18話【小さな勇気】
――夜、ラナ村の孤児院にて黒ずくめの男達の会話が静かに響く。
「……まあ、セルディオ隊長にしては判断が甘いような気がしないでもないけどな」
「だろ? ここの奴らは全員始末しとくべきじゃないのか」
「おいおい勝手な行動は慎めよ。抵抗した場合はやむを得ないが、基本的には現状維持だぞ」
「ああ……分かってるさ」
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起床したロイやミニィ達はいつも通りにサトウキビ畑へ働きに出かけた。孤児院を襲った集団は大人しくしていれば手を出すということはない。ここ数日は言われたように普段通りの生活を送っていた。
今朝はどういう理由か黒ずくめの集団の多くが姿を消していたものの、二人は見張りとして残ったようである。
――子供達は夕刻前まで収穫作業を手伝い、農家から賃金を受け取る。
「それじゃ、また明日も頼むよ」
ミニィがわずかな賃金を手に、村外れにある孤児院までの道をトコトコと歩いて行く。
そこへ、ミニィを待っていたであろう男の子――ロイが声を掛けた。
「おつかれ」
「うん。他のみんなは?」
「こっちの作業は終わったから、先に戻った」
「そっか。あの……このあいだの傷はもう平気なの?」
孤児院がセルディオらに襲撃された際、反抗したロイが痛めつけられることとなってしまったが、幸い骨などには異常は無かった。
「まだちょっと痛むけど大丈夫。でも、あれは情けなかったなぁ……あんまり思い出したくないや」
「そんなこと……ないよ。だって相手は大人で悪い人達だもん。あたしなんて震えてるだけだったし……」
「そりゃあミニィは女の子だもんな。おれは……これでも少し身体を鍛えてるつもりだったんだ。ほら、孤児って基本的にみんな貧乏じゃんか。だからさ、大人になったら冒険者になってお金を一杯稼ごうと思ってた。時間のあるときに秘密の特訓ってやつをしてたのに、あんな様で……しかも――……ィの目の前……」
そこまで言って、ロイがやや緊張した面持ちで口を開く。
「どうしたの?」
「いや……ミニィは将来どうするつもりだ? なんかやりたいこととかあるのか?」
「あたしはそんなの全然わかんないけど、お世話になった人達に恩返しできればいいなって思うかなぁ」
「そっか。そうだよな……おれもお金を稼げたら孤児院に寄付しないと。はは……あのさ、ミニィがもし良かったらおれがこの村を出る時――」
ロイの言葉が――そこで中断させられた。
孤児院へと続く道の途中、会いたくもない人影が目に留まったからだ。
黒ずくめで顔を隠した男――孤児院を襲撃した集団の一人である。ロイは反射的に身構えてミニィを自分の身体の後ろへと隠した。
「なんの用だよ。おれたちは別に変なことはしてないぞ。あんた達が言ってたように普段通りの生活をしてるだけだ。誰にも助けを求めたりもしてない」
「そりゃあ結構。だけどな……残念ながらお前達はどのみち最後には殺されるんだ」
ロイは背筋に伝う嫌な感触を押し込め、声を上げた。
「ど、どういうことだよ!? おれたちはちゃんと……」
「そう。そうだよなぁ。それじゃあんまりに可哀想だ。だから僕は考えた。お前ら――今から助けを呼びに行くんだ」
「なに言ってんだよ。そんなことしたら……皆が」
「見てない振りをしてやるって言ってるんだ。いいか……これはお前達が助かる唯一の方法なんだ。早く行けよ」
ロイとミニィが顔を見合わせ、互いに頷く。
二人は踵を返し、歩いて来た道を戻るように駆け出した。
小さな身体を必死に動かす二人――その様子を黙して見ていた男が微かに嗤い声を漏らす。
布で隠されているはずの表情が、透けて視えるような愉悦に浸った声。
「セルディオ隊長に反抗した生意気なガキが今度は逃亡……やむなく始末ってとこか。連帯責任で全員まとめて処分できれば最高だなぁ……くひ、ひゃはっはっはっは!!」
男は腰の革紐に吊り下げている無数のナイフから一本を抜き取る。
「逃げろ逃げろ。獲物は動き回ってないと狩る気が起きない。狩人の血が騒ぐってもんだ」
「――ねえ、助けを呼ぶっていってもどうするの?」
「見張りはあいつの他にもう一人いるんだ。村の大人達じゃ危ないよ。近くの街の冒険者ギルドか警備隊に連絡してもらえるよう――……危ないッ!」
ロイが横を走っているミニィを突き飛ばした。
後方から投擲されたナイフがロイの腕に食い込み、地面へと赤い斑点が飛び散る。
「痛っぅ……どういうことだよ、これは」
暗闇が支配しつつある空間から、ゆらりと姿を現したのは先程の男だ。
「いいねぇ。思ったよりも動きが良い。ひょっとしたら将来有望だったのかもな」
「くそっ……最初っから、おれたちを逃がす気なんか無かったってことかよ」
「物分かりも良くて何より。ご褒美にお前を殺すのは後にしてやろう。まずはそっちにいるガキを切り刻んでから――」
そんな言葉に、ロイは腕の痛みを一瞬忘れた。
白濁するように熱せられた感情の方向性はただ一つ。
――怒りだ。
「うああああああああああああああああああああああああっっ」
叫び声とともに目の前にいた男の両膝裏へとしがみつき、後ろへと押し倒すようにして全力で体当たりした。
相手が油断していたということもある。が、これは体格で遥かに劣るロイの最善の一手。
バランスを崩した男が倒れるのと同時に、ロイが力の限り叫んだ。
「ミニィだけでも逃げろっ!」
「でも……」
「いいから早くっ!」
ともに育った少年の、初めて聞くような大声。
その声を受けて、ミニィは顔をくしゃくしゃにして駆け出した。
しっかりしているようでもミニィはまだ十歳にも満たない少女である。
何度も手の甲で目元を拭うが、視界がぼやける。
助けを求めようとするも声が上手く出せない。
口を開けば震えた泣き声しか出てこないだろう。
そもそも、誰に助けを求めれば良いのか。
このような小さな村に冒険者ギルドというものは存在しないし、警備の兵だっていない。
村の大人達に街へ助けを呼びに行ってもらう? きっとその間に孤児院の皆は全員殺されてしまう。それにロイはもう……
どうしようもない絶望感を胸に、ミニィは足をもつれさせて地面へと倒れこんだ。
直ぐに起き上がって助けを……と思うのだが、身体の内側から強制的に漏れ出てくる嗚咽が邪魔をする。
「う……ぇぇぇぇぇぇん……ロイが……みんなが……やだよ、だれか……だれかたすけてよぉぉ」
「――その、大丈夫?」
泣き叫ぶ自分の声に返事があったことで、ミニィは土と涙で汚れた顔を勢いよく上げる。
涙を含んだ瞳のせいで相手の顔はぼやけてしまっているが、とても優しそうな声。
丈の長いローブに身を包んでいるが、内側には防具を装着し、腰には剣も携えている。
ぼう……険者、だろうか?
何かの依頼でこの村を訪れた……?
そう考えたミニィは、わずかな希望とともに掌を相手に突き出した。
そこには――今日の収穫の手伝いで得た銅貨数枚が握られている。
「おねがいします。足りない分はあとできっと……だから、みんなをたすけてっ……!」
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――ロイは倒れ込んだ相手へと拳を振り上げた。
しかし、腹部を蹴り飛ばされて地面へと無様に転がされてしまう。
軽すぎる自らの体重を恨めしく思いつつ、相手を見やった。
「やってくれるじゃないか。直ぐに殺してしまうのが勿体無いぐらいだ……なっ!」
「う……ぐ!」
ロイの腕に刺さっていたナイフが無造作に引き抜かれ、血飛沫が舞った。
「そうだ……お前は僕のペットの餌にしてやるよ。あいつもきっと喜ぶ」
「な、なに言って……」
ヒュッ、と空気を裂いて振り下ろされた凶器をすんでのところで躱す。
「あんまり動くなよ。ちゃんと血抜きしないと肉が生臭くなるからな……身体中、切り刻んでやる。ひゃははっ」
一撃、二撃……繰り出される凶器がロイの肌を斬り裂いていく。
おそらくは玩んでいるのだろう。
殺そうと思えば直ぐに可能なはずなのに、必死に避けるロイの姿を見て楽しんでいるのかもしれない。
それでも……着実にロイの身体から力が失われていく。
身体が重くなり、思考も途切れがち。
血を流し過ぎたのだ。
「さぁて、これぐらいで終わりにするか。逃げたガキも始末しないといけないからな」
ロイは朦朧とする意識の中、眼前の男が振り下ろそうとするナイフを見つめる。
ああ……おれ、こんなところで死ぬんだ。
結局――何も守れなかった。
ミニィ……ごめんな。
――固く目を閉じたロイの頬に、生温かい液体がビシャリとかかった。
指で拭うと、ヌルリとしている。
何が起こったのか……? ロイが目を開けるのと、黒ずくめの男が叫び声を上げるのは奇しくもほぼ同時だった。
「ぎゃあああああああああああああああああああああああっ! ぼ、僕の腕が、腕がぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
その場に存在するのは、三人。
ナイフを持っていた右手首より先が無くなっている黒ずくめの男。
それを茫然と見やるロイ。
そして――両者の間に立っているローブに身を包んだ男性である。
その手には、やや湾曲した漆黒の刀身に紅の斑模様が細工された剣が握られている。
人の血に染まっているというのに、それはどこか美しくさえあった。
「いい大人が幼女泣かして喜んでんじゃないよ。今回の依頼報酬はプライスレス――あの子の笑顔だ、下種野郎」