9話【掌で転がるのは球体にあらず】
「――いつもありがとうよ、兄ちゃん」
騎獣を扱う店員が、そんな言葉とともにルークを撫でた。
メルベイルの街に到着してから、まずは借りていたルークを返しているところである。
今日は二人を乗せて移動した上に、魔族の襲撃で要らぬ気苦労をかけた。
「こいつには世話になったんで、美味いものを食わせてやってください」
そう言って、俺は追加でいくらかの金額を店員に渡す。
「へぇ~、兄ちゃんは本当にコイツを気に入ってるんだな。どうだ? 前も言ったが購入してみちゃあ……」
「や、まだ全然お金が足りませんし」
手持ちの金は10万ダラとちょい。購入費用にはまだまだ足りない。
「じゃあ、また明日お願いしますね」
俺はルークの騎獣としての能力に文句などないが、別れ際に首付近を何度か撫でて一言だけ、初めての不満を漏らした。
「――今日の帰り道ぐらい、もう少し揺れがあっても良かったんだけどさ……」
「……クゥゥ」
その意味を理解したのかしないのか、ルークは浅くだけ鳴いてこちらを見つめてくる。その澄んだ瞳に射られた俺は、逃げるように店の外に出た。
別に、何も悪いことはしていないのに、だ。
――さて、予定よりも早く帰ったために日暮れまではまだ時間がある。
だからといって、背中に感じる幸せの余韻を何時間も噛みしめているわけにもいかない。やることはいくつかあるのだ。
「おし、ルークは返してきた。次はギルドに行くか」
俺は外で待っていたリムに声をかける。
帰路の途中、あの魔族に遭遇したことはリムにも黙っていてもらうようにお願いした。
それに同意してくれたのはいいが、問題は俺のボロボロになってしまった鎧である。アルバの槍によって何箇所も傷んでしまっているし、最後に風魔法と弓の合体技――《暴風の矢(※勝手に名付けた)》を喰らった横腹箇所なんかは鎧の前後に穴が空いてしまっている。
貫かれた傷は魔法でとっくに完治しているし、細かい傷なんかも生命力強化で綺麗サッパリなのだが、鎧の方はそうもいかない。
アーノルドさんが俺の姿を見れば、何かあったのだろうとすぐにバレると思う。
だからして、新しく鎧を購入するつもりだ。
割と気に入っていたこのソフトレザーアーマーは、動きやすく、そこそこ防御力もあった。次もジグさんのところで似た鎧を見繕ろってもらう予定である。
勿論、そのためには先立つ物が必要だ。
リムが少し責任を感じているのか鎧の代金を出そうとしたが、俺はそれを丁重に断った。
ルークを買うには程遠いが、そこまで金に困っているわけではない。
それに……あの場でリムが相手に飛びかからなくとも、どのみち戦いは避けられなかっただろう。
リムからの報酬は、笑顔と感謝の言葉、そして背中の余韻で俺は満足だ。
それだけで、後二、三発は《暴風の矢》を喰らっても立ち上がれると思う。
さて、そんな精神論をどうこう考えるのは今日の夜にでも一人でするべきだろう。
話を戻そう。
せめて買い物に同行すると言ったリムを連れ、今俺達が向かっているのは冒険者ギルドだ。
何故かといえば、アルバから貰った白魔水晶の価値を知りたいからである。
《白魔水晶》――魔法を内部に込めておくことができる宝玉。
と識者の心得でなんとなくの性能は分かるのだが、どれぐらいの値段になるのだろう? ギルドにあるのは素材買取カウンターであるため、少しばかり畑違いかもしれないが我らのシエーナさんであれば答えてくれるはずだ。
「――これはまた……貴重なものをお持ちですね」
シエーナさんが卵型の宝玉を眺めながらそんな言葉を呟いた。
宝玉を真剣に見つめる瞳は、いつものビジネススマイルとは少し異なった女性らしい艶やかさを感じさせられるもの……のように思える。
どこの世界でも女性は宝飾品などの類に弱いのだろうか……?
俺はそんなものよりも金属の美しく眩い光沢に魅せられるのだが、相手のそういった感性を否定する気はない。
――《伝説の金属》というイラストが図書館で読んだ本に記載されていたが、そういったものに憧れる気持ちと一緒なのだろう。
シエーナさんを生温かく見守ることしばらく――
「――っ! ……失礼しました。セイジさんのお持ちになった白魔水晶の正確な価値は分かり兼ねます。ただ、これほどの大きさであれば白金貨を含む取引となることは間違いないと思います。少々お待ちください……宝飾品を扱っている店が商業区の中央方面付近にあったはずなので――」
地図で示そうとしてくれているシエーナさんを視界の隅に捉えながら、俺は先程の言葉の意味を噛みしめる。
白金貨を含む取引――というのは、最低でも10万ダラを下回ることはないということだろう。
マジでか……こんな小さな石一つで俺の一ヵ月の稼ぎを上回る……だと?
掌に握り込めるほどの小型サイズのくせに、とんでもないブツだ。
店の場所を教えてもらった後に聞いた話によると、白魔水晶は稀にしか採掘されない希少な宝玉で、宝飾品にあしらわれることが多く、魔法を込められるという実用性も兼ねているためにかなり高価らしい。
魔法を扱えるヒューマンは割合的に少ないため、力を持たない貴族様とかの護身用にも有用だとか。
込められる魔法の強度――魔法スキルLvに該当するのだろうか?――は、宝玉の大きさに依存するらしい。
アルバが所持していたことを考えると、結構な強度の魔法を込めることができそうだ。
「あの……今この白魔水晶の中に魔法が込められてるとかって、分かります?」
間違って大火球がギルド内で大爆発とか、真剣にやめてほしい。
「はい、分かりますよ。白魔水晶をかざして中を覗いてみてください――……綺麗に輝いてはいますが、透明になっていますでしょう」
言われたように、白魔水晶を窓からの明かりにかざして中を覗いてみると、確かに透明であった。
「魔法が込められている場合、白魔水晶の内部に特有の煌きが確認できます。火魔法なら赤色とか……だったかと。それに、仮に魔法が込められていたとしても、発動を念じなければ大丈夫のはずです」
発動を念じる――というのは、つまりは白魔水晶に込めた魔法を解放するように念ずること。
魔法を込めた本人が『鍵』となる文言を決め、それを念じることによって他者でも魔法の力を解放することができる、と。
ちなみに、煌めきの度合いで込められた魔法の強度もある程度視認できるそうな。
「魔法を扱う方は、ご自分の魔法に何らかの符号を付けるとされていますから、それをそのまま鍵とする場合が多いそうですね」
……名前付けのことですね。分かります。
つまりだ。
白魔水晶を買った貴族様なんかが、魔法使いに魔法を込めるように依頼する。
例えば俺が《火球》を込めるとして、『鍵』をそのまま《火球》に設定したとしよう。
さすれば、貴族様がピンチの時に《火球》と念じることで魔法が発動して敵を焼くってわけだ。
事前に文言を教えておく必要があるが、仮に白魔水晶を奪われたとしても敵さんは使用不可能ってわけか。
この白魔水晶に魔法が込められていたら厄介だったな。発動の鍵はアルバしか知らないだろうし――……中に入ってた魔法を何に使用したかはあまり想像したくはないな。
ともあれ俺自身は全属性魔法を扱えるので、高く売却できるのなら白魔水晶は換金してしまって問題ないだろう。
礼を言ってから、ギルドを出ようとした。
「――そういえば」
背中にシエーナさんの声を受けて、俺は彼女へと振り返る。
「白魔水晶は高価な宝玉で護身用にも役立つため、小粒の物をあしらったアクセサリーなんかを恋人へお守りとして渡す……なんていうお話もありますよ」
なるほどね、素敵なこった。
まあ、これを投げてよこしたアルバはそんな可愛らしい気持ちなんて1ミクロンも持ち合わせていなかっただろうが。魔族にそんな風習があるとも思えんし。
「セイジさんからそんな素敵な贈り物をいただければ、私は幸せで倒れてしまうと思います」
なん……だと?
聞き慣れた声であるはずなのに、聞き慣れない言葉が俺の耳に侵入してきた。
何を……言っているんだ……?
コノヒトハナニヲイッテルンダ?
いや、落ち着け。これを滅多にないシエーナさんのデレだとか勘違いするな。
明らかに罠だ。もとい玩ばれているだけだ。
「えーと、ですね。年下をからかうのはやめてください。そういうのを本気にした子供は怖いですよ?」
「セイジさんだから、ですよ」
くすくすと控えめに笑うシエーナさんは、どこまで本気なのだろうか。
……んー……この人ってば、読めない。
ある意味アルバよりも怖い。
真面目な顔に戻ったシエーナさんが、頭を下げるとともに完璧なまでのビジネススマイルで言葉を告げる。
「業務中に失礼な言動をしてしまい、申し訳ありません。ですがセイジさんもギルドの業務以外のことをご質問されていたので――……おあいこですね」
ニコリと微笑んだシエーナさんを見て――――俺は何かに敗北した気がした。
「――ん、どうかしたのかリム?」
「……べつに」
ふたたびギルドを出ようと向き直ると、リムが無言でこちらを窺っていた。
「じゃあ、次行くか」
目指すのは、ここから大通りを北に歩いていった先の宝飾品店だ。
お楽しみに。
シエーナさんに遊ばれたなぁ……