18話【目覚めた先】
強制的に意識が途切れるというのは、ちょっと怖い。
心地良い眠りにつくわけではなく、暗闇に呑み込まれて身体が溶けていくような不安感。
自分がどこにいるのかも、どんな状態にあるのかも知る術はない。
(でも、なんだろう。あったかい……)
――身体中を光の粒が包んでいるような柔らかな温かさ。
左腕の周辺は特に力強く、熱いぐらいだ。
自分の身体を暗闇から引っ張り上げ、優しく抱きしめてくれているのが女神様だといわれれば信じてしまうほどに心地良い。
……そろそろ起きれそうだ。
ふ……ぬ。
夢を夢だと気づいた瞬間、無理やりに起きようと試みるのと似ている。
閉じられた瞼の中で、必死に目を開こうと努力するのだ。
何度かの失敗の後、やっとのことで現実の瞼を押し開けることに成功した。
「――ぅ……ん。ここ……は?」
霞む視界に映った最初の人物は、もしかすると女神様だろうか。
うっすらと浮かぶ輪郭をたよりに、俺は礼を言おうと相手の手を取り――
「……おおっ。目が覚めたようじゃな。ちょ、ちょっと照れるわい」
しわがれた声、顔に刻まれた皺を見れば相手が若くないと知れる。
歳のせいか白くなったアゴひげには見覚えがあるが、女神様とは程遠い。杖を持っている外見は魔法使いというイメージがぴったり当てはまる。
…………
……
「ぎゃアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァッ!!」
「ふ、ふおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!」
けたたましい二人の叫び声。
「うぉ、ウォム爺さん!? なんでここにいるんですかっ。というかなんで頬を赤らめてるんですか!?」
「せ、セイ坊こそいきなり叫ぶとはなんじゃっ。ええい、いつまで手を握っておるっ。わしにそんな趣味はないぞい」
セイ坊とは、ウォム爺さんがつけた俺の愛称である。
《光学迷彩》の魔法を教えている最中に年下の俺を『先生』とか『師匠』と呼ぼうとしていたので、セイ坊に変えてもらったのだ。
とはいえ、男同士で手を握り合うほどに仲良くなったつもりはない。
すぐさま左手を放し、無駄に覚醒してしまった意識を通常運転に切り替えて辺りを見回した。
どうやらここは闘技場内にある救護室のようだ。
ああ……そうだった。俺はベルガとの戦いで最後には気絶したんだっけか。
「よかった。無事に気がついたようですね。その様子だと腕の具合も悪くないように見えます」
救護室の一画、白いカーテンで区切られたベッド上にて身体を起こしている俺の背後から、そんな声が聞こえた。
あ……そういえば俺の左腕、ちゃんとある。
ちゃんと動くぞっ。
ん? この透き通るような声も聞き覚えが……
首を無理やりに反転させると、若草色のローブに身を包んだ美しいエルフの姿があった。眼福という言葉はこのような場合に使用するのが正しいのだろう。
「い、イリィさん!? なんでここにっ」
「端的に答えるなら、セイジさんの治療のために」
「わしもじゃよ」
イリィさんとウォム爺さんが口を揃えてそんなことを言う。
正直、ちょっと嬉しい。
イリィさんは精霊魔法で、ウォム爺さんは得意の光魔法で傷を治療してくれたのだろう。千切れてしまった左腕を治すのは大変だったろうに。
俺のために二人して……うぅ。
治った左腕でイリィさんの手を掴んでいればと思ってしまった自分が情けない。
「でも、本当になんでここにいるんですか?」
「それについては後ほど」
イリィさんは俺の問いにすぐには答えず、カーテンの向こう側に優しく声を発した。
「もう大丈夫ですよ。お二人とも」
カーテン越しに見えていた二つのシルエットが身動きし、白い薄布が押し開けられる。
そこには半泣き状態になったステラさんと、安堵の表情を浮かべたウランさんの姿があった。
この二人が俺を心配してくれていたというのは、すぐに想像できる。
だが――
「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。まさかこんなことになるなんて、わたし思ってなかった……」
言葉遣いがこうも崩れるほどに狼狽している彼女の姿は珍しい。
「いえ、気にしないでください。俺は受けた依頼を遂行しただけですから。でも……ボッコボコにされたのは俺のほうかもしれないですね。あはは」
冗談っぽく言ったものの、たぶん負傷の程度はベルガより俺のほうが酷いと思う。
「本当に、ありがとうございました。セイジさんが無事な姿を見て心の底から安心しましたよ」
紳士な態度を貫くウランさんは、丁寧にお礼の言葉を述べた。
「ステラのやつ、試合前は興奮していたくせに途中からずっと泣きそうな感じで――」
興奮……?
もしかして、ベルガの試合に割り込んだ時に『ボッコボコにしてください』って叫んでたのは……ステラさん?
「ちょっとウラン! そういうのは言わなくていいからっ」
ポカポカという擬音が似合いそうな勢いで隣にいるウランさんを叩く彼女の姿を見ていると、なぜだか無性に吐血しそうになった。
内臓の損傷なども治癒しているはずなのに不思議な現象である。
「と、ところでガリーブさんはどうなりました? 大人しく引き下がりましたか?」
話を本筋に戻そう。
ともあれ試合には勝利したのだ。難癖をつけられそうなポイントはいくつかあるが、平和的に解決すればいいと心底思う。
「そ、それが……」
顔を曇らせるステラさん。まさか諦めてないとか……?
「――あの人、試合が終わってから姿が見えないんです」
……え?
「てっきり何か言ってくるものだとばかり思っていたんですが」
「おれも捜してみたんですが、ちょっと変なんですよ。突然消えたみたいにいなくなって」
ウランさんも首を捻っている。
うーむ。見つからないのは、それはそれで不安だな。
後になって色々と因縁をつけられると面倒くさそうである。負けたために素直に黙って身を引いたと考えるのは深慮に欠けるだろうか。
「まあ勝負はついたわけですし、さすがに人道から大きく逸脱した行為は取らないと思いますけど」
「そうですよね。もしまだ何かあったら今度はわたし、ちょっと暴言を吐こうと思います」
ステラさんの暴言内容がどのようなものになるのか気にはなるが、とりあえず一件落着といった感じかな。
「それじゃ、セイジさん。今夜はとびきりのご馳走をたらふく食べれるように準備をしておきますので、是非とも味満ぽんぽこ亭のほうへ寄ってください」
にかりと笑顔を浮かべるウランさん。この人にとっての最大限のお礼というのは、自分が作った料理を腹一杯食べてもらうことなんだろう。
意識は戻ったし、身体の傷も治ったが、流した血は戻ってこない。
気分的には、自分の体積分くらいの肉を胃袋に詰め込みたいぐらいだ。
「任せてください」
自信ありげに微笑むウランさん。惚れそうだぜ。
――こうして仲睦まじい二人を見送った後、俺は一仕事終えた満足感に浸りながらベッドから立ち上がった。
「というわけなので、俺もそろそろ帰りますね。鎧も直さないといけませんし」
喰われた左腕は元に戻ったが、鎧のほうはそうもいかない。店で修復を依頼しないとなんとも不恰好である。
「なぜ私がここにいたのか聞いていかないのですか?」
イリィさんがこちらに問う。
「怪我の治療、本当にありがとうございました。その、立ち入った質問は逆に迷惑かなと」
「いえいえ、当然のことをしただけです。しかしなるほど。セイジさんは私に興味がないということなのですね」
な……に!?
「何を言っておるんじゃイリィちゃんっ! わしは興味津々じゃよっ?! 趣味や食事の嗜好、あらゆる身体データに生活スケジュール、契約している精霊数まで全てを知りたいと思っておるっ! いや、すでに半分ほどは把握しておるっ」
「黙ってください。というかウォームさん。後で話があります」
……なんで最後まで言っちゃうかな、ウォム爺さん。
「いや、俺も興味がないとかそういうわけではなくて……そ、そういえばウォム爺さんはなんでここに?」
「わしはイリィちゃんがいるところならどこでも――……というのは冗談で、研究が行き詰まった時なんかは、たまにこうした娯楽で息抜きをしとるんじゃよ。そうしたら見覚えのある顔が試合に出場しとって、終いには大怪我をしよったからの。闘技場の救護スタッフには手に負えんじゃろうから、駆けつけたといったところじゃ」
最初のくだりが本気かは判断に困るが、それは素直に嬉しい。
「先に治療を始めたのは私のほうでしたけど、ウォームさんの魔法がなければ腕の接合に苦労したでしょうね」
そう言われれば、ウォム爺さんの光魔法スキルはLv3に達してるものな。
「セイジさん。もしよければ私について来てくれませんか?」
静かに歩き出すイリィさん。闘技場にいた理由というのは、あまり人に聞かれたくない内容なのだろうか?
俺がどうしたものかと逡巡していると、迷うことなく彼女に追従していく老人の姿があった。
「……ウォームさん。なにをしてるんです?」
イリィさんがやや冷たい口調で問い掛けるも、当の本人はそれを喜んでさえいそうだ。
「ん? 後で話があると言っとったじゃろ?」
もうすげぇよウォム爺さん。パネェ。本気リスペクトだわ。
さすがのイリィさんも疲れが見え始めた。と同時に小さく溜め息を吐く。
「ふぅ……セイジさん。回りくどいことをしてすみません。実はあなたと話したいという方がおられるのです。一緒に来ていただけませんか?」
かなり直接的な表現になった。ウォム爺さんのせいでペースが著しく乱されたのだろう。
イリィさんが畏まる相手なんて限られてくる。なんとなくこのまま直帰したい衝動に襲われたが、治療をしてもらった恩もある。
話を聞くぐらいなら、いいだろう。
「わしも行ってもいいのかの?」
「……もう、好きにしてください」
俺達は救護室を出てから、緩やかなカーブを描く闘技場外縁部の廊下を歩いていった。
兵士が配置され、立ち入り禁止となっている区域へと足を踏み入れる。しばらくして、造りの豪華な扉の前でイリィさんが立ち止まった。
「ここです」
ゆっくりと扉が押し開けられると、室内には一人の男性が佇んでいた。
逆立った赤褐色の髪がモミアゲと繋がることで顔をグルリと覆っている。獅子の鬣のような中央には、厳めしいパーツが揃っている偉丈夫だ。
インパクトのある外見は忘れもしない――
「お、王様!?」
「久しいではないか。セイジ」
こちらを見据えているのは、ハーディン・テュオ・ベラド。
現リシェイル王国の国王陛下である。
メルベイルにて、国王の姪にあたるマリータを救出した件で俺の顔と名前を覚えてくれたのだ。
「王都に来ているのなら王宮のほうへ顔を見せにくればいいものを。む……そっちにいるのはウォム爺ではないか。いつもながら元気そうだな」
あれ……王様とウォム爺さんって知り合いなんだ?
「ハーディン様はご自分で魔法研究所の視察に行くこともありますので。魔道具作製の技術者としては優秀なウォームさんと古くから面識があるそうです」
素朴な疑問を読み取ったイリィさんが的確な情報を耳打ちしてくれる。
「お久しぶりです。王こそ、お元気そうでなによりじゃのう」
「はっはっ! 研究所に閉じ篭っていては老体にこたえるだろう」
「そうですのう。たまにはこうして羽をのばしております。それにしても、セイ坊が王と面識があるとは驚きましたのう。わしはここいらで退出したほうがよろしいようですな」
さすがに王様相手だとウォム爺さんも常識的な発言をするようだ。
「別に構わんぞ。にしても……ウォム爺もセイジと知り合いだったとはな。セイ坊……か。ふむ」
王様が何かを考えるようにしてアゴヒゲを擦る。
「イリィはこのことを知っていたのか?」
「はい」
あ……どうやら、イリィさんは俺が王都に来ていることを本当に王様に報告していなかったらしい。
「まあ、いいだろう。おそらくワシがセイ坊を少し強引に部下へと勧誘したことが原因なのだろうからな」
おお、謙虚な反応。というか王様もセイ坊って呼ぶんだ……別にいいけど。
閑話休題。
イリィさんが口にしていた会ってほしい人物というのは、間違いなく王様のことだろう。
「えと、王様が俺……私に話があるんでしょうか?」
「そう畏まる必要はない。普段の口調で構わんぞ」
「その、話っていうのは……?」
「身体のほうは大丈夫のようだな。先程の試合は見事だった。あのように白熱した戦いを見れたのは久方ぶりだ。最後に何をしたか訊くのは……野暮というものなんだろうな」
最後? 一体なんのことでございましょう。
それにしても、また部下への勧誘だろうか。
「そう警戒するな。賛辞を送りたかっただけだ。仕える気があるのならいつでも王宮の門を叩けと言ったであろう。同じことを二度言うつもりはないぞ」
う……イリィさんに治療までしてもらってこの態度は、ちょっと失礼だったかな。
「あの、ありがとうございます。でも王様はなんでここに?」
王としての仕事とかもあるのだろうに。
「ここはハーディン様専用の観戦室ですよ。才能ある人材を見つけるにはこういった場所にも足を運ぶ必要があるのだとか。ただ楽しんでいるだけのような気もしますが」
「そう言うな。イリィよ」
玉石混淆ではあるだろうが、確かにスキル所持者が多く集まりはするだろう。
しかし、たまたま俺の試合を見に来ていたという偶然を信じるほどには、世間知らずではないつもりだ。
「試合を見るために王宮から飛んできたといえば信じてくれるか?」
「イリィさんの前でそんな嘘を言ってると見透かされますよ」
「はっは。いつものことだ。確かに、当初の目的は観戦に来たわけではない。実は先日、少々面白い文書が一通届けられてな」
王様が取り出したのは、紙を丸めた筒状になっている文書だ。
「内容はこうだ」
『リシェイル国王との親交を望む
トグル領主 リク・シャオ』
「随分と簡素な恋文もあったものだ。具体的なことは何も書かれていない。最初は性質の悪い冗談かとも思ったが、どうやら署名は本物らしい」
リク・シャオって……もしかしなくても、あの姉弟のお兄さんじゃないか。隣国の王様にいきなりこんな手紙送るとか、何考えてるんだよ。
「少し興味が湧いたのでな。こちらの闘技場へ移送された囚人にいくつか訊きたいことがあって、足を運んだわけだ」
姉のレイ・シャオに弟のレン・シャオ。
あの双子がトグル領主の血縁であるというのは知られているようだな。
「予定より少し遅れたが、間もなくこちらに連れてこられるはずだ」
王様が言い終わると同時に、扉がノックされる音が響いた。
連れてこられた二人――弟のほうはのんきに室内を見回し、姉は相変わらず仏頂面である。
王様は威圧感満載の表情で二人へと質問を開始した。
俺ならば二秒で口を割るだろう空気の重さだ。
現領主であるリク・シャオがどのような人物であるか。
この手紙の真意はなにか。
イリィさんが隣で二人の様子を窺っているため、心に乱れがあれば感知されるだろう。このために王様と一緒に来ていたわけか。
――しばらくして、ようやく尋問は終了したようだ。
「あまり有益な情報は得られませんでしたね。嘘を言っているようにも感じられません」
リク・シャオの人柄については放蕩息子だったわけで、手紙の真意はわからず、だ。
イリィさんがそう感じたのなら本当に二人は何も知らないのだろう。幼い頃に故郷から引き離されたわけだから当然といえば当然か。
「それならば無理にこちらが動くこともあるまいよ」
元々あまり期待していなかったのだろう。王様に落胆した様子はない。
「でもちょっと気になりますよね」
「……気になるか?」
あ、これは……しまった。
「べ、別に。今のところスーヴェン帝国に行くつもりはありませんよ」
「そのようなこと一言も言っとらんではないか。だがもし旅の途中にトグル地方へ行くのであれば知人として路銀の援助を喜んでしよう。土産話を期待している」
王様が喰いついたぞ。まさか最初からこれが狙いか!?
「いや、向こうの地理にだって全然詳しくないですし」
「土地勘のある同行者が必要ということか? それならば――」
「ワタシが行くっ!」
な……に?
声を上げたのは――レイだ。
「リク兄……あいつッ。お願いだから、ワタシを同行させてほしい」
俺に対してレイがこのように頼み事をするのは、初めてではないだろうか。
ならばどのように返答するかなんて、決まっている。
「――うん。ちょっと……無理かな」