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14話【重複衝動】

 トグル地方の特徴の一つとして、太陽の恵みがある。

 言い換えれば日差しが強い土地なのだが、熱砂に囲まれた砂漠というわけではなく、適度な雨量によって緑豊かな環境が保たれているそうだ。

 農作物の生産には向いているかもしれない。


「だから帝国は支配下に置こうとした?」

「すぐ傍に小さな国があって豊かな暮らしをしていたら、欲しくなる気持ちもわからないでもないけどね~」


 レンが飄々とした態度を崩さずに両手を空中でひらひらと上下させる。


「あ、だからトグル出身の人は肌の色がちょっと違うのかな」

「ん? ああ……おたくは確かに肌が薄いね。日差しが強い土地で暮らすに従ってこんなふうになっていったんだろうさ。そういえばレイ姉はもっと肌が白ければ良かったのにとか嘆いてたことがあっ――ハゥッ」


 ふたたびレンが沈黙した。


「黙りな」


 レイが弟を黙らせる工程としては、まず殴る。そんな光景もちょっと見慣れてきたが、レン自身もどこかそれを楽しんでいるようだ。実際笑えないぐらい痛そうだけども、これは姉弟のスキンシップの一つなのかもしれない。

 ……上級者である。

 結局、レンが話を再開するまでに数秒を要した。


 トグルが昔は小さな国だったという話はさっきレイから聞いた。帝国の支配下に置かれてからは、国を治めていた王がトグル地方の領主という地位を与えられ、納めるものを納めてきたというわけだ。帝国に攻められた際に大きな争いに発展しなかったのは不幸中の幸いというやつだろうか。

 争いを好まなかった王は、その後も温厚な領主としてトグル地方を繁栄させるために尽力したという。

 だが、温厚な人間の子孫がみんなして穏やかな性格を引き継ぐとは限らない。なかには過去の帝国の横暴に不満を抱く者もいるだろう。不満はやがて怒りに変わり、怒りの感情は行動を起こす原動力にもなり得る。

 ふたたびトグルを国として独立させようと考えた男は、武器や兵を集め始めたのだ。


「なるほど。腹を立てる気持ちはちょっとわかるよ。暴力に訴えられて土地を奪われたんだもんな」


 ご先祖様が土地を無理やり奪われて、自分の代まで搾取され続けてきたと知ったら……俺はどうするだろうか。短絡的な思考だが帝国を滅ぼそうとするだろう。

 目には目を、歯には歯を。支配には支配を。

 やられたらやり返す。

 ……とまあ、このような考えをしてしまう俺は子供なんだろう。間違っているとは思わないが、そんなことをすれば世の中は争いで満ちてしまう。そこで踏みとどまるのが大人の対応ってやつだ。

 俺はやるけど。


「あはは。そう言ってもらえると、なんだかちょっと嬉しいよ」

「ん? なんでレンが嬉しいんだ?」

「そうだなぁ……戦力を蓄え始めたトグルの領主には、妻と三人の子供がいたんだ。妻は夫の考えに反対でね。冷静になってみれば無謀なことをしようとしてるのは明らかだからさ」

「レン。もうそのぐらいでいいでしょ」


 静観していたレイが弟の話を止めようとする。

 だが、レンのほうは止めるつもりはないようだ。


「三人の子供のうち、娘は母親にベッタリでね。当然ながら母親の味方だったわけ。強引に計画を進めようとする夫に反対して口論する妻の姿っていうのは、娘にとって辛かったんじゃないかな」

「いい加減に――」


 レイが声を荒げそうになった瞬間――またもや見張りの兵士がこちらへと近づいてくる。

 どうやら今度はレイのほうを試合に参加させるようで、重苦しい音とともに開いた格子からレイを連れ出そうとする。


「触らないで。自分で歩けるから」


 肩に触れられていた手を嫌そうに払った姿は、それが自分でなくてよかったと思わされるほどだ。見張りの兵士の心が大丈夫かと心配になる。

 弟の時とは異なり、レイは静かに試合会場へと足を運んでいった。


「――さて、と。止める人がいなくなったわけだけど。まだ聞きたい?」

「まあ……ここまで聞いたらね」


 了解の意を示すように頷いたレンは、鉄格子の向こう側で寝転がる姿勢をとった。


「えっと、どこまで話したっけ。そうそう……残りの息子二人はこれまた性質(たち)が悪くてね。兄のほうは歳が離れてるんだけど、とんだ遊び人でさ。毎日のように飲んで騒いで、女性を口説いてたわけさ。父親のやろうとしてることには無関心。関心があるのはどうすれば狙った女性とお近づきになれるのか。そこに種族の壁なんて存在しない……なんて、ね」


 レンは面白そうに笑っているが、静寂に包まれた牢屋内では不思議と寂しさを伴った声に聞こえる。


「でもまあ、弟にとっては執務に忙しい父親より遊び人の兄のほうが距離が近かったんだよね。色々と面白い遊びも教えてもらえるからさ……そんなわけで弟も父親には無関心になっていきました、とさ」

「家族内では父親の考えに賛同するような人間が周りにいなかったんだな」


 妻には反対されるわで、余計に引っ込みがつかなくなったのかもしれない。


「そそそ。だからさっきは嬉しかったんだよ。父親の気持ちに理解を示して賛同してくれたおたくの言葉がね」


 なんというか、どこから突っ込んでよいものだろうか。


「えーと。途中から明らかに登場人物の私情が入ってたんだけど。つまりはその……話にあった弟はレンってことでいいのかな」

「正解」

「じゃあ、娘っていうのが……レイ?」

「そう。レイ姉だよ」


 ちょっと待った。

 となればこの双子はトグルの領主の子供ということになる。それはつまり小国なれど元々は王族の血筋であるということだ。

 ええええ!?

 じゃあレイって血筋的にはお姫様なの!?


 お姫様とはすなわち、麗しい容姿はもちろんのこと、洗練された言葉遣いに礼儀作法、世俗と切り離されて育てられた深窓の令嬢である。人を疑うことを知らない清らかな瞳、可愛らしいペットを愛でる慈愛に満ちた眼差し。趣味の乗馬で鞭を振るう姿さえも優雅さに溢れていることだろう。

 これは俺の勝手なお姫様に対するイメージであるが、レイと重なる点は容姿が整っていることぐらい……いや、人間に対して鞭を振るう姿は様になっているといえるかもしれない。鞭を操って命令口調だなんて……それはもうお姫様ではなく女王様である。


「ちょいちょい、レイ姉にそれ言ったら殺されると思うよ?」


 しばし脳内で叫んでいた俺に対して、レンが静かに呟く。


「え……どの辺りから声に出てた?」

「レイ姉がお姫様なら、世の中の女性はみんな女神様だって辺りから」


 こいつサラッと俺より酷いこと言いやがった。


「いや、俺そんなこと考えてなかったよ。ってか、それはレンの意見だよね」


 俺の反応が面白かったのか、レンは寝転がった状態から上半身を起こして腹を抱えている。

 それにしても、だ。

 仮に今の話が本当だとすれば、なんで領主の子供であるこいつらがあんな仕事をしていたのだろうか。

 そんな疑問を投げかけると、レンがふたたび身体を横にして応える。


「もう想像つくんじゃないかな?」


 想像、ね。

 娘であるレイが母親にベッタリであるという表現は、幼い子供に使うような言い回しだ。双子の年齢が俺と同い年の十八歳であるからして、先程の話はかなり昔の出来事だと思われる。

 ……となれば、父親の計画は失敗に終わったのだろう。

 トグルは今も独立できていないのだから。


「結局のところ、反乱を企てているのがバレて終わっちゃったんだけどね」

「終わった……て」

「文字通りに、終わりさ。父上と母上はオイラ達の目の前で処刑されたよ」

「そう、なんだ」


 ……ああ、すぐ相手に感情移入しそうになるのは俺の悪い癖だ。

 たとえ辛い過去があったからといって何をしてもいいわけじゃない。


「そんでもって領主の跡継ぎにはリク兄が指名されたんだ。リク兄が放蕩息子なのは有名だったからね。毒にも薬にもならないって考えたんだろうさ」


 ふむ。一族郎党が処刑される事態にはならなかったのか。

 遊び人であるという兄の名前はリク・シャオ。

 現在のトグルを治めている領主はこの人らしい。

 レンとレイについては、無理やり徴兵されるかたちで特務部隊に組み込まれることとなったのだとか。新しく領主となったリクが万が一にも変なことをしないように人質の意味も兼ねていたのかもしれないが、詳細はわからない。

 死ぬほど辛い訓練を経て部隊に配属されてからは、セルディオのもとで任務に就いていたという。


「レイ姉は母上が処刑されたのが一番ショックだったみたいでね。帝国に逆らうべきじゃないっていう母上の言葉通り、部隊では任務を忠実にこなそうとしてたよ」

「ああ、まあ……それはなんとなく前の事件で実感させてもらった。けど普通は帝国のほうを恨みそうなもんだけど」

「……どうだろう。そういうのは本人から聞いたほうが正確だと思うけどね」


 レンは会話に一区切りつけるかのように立ち上がり、衣服の埃を払う仕草をとった。


「さて、これでオイラ達の身の上話は終わりかな。他に聞きたいこととかある?」


 なんだろう。かなり重たい部類の話だったはずなのに、そこまで深刻な雰囲気にならないのはレンが軽い感じで話すからか。


「なんで……反乱の準備をしているのがバレたんだ?」


 そんな質問に、わずかばかりレンの顔色が曇る。


「それはオイラも知りたいね。レイ姉はリク兄が怪しいとか考えてるみたいだけど、オイラにはそう思えないからさ」


 兄と親しかった弟からすれば、そんなふうには考えたくないのだろう。


「最後の質問だけど――なんでこんな話を俺に?」


 レンは試合会場を窺うように小窓のほうに顔を近づけ、一言。


「聞いてほしかったからだよ」

「……答えになってない」


 だが、とぼけているふうにも感じられない。


「あ、ほら。レイ姉の試合が始まるみたいだよ。相手は……なんかローブを纏った男っぽいけど」


 なんだか話を逸らされた気もするが、レンの言葉を受けて格子越しに小窓から会場を窺うと二人の人物が目に映った。

 一人はレイで間違いなく、もう一人は――


◆◆◆


(むかつくむかつくむかつく)

 レイは試合会場に向かう途中、言葉には出さなかったが苛立ちを隠せなかった。

 なぜ弟はあんな男に過去の話をするのか。誰のせいでこんな場所に閉じ込められることになったと思っているのだろう。

 落ち着こうとしても、そういった感情が溢れてくるのだ。

 父親がしようとしていたことも、気持ちはわかるなどと言っていた。

 レイからすれば、最も憎むべきは帝国ではなく父親である。

 妻の制止の声を無視して無謀にも独立など考えるからあのような事態になったのだ。そんな父親を擁護するような発言を無関係の人間に言われると余計に腹が立つ。

 レイは自分が怒っている原因を分析することでなんとか冷静になろうと努めた。


 そういえば……あいつはメルベイルの領主の娘を救出に来た際『自分はやりたいようにやっているだけだ』と言っていた。外見は頼りない感じがするのに、変なところで自信満々な発言をして行動を起こす。さすがに八つ当たりだとわかっているが、そういうところも微妙に父親と重なる部分であり、レイの怒りを増長させていく。


「……やっぱりむかつく」


 試合に臨む前に感情を昂ぶらせるのはあまり褒められたことではない。レイはその言葉を最後にして、兵士から受け取った鞭を手に馴染ませたのだった。




 ――試合の相手はローブを纏っているため、表情が窺えなかった。

 レイは鞭の具合を確かめるように一振りしてから相手へ声を掛ける。


「見ていて暑苦しいのよ。さっさと脱いで観客に顔でも売ったほうがいいんじゃないの?」


 挑発にも似たレイの言葉に反応しない男であったが、一言だけ、


「罪人か。みすぼらしいものだな」

「は、ははは。あんたね……それは女性に使っていい言葉じゃないのよっ」


 ただでさえイラついていたのだ。沸点まで上昇するのは容易い。

 試合開始である鐘の音が響き、レイは鞭を構え直した。

 だが、怒りに任せて突進するほど愚かではない。ローブの下に武器を隠し持っているかもしれないため、距離は十分に確保する。

(……まずは小手調べ)

 レイの周囲に数本の氷柱が形成されていく。尖った先端に貫かれれば人間でさえ昆虫標本のようになるサイズだ。得意とする水魔法を攻撃に転用すればこんな芸当もできる。


「喰らいなっ」


 勢いよく放たれた氷柱は真っ直ぐに相手へと向かっていくが、どれも命中するには至らない。最後の一本も回避されてしまったが、そこで男は体勢を崩した。


「ぬっ……」


 片方の足首に鞭が巻きついているのだ。注意を下方に向けた瞬間、前方より飛来する氷塊が男を襲う。先程の氷柱よりもさらに大型の一撃。

 回避は不可能。


「これなら避けられないでしょ」


 タイミング的には、確実に命中するはずである。

 が、男が腕を大きく振るっただけで氷塊はあっけなく粉々に砕け散ってしまった。空気中に霧散する氷の粒が陽光を反射して消えていく。


「馬鹿力ね。それなら……」


 男が前に進み出ようとするも、今度は足が動かない。

 何が起こったのか? 男が視線をやると、鞭が巻きついていたほうの脚が氷に覆われてしまっていた。鞭を伝ってその先端に水魔法で氷を具現化させたのだろう。


「これでどう?」


 レイの周囲に小さな氷の粒が形成されていく。いうなれば氷の散弾である。全方位から小型の散弾を喰らわせてやれば回避は不可能。


「――みすぼらしい格好にしてあげる」


 呟いたレイは、動けなくなった男へと容赦なく全弾を撃ち込んだ。

 硝子を踏み割るような音が連続的に響き、次々と繰り出される散弾が空気中に粉塵を撒き散らして霧と化していく。

 白霧の中心にいた人物は、まともに攻撃を喰らったとみて間違いない。


「ま、頑丈な身体してるみたいだから死ぬことはないでしょ」


 興味なさげに口にしたレイは、前方に注意をくばりながら考える。


 ――弟の言う通り、こんなところでいつまでも見世物になっているつもりはない。ワタシにはしなければならないことがある。


「リク兄……」


 呟いた言葉が宙空に溶けていくと同時に、何かが白霧から飛び出した。緑風が空気を押しのけるようにして一直線にレイへと駆けていく。

 草原の大地を思わせる鮮やかな緑の髪が風を連想させたのか。

 突き出された腕は両者の距離を一瞬にして無とするかのような速度で獲物を捕らえた。


「ぐ……ぅ……」


 喉元を掴まれたレイは身体が宙に浮く感覚で初めて自分がどのような状態にあるかを自覚した。わずかにしか呼吸できない息苦しさが、鼓動を加速させていく。

 紫紺の瞳で獲物を見据える男は、全くの無傷だった。ローブの切れ端が身体に付着しているところをみると、氷の散弾をまともに喰らったはずである。


「……負けを認めるか?」 


 低い声音が脅すようにレイへと向けられた。圧倒的な暴力を前にして抗える人間は少ない。抵抗すれば即座に命を奪われるだろう重圧が、身体を支配していく。

 薄れていく意識の中、レイはふと思った。

 帝国に無謀な戦争を仕掛けようとした父親は馬鹿だった。結果は見えているのだからと懸命に止めようとする母親を無視した男を、軽蔑していたといってもいい。

 自分が今の状況で取るべき行動は決まっている。負けを認めればいいのだ。

 そこで、レイは自嘲するような笑みを浮かべた。


「何を笑っている?」


 男の問い掛けに、返答の声が短く響く。


「認めるもんか。ばぁ……か」

「……そうか。ならば死して自らが犯した罪を贖うがいい」


 腕の筋肉が膨張すると、一気に締めつける力が強まった。息苦しいどころではなく、肺への酸素の供給が完全に絶たれる。それとは逆に心臓の拍動はさらに速まっていくようだ。

(苦しい……)


 ――この男は本気だ。おそらく次の瞬間には頚椎が砕け折れるだろう。

 闘技場で相手を殺すことが禁止されているといっても、罪人相手ならば厳格に遵守する必要もないからだ。

(白銀桃……美味しかったな)

 こんな状況でよくもそんなことを考えられるものだとレイは自分でも思う。

 味覚というのは時として過去の記憶を想起させる。

 甘い物が好きだった母や自分に、仕事で遠出した際などにお土産を買ってきてくれたのは一体誰だったか……?

(ああ、嫌なこと思い出した。やっぱりあいつ……むかつく)


「――終わりだ」


 男が一言だけ告げ、さらに腕を膨張させようとしたところで、レイの身体が重力に従って落下した。漆黒の軌跡を描く煌きが、男の腕があった場所を通過したからである。

 地面に投げ出されることなく、レイは誰かに抱きとめられた。

 呼吸が可能になったことで霞んでいた視界が次第に鮮明になり、それが誰なのかを理解する。


「は……あんた、なんで?」


 レイの問いにその人物は答えることなく、不服な顔をしている男に視線を送った。


「お前と戦うのはもう少し後だと思っていたのだが?」

「殺すのはルール違反でしょう」

「……お前がしたこともルールを遵守しているとは言い難いがな」

「俺が依頼されたのは、闘技場で目的の人物を倒すことですからね」


 レイが詳しい事情を知っているわけではないが、随分と強引な理論だ。ともすれば子供の我儘のようにも聞こえる。


 そういうところが――


「やっぱり、むか……つ」


 レイはそこで意識を失ったのだった。

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