4話【名も無き小さな村で想う】
「はじめまして。私はこの村の代表のようなものをさせていただいている、ロシェといいます」
ここは名も無き小さな村。亜人とヒューマンが共存する村。
ロシェさんは、そこのまとめ役をしているエルフの女性である。
リシェイル王都でお世話になったイリィさんも見目麗しい容姿のため、どこぞの魔道具研究者の爺さんに犯罪すれすれのセクハラ行為を受けて辟易していたが、ロシェさんにはイリィさんとはまた異なる魅力があった。
エルフはヒューマンよりも長命で、百年から長くて二百年の時を生きるとされている。外見は一定の大きさまで成長した時点でほとんど変化しなくなるため、老化という現象があまりみられない不思議な種族なのだ。
ロシェさんもその例に漏れず、実際の年齢(※プライバシー保護のため非公開)を考えると若くみえるのだが……どこか大人な雰囲気をまとっており、それが外見とのギャップによって魅力的に映っているのかもしれなかった。
「そちらにいるリムさんが母親を捜しているという話……残念ですが私たちでは力になれそうにありません。無事に再会できるといいですね」
俺とリムの二人に対して頭を下げたロシェさんは、柔らかな微笑みを浮かべながら言った。
俺たちは、エリンダルを出発してからトグルの領主リク・シャオが試験的に作ったという村を訪れていた。
亜人が住みにくいとされるスーヴェン帝国において、ヒューマンとの共存という理想を実現するべく作られた村。俺としては単純に興味があったわけだが、リムには村を訪れるもう1つの理由があった。
――すなわち、母親を捜すことである。
エリンダルで俺がリムにもたらした情報により、彼女は『夜鳴きの梟』の副団長に多大なる興味を持った。
かといって、相手は各地を転々としているような自由な集団だ。
会おうと考えても、そうそう会えるものじゃない。
俺は情報提供者としての責を果たすため、まずはアモルファスにいるティアモから話を聞いてみることをお勧めした。彼女ならば、夜鳴きの梟の消息について何らかの情報を得ている可能性があるからだ。
もちろん、ティアモに面識のある俺が一緒に行くという提案もすることも忘れない。
エリンダルを出発してから真っすぐにアモルファスを目指してもよかったのだが、道中にあるというこの村を見学してみたいという気持ちもあったため、こうして立ち寄った次第である。
リムにしても、元々はこの村で母親についての情報収集をする予定だったのだから、素直に了承してくれた。
今は早く副団長のミラに会ってみたいという気持ちが大きいだろうが、アモルファスで確実に手がかりが得られる保証はないのだ。
俺はこの村に来るまでの経緯を振り返りながら、意識を目の前にいるロシェさんへと戻した。
隣にいるリムは、有益な情報が得られなかったわけだが、特に気落ちしている様子はない。
「ですが、せっかくお越しいただいたのです。どうぞゆっくり村を見学していってくださいね。なにぶん小さな村なもので宿屋のような施設はありませんから、狭くてもよければ今晩は私の家にお泊まりください」
狭い……というほどにロシェさんの家は小さくないのだが、現在の俺たちは、双子姉弟にセシルさん、シャニアにテッドを含めた大所帯となっているため、もしこの家に泊まらせてもらうとすれば少々狭いといえるかもしれない。
ちなみに、他の面々はすでに自由に村を見学に行っているため、ロシェさんに面会しているのは俺とリムの二人だけだ。
「ありがとうございます。それじゃあ、俺たちも村の様子を見学してきますね」
そう言って、ひとまずはロシェさんの家を後にした。
どこを見にいってみる? とリムが尋ねてきたため、適当に辺りを見回していると……どうやら畑作業をしている村人の姿が目に入った。
近づいてみると、ヒューマンの農夫が大柄な獣人男性に畑作業についてレクチャーをしているようだ。リクが解放して住まわせている奴隷は女性が大半であるため、あの大柄な獣人は自分の意思でこの村に移民してきたのだろう。
村が大きくなれば、当然ながら人口も多くなってくる。そうなればそれだけの食糧を確保することが必要となってくるだろう。そういった意味では、農業を発展させることが村を発展させることと同義ともいえる。
腕力に長けている獣人がいれば、開墾作業も順調に進むことだろう。
「なぁ、リムは畑仕事とかしたことあるのか?」
「村に住んでた頃は、近所のおじさんの手伝いとかをすることがあったかな。父さんは森で狩りをするのが仕事だったから、あたしもどっちかといえば畑よりも森に入ることのほうが多かった気はするけど。あとは川で魚を捕ったりとか……」
「お~い、兄ちゃんたち」
二人で話していると、畑のほうから農夫のおっちゃんが声を掛けてきた。
「兄ちゃんたちはアレかい。この村に新しく住む予定の二人ってわけかい? こりゃまためんこい娘が来たもんだべさ」
どうやらこのおっちゃんは、俺とリムが村に来た新たな移民かと思っているようだ。たしかにリムの容姿であれば女好きの領主の厳しい審査も軽々とパスするだろうさ。解放された奴隷が村にやって来るのも珍しいことではないのだろうし、おっちゃんがそう思うのも無理はない。
「いや、俺たちは村を見学してるだけです。このままちょっと畑作業を見てていいですか?」
「ん? そうかい。別にかまわんだよ。そんなに面白いもんでもないかもしれんけど。ああ……もし興味があるなら、ちょっと手伝ってみるべさ?」
農夫のおっちゃんが、そんな提案をしてくる。
何事も経験してみるのはいいことだと思う。さっそく畑に入らせてもらい、用意してあった種を蒔く作業を手伝わせてもらった。
俺が指で地面に適当な大きさの穴を掘り、そこへリムが種を投下していくという単純な作業ではあるが、なかなかにこれが面白い。
土いじりをしていると心が和む。実に不思議なものだ。
土魔法を応用すれば畑作業も格段にはかどるだろうし、まだ畑になっていない土地を開墾する際なども便利だろうが、今はこういった手作業を楽しむこととしたい。
こうしてリムとの共同作業を終えて辺りを見やると、周りの皆も協力して畑作業に勤しんでいた。
力任せに鍬を振るう獣人に、「もっと腰を入れたほうがいい」などと助言をする農夫のおっちゃんや、別の畑では育った野菜を収穫する女性たちの姿も見受けられる。
「ふぅ……痛たた、慣れないことすると腰にくるなぁ」
「あはは、セイジってたまに父さんみたいなこと言うよね」
ずっと前に、俺はリムからお母さんみたいだと言われたことがあったのだが、今度はお父さんですか、そうですか。
アーノルドさんも、狩った獣や魔物なんかを解体したあとに「腰が……」などとつぶやいていたらしい。
「でも……こういうのっていいよな」
「うん、そうだね」
亜人が蔑視の対象となっている国の中でも、こうして互いに普通に接することができる人たちもいる。
――農作業で頬に付着した土を手で拭うと独特な匂いが鼻についたが、それも不思議と心を落ち着かせてくれるものだった。
「んじゃ、またな!」
農夫のおっちゃんは、畑作業を手伝ったお礼だと言って収穫した野菜をいくつかくれた。
真っ赤に熟したトマトに、色鮮やかな紅色の芋、水々しい葉野菜などなど。ロシェさんの家に泊めてもらうことにして、これらは晩御飯の材料として提供したい。
味見も兼ねて摘みたてトマトにかぶりつくと、ギュッと濃縮された自然の甘みが畑作業の労を癒してくれるかのようだ。
「これ、美味しいね」
リムも完熟トマトの甘みに驚いているらしく、こくこくと激しく頷きながらトマト一個をあっという間に完食していた。ここまで甘いと、トマトが野菜か果物かで揉めるのも仕方のないことだろうと思われる。
さて、いただいた野菜は俺が所持する魔法の道具袋にすべて収納してから、村の散策を再開した。
次に訪れたのは、ドワーフの夫婦が経営している鍛冶屋だ。
夫婦仲は良いようで、槌を振るう夫のデレデレとした姿を見ていると、解放した女奴隷が美人だと勝手に男が集まるといっていた話も、間違ってはいないのだろうと思う。
抱かれてもいいランキング上位に名前を連ねているドワーフのジグさんなら、仕事してるときにヘラヘラ笑ってんじゃねえ! とか言いそうだが、腕は悪くなさそうだ。
この鍛冶屋では畑作業に使用する鍬や鋤などの他に、村の防衛に必要な武具なども作っているらしく、そこらの壁には出来上がった剣や槍などが立てかけられていた。
「あれ? セーちゃんじゃないか。もうロシェさんとの話ってのは終わったの?」
こちらの姿を見つけ、近寄ってきたのは人懐こい笑顔を浮かべているレンだ。隣にはレイの姿も見受けられる。
「一応はな。レンこそ、こんなところで何してるんだ?」
「オイラはここに剣の手入れをお願いしに来たんだよ。セーちゃんのと違って、オイラの剣は量産品の安物だからね。こうやってマメに手入れしとかないと」
王都ホルンで購入してあげたレンの双剣も、粗悪品というわけではないが、俺が所持している二本の名剣と比較するとかなり見劣りするのは事実だ。
「そういえば、セーちゃんの新しい白銀剣については色々と聞かせてもらったけど、そっちの黒いほうもかなり切れ味いいよね。素材は何を使ってんの?」
「ほほう。君もなかなかに見る目があるようだね」
二刀流を愛する会に属している俺とレンは、こういうところで話が合うのだ。
特別なブラッドオーガの角から名工の腕によって作られた黒剣ノワールについて、俺は自慢にならない程度の解説を始めた。
「――自分と同じ種族を斬り殺せば鋭くなっていく魔剣って……またセーちゃんには向いてない特性を持ってるね。もしかするとオイラが使ったほうがいいんじゃないの?」
「あげないからな!」
「いや……まあ、オイラだって人を殺して楽しむような趣味はないけどさ。どうせなら有効的に使いたいじゃないの」
「だが断る」
そんな提案を全拒否する俺に溜息を1つ吐き、レンは小声でつぶやいた。
「ところでさ、あの二人……ほら、見てみなよ」
レンが顎で示した先には、店の商品を眺めるリムとレイの姿がある。
俺たちが武器の話に没頭し始めた辺りからレイは呆れた顔で離れていったのだが、リムがそんな彼女に声を掛けたのだ。
「ふぅん。そこそこいいナイフじゃない。あんたも細かい作業する用に一本ぐらい持っといたほうがいいんじゃない?」
レイは店に置かれているナイフを手に取り、投げやすい形をしているとか、あれば何かと便利だとかアドバイスをしている。
リムとレイが争ってから、二人の関係が険悪なものにならないか心配していたが、幸いなことに一切喋らないなどの最悪な展開には至っていない。むしろレイの態度はあれ以来少しずつ軟化しており、普通に会話する程度には関係が修復されてきているようだ。
「よかったね。一時はどうなることかと思ったよ」
「ほんとにな」
結局のところ、なぜレイがあれほどまでにリムを挑発したのか詳しい理由は聞けていないのだが、問い詰めすぎると逆効果になりそうだったため、無理に聞こうとは思っていない。
「そうそう。ああいうのは、向こうが話してくれるまでじっくりと根気よく待つのが正解だよ」
わりと大人な意見を口にしたレンであるが、顔の頬に殴られたような痕がうっすらと残っていた。
「ん……? それ、どうしたんだ?」
「いやー、ここに来るまでの道中で、テッド少年とメンバーの中で誰が一番胸が大きいか議論を交わしてたんだけど、うっかりそれを聞かれたシャニアちゃんに顔の形が変わるほど殴られちゃってね。しばらく口もきいてやらないとか言われたんだよ」
「そ、そうか。それはまた……向こうが話してくれるまで根気よく待つしかないな」
こいつ何やってんだよ。
「このメンバーの中で一番胸が大きいのはセシル姐さんで決定だけど、リムちゃんとレイ姉のどっちが大きいかは議論の余地があるでしょ? シャニアちゃんは残念ながら敗者復活戦に参加できないかなーって盛り上がってたら、そこでグーパンチですよ」
うん、レイの治療で殴られた箇所の腫れはほぼ引いたそうだが、シャニアが怒るのも当然だ。
「う~ん。こうして二人が並んでても、やっぱり判断は難しいよね。セーちゃんはどう思う?」
レンが真剣な顔つきで目を細めながら、商品を眺める女性陣二人に視線を向ける。
「ほんっとに懲りないやつだな。まあ……あれだな。ぱっと見た印象ではリムに軍配が上がりそうだけど、レイの服は胸をやや圧迫するような感じだから、もしかすると逆転の可能性もあるかもしれない。しかし、年齢も含めて考えると今後の成長曲線の傾きはリムのほうに分があり……って何言わせんだよ!」
……あれ?
俺は隣にいたはずのレンにノリツッコミをしようとしたのだが、彼はなぜか一目散に店の外へと逃げていくではないか。
「――ねえ、何の話をしてたの?」
冷たさを感じさせる声がした方向へと、錆びついた扉がゆっくり開くかのようにギギギッと首を動かしていく。
「誰の胸に成長する見込みがないって?」
にこりと満面の笑顔で質問を続けるレイ。一緒にいるリムもちょっと困ったような顔をしている。
やだー、改めて質問しなくても全部聞こえてるじゃないですか。
……誰か俺を殺してくれ。
「言い訳はしない。殴りたければ俺を殴れ。ただ、これだけはわかってほしい。俺が普段からそういった視線で二人を見ているわけじゃないということを。そもそも女性の胸っていうのは――」
グシャリッ、とレイの拳が俺の顔面へと吸い込まれる。
「言い訳すんな」
正しすぎるその一言に、俺は何も言い返すことができなかった。
――その夜。
「にゃはは。かまわんかまわん~許してつかわす~~」
「そうだそうだ。こんなの大きくても戦闘の邪魔になるだけさ~」
「はは! このレン・シャオ。許していただけて光栄であります」
酒が入ったシャニアとレンはもう仲直りしているようで、間にセシルさんまで割り込んで盛り上がっている。ちょっとでも心配した俺が馬鹿みたいだ。
というか、レンについては後で裏庭にでも呼び出して制裁を与えてやる必要があるだろう。
こちとらまだ鼻骨が歪んでいる気がするんだぞ。おい。
そこまで酔っていないレイと、子供であるテッドはそんな状況を静観している。
「賑やかな仲間でうらやましいですね」
家の主であるロシェさんが、リムと一緒に厨房から料理を運んできてくれた。畑仕事の手伝いでもらった野菜を渡しておいたのだが、美味しそうに調理されている。
「これ、ほとんどリムちゃんが作ってくれたのよ。私は見ていただけ」
新鮮な野菜で細かく刻んだ肉をくるみ、熟したトマトをペースト状にして一緒に煮込んだものらしい。調理法はロールキャベツに似ているが、肉を包んでいる野菜はキャベツではなく、この地方で一般的に知られているクローヴというもので、煮込むと甘みが強くなり、芯まで柔らかくいただける食材だとか。
酔っている三人は遠慮なくガツガツと食べ始め、
「うまい! さすがリム」
「ちょっ、ボクんとこに嫁に来い」
「リムちゃんグッジョブ!」
とか叫んでいる。ってか、真ん中の人酔いすぎだろ。
それといまさらだが、シャニアは酒を飲んでも大丈夫なのか? この世界において飲酒に年齢制限などないから法的にどうということはないが……まあ、楽しそうだからいいとしておこう。
そもそも見た目が少女であっても、シャニアが何歳なのかは不明である。
希少種であるドラゴニュートの生態は詳しく知らないが……エルフのように外見の変化が少ないという可能性もあるのだ。まあ、同じくドラゴニュートのベルガなんかは年相応に……うん、厳つい顔だったという記憶しか残ってないですな。
そんなことを考えながら、俺もリムの自信作とやらを口に運び、舌鼓を打った。
とろとろに煮込まれたクローヴは、クリームのような滑らかな触感で舌に悦びを与え、その中にくるまれている肉はトマトの旨味と酸味も加わることで、さっぱりしつつも濃厚な味わいとなっている。
「リム、これすんごく美味しいぞ」
「ありがとう。でも、まだまだダリオ師匠には敵わないかな」
……いつの間にダリオさんはリムの師匠になっていたのだろうか。メルベイルを拠点としていたときに料理を教えてもらっていたから、そのときか。
それにしても美味い。これはひょっとすると……
俺はそっとだけリムに視線を向ける。
それに気づいた彼女が恥ずかしそうに胸元を隠すような仕草をしたことで、俺は本気で死にたくなったわけだが、見ていたのは胸じゃない。断じて胸ではない。
――リムが所持していた料理スキルがLv1からLv2へとレベルアップしていたのだ。
料理人としての壁を越えた彼女の料理は、さらなる高みへと到達したのだろう。
「おめでとう」
レベルアップという現象は俺にしか視認できないわけだが、素直にリムの成長をお祝いする言葉を贈らせていただいた。
リムはしばらくきょとんとした顔でこちらを見ていたが、本人も今日の料理はいつもより上手くできたと感じていたのかもしれない。
「うん、ありがとう」
にこりと笑ったリムは、俺が空にした皿へお代わりを注いでくると言って立ち上がった。
明日には、ここを出発することになるだろう。
アモルファス――滞在した期間は数日という短いものであったが、印象に残る人物との出会いを果たした街のことはよく覚えている。
「ティアモ、か」
リク・シャオがまだ説得できていないと述べていた、ルドワール卿の娘。
まあ……俺には関係のない話だ。
リムが持ってきてくれたお代わりを頬張りながら、俺は全神経を思考ではなく舌に集中させたのだった。