2話【ボルボ火山】
「――焦熱暴虎の牙ですか?」
こちらの問いに鳶色の瞳が考えるようにして視線を宙に浮かした。
現在地はメルベイルの冒険者ギルド。
目の前にいらっしゃるのは、受付嬢シエーナさんである。
ライトブラウンの髪をポニーテールにし、清楚系の服に身を包んでいる姿は、依頼を受ける冒険者のモチベーションを上げているといえるだろう(俺を含める)。
さて、なぜ俺がギルドに足を運んだのか。
それはジグさんに頼まれた品を用意するために他ならない。
炎蛇の火袋という鍛冶屋御用達のアイテムでも燐竜晶には意味をなさなかった。
しからばもっと火力が必要ということで、頼まれたのが焦熱暴虎の牙というアイテムである。
焦熱暴虎というのは、火山口や溶岩洞などに生息するとされている炎の魔物らしい。遭遇率が低い魔物なため、牙の入手も困難で値段は当然高くなるそうな。
しかもたいがいの鍛冶仕事は炎蛇の火袋で十分であり、焦熱暴虎の牙を鍛冶師が使うことはあまりないため、工房には置いていないとのことだった。
大量の金属を溶かす精錬所などで一部使用されたり、攻撃用アイテム、兵器開発といった用途で需要があるそうだ。
「たしかに焦熱暴虎の牙を獲ってきたら買い取るという商会はあるはずですが……セイジさん自身が必要としているのですか?」
「あ、はい」
少し考える素振りで、シエーナさんは指を自らの柔らかそうな桜色の唇へと添える。
「それでしたら、一度市場のほうに足を運んでみてはいかがでしょう? もし焦熱暴虎を討伐するとなれば、ランクとしてはB+……個体によってはランクAに相当します。セイジさんが優秀な冒険者であることは私も承知しておりますが、ランクCである現状を考えると危険が多いと思われます」
シエーナさんの言い分はもっともだ。冒険者として依頼を受けるのなら、自分のランク以上の依頼を受けることはできない。
仮に依頼を受けるという形式に則らないとしても、安易に危険な真似を勧めたりはしないだろう。俺が過去にランクB相当のブラッドオーガを単独撃破した事実を、彼女が知っていたとしてもだ。
「市場にはもう行ってみたんです。そうしたらどこも品切れだって言われまして」
メルベイルは様々な物資が集まる商業都市だ。無理に自分で討伐しなくとも入手できるなら購入するのもアリだと思っていた。
「そうですか……えっと、急ぎで必要なのですか?」
「できれば」
一刻も早く新たな剣の産声を聞きたいというのは、個人的な感情だけども。
「困りましたね……」
こちらが悩んでいる事項を真剣に考えてくれるシエーナさんは、わりと天使である。
「もうっ! 時間が勿体ない。この近辺でその……なんとか虎ってやつが生息してそうな場所とかないわけ?」
痺れを切らして会話に割り込んできたのは、後ろに控えていたレイだ。
ジグさんに店番をやらされ、休む暇もなく市場を引っ張りまわされた彼女は、ご機嫌斜めといったところか。
どちら様ですか? とキョトンとするシエーナさんに軽くだけ紹介を済ませると、レイは言葉を続けていく。
「ワタシは冒険者じゃないけど、こいつがランクCとかあり得ないでしょ。ギルドの目は節穴なわけ?」
「セイジさんは冒険者になってまだ数ヶ月です。ランクアップの速度は十分に異例だと感じておりますが……?」
「冗談はやめてよ。たった数ヶ月でこんな化物が完成するわけないでしょ」
化物て……言いすぎじゃないの? 泣くぞ。
「あくまでギルドに登録された時期の話です。それ以前にセイジさんがどのような訓練をしていたかは存じ上げませんし、問い詰める必要もないと思われます」
毅然とした態度を崩さない受付嬢。
他人の過去へ容易に介入するのはよろしくないと考えてくれてのことだろう。
面白くなさそうに、軽く眉間に皺を寄せたレイがこちらへと振り返る。
「あんたはどうしたいのよ。牙が必要なんでしょ?」
たしかに欲しい。レイの言う通りだ。
だが、
「……シエーナさんのお言葉はすべてに優先する」
――踵で思いきり足を踏まれた。足の甲の骨が砕けそうだ。超痛い。
「まあ落ち着きなよ。とりあえず焦熱暴虎が出現しそうな場所を教えてもらってさ。行ってみるのもいいんじゃない?」
場を仲裁するように割って入ったレンは、人差し指を立てて提案する。
「危険だと、忠告させていただきました」
「三人もいるんだしさ、危なくなったら逃げるぐらいはできるさ。そもそも遭遇する確率だって低いんでしょ? 様子を見に行く程度だってば」
ぶっちゃけた話、今なら仮にランクAに相当する魔物であっても単体なら勝てると思う。
複数匹に囲まれればちょっとした身の危険を感じるが、レアな魔物が何匹もいるとは考えにくい。
しばし黙考していたシエーナさんは、しぶしぶといった緩慢な動きで地図を取り出した。
「……この近辺であれば、ボルボ火山で目撃したとの情報があります」
細く綺麗な指が地図をゆっくりとなぞり、ぴたりと止まる。
メルベイルより南に下っていくと、街道から西に逸れた辺りに小さめの活火山があるらしい。ここ数十年は噴火などしていないが、麓の裂け目から内部へ入ると溶岩洞が続いており、奥のほうはまだ液状の溶岩が渦巻いているのだとか。
地図の縮尺から判断するに、騎獣の足を借りれば……半日もかからないかな。
が、さすがに今日は街に着いてから動きっぱなしのため、疲れた。
明日行動することにしたい。
「ありがとうございました」
シエーナさんに礼の言葉を述べてから踵を返そうとすると、
「ねえねえ。お姉さん、すんごく綺麗だよね~。冒険者の安全を考える配慮にも優しさが感じられるっていうのかな。オイラこんなに素晴らしい女性に初めて出会った気がする」
なんと、レンのやつが臆面もなく歯の浮きそうな台詞を吐いているではないか。
「まぁた始まった……あんたは、その軽口を慎めっていつも言ってんでしょ」
弟を窘めるようにして、レイは溜息をついている。
「よければ受付の仕事が終わったら一緒にご飯でも――どゥカナッ!?」
――まったく、レンの兄貴とやらは弟に一体なにを教えていたのか。けしからん。
両脚を広げて身体を地面へとしっかり固定し、腰の回転力が上半身に伝わる最適な条件を整え、拳を横腹へと捻じり込ませた。
「せ、セーちゃん……なに、を……?」
俺に付けた渾名を呟きながら倒れ伏したレンは、ビクンビクンと身体を震わせている。
腰を下ろし、相手にだけ聞こえるように耳元でそっと囁いた。
「……俺がこうしなければ、レンは他の冒険者(俺を含む)に殺されてたよ?」
「ふ、含むんだ……それ、もうただ殺す気だったんじゃ……」
そんな光景を前にしながら、シエーナさんは笑顔を一切崩すことなく、
「無事をお祈りしていますね」
と丁寧な挨拶をくれたのだった。
◆◆◆
――満腹オヤジ亭で一晩を明かし、八月二週闇の日。
懐かしき宿の亭主ダリオさんが作る極上料理を堪能した俺達は、心身ともに満たされたといっていいだろう。
禿頭の厳めしいヒゲ紳士が作る料理は、洗練された手技にあふれている。
久々にダリオさんの所持スキルを確認してみると《料理Lv3(149/150)》にまで成長していた。是非ともLv4に達したときの味を堪能してみたい。
滞在期間……延ばそうかな。
――そうして宿を後にし、騎獣屋で双子が乗るための騎獣を揃えてからメルベイルを出発した。
今回は俺の我儘に付き合ってもらうかたちのため、これぐらいの出費はいいだろう。
シエーナさんに教えてもらった通り、騎獣に乗って走り続けていると半日もかからずにボルボ火山とやらに到着した。
小さな火山とはいえ、間近で見ると迫力がある。
「えっと……麓に入口となる裂け目があるって言ってたけど……」
「あれじゃないの?」
レイが指し示した方に視線をやると、内部へと続いていそうな亀裂が山肌に見受けられた。
俺の騎獣――鱗竜ルークは一緒に中へ連れていくとしても、双子が乗ってきた借り物の騎獣は外に繋いでおくことにした。危険な目に遭遇しないとも限らない。
「オイラお腹が痛くなってきた。ここで騎獣を見張ってようか?」
というレンの言葉は無視して、三人と一匹で中へ。
幅広の溶岩洞内部は薄暗く、街で購入しておいた松明に火を点けて黒ずんだ洞を赤く照らす。
というか……暑い。
噴火の兆しがないとはいえ、奥には露出した溶岩が残っているらしいから温度が一気に跳ね上がるのも当然なのか。
軽装なレイはまだいいだろうが、俺やレンは額がやや汗ばんできている。
いくつかの分岐路を目印を付けながら進み、しばらく道なりに歩いていると、周囲の岩などが赤みを帯びてきた。
高熱を保有する岩が照明の代わりとなるため、松明の明かりを消しても視界にまったく困らない。
ただ、大地の鼓動だけが静かに脈打つ溶岩洞は妙に心細さを感じさせた。
「なにか……音が聞こえない?」
レンが耳に手をあて、呟く。
キィキィ、という鳴き声がこちらに近づいてきているようだ。
「気をつけろっ」
奥から羽音とともに姿を現したのは、身体を炎に包まれた小さな……蝙蝠?
ちらちらと揺れる炎の揺らめきが空中を浮遊しているために、捉えどころがない。
《盗賊の眼》で確認してみると――《ラ―ヴァット》と出た。
溶岩洞を根城にしている魔物の一種だ。剣で攻撃しようにも距離的にちょっと遠い――
「ちょこまかと邪魔! 暑苦しいっ」
暑さに苛立っていたのか、隣にいたレイが腰にあったブレードウィップを握りしめて一閃。
「ギャッ」
「ピィ」
「ギッ」
一瞬で三匹のラーヴァットが炎を散らして弾け飛んだ。伸びた鞭がカカカンと金属音を響かせて元の形状へと戻る。
……おおう。やるじゃない。
俺は暑さのせいで出遅れたということにしておこう。
というか何気に強い。そりゃ子供ん時から死ぬほど辛い訓練を受ければそうなるか。
改めて、双子の能力を考察してみよう。
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名前:レイ・シャオ
種族:ヒューマン
年齢:18
職業:旅人
特殊:双心共鳴
スキル
・鞭術Lv2(38/50)
・投擲術Lv2(15/50)
・水魔法Lv2(21/50)
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鞭が得意で、水魔法も扱える。投擲用のナイフも購入したため、所持スキルはフルに活かせる状態といえるだろう。
注目すべきなのは、特殊にある『双心共鳴』であるが、これは――
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名前:レン・シャオ
種族:ヒューマン
年齢:18
職業:旅人
特殊:双心共鳴
スキル
・剣術Lv2(37/50)
・体術Lv2(16/50)
・火魔法Lv2(21/50)
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ご覧の通り、弟のレンも同様の特殊を所持している。
《双心共鳴》――双子の親密度により、所持スキルが共有化される。
これはつまりレイとレンが親密であれば、お互い所持しているスキルが共有化されるのだと考えていいだろう。
ヒューマンでありながら一人が三つもスキルを所持し、さらに共有化されることによって六つもスキルを所持することになる。
ポテンシャルは素晴らしいのではないだろうか。
ただ、双子の親密度が高いかは疑問の余地が残るところではあるが。
「――ここ、ホントになんとかって虎はいるの?」
レイの問いに思考を中断し、前を向き直す。
「焦熱暴虎な。シエーナさんが教えてくれた情報なんだ……もう少し奥に行ってみよう」
「あっついぃぃぃぃぃ。セーちゃん……オイラもう無理。脱ぐっ、脱ぐよ?」
「脱げよ。防御力0で戦えるならな。ちなみに俺が真っ先に攻撃するぞ」
「あんた達、バカなこと言ってないで先にすす――」
男二人を窘めるように声を上げたレイが、突如言葉を詰まらせた。
何事かと思い、彼女が向ける視線の先に目をやると――何かがいる。
目を凝らすと、炎に包まれた四足歩行の生物がこちらを見据えていた。トトトと移動してこちらへと近づいてくる。
ラーヴァットと同じく身体の外縁は炎に覆われていて判然としないが、揺らめく炎が尻尾や耳を形成し、蒼く光る縦長な瞳の下には左右対称のヒゲが綺麗な曲線を描いている。
――《フレイムキャット》
愛らしい猫の外見を持つ魔物は、不思議とこちらを襲ってこようとしない。
ちらりとこちらを見つめていたかと思うと、真っ赤に焼けた岩から滴る液状の溶岩を美味しそうに舐めているではないか。
『猫舌』という言葉はどこにいったのか?
などとどうでもいい感想を抱きつつも、一応ステータスを確認してみる。
所持しているスキルは《火魔法Lv1(8/10)》だ。
ルークやクロ子……まあ、やるかやらないかは別にしてレンの強化にも役立つと思われるスキルだな。
……奪っておくか。
しかし俺がフレイムキャットに歩み寄るよりも早く、駆けていく人物がいた――レイだ。
「まっ――」
魔物だから駆逐する。それを咎めるつもりはない。
でもちょっと待ってくれたって……
と思っていると、なんと彼女は武器を手にすることもなくフレイムキャットの傍にズザーッと滑りこんだ。
「……え?」
「か、可愛い」
……なん、だと?
「なにこれ、可愛い~~~」
こちらに敵意を向けず、ぴちゃぴちゃと溶岩を舐める猫の姿に、レイがそんな声を漏らした。
普段の表情が喜怒哀楽でいえば怒怒怒である彼女が、何かを愛でる時にはこんな顔もするのかと、ちょっとだけ見惚れてしまう。
「というか危ないぞ。いくらこっちを襲ってこないにしても、魔物なんだからな」
「な、撫でたい。撫でてもいいかな?」
上目遣いにこちらに訊かれても、答えに困る。
フレイムキャットの身体は炎に包まれているのだ。
「いや、普通に火傷するだ――」
「あっつぅぅぅぅぅい!!」
「なにしてんのぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!?」
人の話を聞けよ!
どう考えても火傷するだろ!!
「うう……もうちょっと、もうちょっとだけ」
高熱に焼かれた手を自らの水魔法で治療したレイは、また懲りずにフレイムキャットに触ろうとしている。
……あ、この子あれだ。ひょっとして馬鹿なんだ?
諦めた俺に対して、肩をぽんと叩いてきたレンが遠い目をしながらぼそりと呟いた。
「許してあげてよ。レイ姉……猫派なんだ」
だから何!?
別に猫が好きだからって、炎の中に手を突っ込む真似が普通だとは思わないけど!?
それなら猫の獣人にも優しくしてあげて!
とまあ、一頻りツッコミを入れている間にレイも堪能したようだ。
火傷した手を治療する傍らで、フレイムキャットは何事もなかったかのように溶岩を舐め続けている。
……次は俺の番か。
くそぅ。熱そうだが、やってやろうじゃないか。
燃え盛るフレイムキャットの身体に手を伸ばす。
「ちょっ、セーちゃんまで何する気さ?」
レンの制止を無視し、俺はフレイムキャットの身体を掴むようにしてから意識を集中させた。
わずかに警戒しているのか、身体に纏っている炎が勢いを増した気がする。
これで火魔法スキルを視認したことになるだろうか……?
ジュッと焼かれた手の痛みとは別に、身体に伝わってくる充足感。
「あっちぃ……」
すぐさま手を離して眺めると、皮膚表面が赤く膨れ上がっている。
軽く火傷はしたものの……スキルの奪取には成功した。
「ん……?」
火魔法スキルを失ったフレイムキャットは、不思議なことにどんどん身体が小さくなっていく。
最後には掌サイズにまで縮んでしまった火猫は、トトトと洞窟の奥へと消えていってしまった。
「あんた……なにしたの?」
「いや、普通に撫でただけだよ?」
まさかスキルを奪ったら縮むとは思わなかった。こんなケースもあるんだな。
「ふぅん。まあいいけど」
理由はわからないが、なぜかにやにやと笑みを浮かべながらこちらを見てくるレイ。
「なんで、笑ってるんだよ?」
「別に? ……あんたも猫派だったんだと思っただけよ」
「なっ――ちがっ!」
声を大にして言いたい。
一緒にするな、と。
いくら猫が可愛いからといって、普通は燃え盛る身体を撫でようとしないだろ!?
……だがまあ、それ以外の理由で俺のさっきの行動を上手く説明できる気もしない。
得るものがあったから我慢したのだと弁解すれば、藪をつついて蛇を出すようなものだ。
もういい。諦めよう。
「その火傷、治療したげるからみせなさいよ」
「いいよ。これぐらい」
あっちから優しげな提案をしてくるなんて珍しいな。同じく猫派という共通点を持つ者に親近感でも湧いたのだろうか。
とはいっても、これぐらいの傷なら放っておいてもすぐに生命力強化で完治する。わざわざ魔法を使用する必要はない。
「あ、そう。好きにすれば」
特に興味もないといった素振りで冷たい表情に戻った彼女は、本当にさっきフレイムキャットを愛でていた人物と同じ人なのだろうか……と感じさせてくれた。
「――……ふう。にしても、暑いな」
暑さに辟易し、その場で小休止をとって革の水筒を傾けていると、騎獣のルークがトンッと鼻先をこちらの背中にぶつけてくる。
「……クォッ」
「ほんとか? ルーク」
このような熱気に包まれた溶岩洞に足を運ぶ人間なんて、限られている。
観光気分で訪れるには少々刺激が強すぎるだろう。故に……油断はできない。
――『誰か来る』……?