11話【変人、奇人はご愛嬌】
「――それ、本気で言ってんのかい?」
事情を知っているであろうマグダレーナさんは、ウランさんの意思を確かめるようにゆっくりと問い返した。
それに頷くウランさんの姿を見て、息を吐き出した女将が次に視線を向けた先は……俺である。
「ふう……ウラン、私から話してもいいかい?」
事情が呑み込めずにポカン状態である俺に説明してよいかの判断を投げかけると、ウランさんは小さく首肯した。
――マグダレーナさんの口から語られた内容を要約すると、つまりこんな感じである。
普段から宿の看板娘として人気のあるステラさんには、言い寄ってくる男が大勢いる。
しかし酒場も兼ねているために酒に酔った勢いで惚れた腫れたなどと冗談を言う輩が大半であり、ステラさんも笑顔で対応しつつ華麗なるスルースキルで看板娘としての役割を順調にこなしてきたそうだ。
ここまでは、俺もすでに知っているような内容である。
この前もウランさんが、『たまには客と飲みに行ったらどうだ?』とか言って空気がピリッとしたのは記憶に新しい。
……問題は、冗談ではなくステラさんに猛烈なアタックを敢行する男が現れたということからはじまる。
料理が美味しいという評判に興味を持ったのか、自称大商人を名乗る男が味満ぽんぽこ亭を訪れ、最初こそ大人しくしていたものの……ステラさんを目に留めた瞬間突然立ち上がり――交際を申し込んだそうだ。
慣れたステラさんはいつものように華麗に流そうとしたらしいのだが、どうやら受け流しに失敗したとのこと。詳細は説明しづらいと言葉を濁すマグダレーナさんは、何か疲れたような表情をしていた。
一体どのような人物なのだろうか?
あまりに真剣なアプローチに断りを入れにくかったとか……?
ともかく、その大商人の申し込みに困惑していた彼女だが、ウランさんが何事かと厨房から顔を出したところで助かったとばかりに後ろに隠れたそうだ。
その光景を見て、色々と勘違い(※あまり勘違いでもないと思うが)した男は、ウランさんに二人がどういった関係なのかを問い詰めた。
ここで彼が嘘でもいいから二人は恋人同士であり、お前が入り込む余地などないという言葉を返せる性格であれば、とっくにそれが本当のこととなっていただろう。
そうであれば俺も素直に爆発しろ(※おめでとうございます)という言葉を二人に贈らせていただいていたのだが、残念ながらウランさんは良い意味で不器用な人間であった。
『他のお客様のご迷惑になりますので』
という言葉だけ述べて、厨房に戻ろうとしたのだ。
勘違いしたままの男は、そんな冷静な言葉にますますヒートアップしたのか、ウランさんに結構な暴言を吐いたらしい。
『所詮はただの雇われ料理人』
とか、
『このような美しい女性は相応しくない』
などなど。
それでも、ウランさんは特に何かを言い返すわけでもなく黙っていたとのこと。
ウランさんの対応にしばらく興奮しっぱなしだった男は、突然何かを思いついたように奇声を上げ、店を出て行ったきり戻ってきていないらしい。
一方、ステラさんは男の暴言に腹を立てていたのか、やや興奮気味に『なんで何も言い返さないの?』とウランさんに質問したらしく――
「――そもそも勘違いして騒いでるだけなんだから、相手にしなくともいいだろう。それにもしステラが豊かな生活をしたいなら、ああいった男も悪くないんじゃないか……」
「……と言っちゃったわけですね」
酔った客に給仕をしつつも話に割って入るように言葉を発したウランさんへ、俺は相槌を打つ。
お金に困らない豊かな暮らしというのは、確かに一般的な女性の望むところであるのかもしれないし、もしかするとウランさんの前で冗談っぽく口にしていたのかもしれない。
だからといって、そのタイミングで言うことじゃないとは思う。
勿論、ウランさんが本心からそのような言葉を口にしたとは思わないが、彼自身少し苛立っていた感情をステラさんにぶつけてしまったといったところか。
まだまだ若いな……いや、俺が言えたものじゃないけども。
さて、そのような発言を受けたステラさんがどのような行動を取ったのか、今この場に彼女が居ないことを踏まえると想像するに易い。
微笑みながら怒るという高等技術を有している彼女だが、ついにネクストステージに……まあ、泣きながら怒るという段階に進んだのだろう。そうして給仕ができる状態ではなくなったステラさんは早めに店をあがった……といった具合か。
まさか俺が剣の素振りをして訓練に勤しんでいる間に、このようなドラマが展開されていたとは。
しかしながら、この経緯でウランさんが何故この店を辞めるといった発言をするに至ったのだろうか?
「どのみちいつかは自分の店を開くつもりでしたからね。あの商人の言葉は、良い切っ掛けだったかもしれません」
……そういうことか。
冷静に男の暴言を流していたウランさんだが、雇われ料理人とか言われて地味に傷ついていたのかもしれない。男のプライドというやつだろう。
やや短絡的にも思えるが、店を持つために修行中であると前から聞いていた俺からすれば、納得できる話である。
それにしても……この件について俺に何かできることはなさそうだ。
ウランさんとステラさんについては、痴話喧嘩の延長であるといっても問題ない。近いうちに仲直りする姿が簡単に目に浮かんでしまうからだ。
そしてウランさんが本気で店を開こうと思うのなら、こちらも止めるつもりはない。
本当に話を聞くだけとなってしまったが、どうやら俺の出番はないと思われる。
――そう考えていた矢先、味満ぽんぽこ亭の玄関扉を押し開ける音が響いた。
視線を向けた先には、微かに目元を腫らしたステラさんの姿。
いつもは桃色の髪をお団子状にしてエプロンを着用しているのだが、髪を下ろした状態で普段着というのはなかなかにレアである。
うむぅ……看板娘として人気があるというのも頷ける話だ。
「あの、女将さん。今日は無理を言ってすみませんでした」
まずは素直にマグダレーナさんに謝罪の言葉を述べるステラさん。
「あんたのほうは落ち着いたみたいだね」
「わたし、は……? 何かあったんですか?」
――少しばかり気まずそうにウランさんへと視線を向けたステラさんが、事情をマグダレーナさんから聞いてふたたび顔を曇らせた。
「わたしの……せい?」
「いや、元々そういうつもりだったんだ。ステラが気にすることはない」
「でもっ」
お、おう。なんというか部外者が首を突っ込めない雰囲気になってまいりました。
「しかしまあ、その、なんだ。もし店が順調にいけば……」
「……なによ?」
煮えきらない言葉尻に疑問の表情を浮かべるステラさん。
言いにくそうにしているが、一体ウランさんは何を言おうとしているのか、これ以上爆弾を投下するような発言はやめ――
「――順調にいけば……ステラにはおれの店で働いてもらえたら……嬉しい」
……なん、だと?
ま、まさか。
ずっと前にウランさんが冗談っぽく口にしていたことは……フラグだったのか。
しかもこのタイミングで、だと!?
強面の男が気恥ずかしそうにポリポリと頭を掻きながら、相手の返事を待っているではないか。
くそっ……俺がもし女性だったなら、完全に『ズギュゥゥゥン!!』である。
改めて確認するまでもなくステラさんの頬は桃色の髪よりも真っ赤に染まっており、わずかに返事をするのに戸惑っていたようだが、しばらくして小さく頷く仕草を見せたのだった。
……うん。さっきは爆弾を投下してはいけないと思っていたが、間違いだったようだ。
爆発してよろしい。
というか近いうちに仲直りするだろうと予想してたけど、近すぎるだろうよ。
もうちょっと時間を空けようっ! ……いや別にいいんだけども。
なんだろう。何故か俺がちょっと虚しくなってきた。あ、涙出そう。
「……なんだい。結局二人ともここを辞めちまうことになるってのかい? 全く、こっちはいい迷惑だよ」
両手を広げ、呆れるような仕草で二人に声を掛けるマグダレーナさんだが、表情は優しいままである。この人なりに新たな門出を祝福しているのだろう。
なんだかんだでハッピーエンド。
……誰かを忘れている気がしないでもないが、これで一段落といったところか。
疲れたし、今日はもう眠ってしまいたい。
そうして欠伸を噛み殺しながらその場を後にしようとしたところで――
「ちょっっっっっっっっと待ったぁぁぁぁっ!!」
扉が強く開かれる音と、男性の大きな声が俺の鼓膜に響いたのであった。
◆◆◆
華美に過ぎるという言葉はとても良い表現だと思う。
大事な商談の際にみすぼらしい衣服を纏っていれば、それだけで信用を失うことに成り兼ねない。それなりに身綺麗にしておくことは必要だ。まして商人であれば華美な衣服を纏うことで景気が良いというアピールにもなり、商談に良い影響を与えるだろう。
しかし、何事も過ぎてはいけないと思うのだ。
俺の視界に収まっている商人風の男は、まさに華美に過ぎるゴテゴテとした衣服を身に纏い、鼻息を荒くしてこちらを……いや、ステラさんへ視線を送っていた。
おそらく、この男が先程の話にあった自称大商人なのだろう。
何をしに行っていたのか知らないが、ウランさんとステラさんの間にはもはや入り込む余地はないと思う。
悲しいけどこれ現実なのよね。
「ステラさんっ!! 私達の愛の前に障害があるというのなら、それを取り除くべく全力を尽くすのが男としての務めっ。あなたは脅されているのでしょう? その男にっ」
人様を指で差してはいけないという言葉に真正面から喧嘩を売る勢いでウランさんに指を突きつけた男は、自信満々にそう言い放った。
「そのような恐ろしい顔で迫られたら、か弱き女性が抵抗することは至極困難であるのは明白っ! そうして付き合うことを強要されたという事実を私が見抜けないとでも思っているのですか!?」
……えーと。ちょっと待ってほしい。
ちょっと話がみえないぞ。
「ですが安心してくださいっ。私はあなたを野獣の手から救うべく相応しい方法を見つけてきたのです。さあっ、もう何も心配はいりません。この胸に飛び込んでおいでマイハニィィッ!!」
「あの……先程も言いましたが、わたしはあなたと交際するつもりはありませんよ?」
「照れるあなたも最高に可愛いのは認めましょう。がしかし、もはや二人の愛を隔てる壁はあまりに薄く脆く、私のあなたへの愛で溶け落ちてしまうことでしょう」
ビシィッ! という擬音が空中に浮かびそうなポーズで言葉を紡ぐ男の表情は、自らに酔ったかのように恍惚としている。
あ、なるほど。
わかった。
これ、本気でダメなやつだ。
猛烈なアタックにステラさんが受け流しに失敗したと言っていたが、こんなものを流したらトイレが詰まってしまいそうである。
人の話を聞かずに一方的に喋り続けている男であるが、ステラさんも負けずに言葉を差し込んでいった。
「でも、わたしがあなたと会ったのは今日が初めてでしょう? よくよく考えればあなたのお名前も歳も知りませんし」
「これは失礼。確かに将来妻となる女性が夫の名前も知らぬのはおかしな話ですね。私はガリーブ・アルアトワールと申します。歳は二十八歳。年上の包容力というものも魅力の一つだとは思いませんか?」
「八つも年上なんですね。ちなみに包容力に歳は関係ないと思いますよ」
「なるほどっ! つまりは恋愛に歳の差は関係ないということですね。私もそう思います」
す、すごい。
どこまでもポジティブでありつつ、自分に都合の良いほうに相手が言っていることを捻じ曲げていく変換力の高さ。
こいつはぁ……本物だ。
「さあっ! そこの野獣からあなたを解き放ち、二人の愛の楽園を今こそ築こうではありませんかっ」
さすがのステラさんも辟易したという表情が漏れ出そうになっているが、なんとか会話を続けていく。
「あの、解き放つって……具体的に言いますと?」
「勿論、決闘ですよ。この王都には闘技場なるものがありますでしょう。愛する者を守るべく闘いに身を投じるのは古来より不変の理かと」
「失礼ですが、ガリーブさんはあまり争い事に長けているようには見えませんが……」
ステラさんの言う通り、中肉中背ともいえる体格のガリーブさんは確かに戦闘面に秀でているとは思えない。《盗賊の眼》で覗いてみても戦闘用スキルは……所持していないな。
ん……? もう疲れて眠くなってきているためか、ちょっと目が霞む。早く寝たいよ。
「自らの代わりとなる強者を用意できるかどうかというのは、類まれなる財力や人望が成せる業です。それすなわち強さと同義であるといえるでしょう」
「は、はあ」
えーと、つまり代理選手を出場させるから、そいつが勝ったら自分が勝ったのと同じようなものだと言いたいのだろうか。
さすがにこれについてはウランさんも黙っていなかった。
「決闘とはまた、穏やかじゃないですね。ステラがどうするかは自分で決めることだと思いますし、おれもこれから忙しくなりそうなので、そういったことは遠慮させてもらいます」
「そうですよ。わたしはウランが新しく開く店で働くことに決めたんです。いきなりそんなことを言われてもちょっと……」
お、おう。
もし俺がガリーブさんの立場であれば、今の二人の言葉で心が折れるだろう。
「なるほど。そこの男が新たに経営する店に無理やり連れていかれ、働かされるということですね。安心してください。そんなことは絶対にさせません。私の全財力をもって阻止しましょう」
これが……本物ってやつか。
クロ子戻ってきてくれ。
ここに本物がいたよ。
「な……なにを言ってるんですか、あなたは」
やや怒気を孕んだ声でウランさんが言い返す。
「はっはっは。もしそれが困るようであれば大人しく私の挑戦を受けるといい。私が勝ったなら、今後は二度とステラさんに近づかないと約束してから、ね」
勝てばステラさんと付き合うとか言いだすかと思ったのだが、意外にも良心的である。
ウランさんがいなくなれば本当に自分の胸に飛び込んできてくれると思っているのだろうか。
こ・わ・い。
「勿論そちらも代理の選手を用意するのは自由だよ。まあ、身近に腕の立つ者がいれば……の話だけどね。返事は明日、闘技場の前で聞こうじゃないか。愛の前には全てが無力なのだと思い知らせてあげようっ」
そうして言いたいことだけを述べたガリーブさんは、勢いよく宿を出て行ったのだった。
――しばしの沈黙。
ウランさんはさすがに疲れたのか、食堂にある椅子に腰を下ろして座り込んでしまった。
「なん、なんだ? あの人は……」
変人です。
と言いたいところだが、実際にちょっと困った事態である。
挑戦を受けなければ、ウランさんの店に悪質な営業妨害を仕掛けてくる可能性が非常に高い。
とはいっても、平和な料理人にとって身近に決闘の代理ができるような人間が都合良くいるとも思えない。
しかも期日は明日なのである。
「ふぁ!?」
突然、掌で包み込むようにして俺の手を掴んできたのはステラさんだった。ウェーブのかかった髪がふわりと揺れ、ほのかに甘い香りが鼻腔を撫でていく。
「――セイジさんっ。お願いがあります」
その真剣な眼差しが言わんとすることは、正直すぐに理解できてしまう。
彼女の中では高価な騎獣を従えた凄腕冒険者。
そんな人物が、目の前にいるのだから。
「……ボッコボコにしてください」
看板娘が口にするような言葉ではないが、気持ちはわからないでもない。
もしこの依頼を受けるとすれば、報酬はウランさんの店のフルコースを食べ放題とかでどうだろう。
それだと、こちらのモチベーションも高まるというものだ。