゃあ、わたしは料理を運んできますから。それと……ありがとうございました」
「……おう」
大鍋を持って歩いていくミレイは、振り返らずに団長に小さくお礼の言葉を述べたのだった。
◇◇◇◆◆◆◇◇◇
――遺跡内部にいくつも存在する小部屋。
そこは個人の居住スペースとなっており、住んでいる人物によって室内の様相も多少異なっている。ベッドやテーブルの他に、小さいながらも鏡が置かれ、可愛らしい小物や花が飾られている部屋は、リムのものだ。
しかし、当の本人はベッドにうつ伏せになって身体をうずめており、動く気配はない。
こんこん、とノックの音が響いた。
「リム、いる? 開けるよ? 開けたよ」
「……」
部屋に強引に入ってきたのは、黒髪の女性――レイだ。声で彼女だとわかっているリムは、来客に無言で対応した。
「ふぅん……やっぱ落ち込んでるね」
「うん、ちょっとね」
「おっけー、あんまり長居はしないよ」
「……ごめん」
「まあ、記憶がないってのは驚きだったけど、意外と何とかなるもんよ。ワタシの母親なんて目の前で斬首刑だったからね。そりゃもうスパーン、と」
レイは自分の首元を手でトントンと叩きながら、苦笑した。
そのあと、頭をポリポリと掻いて溜息を吐く。
「あ~、うん、まあ、こんなことを言いに来たわけじゃなくて。ただ、一つだけあんたに言っておきたいことがあってね」
「うん」
「……良かったね、お母さん生きてて」
「……うん」
「それじゃ、ワタシは下に戻るから」
それだけ口にして早々に立ち去ろうとしたレイに、ベッドに寝転がっている少女が声をかけた。
「ありがとう……レイ」
◇◇◇◆◆◆◇◇◇
その夜、いつものように料理と酒を楽しむ面々の中にベルガという大男が加わって喧騒が増していたが、夜更けには各々眠りについたようで、静かなものであった。
明け方に異常な揺れを感じて皆が飛び起きる――そのときまで。
――突如、遺跡内に震動が走った。
「な、なんだ!? この揺れ? オイラ次の日に残るまで呑んだ覚えは……」
「これは……遺跡の結界に何者かが干渉しようとしているのか……?」
目をこするレンに、冷静に現状を分析しているベルガ。
「なんだか……すごく嫌な感じがする」
猫耳と尻尾にピリピリとした感覚が走り、ベッドから飛び起きたリムがつぶやく。
遺跡の結界――起動した人物に害を与えるような魔物の侵入を拒む便利な代物。結界自体はかなり強力なもので、並の魔物では近づくことさえできない。
そんな結界が、パリンッと硝子が割れるような音とともに消滅した。
同時に、結界を展開する動力源となっていた大型のマナ結晶体は砕け散ったようだ。
それを成したのは、禍々しい異形の化け物。
大きな角に、ギョロリとした赤眼に鋭い牙、巨大な体躯は様々な獣の身体をぎちりと濃縮したような筋肉と体毛が目立ち、しなる尻尾は一振りで大木をもへし折るほどに太い。
まさに――ミレイが娘を怖がらせるために創り出した架空のお化け……凶悪な化け物そのものだった。
「――さあ、大切なもんを奪っちまうお化けの登場だぁ。わざわざ再現してやった俺の優しさに感謝してほしいね……ちゃーんと楽しませてくれよ?」
※結界の仕様を少しだけ変更しています。
魔物の侵入を拒む。
⇒起動した者に害を与えるような魔物の侵入を拒む。