3話【猫と猫】
女性同士の取っ組み合いの喧嘩のことをキャットファイトと呼ぶらしいが、猫の獣人であるリムが争うとなれば本当の意味でキャットファイトとなるのではないだろうか。
レイもどこか他人を拒絶する節があり、気軽に近づけないところなんかは猫みたいだから、まさにといった感じだな。
そんな現実逃避をしながらも、しつこく意識の正面に回りこんでくる現実を仕方なく見つめることにする。
結局、街中で暴れると周りに迷惑がかかるのは当然であるため、冒険者ギルド内部にある修練場を使わせてもらうことになった。
やる気満々であるレイとリムの二人は、修練場の真ん中で視線をぶつけ合っている。
どうしてこうなった。
「その……本当に危険な真似だけはしないでくれな」
「はいはい。わかってるわよ」
「うん。ちゃんと手加減するから」
お、おう。普段は大人しいリムも今回はかなり挑発的だ。
俺が言えることではないが、戦いが白熱すれば照準が致命傷部位にシフトする可能性は否めない。
だが、これぐらいの距離なら危険だと感じた時点ですぐさま止めに入ることもできるだろう。
無言で向かい合う二人が、武器を構えた。
開始の合図などは必要とせず、どちらかが動けば試合開始となりそうな雰囲気である。
リムの手甲やグローブが新調されて綺麗になっている気はするが、基本は前と同じく左腕の手甲で相手の攻撃をいなし、右手のグローブで殴るという体術中心の戦闘スタイルだろう。
ちなみに、俺がリムに渡した髪飾りは前回の反省を活かして丈夫な物を選んでいるため、戦闘中に装着したままでも問題ない。むしろ髪が邪魔にならなくて良いはずだ。
レイのほうは、使い慣れてきたブレードウィップに加えて水魔法を駆使した戦闘スタイルである。
参考までに、二人のステータスを比較するとこんな感じか。
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名前:リム・ファン
種族:獣人(猫)
年齢:16
職業:冒険者(ランクD)
スキル
・体術Lv2(19/50)
・料理Lv1(9/10)
・魔力変換Lv1(7/10)
・狂化Lv1(4/10)
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名前:レイ・シャオ
種族:ヒューマン
年齢:18
職業:旅人
特殊:双心共鳴
スキル
・鞭術Lv2(39/50)
・投擲術Lv2(16/50)
・水魔法Lv2(22/50)
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……そういえば、レイは投擲術のスキルも所持しているんだったな。最も得意なのは中距離戦闘といったスキル構成だ。
ふむ。熟練度だけを見るとレイのほうが有利だが、メインの攻撃スキルは互いにLv2であるため、身体能力に優れたリムが近距離戦闘に持ち込めば勝負はわからない。
特殊である《双心共鳴》によって弟のレンが所持する剣術スキル(ブレードウィップの剣形態)や体術スキルまで活用されると厄介だな。
「レン、悪いけど邪魔だから、あっち行っててくれ」
「いきなり辛辣な言葉! でもオイラ負けない!」
泣きそうになっているレンだが、野次馬根性からか二人の勝負の行方は気になるらしく、動こうとはしなかった。
……まあ、それもある意味レイの実力の内か。
リムだって最初に会った頃より熟練度が上昇している。きちんと鍛錬を重ねてきた結果だろう。
以前は《体術Lv2(16/50)》だったはずなのに、熟練度が3も上昇しているのだ。
え? なんで熟練度の数値まで記憶しているかって? 言わせんな恥ずかしい。
ふむふむ、料理スキルなんかはもうすぐLvが上がりそうじゃないか。実に良い。
――そうこう考えている間に、先にリムが動いた。
獣人の脚力をフルに活かして駆け抜けるその姿は、まるで俊敏な猫のようである。
レイも一気に距離を縮めようとするリムを黙って見ているほど甘くはない。ブレードウィップが蛇のようにうねりながら疾走する少女へと喰らいつこうとする。
ヒュッ、という空気を裂く音に続いて地面を打ち貫くような鈍い音。
よくもまあ、手元を動かすだけで離れたところにある鞭先をあれだけ自由自在に動かせるものだと感心させられる。
だが、リムが蛇に捕らわれることはなかった。
しなやかに身体を反らせ、駆ける速度に緩急をつけ、ときには喰らいつこうとする攻撃を手甲によって弾き飛ばしながら距離を縮めていくのだ。
こういった洗練された動きを見ていると、戦闘スキルのLvや熟練度がすべてを左右するわけではないのかもしれないと思わされる。
「ちょこまか……と!」
これ以上接近されると不味いと判断したのか、レイはブレードウィップを剣形態に戻しつつ、周囲に得意とする水魔法で氷の散弾を形成していく。
うーん。リムに顔を知られていないとはいえ、一度は襲撃時に刃を交わした相手だ。鞭やら水魔法を多用すれば、戦い方が酷似していることからレイの正体がバレるかもしれない。
とはいえ、もう遅いか。
「喰らいな!」
何十発という氷の散弾がリムに向けて放たれた。
広範囲を攻撃できる散弾は便利であるが、一発一発の攻撃力は低いという難点がある。
猫耳をぴくりと動かした少女は、綺麗な琥珀色の瞳を機敏に動かして被弾するであろう弾を瞬時に見極め、そして――――
パキ、パパパパパパパパァン!!
何枚もの硝子が砕かれるような音とともに、氷の散弾を叩き落としてみせたのだった。
粉々になって空気中を舞う氷の粒子が、中心にたたずむ獣人の少女の透けるような白い肌を際立たせている。
ショットガンの弾を拳で叩き落とす――名づけるならば《れんぞく猫パンチ》か《百華断絶掌》といったところか。迷うところだ。リムならばどっちを選ぶだろう……?
などと俺が考えている間も、もちろん戦闘は継続中である。
レイの猛攻はそれだけでは終わらない。
氷の散弾の次は、大きな氷柱が間髪入れずにリムを襲った。
「こんな――」
小さく息を吐いたリムの身体に、マナが集まっていくのが感じられる。彼女の持つ魔力変換というスキルは、魔法に不得手な獣人には珍しくマナを操ることができるものだ。
集めたマナを自身の攻撃力に変換して上乗せするという単純なものだが、型にはまれば高威力を期待できる。
「――――ものっ!」
器用に身体をくるりと高速回転させ、魔力変換によって威力を向上させた回し蹴りが鈍い音を響かせて氷柱を砕き割った。
「ひゅ~、リムかっこいい~」
ちなみに今のはシャニアの感想だが、俺も同意見である。
氷の欠片が地面へと散らばるよりも早く、リムは正面にいる相手に向かって駆ける。一気に勝負を決めるつもりだ。
鞭と魔法による攻撃を突破され、肉迫されたレイは息を呑んだ。
リムの猫パンチをまともに喰らえば、骨ぐらい余裕で折れると判断したのだろう。
咄嗟にブレードウィップで防御を試み、見事受け止めることには成功したものの……ギギギッ、という嫌な音が鳴り響いてレイが歯噛みした。
「この……馬鹿力がっ」
「獣人のあたしの取り柄は、身体能力だけですからね」
にっと笑うリム。
あ、この子やっぱり怒ってるね。
おこなの? とか聞いたら六段活用の三つ目ぐらいに相当しそうだ。
そのまま逃がすつもりのないリムは、密着した状態から足技を繰り出そうとするも、レイが近距離から投擲したナイフによって行動を阻まれる。
一本。
――二本。
――――三本。
一定間隔を空けて投げ放たれたナイフはリムの手甲によって全て叩き落とされたが、レイが距離を取るには十分な時間を与えたようだ。
しかも、最後のナイフを弾いた瞬間にふたたび襲ってきたブレードウィップがリムの腕にからみついていく。
「……はあ。やっと捕まえたわ」
幸いなことに手甲を装着している部分に巻き付いているため、ブレード部分が肉を抉るような酷い事態にはなっていないようだ。
「動きを止められたら、それで十分よ」
レイの掌の上で、ポポポン、とやや大きめの火球が発生していく。その数は三つ。
これって……双心共鳴によるスキルリンクの効果か。弟のレンが所持している火魔法を使用していると思われる。
「氷は拳で砕けたかもしれないけど、炎はどうかしら……ね!」
勢いよく放たれた火球がリムに迫る。
ここで戦闘をストップさせるか……!? と身を乗り出そうとした俺に、「いやいや、もうちょい見守ってあげなよ」とシャニアが声を掛けたことで反応が遅れてしまった。
ボボボォォォン! という音とともに炎と煙に巻かれてしまったリム。
「……あれ?」
おいぃぃぃぃぃぃ!? なんだよその反応は!?
まともに喰らったんじゃないのアレ!? 見守るだけじゃ守れないものってのもあるんだよ!?
俺が心の叫びを上げていると、朦々と立ち込める煙を掻き分けるようにして一つの影が飛び出した。
――え?
という驚きは、きっと向かい合うレイも同じだったのだろう。
「あんた……!?」
わずかに硬直した相手に一瞬で迫ったリムは、けっして無傷ではなかった。
鞭が巻き付いた手甲を脱ぎ捨てて攻撃に転じたようで、回避しきれずに被弾した箇所には火傷の痕が見受けられ、額からもわずかに出血している。
しかし、瞳に宿る闘志には一切の翳りはなかった。
「はぁぁぁっ!」
リムは気勢とともに掌底で相手の顎を突き上げて体勢を崩し、流麗な動作で回し蹴りを放った。
「く……ぁ」
体勢を崩されつつも咄嗟に防御姿勢を取ったレイだったが、勢いよく吹っ飛ばされて修練場の壁に背中を強打してしまう。
ん、なんか今のリムの動き、どっかで……?
「かひゅっ……、は、はは。やるじゃない。でも……まだまだ――――」
「――はい、そこまで」
ここが止め時だろうと判断した俺は、二人の間に割って入る。
「はあ!? まだ終わってな……ぅ、けほ、けほ」
「お互いに相手の強さを理解したんだから、もう十分だろ。二人が怪我をした時点で中止させるのは当然の判断だ。どうしても納得できないなら俺が代わりに相手しようか?」
リムは火魔法による攻撃でダメージを負ったが、レイだって今のは相当効いたはず。
もし頭が熱くなっているのなら、多少強引にでも終わらせる必要がある。
「……それは、遠慮しとく」
うむ。わかってもらえたようで一安心だ。
「あ、じゃあボクとセー君で勝負しよっか?」
「セシルさんは話をややこしくしないでください」
「じゃあ、ここはわたしが!」
「シャニアも乗るなよ!」
……くそぅ。なんだかツッコミ役が俺一人だと足らない気がしてきたぞ。レンもっと頑張れ。
しゅんとしている二人は無視するとして、まずはリムとレイの治療だな。
「あー……大丈夫。ワタシは自分で治せるから。あんたはあの娘の治療してあげて」
治癒魔法を扱えるレイなら自分を治療するのも可能だろう。
ただ、色々と派手に魔法を使用していたから疲労しているはずである。
「わかった。もし疲れてるなら後で手伝うから」
そう言って、俺はリムの身体の様子を窺う。
ふむ……額の出血は軽く皮膚が裂けただけのようで、火傷もそこまで酷くはないようだ。
額の裂傷、火球による火傷を《治癒光》によって治しつつ、リムの顔を見つめる。
「なあ、リムの体術って誰かに習ったもんなのか?」
たしか……父親のアーノルドさんも体術スキルを所持していたはずだから、リムの師匠は父親なんだろうけども。
「え? どうだろ。父さんにも教わったけど、基礎はお母さんに教えてもらったかな。二人とも身体を動かすのは得意だったから」
ほほう。
「でも、何でそんなこと聞くの?」
「ん……まあ、さっきのリムの動きがちょっと似てたから、気になって」
「どういうこと?」
曖昧な返答だったためか、リムが首を傾げる。
憶測にすぎない話をすることで相手をぬか喜びさせるのはよろしくないと思ったのだが、情報を共有することで見えてくることもあるだろう。
「ここに来る途中でアモルファスって街に寄ったんだけど、そこで受けた依頼で夜鳴きの梟っていう盗賊団と知り合いになったんだ。まあ、盗賊団っていっても義賊みたいな人たちで悪いことするような集団じゃないんだけど」
「そう、なの?」
まだ話の意図を掴めないリムの頭の上には、クエスチョンマークが浮かんでいるようだ。ちょっと可愛い。
「そこの副団長の……えーと、ミラさん? だったかな。その人がヌエっていう魔物と戦ったときに見せた動きが、リムと似てたんだよ」
身振り手振りで、先程のリムの身体の動きを再現する。
「こう、顎をパーンッて突き上げて、体勢を崩したところに強烈な回し蹴りをドーンッって……」
擬音語にまみれたフワフワした動きだったが、なんとか伝わったようだ。
「その人って、どんな人だった!?」
リムが、ググイッと勢いよく顔を近づけてくる。
ちょ! 顔が近い。しかし悪くない。悪くないぞ。近う寄れぃ!
「どんなって……顔を隠してたから詳しくはわからないけど、獣人の女の人だったよ」
沈黙を保ったまま固まるリム。とりあえずは黙々と治療を続行する俺。
「……もしかしてその人、あたしや父さんが着けてるような耳飾りをしてなかった?」
リムの左耳には精緻な細工が施された金の耳飾りが着けられている。そういえばアーノルドさんも銀色の耳飾りを着けてたっけ。
「いや、そこまで意識してなかったから、正直よく覚えてない」
ゆっくりと話したわけでもないし、全体像がぼんやりと浮かんでくるぐらいだ。
「――よっし。終わったぞ、ばっちり元通りだ」
「え? う、うん。ありがとう」
治療が完了したことを告げても、どこか上の空で返事をするリム。
これは俺の責任だな。誰がなんと言おうとも俺の責任だ。誰にも文句は言わせない。言わせないったら言わせない。
わずかながらも、希望の光が灯り始めた少女の瞳から、俺は目を離すことができなかった。