10話【親はなくとも子は育つ】
『もう限界だし。今日の晩御飯は血も滴るような新鮮な高級肉をキログラム単位で用意してくれないと、夜逃げしてやるんだから。もしくは、今自分の背中に乗っている人の肉でもいいわ』
「だからそういう目で俺を見ないでくれ。冗談なのか本気なのか微妙なところが怖いから。新鮮な肉ならちゃんと用意す……見えた! メルベイルだ」
強靭な脚を有しているとはいえ、ルークにだって体力の限界というものはある。
のんびり旅をすれば一週間はかかるだろう道程を、わずか二日で走破した自分の騎獣を褒めてあげたい。
ご褒美に高級肉を買い与えるぐらいの働きは十分にしてくれたはずだ。
――アモルファスでクロ子からの情報を聞き、すぐさまプリムのことを思い出した俺は、自分の騎獣に頭を下げて全力疾走にて西へ向かった。
なぜそこまで急ぐ必要があったのか?
クロ子の言っていたやたら強いスライムをプリムだと仮定した場合、プリムが冒険者たちの魔手によって討伐されてしまう可能性があるからだ。
合体を繰り返すことによって現在の強さがどれほどまで成長しているかは不明だが、『ご主人様のために』という献身的な態度で俺に癒しを与えてくれた彼女である。野蛮な冒険者に怯えているに違いない。
きっとスライムの核玉目当てで訪れた冒険者たちが、湿地帯にある水草の絨毯の上で安らいでいるプリムを襲ったのだ。
やむなく反撃したプリムは、望まぬ戦いを強いられたことだろう。
冒険者側に被害が出なかったのは、プリムが人間を傷つけることを躊躇ったからと推測される。
……まあ、これはさすがに身内贔屓にすぎる思考かもしれないけども。
もし本格的な討伐作戦でも展開されようものなら、満足に抵抗もできないプリムが蹂躙される悲劇が起こることも考えられる。
……俺の腕の中で、溶け消えてしまったプリム。
弾力性のある液体が次第に粘度を失っていき……最期には水のように零れ落ちて消えて無くなる。
あんな体験は……二度と御免だ。
そう考えた俺は、取る物も取り敢えずアモルファスを出発した。
ティアモからの依頼を達成すればランクAに昇格という話だったが、ランクA以上の申請は冒険者ギルドの支部だけで手続きが完了するわけではないらしい。
帝都にある大きな冒険者ギルド(帝国内における本部)で審査が行われ、正式にランクアップが認められるまで少々時間がかかるとのこと。
当然、そんなのは待っていられないために後回しである。
おかげで、俺の首に下がっている冒険者ギルドカードには未だにランクCと記載されている。
ただし、ランクA申請中である証拠として、アモルファス支部のギルド長の署名が入った書面はもらった。
依頼報酬のほうはちゃんと受け取っており、依頼を手伝ってくれた皆と分配したものの、俺の財布袋の中では白金貨が擦れ合う音が響いている。
『なんだか、こうして二人だけで走るのは久しぶりな気がする』
「ん? ……ああ、そう言われればそうかも。最近は大人数で移動したり、生活してたから、ルークと二人っていうのは久しぶりだな」
今回はかなり強行軍のため、他の皆には遺跡に戻っておいてもらうことにしたのだ。
物資の調達もお願いする形となってしまったが、あれも欲しいこれも欲しいと興奮している女性陣を見ていると、俺が渡した金貨だけでは足りないことは明白だった。
まあ……リムもシャニアも冒険者なんだし、セシルさんだって腕利きの傭兵だ。
不足分があれば、自分たちで補うこともできるだろう。
――リシェイル王国で最大規模の商業都市、メルベイル。
東門から街へと入り、到着早々南の商業区にある『満腹オヤジ亭』――……には向かわずに冒険者ギルドへ。
プリムのことは心配だが、きちんと俺自身でギルドから情報収集するのも必要だと思ったからだ。
内装はどこの冒険者ギルドも似通っているが、やはりここは俺が初めて訪れたギルドということもあり、懐かしさが込み上げてくる。
どこかで見たような顔もいれば、まったく記憶にない新参の冒険者らしき者もいた。
とはいえ、この冒険者ギルドの売りはなんといっても――
「――お久しぶりですね、セイジさん。今日はお一人ですか?」
受付から声を掛けてくれたのは、鳶色の瞳にライトブラウンの髪をポニーテールにしている女性である。清潔感あるブラウスシャツにフレアスカートという組み合わせが、とてもよく似合っている。
「シエーナさん!」
シエーナ・フェルト。
それが彼女の名前であり、この世界に転生したてで右も左もわからない状態だった俺を、ギルド職員という立場から支えてくれた女性である。
加えて俺にとっては年上のお姉さんということもあり、まるで弟を弄るかのような発言をしてくることもある。というか、男ではなく弟として見ていると面と向かって言われたことさえある。
俺はシエーナさんの業務に支障が出ない程度に短く挨拶を済ませ、それとなくパウダル湿地帯に出現したというスライムについて話を聞いてみた。
「ええ、パウダル湿地帯のスライムの件については、冒険者の間でも噂になっていますね」
「……どんな噂ですか?」
「事の発端は、冒険者たちがパウダル湿地帯にスライムの核玉を集めに行ったときのことです。たしか、この依頼はセイジさんも受けたことがありますよね?」
スライムの核玉とは、つまりはマナ結晶体のことであり、大気中のマナが濃いとされるマナスポットにだけ生息する属性スライムの核のことを指す。
マナ結晶体は魔道具を動かしたりするエネルギーとなるため、様々な商会がスライムの核玉の買い取りを行っているのだ。
「無難にスライムを狩っていた冒険者たちの前に、一際大きなスライムが出現したらしいのです。その身体は虹色に輝いていたそうで、滅多に出現しないプリズムスライムだったと言われていますが……その日は『元の日』ではなかったため、やや信憑性に欠けますね」
属性スライムは『火の日』ならフレイムスライムが出現しやすい……といった具合に曜日と関連があり、特にプリズムスライムは『元の日』にしか出現しないのだ。……普通は。
お、おう。ほぼ確定じゃないか。
「その大型スライムの中心には一際大きな核玉が確認できたそうで、冒険者たちは退かずに攻撃を仕掛けたそうです。ところが、並の属性スライムにあるまじき魔法によってあっさりと返り討ちにされてしまい、逃げ帰った冒険者からギルドに報告が上がってきた……というわけです」
あの子、一体どこまで強くなってるの?
「そのような魔物と戦って、怪我人が出なかったのは不幸中の幸いといったところですね」
「ぞ、属性スライムって、そこまで強くなったりするものなんですか? というか、スライムの生態についてもちょっと教えて欲しいなぁ……なんて」
控えめに、シエーナさんに色々と教えて欲しいアピールをしてみる。
頼りない顔をした年下の弟を放ってはおけないというのが、お姉さんキャラのシエーナさんである。
「属性スライムというのは、大気のマナに敏感で、人間には感知できない微妙な変化を感じ取っているとされています。マナスポットにしか出現しないとされる各属性のスライムは、自分の好むマナが大気に増えてくると姿を現すそうです」
そこで言葉を止め、シエーナさんは考え事をするように指先を桜色の唇にそっと添えた。
「属性スライムが自らを強化する方法としては『合体』があります。属性スライムの討伐経験がある冒険者には知られていることですが、傷ついたりしてピンチになると、スライム同士が合体してより強力な個体へと変化するのです」
うん。俺も初めてスライムと戦闘したとき、こいつら合体するんだ!? と驚いたものだ。
「ですから、属性スライムは合体する前に倒してしまうことが望ましいとされていますね。今回の報告にあった大型スライムも、合体した個体である可能性が高いとされていますが……自然発生するレベルを大きく逸脱しているとギルドでは考えています」
誰かが意図的に何かをしなければ発生しない事態、というわけですね。わかります。
やばいな……ちょっと目を離した隙に、我が子が事件を起こしてしまった親の気分はこんな感じなのだろうか。
大型スライムがプリムであるというのは確定ではないが、可能性としては限りなく高い。
怪我人が出ていないというのは、本当に不幸中の幸いだったといえるだろう。
もしプリムであることが確定したら、この件が落ち着いてから迷惑をかけた関係者に土下座でもするべきかもしれない。
「そのため、ギルドとしてはパウダル湿地帯に冒険者を派遣して調査を行う予定です。大型スライムの危険性なども把握して、もし可能であれば捕獲……不可能な場合は討伐ですね。パウダル湿地帯は街道から外れたところに位置しているため、一般人に被害が出る可能性は低いと思われますが、資金稼ぎで訪れる冒険者にとっては大事でしょうから」
これだぁぁぁぁ!!
シエーナさんの言葉を受けて、俺は全力で挙手させていただいた。
「はい! その依頼、俺が受けます! ぜひ俺にやらせてください!」
「え? セイジさんがですか?」
顔色を曇らせてしまうシエーナさん。
「セイジさんはたしか……ランクCだったかと記憶しております。ここしばらくでランクアップされていたとしても、ランクC+でしょう。普通の属性スライムの討伐依頼はランクDに相当しますが、今回の大型スライムに敗北した冒険者たちは、ランクCとランクDの者が複数いるパーティでした。そのため、ギルドは調査に派遣する冒険者のランクはB+……可能であればランクA相当の者が適任だと考えています」
なるほど……安全マージンを十分に取ろうとするのは当然だ。
「ですが、ランクAの冒険者ともなるとその数は極端に少なくなります」
ギルドとしては早めに受けて欲しい依頼であるが、今すぐにはこの依頼を受けられる人材がいないため、仕方なく保留状態となっているそうだ。
ちなみに、俺のギルドカードに示されている『C』の文字では明らかな力不足である。
シエーナさんは「お前じゃ受けられねーよ」という言葉をオブラートに包んで伝えてくれているのだ。
ここで取り出したるは、アモルファスのギルド長の署名がある『ランクA申請中』の書面である。
「あの……こんなのがありまして」
「これは……? ぇ、ちょ、嘘……」
いつも営業スマイルを崩さないシエーナさんであるが、彼女がこのように取り乱すのは非常に珍しいことだ。過去に何度もからかわれていた(良い意味で)俺からすれば、一矢報いてやったという気分である。
「……たしかにギルド長の署名がありますね。申請中ではありますが、余程のことがなければ審査を通過するだろうとまで書かれています」
麗しの受付嬢は、書面に落としていた目を静かにこちらに向けた。
「……わかりました。こちらのギルド長とも相談した上で、セイジさんに依頼を受けてもらうかを判断させていただきます。少々お待ちください」
受付の椅子から立ち上がり、ギルドの奥に歩いていこうとするシエーナさんが、こちらを振り返って微笑を浮かべる。
「以前、セイジさんのことを弟のようだと言った記憶がありますが……あれは撤回させてください」
そう口にして、麗しの受付嬢は男を魅了するかのような妖艶な表情となった。
なん……だと!?
「な、そ、それってまさか……!?」
こくりと、頬を赤らめて頷くシエーナさん。
「はい。これからはランクAの高位冒険者として敬意を払わせていただきます」
…………
……
え?
すぐさま元の営業スマイルに戻った彼女は、何食わぬ顔でふたたび歩き出した。
「ちょっ、ま」
バタン、と奥へと通じる扉が閉められ、残された俺は呆然と立ちすくんでいるだけだ。
しばらくして、正常な思考に戻った俺はあることに気づく。
「…………また、やられた……」
◇◇◇◆◆◆◇◇◇
シエーナさんは意外と早くに戻ってきて、俺が依頼を受けることを許可してくれた。
調査のためにギルド職員からも一人を派遣するそうで、明朝にその人物を伴って出発するようにとのことだ。
俺としては一人のほうが良いのだが、断るわけにもいかず、了解の意を述べたのだった。
こうして、その日は迷うことなく満腹オヤジ亭で宿泊手続きを行い、ダリオさんの料理を堪能してから休息を取った。
二日にわたる強行軍のせいで疲労がピークを迎えていたが、夜の市場に赴いて解体直後の新鮮な肉を購入することだけは忘れなかった自分を褒めてあげたい。
「ふわぁぁぁ……まだちょっと眠いや」
――翌日、ギルドから指定された南門で待機していると、フードを被った老人がこちらへと近づいてくる。
「えっと、あなたがギルドから派遣されてきた人ですか? 俺はセイジと言います」
「おお、そうじゃよ。ふむぅ……若いとは聞いておったが、本当に少年といった感じだのう」
ギルド職員は昔に冒険者をしていた人も多いと聞いたことがある。
この老人もそうなのだろうか……?
「おっとっと、すまんな。挨拶をするときにフードを被ったままでは失礼じゃったわい」
俺が老人の顔を見ようとしたことで、変に気を遣わせてしまったようだ。
フードを脱いだ老人の顔は……好好爺といった感じだが、額の部分と側頭部に火傷の痕のような傷が見受けられた。
これを隠すためにフードを被っていたのだとしたら、申し訳ないことをしたと思う。
「いやいや、この火傷の痕は気にせんでくれ。治療のおかげでだいぶ良くなりましたんでの。おっと……こちらの名前をまだ言っとらんかったですな」
言って、老人は握手を求めるように手を伸ばしてくる。
「わしの名前はルッツ・フォトニクス。今はギルドで魔物の生態なんかを研究させてもらっとるんじゃが、魔物を相手にしとるせいか、皆からはモン爺などと呼ばれておるよ」