5話【ルドワール卿】
「せっかく父親がこうして訪ねてきたんだ。もうちょっと家族らしい会話を楽しんでもいいと思うんだが……こんな雑な扱い方されると父さん泣いちゃうぞ?」
アモルファスの領主ティアモ・ルドワールが住んでいる屋敷は、周りにある住宅と比べると一際大きく、豪華なものといえた。
帝都に住む貴族の屋敷とも遜色がないほどに手の込んだ造り。
それは、年齢が若くとも領主という地位に就く者が住むには妥当である。
しかし、あまり華美なものは好まないティアモからすれば、この屋敷を建てるのに費やした財を街の発展に使ったほうが有益だったのでは? と考えてしまうのだった。
領主として赴任するティアモに、餞別だと言い張って強引に屋敷の建造を行ったのは父親のザイドリック・ルドワールであり、現在、娘の前で涙腺を緩めている人物に他ならない。
「ちょっと待っててくださいね。この書類に目を通してから、お父さんの用件を伺いますので」
「はっは。そんなにかしこまらなくていいんだぞ。ついこの間まで『パパ』って呼んでくれてたじゃないか。ほら、家族同士で遠慮する必要なんかない」
「……わかったから、パパはそこのソファにでも座っててよ。そんなに大きな身体で仁王立ちされてたら、気が散って仕方ないもの」
机の上に積まれている書類にきちんと目を通してから判を押していく彼女は、父親の言葉に反抗するよりも仕事を優先させたようだ。
パパと呼ばれて上機嫌となったザイドリックは、ガチャガチャと鎧を鳴らしながらソファの前まで歩き、どかりと座り込む。娘に対する物腰は柔らかであるが、大柄な体躯のこの男はスーヴェン帝国南部の有力者といわれるルドワール卿その人である。
(ふぅ……まったく)
大人しくなった父親を視界から追いやり、ティアモは『採掘量報告および予測採掘量分析』という書類に手を伸ばした。
……やはり、少しずつ採掘量は減ってきていますね。
すぐに資源が枯渇することはないと思いますが、新たな鉱脈を見つけなければ将来的には街の発展がストップしてしまうでしょう。
南部の樹海にある山々に有望な鉱脈があるのは調査でわかっているのに、魔物のせいで手が出せないというのは悔しいですね。
討伐するにも今は兵力が足りませんし……やはり魔道具作製などの技術発展を同時に進めて街の規模を拡大し、少しずつ開拓していくしかありませんか。
思案しながら判を押したティアモは、ふと先日の出来事を思い出した。
夜鳴きの梟という集団を捕らえるために冒険者ギルドに協力を願った際、偶然居合わせた黒髪の少年。
(いえ……彼は私よりも歳上と言っていましたから、青年と呼ぶべきでしょうか)
樹海の開拓を困難としている凶悪な魔物を、圧倒するほどの力量を示した冒険者。
彼の協力を得られれば、少しは南部の開拓も進むかもしれない。
そう考えたティアモは事件が解決してから助力を願ったが、やんわりと断られてしまったのだ。
「――お待たせしました。とりあえず一区切りつきましたので、お父さんのご用件を伺いますね。紅茶でも用意しましょう」
「さっきはパパって……」
「それで、『お父さん』はなぜ急にこちらに?」
仕事を終えた今、父親の我儘に付き合う気は彼女にはない。
これ以上はさすがに嫌われるかもしれないという気配を読み取ったザイドリックは、やっと真面目な面持ちとなる。
「ふむ……やはり南部にある樹海の開拓は進んでおらんようだな。どうだ? よかったら俺が育てている騎士から優秀なのを何人か派遣して……」
「力及ばずで申し訳ありません。ですが、あまりお父さんに頼りすぎると自分のためになりませんので」
この地を任されているのはティアモである。
できるだけ自分の力で物事に対処したいという彼女の考えも、わかろうというものだ。
といっても、ティアモの頭もそこまで堅くはない。
必要であれば助力を願うことも厭わないが、現況が差し迫った状態にあるとはいえず、かつ見てわかるように娘を溺愛している父親が自分だけを贔屓するような真似をすれば、またもや兄がいらぬ感情を抱くのではと危惧したからだった。
ティアモの兄であるヴァンが、先日の強奪事件の裏で糸を引いていた可能性は否定できない。
これ以上、刺激したくもなかった。
「そうか、まあいいだろう。今日の本題はそれではないからな」
「……? では、どのような用事で来られたのですか?」
「ときに、お前は想い人とかはいるのか? ん、どうなんだ?」
「い、いきなり何を言い出すのよ、パパ」
父親の唐突な質問にティアモは素に戻ってしまい、上ずった声で返答する。
「ティアモも十五歳だろう。伴侶となる相手を探すのに早過ぎるということはない。俺が教えている騎士の中でも、とびきり優秀なやつを紹介しようかと――」
「結構です。今のところ、私はこの街を発展させることに注力したいと思っていますから」
「そう言わずに、会うだけでも――」
「しつこいですね。嫌いになりますよ」
娘からの最後通告に、ザイドリックは瞬時に口を閉ざす。
「大方、訓練中に熱でも入りすぎて、自分に一太刀でも浴びせたら娘を紹介してやるとか言ったんでしょう? 男に二言はないとか言って格好つけるのもいいですけど、それに付き合わされる娘の苦労もちょっとは考えてくださいね」
にこりと微笑むティアモに、ザイドリックの顔が引きつった。
「お、お前なんでそれを……」
そこで、控えめに扉をノックする音が響く。
「どうぞ」
「――失礼します。ティアモ様にお会いになりたいという方がお見えになっておりますが」
「私にですか? 今日は誰も訪ねて来る予定などはなかったと思いますが」
ちらりと、ティアモは自分の父親を見やった。
アポイントのない突然の訪問など、この人だけで十分だと視線が語っている。
机には、まだ今日中に目を通さなければならない書類が山ほど積まれているのだ。
「お名前は?」
「はい。冒険者ギルドに所属しているセイジ・アガツマという若者です」
瞬間、ティアモの顔がパァッと明るくなる。父親の無茶な話を打ち切るにも都合の良いタイミングだった。
「お会いしましょう。通してあげてください」
「え、しかし、よろしいのですか? まだザイドリック様とのお話が……」
「いいんです。もうお話は終わりましたから」
父親との会話を強制的に終了させたティアモは、姿見の前に移動して身だしなみを整える。
書類と睨めっこしていたせいか、少しばかり顔に疲れの色が見られるが、彼女としては許容範囲のようだ。
そんな娘の様子を、ザイドリックはポカンとした顔で眺めていた。
◇◇◇◆◆◆◇◇◇
「……こんなに早く戻ってくることになるとは思ってなかったな」
小さいながらも鉱山からの資源を有効的に利用し、優れた領主の統治によって最大限の利益を上げている鉱山街――アモルファス。
男心をくすぐる鈍い金属の輝きは、厳しい労働に従事する鉱夫の皆様方によって守られているのだ。
遠目に見えてきた街を視界に収め、俺はそんなことを考えていた。
「オイラ、ティアモちゃんにまた会えるかもと思うと嬉しいな~」
こいつは……ある意味ブレない男だなと感心させられる。
ティアモはたしかに可愛いし、眼鏡が似合う才女といった印象だった。
小さな街を治める彼女は、街の住民のために頑張って依頼をこなす冒険者の顔をすべて覚えており、相手の身分によって態度を変えることもしない。
レンでなくとも、大抵の男は会うとテンションが上がることだろう。
街に到着してから、早速ティアモが住んでいるという屋敷に足を運ぶ。
忙しいだろうし、さすがにすぐ会うことはできないだろうが、数日後ぐらいには会うことができるように謁見の予約を入れておこうと思ったからだ。
しかし……予想外に早く謁見が許可されたのは運が良かった。
この前の夜鳴きの梟の件で、ちょっとは顔と名前を覚えてもらえたのだろうかと思う。
ティアモが仕事をしているという部屋に案内され、ノックをしてから部屋へと入る。
この前に顔を合わせているメンバーに加え、リムやシャニアとテッドの三人を含めるとかなり大所帯だ。
室内は品の良い調度品で整えられ、ゆったりと休むことができるソファなども置かれている。
ティアモが長時間にわたって執務に励むことができるように工夫されているのだろう。
ただ、今はそのソファにどかりと座り込んでいる壮年の騎士がこちらを睨んでいることで、俺としては全然ゆったりできないわけだが。
「ティアモ、俺との話よりもこいつらとの話のほうが大事だというのか!?」
「場合によります。お父さんが大事な話をするならば、わたしだってそちらを優先しますよ?」
「ぐ、ぬぅ……」
「あの……こちらの方は?」
話が見えないので、ティアモに紹介をお願いしてみる。
「失礼しました。こちらにいるのはザイドリック・ルドワール、わたしの父です」
お父さんでしたか、そうですか。
この人が……ルドワール卿か。
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名前:ザイドリック・ルドワール
種族:ヒューマン
年齢:43
職業:領主
スキル
・騎士の鑑Lv4(34/500)
・剣術Lv4(21/500)
・光魔法Lv3(76/150)
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おおう。さすがは騎士の名門ルドワール家の筆頭。
レアスキルまで所持している。ふむふむ。
《騎士の鑑》――守る者のために戦うことこそ騎士の本懐。その数が多いほど――……
「――申し訳ないのですが、セイジさんたちとのお話が終わるまで、お父さんは退室していただけますか?」
「断る! そもそも、俺との話がまだ終わってないだろうが」
大柄な騎士であるザイドリックさんは、威厳たっぷりの顔でこちらに視線をくれた。
謁見は許可されたわけだが、もしかするとまだ親子の会話の途中だったのではないか?
あまりよろしくないタイミングで訪れてしまったようだ。
「お父さんの本題の話はもう終わったでしょう?」
「お前が会うというまで帰らんぞ!」
「……はあ、困った人ですね。この屋敷に父さんが住める部屋は空いていませんよ?」
「ぬぅう、なんという頑固な娘だ。一体誰に似たんだ。さてはマルティナのやつだな!?」
「たぶん頑固なところはお父さん似でしょう。それと……今の発言は今度しっかりとお母さんに伝えておきますからね」
「ば、馬鹿! 殺されるだろ! あいつは怒ると本当に怖いんだぞ!」
「それなら、大人しく帰って今のうちにお母さんの機嫌を取っておいてください」
ふむ……父親と娘の口喧嘩という感じだが、これは完全に父親の敗北といえるか。
黙り込んでしまったザイドリックさんは、それでもまだ動こうとはしない。
「もう! ……すみませんが、父がこのような頑固者のため、よろしければこのままセイジさんたちのお話を伺ってもよろしいでしょうか?」
このまま、というのは父親のザイドリックさんがいるこの場で話を聞くということか。
別にこちらは聞かれてまずい話をするわけじゃない。
夜鳴きの梟の消息が知れれば御の字である。
「別に大丈夫ですよ。俺たちはこの前会った夜鳴きの梟の消息が知りたいだけですから」
「夜鳴きの梟の……? 理由をお訊きしてもよろしいですか?」
ティアモにとっては初顔合わせとなるリムたちを紹介してから、事情を話す。
義賊とはいえ、領主としてその存在を認めるわけにはいかないと口にしていた彼女だ。もしかするとあの中にリムの知り合いがいるかもしれない、程度に濁しておいた。
「……なるほど、事情はわかりました。ですが、わたしも彼らが現在どこにいるのかは掴めていません。お役に立てず残念です」
しょぼんとした顔をするティアモ。
元々が希望的観測によって訪れたわけだからそんな顔をする必要はない。
帝国中を捜し回るというのは骨が折れそうな話だが、旅をするのは嫌いじゃない。
「そうだ! いい考えがあります」
ポンッと、片方の拳をもう片方の掌に打ちつけるという古典的な閃き方法を体現した彼女は、なぜか目をキラキラさせながら机の上にアモルファス近辺の地図を広げた。
「もしわたしが夜鳴きの梟の消息を掴めたら、真っ先にセイジさんたちに教えることを約束いたします。まだまだ若輩者ではありますが、わたしだって領主ですから、少しは頼りになると思いますよ」
「それは素直にありがたいですけど、その代わりに……俺たちは何をすればいいんですか?」
「ふふ。察しの良い人はわたし好きです。これを見てください」
地図上でティアモが指差したのは、アモルファスの南部に広がる樹海の中。この前に雷獣ヌエと戦闘になった辺りからそう遠くもない場所だ。
「調査隊の報告によれば、ここにある山には有望な鉱脈があるだろうとのことです。この山とアモルファスまでのルート確保に成功すれば、アモルファスはさらなる発展を遂げることでしょう」
そういえば、この街を出発するときに未開の土地を開拓するのを手伝って欲しいと誘われた記憶がある。
そりゃあ、ヌエみたいな魔物が徘徊するような樹海で、安全に運搬作業なんかできるはずもないからな。
「あれ? この辺ってたしか……」
「ん、なんかあるのか?」
会話の途中、シャニアが地図を覗きこむようにして呟いた。
何かあるのかと質問してみるも、それ以降は黙ってしまったため、俺はティアモとの話に戻る。
「えっと、それに協力すればいいんですか?」
「トグルでの用事がお済みになったのであれば、もう一度お誘いしてもよろしいでしょう? 受けていただけるのなら、きちんとギルドを通した依頼形式にいたします」
うーむ。どうしたものか。
ぶっちゃけ、今は他にすべきこともないのだ。
トグルでの用事が予想以上に早く終わり、リク・シャオから聞いた内容もすでにクロ子を先行させているため、王様に伝わっているだろう。
もし俺から直接話を聞きたいとか言うのなら、クロ子が戻ってきた際に考えようと思う。
「もちろん、夜鳴きの梟の居所がわかったなら、そちらを優先していただいてかまいません」
隣にいるリムを見てみると、彼女も乗り気でこくこくと頷いている。
近頃はギルドの依頼もあまり受けていなかったことだし、この機会にバシッと依頼をこなしてランクを上げてやろうじゃないか。
「……さっきから黙って聞いていれば、お前はずいぶんと娘に信頼されているようだな。だが今の依頼のことを甘く考えていると命取りになるぞ。なにせ南の樹海には凶悪な魔物が巣くっているのだからな」
ザイドリックさんが口を開く。
言い方は厳しいが、別にこちらを見下したような喋り方ではない。
若い命を無駄に散らすなと窘めているのだろう。
「お父さんは知らないでしょうが、セイジさんはお一人で雷獣ヌエを圧倒するほどの冒険者なんですよ。仲間の方々も頼もしい人たちです」
「なん……だと? あのヌエを一人で倒したというのか!?」
「わたしがこの目で見ていますから間違いありません。もしセイジさんがいなければ、わたしは命を落としていたことでしょう」
「たしかに、あの雷撃は痛かったですね」
ヌエとの戦闘でティアモを守るため、雷撃をまともに喰らったのはいい思い出だ。
声を震わせて雷撃で痺れた様子を再現してみると、彼女はくすりと笑いを漏らした。
「ふ……ふふふ。そういう……ことか。俺なりに娘の将来を案じていたが……どうやらいらん世話だったようだな」
いきなりソファから立ち上がったザイドリックさんは、どこか寂しげな口調だ。
「あれ、お父さん、どこに行くんですか?」
「今日のところは帰る」
つかつかと扉の前まで歩いていった壮年の騎士は、振り返りざまに俺に向けて声を張った。
「だがしかし!! まだお前を認めたわけではないからな! 今回の依頼を無事に達成できたなら、俺が住んでいる街サイフォンに来るがいい。俺に勝てん男などにはやらん! 絶対にやらんからなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
バタンッ!! と勢いよく扉が閉まり、部屋に残るのは静寂。
「えーっと……正直ちょっとよくわからないんですけど」
ティアモがザイドリックさんと何を話していたのか知らないが、俺があの人と勝負する意味がわからない。
何かが欲しいだなんて、言ってないんだけど。
「気にしないでください。父はちょっと思い込みの激しい人ですし……わたし自身もまだよくわかっていませんから」
……?
「さて、わたしは仕事がありますのでこの辺で。ギルドへの依頼はすぐにでも出しておきますね。期限などは設けませんので、好きなときに受けてください」
そんな彼女の言葉を最後に、俺たちは屋敷を後にしたのだった。
◇◇◇◆◆◆◇◇◇
――その夜。
「ねえねえ、ちょっと明日はわたしに付き合ってくんないかなぁ?」
腸詰めのソーセージのパリッとした感触を楽しみながら、白米をがつがつと胃袋に押し込んでいると、斜め向かいに座っていたシャニアがそんな誘いを口にした。
俺より食べ物に貪欲なシャニアは、いつもなら頬をはちきれんばかりにして食事中はまともな会話ができないのだが、なんとも珍しいことだ。
「……んぁ、どこかに買い物? それなら皆で行ったほうがいいんじゃないか?」
「たぶん、二人で行ったほうがいいと思うんだなぁ~」
……なんだか意味深な言い方だな。
「ちなみに、どこに行くつもりだ?」
シャニアと仲の良いリムを誘うわけでなく、俺を誘うとなると、女性だけでは困る場所に用があるのだろうか。
まさかドラゴニュートの彼女が、荷物持ちを必要とするわけもないだろうし。
頭の中で連れて行かれそうな場所の候補を挙げていると、シャニアの口から予想もできない場所が告げられたのだった。
「――――んっとね。ちょっと南の樹海まで」