8話【番外編セシル・アトマイス】
――ボクことセシル・アトマイスは、獅子の獣人である母と、ヒューマンである父との間に生まれた半獣人である。異なる種族である二人がどのように出逢い、どのようにしてボクが生まれるに至ったのか、幼い頃に興味本位で両親に訊いたことがある。
母は獣人族が多く住まう村の族長の娘であり、腕っぷしが滅法強く、楽しいことであれば何にでも興味を持つという活発な女性だった。父はといえば、研究者という言葉が似合う色白の肌に細身な体躯で、とてもではないが争い事に向かない人物である。
そんな二人の出逢いに興味を持つなというほうが無理というものだろう。
しかしながら、父は部屋に引き篭もるタイプの研究者ではなかった。
古代遺跡の研究から始まり、何百種類という魔物の生態調査、果ては異種族の文化研究まで、自らの知識欲を満たすために世界各地を飛び回る姿は、そういった意味では活発だったといえるだろう。
異種族の文化を研究するという名目で母が暮らす村へと向かう途中、金銭的に余裕のなかった父は、ろくに護衛も雇わずに移動しているところを盗賊に襲われた。そこへ偶然通りかかった母が盗賊達を一蹴したというのが、ファーストコンタクトらしい。
かといって助けられた父が母に惚れたわけではなく、むしろ逆。村に滞在する期間中も毎日毎日ひたすら知識を満たすことに貪欲で、子供のような父に惹かれていったのは母のほうだったそうだ。
『この人ってそっち方面は本当に鈍いんだもの。最後はほとんど無理やりだったわ。セシルもいつか、力ずくでも一緒になりたいと思える人に出逢えるといいわね』
笑いながら語る母の表情は獅子の獣人らしく、完全な肉食系のものだったといえるだろう。
ともあれ夫婦となった後、そしてボクが生まれてからも、父は研究を続けるために世界を旅していた。母とボクはそんな父と一緒に旅をするのが好きで――きっと今もあの二人はどこかで仲良くやっていることだろう。
ボクはといえば、母譲りの腕っぷしの強さのおかげで生計を立てられるようになってからは、両親と離れて生活している。
冒険者という選択肢もなかったわけではないけど、仲介料を取られる冒険者ギルドに所属するより、きままな傭兵のほうが楽でいいと思ったのだ。そうして今は、リシェイル王国南端にあるワイド城塞都市を拠点に活動している。
ワイド城塞都市は魔族や強力な魔物が近くに出没することもあり、冒険者や傭兵も数多くいるため、腕に自信があれば仕事に困ることはない。
安全・安心が保証された生活ではないにしろ、ボクはこの生活に満足していた。
どうやら母からは高い戦闘力を、父からは貪欲な探究心を受け継いでしまったようだ。
強い相手と戦いたい。自分の力がどこまで通用するのか。眼前の相手は果たしてどれほどに強いのか。
褒められたことじゃないけど、楽しそうな相手がいればたしかめたいという衝動を抑えるのは難しい。そういった意味では、傭兵職というのは実にボクに適していたといえるかもしれない。
◆◆◆
――そんなある日、カルナック商会からの依頼でボルボ火山へと赴くことになった。
暑い溶岩洞内を歩くのは疲れるけど、それ以上に辟易したのは一緒に仕事を請けたのが傭兵のキュロスだったという事実である。
傭兵同士というのは、わりと積極的に情報交換を行なっている。もちろん有益な情報を無料提供とはいかないが、キュロスのやつは金銭の代わりにボクにしつこく言い寄ってきたことがあるのだ。
ヒューマンにしてはそこそこ実力のある傭兵だとは思ったけど、正直なところあまりいい気分はせず、一度断ったら今度は逆恨みしてボクに何かと言いがかりをつけてくるようになった。
半獣人であるボクを馬鹿にするような発言が多かったが、異種族との間に生まれたからどうだというのだろう? 両親はそれぞれボクに愛情を与えてくれたし、ボク自身も自分という存在に満足している。本当に……小さな男だ。
しかし、そんな相手と一緒とはいえ仕事は仕事である。下手に商会からの信頼を失うような失敗をすれば、それこそキュロスの狙い通りかもしれない。
そんな中、ボルボ火山で偶然出会った人物達のおかげで幾分気分がマシになったといえた。
おっとりとした表情の少年――セー君に、双子の姉弟レン君にレイちゃんという三人組。
彼らの狙いも焦熱暴虎らしく、道中で話を聞いてちょっと驚いたものである。焦熱暴虎は若いヒューマンの少年少女が頑張ったところで勝てる魔物ではないからだ。しばらく一緒に進むうちに何回か魔物との戦闘もあったので観察していたが、あれが全力なら少し心配である。
とはいえ、滅多に遭遇する魔物ではないし、問題はないだろうと思っていた。
――――炎に身体を包んだ暴虎を槍で貫いた後、
「あの若僧がっ。絶対になんか隠してやがる。今にみてやがれ!」
憤慨するキュロスの言葉に、ボクは少々――どころか、かなりウンザリしていた。
ボクがここに来るまでに何があったのかは知らないけど、こうして焦熱暴虎を倒せたのだ。それでいいじゃないか。素材を商会の人達に渡せば追加報酬だって出るだろう。セー君が発見したのを横取りしたのならば申し訳ないが、キュロスは助けてやっただけだと言い張るし、ボクの立場としてはセー君が必要とする素材を分けるぐらいしかできなかった。
しかし……おっとりとしたセー君があからさまにこちらを挑発したのには驚いた。
漆黒の瞳に宿るのは、たしかな自信。
ボクやキュロスにも負けるはずがないと言いきった少年の言葉は、けっして嘘とは感じられない迫力に満ちていた。外見からは想像もできないが――きっとあれは面白い。
このように身体がフルえるのはいつぶりだろうか。心の奥底で鼓動を響かせ始めた好奇心という小さな火種は、きっともう消すことはできないだろう。
こういったところは父譲りなのかもしれない、と。ボクは口元をわずかに緩めたのだった。
◆◆◆
――ワイド城塞都市に戻り、カルナック商会に赴いて仕事の報告を終えた後、案の定キュロスはセー君のことを商会に話し始めた。
確証もないのにベラベラとまくしたてる傭兵に耳を貸すのは大変だろうと思いながら、ボクはカルナック商会の商人に視線を向けた。しかし、相対する商人はとても真面目な表情で相槌を打ちながら話を聞いている。
(まさか……こんな話を信じるの?)
「どうだ? 上手くやれば大儲けできるかもしれねえぞ」
息を荒げて説明を終えたキュロスに対して、真摯に話を聞いていた商人は優しげな表情のまま首を横に振った。
どうやら優秀な商人というのは、相手の話をすぐさま否定するという行為はしないようだ。すべての情報を冷静に分析し、慎重に見極め、判断する。たとえ傭兵がするような話でも、それが確実に儲けにつながるものなら行動に移すのかもしれない。
今回は当然ながら動くはずもない、か。
まあ……確証もない傭兵の話を信じるような人は、商人だけでなく傭兵業だって失格だろうけど。
「くそっ」
悪態を吐いたキュロスは勢いよく商館を出て行った。あの様子だと諦めたわけではないように思える。
さて、どうしようかな……
「どうぞお受け取りください」
商会からの報酬が入った袋を持ち上げると、ジャリッっとした音とともに重みを掌に感じた。
ボクが欲しいのはお金じゃない。
無造作に硬貨の入った袋を道具袋へと放り込み、商人に一礼してからボクは速やかに退室した。
だけど――セー君には興味がある。
◆◆◆
――まったく、こういうときのキュロスの行動力だけは褒めてやりたい。
メルベイルの街に到着したボクは、レルーノ商会が経営する商館を訪れていた。レルーノ商会というのは規模的にはそれほど大きくもないが、それなりに長くこの街で商売を営んでいる商会だ。
ワイド城塞都市にあるカルナック商会とも交流があり、ボクも荷物の護衛などに雇われたことがある。
「たしか傭兵のセシルさんといいましたか……? 一体なんの用でしょう?」
レルーノ商会代表、ラルゴ・レルーノが最低限の愛想とともに挨拶をくれた。
「いやあ、キュロスの我儘に付き合うのも大変だと思ってね」
「な……!?」
まだ壮年といえるラルゴだが、でっぷりと肥えた腹が驚きとともに揺れた。
このラルゴという男はなかなかに欲深い男であり、輸送する品物の値段を不当に水増ししたり、仕入れた小麦に粗悪品を混入させて重量を増やすことまでやっていたそうだ。
それを、キュロスに嗅ぎつけられた。
ちなみになんでボクがそんなことを知っているかといえば、キュロスがボクに言い寄ってきた際に自慢げに話していたからだ。商会の弱みを握ってやったとかなんとか。
すでにキュロスがレルーノ商会を訪れたという情報は入手している。おおかた弱みを握っているラルゴに話を持ってきたのだろう。
「やめときなよ。欲を出すと後悔するから」
「……し、しかし、当商会としましても――」
カマをかけてやると、ラルゴはペラペラと愚痴にも似た言い訳を吐き出し始めた。半分以上は聞き流すことにして、ボクは必要としている情報だけを選別して拾い上げる。
(嘘の依頼で呼び出す……? 冒険者ギルドにバレたら面倒なことになるだろうに)
「ふぅん。それだけ聞ければいいや。どうもお邪魔しました」
急いで踵を返そうとすると、背後からラルゴの声が響いた。
「待ってください。折り入って頼みたい仕事があるんです」
丸みのある腹に巻いてあるベルトは肉に食い込んでおり、不安な顔つきで汗を流す商人の外見は少々威厳に欠けるものがある。
「まあ、内容によるけどさ」
「実は――……」
――ラルゴから頼まれたのは、キュロス達が失敗した際に確実に口を封じるという仕事だ。
実行犯を殺してしまえば、万が一の場合も言い逃れができる。
考えてみれば、もしキュロス達が死んでくれれば厄介払いができるし、今回の件で儲けることができるのならそれも良し。ラルゴはどちらに転んでもいいと思っているのだろう。
どちらにしてもレルーノ商会にとっては利となる。
もしかすると、汗を垂らしているこの不安な顔つきというのも演技かもしれない。
「……たくましいね、まったく。それならこっちからも一つ条件を付けたいんだけど」
◆◆◆
――当日、エルゴ大樹から離れた位置で様子をうかがっていた。
視力は良いほうだと思うので、かなり距離があっても大丈夫である。
生け捕りにするつもりなら、セー君がいきなり殺されることはない。もしも負けてしまうようであれば、途中で乱入してキュロス達を皆殺しにしてやろうかとも思っていた。なにもラルゴからの依頼を実直に遂行する必要はない。
ただし、その場合はボクが期待しているような展開にはならない。
セー君を助けて、それで終わり。それだけだ。
しかし、ボクの期待が裏切られることはなかった。
遠目でも、セー君の圧倒的な戦いぶりに戦慄が走る。
なんだろう。この気持ち……? 際限なく胸が熱くなっていく感じ……こんなの初めてだ。
我慢できなくなり、騎獣を勢いよく走らせる。
大樹の傍まで来たとき、キュロス達は太い土の鎖に縛られて身動きできないようになっていた。
騎獣から降りてセー君とレイちゃんに挨拶をしつつ、哀れな格好となっている傭兵達の姿を見やり、槍が届く範囲にまで歩を進めていく。
「く……おいっ、セシル! 俺らを助けろ! 傭兵仲間じゃねえか」
両腕を失っているキュロスが、懇願するような声を上げた。
「いやいや、傭兵は自分達の力でなんとかするっていうのが基本だぜ? いまさらボクに助けを求めるのかい?」
これはキュロスがボクを口説くときに使っていた言葉だ。自分の力でなんとかする……? 今はずいぶんと滑稽な姿である。情けない……本当に。
ボクがどのような目をしているのか、鏡がないためにわからない。
だけど、このとき、キュロスの顔が泣きそうにぐにゃりと歪んだ気がした。
「ちくしょうがっ! ほんとに、どこまでも役に立たない半端も――――」
――さよなら。
ボクはそこで、キュロスの首を斬り飛ばした。
続いて他の傭兵達の命もすべて断っていく。
そんな光景をぽかんと見ているセー君の顔はとても面白く、魅力的に思えた。
期待に胸を膨らませながらも、セー君がどうしても嫌がるようなら無理強いはしないでおこうと思っていたのに。
「でも……気が変わった」
セー君との会話の中で、明確に自分の意思を示す。
戦いたいという気持ちが抑えられない。
この男と戦いたい。全力で戦いたい。死力を尽くして戦いたい。無理やりにでも戦いたい。
……ここまで感情的になったのは初めてかもしれない。
「というか……セシルさん、諦めるつもりないでしょう?」
困った顔で頷いてくれたときには、まるで初恋が実ったかのような熱が身体を支配していく。
ボクはそこで思考を中断し、巨人のヤリを構えてセー君と対峙したのだった。
◆◆◆
――――はぁ。負けちゃったか。
意識が戻ったときには、ボクの身体は騎獣の背中の上で揺られていた。
「あ、起きましたか? なかなか目を覚まさないから心配してたんですよ」
どうやら、ボクはセー君の騎獣に一緒に乗せてもらっているようだ。同じく騎獣に乗って隣を並走しているのは……レイちゃんか。ボクが乗ってきた騎獣も後ろに紐でつながれている。
「あんた……自分で殴っといて心配するなんて器用な真似するわね」
レイちゃんの言葉に、セー君が慌てて手を振って反応した。
「いや、だって全力でいかないと倒せなかったし」
ちょっと腹部が痛む気はするけど内臓は損傷していないっぽい。そんな痛みよりも、全力で戦ってくれたという彼の言葉に嬉しさを覚えてしまった。殴られて幸福感を得るだなんて、ボクは普通とはかなり異なる感性の持ち主だったのかもしれない。
「もうすぐメルベイルに着きますから、一緒にご飯でもどうですか?」
あんなことがあったというのに、セー君は屈託のない笑顔でそんな誘いの言葉を述べた。
「いいの? ボクのことをそんな簡単に信用しちゃって」
「え? そりゃキュロス達は許せませんけど、セシルさんは最初は俺を助けようとしてくれてたんでしょ。まあ……最後はあんな感じになっちゃいましたけど」
たしかに言った。助けようと思っていた、と。
だけど、そんな言葉をすぐに信じるのはどうだろう。ボクがあまりにポカンとした顔をしていたからか、セー君が言葉を続ける。
「実際に戦ってみると、相手が悪意を持っているかどうかってわかる気がしませんか? 男同士拳で……ってセシルさんは女性ですけど、少なくとも俺には悪意は感じられませんでした」
いやいや、セー君……純粋すぎるでしょ。
まだ納得のいかない顔をするボクに、セー君は閃いたとばかりにこちらを振り向く。
「えーと、じゃあこうしましょう。俺が勝ったら何でもいうこと聞いてくれるんでしたよね。じゃあ今後、俺を騙したり、酷い目に遭わせるような行動はしないでください」
「それは……セー君が困るようなことはするなってことかい?」
「えーと、そんな感じです」
「……わかったよ」
自分で言ったことだ。ここでこれをただの口約束だと馬鹿にするような行為は、ボクにはできない。
「俺が泊まってる宿の食事はすんごく美味しいんですよ。もうすぐ離れないといけないと思うと腹が反抗期になって痛くなるぐらいです」
笑いながら自分のことのように誇らしく語るセー君の表情は、まるで子供のようだった。
「――ちょっ!? ええっ! なんでセシル姉さんが一緒にいるわけ!?」
満腹オヤジ亭という独特なセンスの名前を持つ宿屋に足を踏み入れると、一階にある食堂でレン君が禿頭の男と楽しそうに会話していたのだが、ボクを見るなり叫び声を上げた。
ちなみに禿頭の男が宿の主人であるダリオさんという人らしい。
「ずるい! ずるいよ! 気を遣って留守番してたのに、なんでそんなことになってんのさ!?」
セー君に詰めよるレン君の顔は、わりと真剣だ。
「落ち着けって。というかお前の体調不良は治ったのか? 気を遣うってどういうことだよ?」
そんなセー君の反応に、レン君は途端に顔に汗を浮かべ始めて「気分が……」とうずくまった。
「――とまあ、そういうわけでセシルさんを放っておくわけにはいかないだろ? だから連れて帰ってきたんだよ」
セー君が一通りの事情をレン君に話しながら、四人で食卓を囲む。
自慢げに語るのが容易に理解できるほどに舌を喜ばせてくれた料理は、あの厳ついダリオさんが作ったものだという。失礼かもしれないけど、すごいギャップだ。
「何でも言うこと聞くってどういうことさ!? オイラ白状しちゃうと実はセシル姉さんにちょっと憧れてたのに! セーちゃんの節操なし! 女たらし! 三股野朗! 股が裂けろ!」
黙っていれば貴族といわれても信じてしまえるほどに整った顔立ちの彼が、頭をガンガンとテーブルにぶつけている。
食事と一緒に軽く酒を飲んでいたものの、レン君は酔っているわけではないようだ。これが素なのかもしれない。
「なに言ってんだよ? セシルさんにはさっきもうお願い事をしたし、り、リムとだってそんな関係じゃないって前に言っただろ。それに数が合わないぞ」
「……え? まだ何もないの? 嘘だぁ、いくらなんで――」
――――ゴシャッ! メキキッ!
なんだろう。なにかテーブルの下で変な音が鳴った気がする。
レン君はそのまま一切喋らなくなり、テーブルに顔を突っ伏してしまった。
「それで、今日のことは結局ギルドに報告しに行くわけ?」
会話を再開させたのは、冷静な顔で今後の方針を尋ねるレイちゃんである。
「うーん。このまま放っておくのもいいかなって思う。こっちが大人しくしてれば今後はちょっかいを出さないってことだし、帝国へ出発する前に面倒事を増やすのもどうかと思うんだ。それに、キュロス達が全員死んじゃった時点で証人もいなくなったわけだしさ」
「ボクが全部証言してもいいけど?」
そうすれば、冒険者ギルドは間違いなくレルーノ商会を潰す。それに関わったボクも罰を科せられることになるだろう。
それでも、セー君が望むのなら従おうと思う。
「いや、そうするとたぶんセシルさんに迷惑がかかるでしょう? それは……俺も困ります」
……困る、か。
「わかったよ。でも、いつまでもギルドに依頼の報告をしないわけにもいかないでしょ。依頼放棄とみなされるかもしれないし」
「う……それはまあ、そうです」
どことなく不安げな顔は戦闘時とは異なり、歳相応の……いや、もっと幼くさえ見える。
ボクは壁にたてかけていた槍を手に取り、グラスに注がれていたエールを一気に飲み干した。
「ボクが商会と話をつけてくるから、セー君はゆっくり休んでおいてよ。負けたら何でもするって言ったんだから、これぐらいしないとね」
「それじゃあ……お任せします。あんまり危険なことはしないでくださいよ」
その様子を見守っていたレイちゃんも区切りがついたのを感じ取り、席を立つ。
「話がまとまったのなら、ワタシはそろそろ部屋のほうに失礼するわ。この馬鹿な弟も一緒に部屋に連れてくから、今日はセイジも早めに休んだほうがいいんじゃない?」
双子のレイちゃんとレン君が階段を昇っていく姿を見送りながら、ボクは満腹オヤジ亭から夜の街へと足を向けたのだった。
◆◆◆
メルベイルの街は商業区と工業区、市街区にわかれていて、レルーノ商会は宿があった商業区に存在している。大通りをしばらく歩き続け、一つ角を曲がると目抜き通りと比べて人通りが少ない道へと入る。
大きな商会であれば商館が大通りに面している場合が多いが、レルーノ商会のように小さな商会だと、このようにやや奥まった場所に位置しているのも珍しくない。これでも昼間ならわりと人通りもある場所なのだが、夜の闇も濃くなった時分ではあまり人影も見当たらなかった。
「――そうですか。キュロス達は失敗したんですね」
相も変わらず肥えた身体を揺らすようにして、ラルゴは明らかに上機嫌な声でこちらの報告に頷いていた。
「キュロスともども全員を始末してきたと、そういうことで間違いないですね?」
「全員……というのは標的となった冒険者を除いて、ということだよね」
情報に齟齬が発生しないよう、曖昧な言い回しは使用しないことにする。ボクの答えにラルゴはわずかにだけ眉をひそめた。
「ええ、ええ。もちろんですとも。キュロスを含む複数の傭兵を退ける腕利き冒険者の相手は、セシルさんにも少々荷が重いでしょうからな」
揉み手をしながら笑顔を作る男の物言いにひっかかる気持ちはあったが、まあいいだろう。
「それで、報酬の件なのですが……」
「ああ。ボク、今回はお金を受け取るつもりはないから。だけど……」
「なんでしょうか?」
「仕事を請けるときに言ったけど、これで今回の件から一切手を引くってことでいいんだよね?」
このように小規模な商会がセー君に何かできるとも思えないが、面倒事につながりそうな芽は小さくとも摘み取っておくべきだろう。
「ああ……たしかに言っておられましたね。そのようなことを。しかし、商人としては仕事を依頼した相手に報酬を支払わないというのは心苦しいものです。そういわずに、受け取っていただきたいものですな」
ラルゴが愉悦するような笑みを浮かべ、指をパチリと鳴らすと扉から複数の人影が部屋の内部へと入ってくる。その数は六人。
「これはどういったご褒美なのかな?」
六人はそれぞれに武器を構え、明らかに平和的な気配ではない。
もしかすると、こういった展開もあるかもしれないと思っていた。
無意識に頬が緩んでしまいそうになる。面白い。予想通りすぎて面白い。滑稽すぎて面白い。ボクじゃなけりゃ、商人ならもう少し客を楽しませろと言いたくなるぐらいだ。ボクを殺せばレルーノ商会に関係した全員を始末できると思っているんだろう。心配事の種を消そうとするのは、相手も同じこと。
「さて、敗残兵を狩るのとはワケが違いますよ?」
「へぇ」
たしかに、キュロス達はセー君にやられて瀕死状態だったといえる。
ずいぶんと……舐めてくれたものだ。
「その様子だと、ボクとした約束も守ってくれそうにないね」
「やりかたは色々とありますからね」
「残念だよ……あなたはもっと小さく生きていればよかったんだ。大きく儲けようとなんてせず、今までみたいにちまちまとセコい真似をして利益を得ていればよかったのにさ」
挑発のつもりはない。ただボクは心から思ったことを述べただけだ。
「う、うるさい! や――」
――――グシャンッッッッッッッッッッッ!!
壁に水風船でも叩きつけたような音が室内に響き渡る。
ただし、飛び散ったのは水ではなく、内包されていたのは粘度の高い暗褐色の液体でやや重低音。
肉塊となって血液を撒き散らした者の顔すら、ボクは見ていない。男だったのか、女だったのかすらもわからない。
近くにいて、邪魔だっただけ。ボクがラルゴへと歩み寄るのに邪魔だっただけだ。
一瞬だけ室内が静寂に包まれ、すぐさまラルゴが声を張り上げた。
「な、なにをしている!! はやく始末しろっ!」
残りは五人。それなりには腕の立つ者達なのだろう。すぐさま意識を切り替えてこちらに一斉に襲いかかってくる。
だけど……直線上に並んだらいけない――なっ!
巨人のヤリを全力で投擲する。
「ぐっ!」
「ひゃっ」
二人の人間を巻き込んだ愛用の槍は、勢いを緩めずに壁に突き刺さることで止まった。槍とともに壁にはり付けられた二つの物体は、もはやピクリとも動かない。
武器を失ったのを好機と思ったのか、一人が間合いを詰めて短剣で突き刺そうとしてきた。胸を貫こうとする一撃を身体をずらして回避し、相手の腕を脇に挟み込んで固定する。
「う、動か……」
「ないでしょ?」
そのまま相手の軸足となっている太ももに、骨と直角になる方向から全力で下蹴りを繰り出した。
ブチ、ブチチッ……と大腿と下腿を連結している靭帯が断裂していく感触が伝わってくる。
膝というのは、人体においてかなりの負荷がかかる関節であり、それゆえに強靭な靭帯がいくつも存在している。それらすべてを断ちきってやれば、身体を支えることは困難……どころか痛みで何も考えられないだろう。
「あ、ぎゃあああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
残りは……二人。
「ひ、ひぃぃっ」
ラルゴが悲鳴を上げて後ずさった。
「――……レルーノ商会は、本日をもって終わりだよ」
「ひ、あ」
ラルゴは醜く太った体躯でこけそうになりながら、早足で奥の扉へと逃げ込んだ。
逃がさ……――?!
ふわりと室内の空気の微妙な動きを感じ取り、後方にいた一人が魔法を放つのを視界におさめる。
「魔法、か」
ボクは魔法が使えないから、魔法使いの相手は厄介だ。
数瞬後、風の刃がこちらへと放たれる。
「ぎ、ぁ……」
魔法を相殺することができないなら、避けるか……もしくはこうやって何かで防ぐしかない。
ドサリ、と魔法の直撃を受けた物体は声も上げずに倒れ込んだ。
さっき膝を壊した相手が床に転がっていたため、盾としてちょうどよかったといえるだろう。
壁に突き刺さった槍を、糸を手繰り寄せることで手元へ引き戻す。魔法使いが次弾を放つ前に止めてしまいたい。
残った二人は、何かを決意したように頷きながら別々の行動を取った。
剣を振りかぶって駆けてくる男と、魔法での追撃を試みる魔法使いの女。
槍の投擲では、まとめて二人を貫けない位置関係にある。
どっちを先に仕留めるかといえば……
「う……りゃあ!」
投げ放った槍は正確に魔法使いの胸元へと吸い込まれ、身体に大穴を穿つ。
「くっそだらあぁぁぁぁぁぁっ!!」
こちらに駆けてきていた男は、目端にわずかに涙を浮かべていた。渾身の一撃が、ボクが槍を引き戻すよりも早くに接近する。
身体を捻って直撃は避けたものの、横腹に痛みが走った。おそらくはこの中で最も腕の立つ相手だったと思う。
だけど、さらなる一撃を許すつもりなんてない。相手の剣の持ち手部分を正確に蹴り上げて拳の骨を砕き、武器を無力化する。
「ぐ、ぁ」
そのまま怯んだ相手の背後に回りこみ、首に腕を回して一気に締め上げた。
「ひゅ……か、は……やめ」
「残念。だけど……ちょっと面白かったよ」
ポキペキ……ボキョッ!
軽い音に続いて、重く鈍い破壊音。
男の身体から力が抜け、手を離すと重力にしたがって横倒しになって転がった。
さて、と。これで全部か。
すぐさまラルゴが逃げ込んだ部屋の扉に手をかけて勢いよく押し開ける。
「ラルゴッ! 逃げられると思って――!?」
駆け込んだ部屋の中では、少しばかり意外な光景が広がっていた。
「あ……が、はぁ……」
胸を刺し貫かれて喘いでいる、でっぷりとした身体の男――ラルゴ。
出血はあまり見られないが、苦しそうに呼吸を荒げている。
その行為を実行したのは、ボクとラルゴを除いて部屋にいる人物達だろう。
フーデッドケープを深く被り、顔を隠している二人はボクを認めると小さくつぶやいた。蒼然たる空間にたたずむ人影は、たしかに存在はするのに気配が薄い。
「あんたが暴れてくれてたから、こっちはかなり楽だったわ」
「ま、一番のターゲットはこっちがいただいちゃったけどさ」
二人の声には聞き覚えがある。というか……武器なども見覚えがある。
たしかに顔を隠すのは有効だけど、ボクに対してはあまり意味がないように思えた。
「……そっか。そういうことか」
「言っておくけど、これはワタシらが勝手にやっただけだからね。あいつは関係ないから」
「そうそう。オイラ達はもともとこういうのが専門だから」
これはまた、ずいぶんと面白い仲間がいたものだ。
「隠すこともないから言うけど、あんたが本当はどういう人物かを知っておく必要があったの。これ以上帝国への出発が延期になってほしくないから。ここの後始末を手伝ったのも、同じ理由よ」
「オイラは無理やり手伝わされたって感じだけどね」
彼の性格を考えると、このように裏で動く姿は想像もできない。どういった理由でこの二人が旅に同行しているのかは知らないが、きっと今はベッドの中でぐっすりと熟睡していることだろう。
「なるほどね。それで、ボクにはどういった判断が下されたのか教えてもらっても?」
「別に? 好きにすればいいんじゃない。そもそもあんたと真正面から戦って勝てるとは思えないし」
「あんまり危険なことはしないでくれって言われたのに、このザマだよ?」
「あいつが困るような真似をしてないなら、約束は破ったことにならないでしょ」
凜とした声が、宵闇の中で静かに響く。
「ほら。怪我してるんならさっさと止血ぐらいしなさいよ。治癒魔法で治したげる義理まではないからね」
「あはは。治癒魔法は苦手だもんね」
「あんたは黙りなっ。それで……あんたはこれからどうすんの?」
片割れの男のツッコミを一言で制止し、彼女はボクに今後の対応を尋ねてくる。
「こういう結果になった以上、ラルゴを冒険者ギルドに連れていくことにするよ。洗いざらい全部吐いてもらう」
「そう……ね。たぶんそれが一番だと思うわ」
彼女は床に転がるラルゴに近づき、耳元で囁いた。
「ちゃんと全部話すのよ。さもないと、今度は本当に殺すから」
「ひぃっ、は、はい……いぎぎぃぃぃぃっっ」
胸に刺さっていたナイフをぐりぐりと乱雑に捻りながら、引き抜く。
「あ、大丈夫よ。この傷で死ぬことはないから。ものすごく痛いけどね」
「あ……が、ぐ」
慣れた手つきでナイフを回転させながら、黒い刀身が鞘に吸い込まれた。
「じゃあ、あとはよろしく」
そう言って、ボクの前にいた二人は素早く窓から身を乗り出す。足音が闇に吸い込まれるように静かな動作で、ついさっきまで人がいたという気配すら消え失せてしまったのだった。
◆◆◆
「――ふぅ。どうしよっかな」
ラルゴを冒険者ギルドに突き出したあと、ボクは満腹オヤジ亭の前で歩みを止めて建物を見上げていた。
よほど怖い思いをしたのか、ラルゴは自分の行いをすべて自白した。今回の件だけでなく、不正に利益を上げていた行為もすべてである。
ひとまず身柄はギルドに預かってもらうことになり、ボクの処遇については明日にでもセー君にギルドへ顔を出してもらい、事情を聞いてから判断すると伝えられた。
「おう。さっきセイジ達と一緒に飯を食ってた……えーと、セシルさんだったか」
禿頭の厳つい顔つきの主人……ダリオさんだったかな。
「そうです。すみませんが、少し強めのお酒を一杯もらえます?」
「あいよ」
ダリオさんは頷くと、カウンターの椅子に座り込んだボクの目の前で、透明なゴブレットにメルバ大麦の蒸留酒をなみなみと注いでいく。
一息に飲み干すと、ダリオさんが「サービスだ」と言ってボトルを傾け、ふたたび水面が盛り上がった。
「……なにか悩みでもあるのかい?」
優しさを多分に含んだその声に、不思議と抗うことができない。
「ボクは傭兵なんですが、もしかすると仕事を続けられなくなってしまうかもしれなくて」
「そりゃあ、大変だな」
「でも、悩んでるのはそこじゃないんです」
「ほお。じゃあ何に悩んでるのか聞いても?」
「ボクは獅子とヒューマンの半獣人なんです。おかげで子供の頃から腕っぷしも強くて、同じ年齢ぐらいの相手には負けたことがなくて」
「傭兵ってのは、強ければ強いほうがいいと思うが」
グラスや食器を布で磨きながら、ダリオさんはボクの話を聞いてくれている。
「まわりからは男勝りなやつだとか言われるし、それで小さい頃から自分のことを『ボク』とか呼んでたら、ますます男っぽくなっちゃって……」
「いやいや、セシルさんはどこからどうみても立派な女性だろうに。俺だってあと二十年若ければ……はっは、フロワに殺されますがね」
気さくな人だな、と思う。ダリオさんは本当に人が好きで宿屋を営んでいるのだろう。
「でも、その……自分より強い人もやっぱりいたわけで。なんだか今はその人のことで頭が一杯というかなんというか」
「なるほどねえ。そりゃ難しい問題だ」
どうすればいいか悩むなんてことは、今までほとんどなかったから慣れていない。気づけばまたまた酒を空にしてしまっていた。三杯目はきちんと自分で注文し、お代わりを注いでもらう。
「それで、セシルさんはどうしたいんだい?」
「ボクは……もっと彼のことを知りたいかなって。見ていて面白いし、このまま一緒にいたいって思うんです」
「そうか。なら……今はあまり悩むことはないんじゃないか? その相手とやらがどういった人間なのかをもっともっと知ってから、悩んだって遅くはないだろう」
今すぐに答えを出そうとして、気持ちが急いていたのかもしれない。何気ない一言ではあったけど、にかりと笑う禿頭の主人の言葉は、ボクの心を緩めてくれた気がする。
「そう……かもしれないね」
そのあとは多くの会話はせず、ひたすらに酒を胃袋の中に落とし込んでいった。
「――それじゃあ、これが部屋の鍵だ。自分で歩ける……みたいだな」
「大丈夫だよ。ありがとう、ダリオさん」
ボクは満足いくまで飲んだあと、そのままここの宿に泊まることにした。
階段を昇り、自分の部屋で装備を外して楽な格好に着替える。汗も掻いていたため、湯桶にお湯を用意してもらって身体を綺麗に拭いていくと、横腹の傷がちょっとだけ痛んだ。
「はあ……さっぱりした」
髪がまだ少しべたつくが、この宿に風呂はないため仕方がない。
湯桶を一階に戻しにいった帰り、廊下で見知った顔を目に留めてボクは立ち止まった。
「やぁ、セー君。なにしてるの?」
「ん……ぁ? ちょっと喉……かわい、て」
……完全に寝ぼけている。おそらく食堂にいって飲み物をもらおうと考えているようだが、足元が非常に危なっかしい。
「ボクがもらってくるから、ちょっとここで待ってて」
ボーッとしているセー君に代わって飲み物をもらってきたが、彼はまだ半分目を閉じていた。意識はほとんどないのかもしれない。
「ほら。部屋まで運んであげるから」
手に持っている鍵から部屋番号を確認し、彼の部屋まで飲み物を運ぶ。
「飲みなよ」
セー君は一口だけ飲み、喉を潤したかと思えば、すぐさまベッドに身体を投げ出して小さな寝息を立てて眠ってしまった。
なんというか……無防備すぎる。
寝顔はあどけない少年のようで、とてもボクを打ち負かした凄腕冒険者とは思えない。
「あ……」
そんな彼の顔をしばらく眺めていると、母が口にしていた言葉の意味がわかった気がした。
いやいや……さすがに力ずくの無理やりはダメだろうと思うけど。
ただ、今思いついた悪戯で彼がどんなふうな反応を示すのかみてみたい。
ボク自身もすごく恥ずかしい。だけど目が覚めたときのセー君の驚きぶりを想像すると、もうやめられそうにない。
ダメだな……ボクは。
困らせることはしないと言ったはずなのに。
ベッドカバーを持ち上げ、ボクはするりと自分の身体を中へとすべり込ませた。
「あったかい……」
人肌の温もりは心地よく、疲労が蓄積していたからか、睡魔が脳内で活動範囲を広げていく。
まどろみに完全に呑まれてしまう前に、頭の中でたくさんの感情が浮かんでは消えていった。
――――うん。ボク……やっぱりセー君のこと、もっと知りたい。
これにて4章(前半?)はひとまず終了の感じです。
後半ではやっと帝国に足を踏み入れていくことでしょう。