12話【小さな告白】
「――あたしも……?」
首を傾げる仕草を取ることで、リムの猫耳がフワリと揺れる。
その姿は既に身支度を整えているように見えるが、ベッドで就寝中のアーノルドさんは寝巻姿で横になっている状態だ。
――俺は試験合格後に一度満腹オヤジ亭に戻り、リム達が泊まっている部屋を訪れていた。
マリータから領主館へ来るように言われたことを伝えるためである。
ちなみにアーノルドさんがまだ寝ている件について、大酒を食らってこのような姿を晒しているわけではない。
この前の酒の席で、まだ時々リムが夜にうなされるため傍についてやっているのだと漏らしていた。
きっと、今日も朝方まで寝ずに傍にいてあげたんでしょ? 大丈夫……俺は分かってますから。
「ぐおぉぉっ……ぐがぁぁぁ……――」
「………」
……さて、リムを勝手に連れて行くわけにもいかないが、起こすのは可哀想だろう。
結局、一階にいたフロワさんに伝言をお願いして俺達は領主館へと足を運んだ。
街中でもルークに乗って移動することは可能だが、人通りが多くて速度を出せないので徒歩で向かうことにする。
「――間近で見ると、やっぱ立派だな~」
「綺麗だね」
街の中央付近に建てられている領主館は白を基調とした造りになっており、宮殿にあるような白亜の柱がいくつも見受けられる門構えとなっている。
玄関となる大扉の両脇には衛兵の姿もあり、やや緊張した面持ちで近づいていくと当たり前のように呼び止められた。
マリータの名前を出すと、衛兵の一人が確認のために館に引っ込んでいく。
待つことしばし……顔を見せたのはいつぞやの執事――ロギンスさんだった。
「どうぞ中へ」
案内に従って、俺達は館の中を進んでいく。
ってか、やっぱり領主様の住んでる家って凄いですね。
床は磨き上げられた大理石……? の上に絨毯が敷かれ、廊下には間隔を空けて一目で高価だと分かる絵画、綺麗な細工が施された置物などが見受けられる。
仮に土魔法で大理石を切り出し、置物を数点持ち帰ったら幾らになるだろうか……などと不謹慎なことは思い浮かべられないほどに見事な空間である。
館の内部も衛兵が巡回しているところを見ると、かなり警備に力を入れているようだ。
辿り着いた扉の傍に立っていた者にロギンスさんが挨拶をし、部屋の中へ。
……俺はマリータのことをフランス人形が生きて動いていると表現したが、この部屋を彩る調度品や家具の数々は美しい人形に合わせたかのような品の良い物ばかりだ。
天蓋付きベッドの薄い桃色カーテンが、開け放たれた窓からの風でふわりと揺れ動く。
風が吹いた窓の方を見やると、落ち着いたブラウン色の机の前でちょこんと椅子に座り、何かの書物を読んでいる少女の姿を視界に捉えた。
「――あら、思ったよりも早かったわね。確か試験を受けている最中だと聞いたんだけど」
マリータは読んでいる本を閉じ、こちらを振り返ってそんなことを言う。
「ええ、試験が終わってから来たんです」
「……もしかして、落ちたの?」
「確かに今回は早く終わりましたけど、ちゃんと受かりましたよ? まだランクはC-ですけどね」
「へぇ、おめでとう。ところで……なんで今日呼ばれたのかわかるかしら」
分かっているつもり……ではある。
なにせ、マリータの胸の辺りに見覚えのある虹色を宿したペンダントがかけられているのだから。
ああ……何日か空いたのは、これが宝飾品として仕上がったタイミングで発動の文言を聞けばいいと思っていたんだろう。
「じゃあ……教えてもらえるかしら? 私はこの綺麗な虹色を気に入ってるから別にいいんだけど」
「マリータ様、それでは護身用になりません」
「……わかってるわよ」
これについては完全に俺のうっかりであるため、素直に発動の文言を伝えることにする。
非常に気恥かしいのだが、魔法が存在するこの世界においてこういった恥じらいを持つのは俺だけなんだろうか?
「別に変じゃないわよ? シンフォ――――」
「言わなくていいですっ」
「……口に出しても発動するわけじゃないのよ? 発動させようと念じない限り」
「や、そういう意味ではなく」
俺はマリータが口にしかけていた言葉を強引に遮る。
「えっと、この魔法は一体なんなの?」
「俺は……元魔法を扱えるので、それを利用した攻撃魔法と思ってもらえれば」
途端、それを聞いた二人は絶句――というわけにはならず「なるほどっ……」と頷いた。
あれ……? 思ったより反応が薄い。
もうちょっと何かあっても良いのではないでしょうか。
「いえ、驚いておりますよ。元魔法を扱える者は非常に少なく、魔法の素養も持つ者の中でも極稀にしか存在しないとされていますからね。ただ、元魔法は他の魔法に比べて上達に時間がかかるため属性を複合させることで工夫すると聞いたことがあります。なるほどこれが……」
俺がショボンとしているのを気にしたのか、ロギンスさんがそのようなフォローを入れてくれる。
珍しいけど、全てにおいて元魔法が優れているという認識ではないのか。
確かに、元魔法の熟練度を上げるのは他のスキルより大変である。
普通ならお爺ちゃんになってもLv3とかぐらいだろうか? 泣けるぜ。
「ねぇ、これってどれぐらいの威力があるの? 髪飾りに付いてた白魔水晶を砕いたってことは魔法強度は結構高そうだけど……」
ペンダントをかざすようにして宝玉を見やるマリータが問う。
……正確に言うと、髪飾りに込めようとしたのは《治癒光》の魔法なんだけども。
「そこそこの威力……ですよ」
この虹の光球単体ではLv3の魔法に匹敵するまではいかないだろうし。
それよりも、だ。
マリータには言っておかなければならないことがある。至極大切なことだ。
「えーとですね。一つ言っておきたいことがあります」
「なによ?」
「あの髪飾りの白魔水晶は『砕いた』んじゃありません――――『砕けた』んです」
「…………」
――さて、場も落ち着いたようだし帰ることにしようかな。
俺が踵を返そうとしたところ、ふたたびマリータに呼び止められる。
「ちょっと待って。わざわざ来てもらったのは、文言を教えてもらうためだけじゃないのよ」
……おいおい、まさかの弁償か?
だが断る。
「あなた達、冒険者をやめてこの家で雇われてみる気はない?」
そう来ましたか――……
だが断る。
確かに偉い人との人脈は大切だろう。でもそれが縛るものであってはならない。
俺はこの世界をまだまだ堪能していない。自由気ままに動き回るのには冒険者という身分が適しているのだ。
それに一介の冒険者をいきなり雇おうとするなんて、ちょいと不用心なんじゃないだろうか。
……考え過ぎかもしれないが、あれから数日空いたのは俺達の素情を洗うための期間だったとか? まさかね。
「申し訳ないですけど、俺はまだ冒険者をやめるつもりはありません。リムも……」
俺が視線を向けると、フルフルと首を横に振っている。
「それでは、また何か別の用件でお力になれることがあったら――」
「お待ちください。マリータ様……ここは素直にお願いしてみてはいかがでしょうか」
俺達の前にスイっと進み出たロギンスさんが、マリータを窺うようにして言葉を続ける。
「確かにセイジさんは希少な元魔法の使い手……その腰にある剣も飾りではないようですし、その若さで非常に優秀といえるでしょう。リムさんにしても獣人の戦闘力は幼くとも油断できないものがあります……が、年齢を考慮しなければ同じ程度の力量を持った人材は他にもおりますでしょう」
ランクDやCの冒険者の力量ということなら、確かにそうだろうな。
「マリータ様があなた方に興味をお持ちになった一番の理由は――」
「いいわ、ロギンス。自分で言うから」
マリータへと向き直ると、少しばかり頬を赤らめてモジモジしながら呟くような声で理由とやらを話しだした。
「私、この街から出たことがないの。というか、この家から外出することだってほとんどないのよ」
「え、でもこの前は……」
「あれは、せめて自分の着ける宝飾品ぐらいは自分で選びたいって父様にお願いしたの」
随分と過保護な親だな。マリータが父親のことを話している時の雰囲気からすると、嫌っているわけではなさそうだが。
「だから、歳の近い友達が少ないっていうか……まあ、いないんだけど……それで歳があまり離れてないあなた達に興味を持ったのが最初っていうか……」
なるほど。つまりは歳の近い話相手……友達がほしいということなのだろうか。
リムはまあ良いにしても、俺は六歳も上なんだけどな。
が……ロギンスさんとかと比べれば遥かに若いか。
周りがあんな年齢層ばかりだと、確かに少しアレかもしれない。
「つまりはその……友達的なものをお求めで?」
「なによ。悪いの?」
これはちょっと予想外だ。
「悪くはないです。でもそれなら最初から素直にそう言えばいいじゃないですか」
「私は……外の世界というものを詳しく知らないわ。でも、家庭教師や本からたくさんの知識を学んだつもりよ。冒険者という人達は依頼を受けて報酬を受け取り、それで生活しているんだってことぐらいは知ってる。だから……色んなお話を聞かせてもらったりするのにもお金を支払うべきだと思うの」
ああ、随分と背伸びしている感じがするのは家で本ばっか読んでるからだろうか。ここは一つ、ビシッと言ってやる必要があるだろう。
「友達という間柄に、金銭は発生しませんよ」
「そう……確かにそうかもしれないわね。なら……敬語というのも発生しないのよね?」
にこりと微笑むマリータ。
なかなか言うじゃねぇか。
ここで調子に乗って敬語をやめると『無礼者っ!』とかいってロギンスさんに斬られたりしないだろうか?
何気にこの人ってば細剣を帯剣してるんですけど。執事なのに。
「……そこまでの冒険譚を期待されても困るけど、たまに話をしに来るぐらいなら問題ないよ」
「うん、それで十分よ」
「にしても……外出もほとんどなしっていうのは、随分と過保護だな。母親と買い物に行ったりとかしないのか?」
父親は領主で仕事が忙しいとはいっても、母娘で仲良く街へと――
「母様は私が一歳にも満たない時に……亡くなったわ。だから父様は私をとても大切にしてくれてるんだと思う」
どうしようか。早速に地雷を踏み抜いてしまった。
もう俺の両脚は傷だらけだよ。
――その後、なんとか話題の転換に成功した俺は、数少ない冒険譚をマリータに話してやることにした。
特にマリータの興味を惹いたのは、ルークに乗って駆け回ったりする爽快さや、パウダル湿地帯の景色といったところか。
リムはといえば、俺やアーノルドさん……ダリオさん夫妻以外だと自分から進んで話すことはほとんどないのだが、ちゃんと歩み寄ろうとする姿勢が見られた。
母親を亡くしているという共通点がそうさせたのか、それともリムもゆっくりではあるが村を襲撃されたショックから立ち直り始めたのだろうか。
喜ばしいことである。
港町パスクムで食べた魚が美味しかったので、ダリオさんに魚料理を教わったがどうにも上手くいかない――など、微笑ましい会話が繰り広げられている。
冒険譚ではないが、歳の近い女の子がする会話はむしろこういう方が正常だと思う。
マリータも楽しんでいるようなので、何よりだ。
メイドさんが部屋まで運んできた紅茶を淹れているロギンスさんも、満足気に頷いている。
ちなみにロギンスさんはもう十年以上も領主館に勤めているそうで、マリータが赤子の時から何かと面倒を見てくれているそうな。
腕も立つので護衛も兼ねており、父親の次に信用している――というのはマリータの言だ。
仲良きことは美しきことかな――適温で旨みが抽出された紅茶を啜りながら、俺はそんなことを思い浮かべていた。
次話『転がる一粒の砂糖菓子』
お楽しみに。