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16話【死中問答】

「おおおおおおおオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォッ!!」


 雄叫びが響き渡る。もうこれ魔物なんじゃね? と思ってしまうほどの咆哮だが、理性はまだ残っているようだ。外殻の奥からくぐもった声が聞こえる。


「……せいぜい、足掻いてみせろ」


 もはやベルガの全身は完全に翡翠色の鱗で埋め尽くされている。外殻で補強された筋肉繊維の塊のような脚がさらに膨れ上がったかと思うと、一瞬で相手の姿が掻き消える。

 いや、消えたように見えた。

 予備動作から上空へと跳躍したのだと意識が追いつくまでの刹那。少しでも気を抜けば殺られるかもしれないという緊張感に改めて身を引き締める。


「――――(めつ)ッ!!!」


 相も変わらず馬鹿でかい声で、こちらを消滅させようとする一撃が上方から繰り出された。迎撃が間に合いそうになかったため、可能な限りその場から距離を取ろうと左へとサイドステップする。一体どれほど攻撃力が強化されているのか……?

 ベルガの拳が地面へと達した瞬間――まるで水面に岩を放り込んだかのように地表の土がめくれ返った。

 土砂が水飛沫のように舞い上がり、パラパラと重力に従って落ちてくる。


 ……わぁい。想像以上の破壊力だ。あれに当たったらどうなるんだろう。

 思わず今の自分が着込んでいる装備を見つめ直す。

 衝撃に強いとされるキルティングアーマー。

 名匠――ジグ・サルマンの手によって作られた、下手な金属よりも丈夫な黒鋼糸で編まれている鎧である。さすがに無傷というわけにはいくまいが、内臓を反芻する程度で済むかもしれない。

 ともかく、逃げ回っていても埒があかない。

 今度は――こっちの番だ。

 着地と同時に地面を蹴り飛ばす。

 敵との間に取った距離を、今度は逆再生するかのように縮めていく。

 少しでも速く動けるように風魔法で自らの身体を補助しているのだが、それでも足りないぐらいだ。

 速く。

 ただ速く。

 もっと速く。


「はああああああああぁぁぁぁぁっ」


 ベルガを真正面から斬りつけようと、剣を最上段に構えた。

 ――一刀両断。

 腹の奥に力を込め、肺から根こそぎの空気を押し出すとともに剣を振り下ろす。

 全力の一撃といえば格好はいいが、言い換えれば何も考えずに正面から剣を振るっただけである。そんな攻撃が相手に通じるわけはなく、見事に腕で受け止められてしまった。

 先程はわずかばかり肉に喰い込んだのに、新たな外殻はそれすらも許してくれそうにない。

 俺の力量不足なのか、はたまた剣の切れ味が悪いのか。

 ジグさんの作った剣に不満などは微塵もないため、完全に俺の力量不足である。

 装備者が同種族の命を断つごとに切れ味が増していく魔剣。もしこの試合会場内にいる全てのヒューマンを切り殺したら、ベルガの外殻さえも易々と貫けるほどの武器となるのだろうが、そんなこと、考えることさえ俺にはできない。

 ああ怖い。


 ……だからこそ、別の手段を用意しておいたのだ。正面から斬りかかっても、止められてしまうのは予測できた。


「ここからだっ」


 剣を片手持ちに切り替え、掌を相手の眼前に突き出して用意していた光魔法を発動させた。


 ――《閃光衝撃(ライトバースト)》!!


 至近距離からの目潰し。

 外殻に覆われている相手だとしても、効果が望めるだろう魔法をチョイスしたつもりである。


「ぐっ……ぅっ」


 ベルガが身体をよじり、わずかな隙が生まれた。

 さすがに、この好機を見逃すほど甘くはない。

 試しに相手の外殻へと手を伸ばしてスキルを発動させようとしたが、結果は発動せず。

 ルークにスキル譲渡する際は、外皮の鱗に触れた状態で問題なく行なえた。やはりこの外殻というのは鎧みたいなものと考えたほうがいいのだろう。

 ならば――


「おおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ」


 最も的が大きく狙いやすい胴体部分へと、一点集中して剣撃を繰り出す。

 緑玉石(エメラルド)のような硬い鱗が刃を通さないというのなら――剥いでしまえばいいのだ。

 鱗が身体を保護する擬似的な鎧だというのなら、壊してしまえばいい。

 硬質な鱗といえども、特定の方向から加わる圧力には、案外簡単に剥がれてしまうものなのだ。以前にルークの鱗があまりに綺麗だったため、休憩中に弄くっていたらペリッと一枚めくれてしまったのはいい思い出である。

 ……あれは本気(ガチ)で怒られた。

 なんというか、もう二度と背中には乗せないぐらいの勢いで乗獣拒否されたのだ。

 まあ、ここでその経験が活きてくるとすれば無駄ではなかったといえるだろう。

 ルーク、あとで何か美味いものでも食わせてあげたいよ。

 剣を鱗の隙間へと刺し込み、付着している肉を分断する。

 ギャリギィッ。

 金属が擦れるような音とともに、地面へと高硬度の物体が転がり落ちた。

 ――一枚。

 ――二枚。

 ――三枚。

 ――――まだまだっ!!


 足元へと散乱する鱗は、まるで宝石の緑玉石(エメラルド)を贅沢に地面へ散りばめたかのようだ。

 何枚目かの鱗を剥いだ辺りで、体表の肉が露わになってきた。

 よっし、ここを斬り裂けばベルガ本体にとどく――


「ギ……ぐぅぅうおおおおおおおおおおおおおおっ!! 調子に乗るなっ」


 ……と思ったのに、視力が回復したベルガは勢いよくこちらを睨みつけ、拳を振り払った。咄嗟に攻撃動作を防御へと転じ、剣で受け流そうとするも――


「おも……たっ」


 対象を破壊せんとする力のベクトルを変更することには成功したが、反動で俺の身体は吹っ飛ばされてしまった。数メートル以上も空中浮遊する経験はなかなかできるものではないが、悠長に楽しんでいる場合ではない。

 空中で体勢を整えたあと、両脚で地面をしっかりと掴んで制動をかける。ざりざりと地面を削りながら、ようやく身体が静止した。

 くそっ。もうちょっとだったのに。

 俺が悔しがるのを前にして、ベルガは一言だけ呟く。


「……すまんな」


 は? なにを言っているんだ? この人は。

 謝られるようなことをした覚えはないぞ。


「まだ、お前を甘く見ていたようだ」

「いえ、わりともう限界に近いんですけど」


 なんだか、とっても嫌な予感がする。こういう台詞を吐く敵が次にどんな行動を取るかなんて、決まっているからだ。


「最初から――全力で行くべきだった」

「そういうのやめてください。笑えないですよ」

「笑う余裕がないのは、こちらも同じことだ。光栄に思うといい。我が本気を出すのは――久しぶりだ」


 どうやら、本気じゃなかったというのは真実らしい。

 もう帰っていいですか? と聞きたくなるような展開だが、こういった可能性を全く考えていなかったわけでもない。

 ベルガの《古竜の外殻(ドラゴンズクラスト)》はLv3まで鍛え上げられている。俺のスキル《盗賊の神技(ライオットグラスパー)》はLvが上昇するごとにスキル譲渡といったような特典が付与されるが、ベルガの所持するスキルもLvごとに外殻の形態が変化するのではないかと恐れていたのだ。


 第一段階は身体を硬質化させる。

 第二段階は現在の形態。

 第三段階は――?


 さらなる形態変化に胸が躍らないわけではないが、さすがに今胸がドキドキしているのは緊張によるものだと信じたい。どんだけだよ、俺。


「う……ルぁぁぁぁあああああああああああアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」


 激しい咆哮とともに、ベルガの身体がさらに膨らんでいく。

 尻尾はより長く、太く、頭部の形状も変化して外殻に牙らしきものが覗き始める。両手を地面につき、二足歩行から四足歩行へと変化することで人間型から完全なる竜へと形態を変化させていく。

 このような変身中というのは無防備であるにもかかわらず、なぜか攻撃しないというのが鉄則である。仮にそれでヒーローが悪役を倒したとしても、バッシングされるだけだからだ。


 だけど俺はヒーローじゃない。

 ――そんなこと知ったことではない。


 俺はベルガが唸り出した辺りから疾走し、変化中の相手の身体を踏み台にして上空へと大きく跳躍していた。風魔法の補助も加え、随分と高くまで跳べたと思う。力学的エネルギー保存則に従い、位置エネルギーを全て運動エネルギーに変えてぶつけてやる算段だ。

 俺の身体が十分な位置エネルギーを保有する高さに達し、弧を描くようにして落下を始めた。


「……あった。これだ」


 空中で道具袋から取り出したのは――白魔水晶。

 内部には俺が得意とする六属性を合成した魔法球が込められている。キーワードを念じることで即座に具現化した魔法球を、空中で自らの剣へと馴染ませた。

 狙いは……さっき俺が外殻の鱗を剥がした箇所だ。生命力強化スキルの影響か、かなりの速度で修復が進んでいるようだが、まだ完全ではない。

 変身途中で悪いけど――


「これで、終わりだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ」


 ――《多重属性極剣撃(シンフォニックレイヴ)》!!


 いつもならば全属性を合成した剣波を敵へと放つのだが、今回はそのまま剣撃を対象にぶち込むことにする。俺の全体重と落下エネルギーも全てこの一撃に加えるのだ。


「おおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」


 刀身が肉に喰い込む感触が伝わってくる。ギチリッと剣が軋むのは、馬鹿みたいに分厚い外殻を強引に切り裂いている反動だ。一瞬、剣が折れてしまうのではないかと心配になったが、ここはジグさんを信じるしかない。


「いっけぇぇぇぇぇぇぇっ!!」


 無事に剣を振り抜くことができた感覚に安堵し、俺は勢いよく地面へと転げ落ちた。それと同時に技が命中した箇所が爆発を起こす。全属性が複合された六色の煌きが緑玉石(エメラルド)色の竜鱗にも劣らぬ輝きを放って四散していった。

 高所から落下した後に爆風で飛ばされた俺は、身体の状態を確かめながら足に力を込めてゆっくりと立ち上がる。数箇所が痛むものの、目立った外傷はないようだ。


「やっ……たか……?」


 爆炎の中心に視線を向け、一言。


 ――瞬間、俺の視界が反転した。

 まず横腹に激痛が走り、波紋が広がるように全身の痛覚を司る神経が刺激されていく。

 自分の身に何事が起こったのかを理解する暇もなく、最後には背中に強い衝撃を感じた。


「ガ……ぁ、なに、が……?」


 背後には、壁。

 そして遠く前方には、完全に竜の形態となったベルガの姿があった。極太の鞭のような尻尾を振り抜いた姿勢で固まっているのを確認し、初めて俺は何をされたのかを理解する。

 つまりは、シバかれたのだ。

 爆炎にまぎれて、わずかに油断していた俺の横っ腹を、思いっきり。

 十メートル以上もすっ飛ばされたってわけだ。


「あ……グ、ゲボッほ」


 あれ……? 乾いた地面へちょっと粘性のある赤い液体が零れ落ちていく。

 どこから……?

 あは……ははは。

 なんのことはない。俺からだ。

 触覚が敏感な唇を、生温かい液体が伝う嫌な感触。

 自分の身体にこんな鉄臭い液体が流れているのが嘘みたいに思える。

 やっべぇ……

 ジグさんの防具がなければ本気で死んでた。それでも肋骨が何本か折れてるし、内臓だって損傷してるかもしれない。手足が無事に動くだけでも運が良かったといえるだろう。

 とはいっても、立ち上がろうとすると全身が軋むような痛みを訴える。剣を杖代わりにしようとしたが、自分が剣を所持していないことに気づいた。


「あは……は。これは、本当に、やばいかも」


 今襲ってこられたら対処しようもないが、あちらも俺の全力の一撃で無傷というわけではない。たぶん中身のベルガ本体にもダメージが通ったはずだ。じっとして動かないのは、傷の回復を待っているように見える。

 激しく損傷した外殻が塞がってしまう前に、俺の腕を突っ込んでベルガ本体から元凶となっているスキルを奪ってしまいたいところだが、身体が思うように動かない。


「俺、の……剣は?」


 回復魔法と生命力強化スキルの自己回復によってどうやら歩くことができるようになり、辺りをゆっくりと見回す。


「これ……あんたのでしょ?」


 不意に声を掛けられ、視線を向けると……レイが座り込んでいた。意識を失った彼女を戦闘の巻き添えにならないように場内の端っこへ運んであげたんだっけか。


「気が……ついたんだ? 無事?」


 レイはまだ意識が朦朧としているふうだが、転がっていたであろう俺の剣を拾い上げて握り締めていた。


「少なくとも、今のあんたよりは無事だと思うわ」

「かもね。ところで、その剣。こっちに渡してくれないか?」


 レイとの会話を続けながらも、自分の回復とベルガの様子を窺うことは怠らない。


「一つ、教えて」

「……いいけど」

「なんで、ワタシを助けたの? レンの話でも聞いて情でも湧いた?」


 血塗れの状態の人間に、そんな難しい質問をするのは酷だと思う。


「誰かを助けるのに、理由がいるかい?」

「いるに決まってんでしょう」


 うわぁ……これ結構好きな台詞だったのに。なんてことを。


「自分でも、よくわかんないよ。もういいだろ。あんまり時間に余裕がないんだ」

「答えになってない」


 納得はしていない表情だが、レイは大人しく剣をこちらへと差し出した。


「あんた、あの化物を相手にして勝てると思ってるの? 死ぬわよ」


 化物、か。

 確かにあれは、魔物よりずっと脅威的な存在だ。

 でも……ん?

 あれ……?


「あははっ、ははは……」


 可笑しくなって笑い声を漏らしてしまった俺を、レイは狂人を見るような冷たい視線で貫いてくる。


「いや、もしかするとだけど、俺を心配してくれてるのかな……と」


 あ、これ自分で言ってて少し気持ち悪い。


「はぁ? 今のは忠告よ。むざむざ死ぬのは馬鹿だって言ってんの」

「そっか。でも……忠告ってどうでもいい人にはしないだろ?」

「……」


 血塗れのテンションだからこそ言えることもある。後になって冷静に考えれば、俺はものすごく恥ずかしい言葉を口にしたと後悔するかもしれない。


「たぶん、俺がレイを助けたのも同じようなもんだよ」


 ――しばしの沈黙。


 顔を俯かせている彼女の表情は、こちらからは窺えない。

 さて、会話はここまでにしよう。

 完全には傷は癒えていないが、どうにか剣を振れるぐらいにはなった。


「……気安く名前で呼ぶなって、言ったでしょ」


 ベルガへと駆け出す俺の背中に、そんな声が聞こえたような気がした。

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