15話【残響】
俺は途切れそうになる意識をなんとか繋ぎ止め、床へと崩れ落ちてしまった自分の身体を起き上がらせようとする。
だが、重力が多方向から押し寄せてくるような吐き気すら覚える浮遊感に脳が支配され、それもままならない。
ロギンスさんが、この怪しい奴らの仲間だったってことか?
……そんな、馬鹿な。
まだ平和ボケした感覚が残っているとは思うが、俺の眼はそんなに節穴じゃない。マリータに対するロギンスさんの優しさ、そんなロギンスさんを信頼するマリータ。二人の関係は決して偽物ではなかったはずだ。
それは知り合ってから日が浅い俺に分かるほど、暖かく居心地の良い間柄に思えた。
あれらが全てが演技だったとは思えない……思いたくない。
「……何故こいつらは眠っていない。せっかく薬を用意してやったのに」
最後に部屋へと入ってきた大柄な男が覆面越しにそんな言葉を吐く。
「……何事にもイレギュラーは存在するものです」
「あんたにしては珍しく手際が悪いな」
「あなたは相変わらずですね……セルディオ」
「この件が片付いた後に元の生活へ戻れるよう配慮してやったつもりだったんだが。こうなるともう無理だな」
セルディオと呼ばれた男が両手を広げるようにして息を吐く。
「そのような配慮は不要だったのですが。どのみち私にはここに仕える資格など……そう、最初からそのようなものは無かったのです」
ロギンスさん……?
「ろ、ロギンス!? 一体これはどういうことなのか、説明しなさいっ」
「マリータ様……申し訳ありません」
「なにを……なに謝ってるのよっ! そんな言葉が聞きたいわけじゃないわっ」
頭を振って目の前の現実を否定するかのように、マリータが叫んだ。
俺だって状況は分からないが、幼い頃から世話になったマリータにしてみれば衝撃はかなりのものだろう。ドレスの裾から覗く小さく細い脚が小刻みに震えている。
「マリータ! 走ってっ」
そんな中、声を上げたのは――リムだ。
マリータの手を引っ張り、なんとか部屋の外へ逃がそうと駆けだす。
俺が負傷させた女はまだ回復しきっておらず、相方の男も剣を一本しか持っていない。通り抜けられるとすればそこだと判断したのか――
柔軟な身体を目一杯に駆使し、軽く宙に浮いた状態からの回し蹴りが放たれる。女はすぐさま回避行動を取ったが、蹴りが側頭部を掠めたために体勢を崩した。
「こんの……っ」
傍にいる男が怒りに任せて剣を振り払う。リムはそれを手甲で滑らせるように軌道を逸らし、相手の顎を掌底で突き上げる。
「っ痛……隊長っ!」
そのままこじ開けた空間を疾走するも、大柄な男――セルディオが扉の前に回り込んだ。
「そこ……どいてっ!」
リムは獣人の身体能力を活かした前蹴りを繰りだすが、相手はそれを紙一重で躱す。
蹴り上げた踵を振り下ろす一撃さえも腕を交差することでガードされてしまった。
次の瞬間――リムの軸足となっている左足が相手の足払いによって刈り取られ、受け身すら取れずに床へと倒されてしまう。
「生意気だな。小娘がっ……!」
「――いぐ……っ……ぁ」
――倒れているリムの腹部へと、容赦なく拳が叩きつけられた。
口からゴポリと吐き出された血液が床に敷かれた絨毯を赤黒く染め上げていく。
「何をやっているお前らは。こんなケモノ相手に醜態をさらしおって」
「ま、マリータ……逃げ――」
友達へと伸ばそうとした小刻みに震えるリムの手が、さらに頭を蹴りつけられることでパタリと床に落ちた。意識を失ったのか……動く様子はない。
ふっ、ざ……けんな、よ。
「……あんたの剣、ちょっと貸しなさいよ」
「……ぇ? どうすんの」
声を荒げた女が男から剣を奪い取り、倒れているリムへと歩み寄って行く。
ま……てよ。なにする気だ。
俺は焦燥感とともに、転がっている自分の剣へとなんとか手を伸ばす。
――女がリムの真上で剣を構えた。
「こいつ、よくもっ……」
「やめ――」
這いながら叫んだ俺の制止は意味を成さなかったが、女の剣は振り下ろされることなく確かに止まっていた。
「無意味に人を殺すなと……あなたは教わっていないのですか……?」
「……隊長からは、必要な場合は殺せと教えられました。ワタシがスッキリするためには殺す必要があるんですけどね」
女の視線が、腕を押さえつけているロギンスさんと交錯する。
「――やめておけ」
「……」
女はセルディオの声に従って振り上げていた剣を大人しく下ろした。
セルディオとやらが奴らの隊長……なのだろうか?
ロギンスさんは……他の三人とは少しばかり異なる立ち位置のような気がする。今の行動にしても、俺達を殺すことは極力避けようとしてる……?
よく分からない……
「――下がりなさいっ」
室内に響いたのは――マリータの声である。
首に提げているペンダントに埋め込まれた白魔水晶を前にして、侵入者へと声を上げたのだった。
張り詰めた表情をするマリータに、ゆっくりと近づいて行くのもまたロギンスさんである。
「マリータ様。それをこちらへお渡し下さい」
「い、嫌よっ! 下がりなさいっ、ロギンス……ほ、本気なんだから」
「……あなたに殺されるのなら、構いません」
「やめて……ぃや……」
――涙で顔をクシャクシャにしながら、マリータは結局白魔水晶を発動させることなく奪われてしまった。つい先程まで信頼していた執事に、少女であるマリータが躊躇ってしまう気持ちは理解できる。
理解できないのは――
「よし……連れて行け」
「い、やだぁっ! ……こわいょっ……助けて――セイジっ、リムっ……ロギンスっ……なんで……なんでこんなこと……」
「待て、よ……」
マリータがあんなに泣き叫んでる。
リムは酷く殴りつけられて意識を失ったままだ。
ホントに……ふざけんなってんだ。
剣を床に突き立て、俺は身体を強引に起き上がらせた。
「マリータを離せよっ……!」
「随分と頑丈な奴だな。構うことはない、お前達はさっさとそいつを連れていけ。騒がないように眠らせて運び込むんだ」
二人の部下はそれに頷いてマリータを引っ張っていく。
それを追いかけようとするも、セルディオとロギンスさんが邪魔するように立ちはだかった。
「ロギンスさん……なんでこんなことするんですか?」
――理解できないのは、ロギンスさんの方だ。
「セイジさんは本当に真っすぐで――優しい方ですね。このような状況においてもまだ私に剣を向ける理由を探そうとしてくれている」
逡巡するようにした後、ロギンスさんが何かを言おうとしたが――
「さっさとこいつを黙らせるぞ。時間の無駄だ」
「……そうですね」
セルディオの言葉に遮られ、会話が中断させられてしまった。
今の俺に躊躇っている余裕なんてない。全力で、それこそ相手を殺すつもりでかからなければいけないのに――
俺は剣を握りしめ、まだ焦点の定まらない視界に映る相手へと吼える。
「ぅ……おおおおおおおっ!」
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――――
――
「――……これはマリータ様が無事に戻られた際、セイジさんから返してあげてください」
俺が意識を失う寸前に聞こえたのはそんな言葉で、随分と暗く横長になった視界の端に光って見えたのは――虹色に煌めく白魔水晶があしらわれたマリータのペンダントだった。