16話【その手に力を】
――翌日。
アンデルへと姿を変えたラハルは、負傷した兵たちを引き連れて帝都への帰路についた。
「怪我が軽い者は、重傷者に手を貸してやれ。それと治癒術を扱える者は、重傷者を優先して治療することを忘れるな」
「え、あ……はい!」
途中、彼が傷病兵を気遣うような素振りを見せたことで、一部の者に奇妙な顔をされたことを除けば、問題なく役を演じることができたといえるだろう。
しかし、ちょっと優しい言葉をかけたぐらいで驚かれるというのも、なんとも変な話である。
いかに普段のアンデルが部下に冷たい態度を取っているのかが、わかろうというものだ。
――無事に帝都へ到着すると、ラハルは貴族街にある大臣の屋敷へと直行した。
そこで護衛として随行していた私兵たちを解散させ、ギルバランが政務で皇宮へと顔を出しているのを確認した後、なんとも堂々とした家捜しを開始したのである。
「……さて、と」
ヘラの能力でアリーシャが閉じ込められてしまったとはいえ、彼女がその封玉を肌身離さず所持している可能性は低い。
むしろギルバランの性格からすれば、切り札は自分の手元においておこうとするだろう。
不安定な状態にあるヘラに、大事な交渉材料を持たせたままにしておくとは思えない。
「ここか……」
どうやらアンデルが洗いざらい吐いた情報に、嘘はなかったようである。
ここで偽りの情報を与え、不届き者を罠に嵌めるぐらいの気概を持っているのなら、多少は見直すところなのだが……全然そんなことはなかった。
指の一本も折らせる覚悟のない、そんな男だ。
大臣の私室にある隠し扉を抜けると、そこには定番といえるような金銀財宝の山。
権力に物を言わせ、たっぷりと私腹を肥やし続けた結果が、ギラギラとした光を放ちながらうず高く積み上がっているではないか。
ずしりと重そうな金塊に、袋からはみ出ている金貨や白金貨の山、鮮やかな色味が美しい真円の宝玉や、素人目には価値のわからない絵画や彫刻まで――欲深い商人ならば、きっとこの部屋から一生出たくないと言うことだろう。
だが、ラハルはそんなものには目もくれず、ある一つのものだけを探し続けた。
万が一にも壊してしまうことのないよう、慎重に。
「――あったっ……これだ」
それは、一見しただけでは、何の変哲もないガラス球のような物体。
ラハルが透明な玉を覗き込むと、内部に小さな人影のようなものが見えた。
「あ……り……」
人形のように小さな彼女は、そっと目を閉じ、まるで眠っているかのようだ。
あの頃とまったく変わらないままの――美しい姿で。
喜びのあまり脱力しそうになった身体へと鞭を叩き込み、ラハルはそれを丁寧にしまい込んだ。
すぐさま屋敷を脱出したい気持ちをなんとか抑え込み、廊下で幾度もすれ違う使用人や警備の兵に怪しまれないよう、鷹揚な態度で挨拶の言葉を述べつつ、出口へと向かう。
(落ち着け……問題はここからだ)
「あら……? そこにいるのは、もしかしてアンデル様じゃないですか?」
ようやく屋敷から抜け出せたと思ったら、そんな言葉で引き止められた。
そのまとわりつくような声は、ラハルもよく知っている声である。
(放っておいても、いずれ向こうから来るとは思っていたが……)
「なんだか、ずいぶんと急いでらっしゃるようですけど、なにか嬉しいことでもありました?」
口元はにこりと弧を描いているのに、目はまったく笑っていない。
「茶番はやめろ――ヘラ。これはもともとお前に貸し与えてもらった能力だ。本来の持ち主であるお前を騙せると思うほど、俺は馬鹿じゃない」
「そうね……残念だわ。あのとき力を貸そうと思ったのは、ラハルのことを気に入って、わたしなりに信頼していたからなのに……それをこんなかたちで悪用されるだなんて、夢にも思わなかった」
「そうか……もしお前が、出会った当初のときのような素直な性格に戻れるっていうんなら、俺もこんな真似をしなくて済むんだけどな」
ピリピリとした、嫌な空気が充満していく。
「ふぅん、それで……その姿でいったい何をしてきたの? ずいぶんと上機嫌のようだけど、長年の探し物でも見つかった? なにをしても無駄だって、前に教えてあげたと思ったんだけど」
アリーシャが閉じこめられている封玉を奪取すれば、それで万事解決というわけではない。
このままだと、彼女は一生そこから出ることはできない。
解放する術を持っているのは、大罪の力を宿すヘラだけだ。
「じゃあ、素直に頼んだらお願いを聞いてもらえるか?」
「あは……ははははっ……そんなふうに端から期待せずに聞かれても、あんまり嬉しくないわね。あなたがそんな格好をしているということは、つまりはそういうことなんでしょう? やられたらやり返す……そういった考えはわたしも嫌いじゃないわ」
人質交換のカードとしては、たしかにアンデルは悪くない。
ギルバランを相手取るのなら、かなり有効的な手段といえるだろう。
大勢の兵士を護衛として連れてはいたものの、彼を手中に収めることができたのは僥倖だった。
「そうね……どうしようかしら」
「状況がわかったのなら、もう一度改めてお願いするとしよう」
今度はラハルも、半分ほど期待を込めて言葉を口にした。
「……アリーシャを今すぐ解放しろ。そうすればアンデルの無事は保証する」
「……」
黙したままのヘラを警戒しているのか、ラハルは先手を取るようにして話を続ける。
「言っておくが、いつかのように俺を操ろうとしても無駄だぞ。もし俺が妙な素振りをした場合、遠慮なく脳天にナイフが突き刺さるだろうからな」
ラハルはそう言って、自分の頭をコンコンと軽く叩いてみせた。
「ふぅん……それは用意のいいことね」
「ああ、あいつらは機会があれば俺を殺したいと思ってるはずだ……もしそうなったら、容赦なくやってくれるだろうさ」
「そんなに警戒しなくても大丈夫よ。あれは、あなたがもともと持っていた感情を増幅して暴走させただけ……自由に操るような真似はできないから」
もともと自分の中にあった感情――そう言われると、ラハルとしては複雑な気分だ。
しかし、今はそれを気に病んでいる場合ではないだろう。
もしこの場にリクがいても、同じことを言うはずだ。
「それで、返事は?」
「……わかったわ。そちらの言う通りにしてもいい。ただし……それはアンデル様の無事を確認できてからの話よ」
なんとも、拍子抜けするほどにあっさりとした、毒のない返答だった。
虚をつかれたためか、ラハルがしばし黙り込んでいると、ヘラがくすくすと笑いながら言う。
「失礼ね。昔みたいに素直な性格に戻ればいいと言ったのは、ラハルでしょう? わたしだって、やりたくてこんなことをしてたわけじゃないのよ? まったく……あなたがアリーシャ様を大切に想う気持ちには負けたわ」
「そうか、そう言ってもらえると嬉しいよ」
ラハルも、にこりと笑いながら頷く。
(セイジ君には信じることの大切さを教えてもらったが……やはり、人を疑う心は忘れるべきではないな。どうにも……ひと波乱起きそうだ)
◆◆◆◇◇◇◆◆◆
「――なんだか急に不安になってきたんですけど、俺たち、けっこう大胆なことしてますよね?」
「……んん? あれだけ派手なことやっといて、今さら気弱な発言をされてもこっちが困るぞ」
壊れかけた木窓からこっそり外を覗くようにしていたリクさんは、俺の問いにそう答えた。
「まあ、皇帝の婚約者でもある大貴族に暴行を働き、人質にするような真似をしてるわけだから、普通に考えたら極刑ものだな」
ですよね~。
ちなみに、今俺たちがいるのは、帝都から少し離れた場所にあるクリケイア教の聖堂跡である。
寂れた小さな村なんかでは、立派な教会を建てる費用はない。
そのため、いくつかの村でお金を出し合い、手頃な場所に教会を建てて共用とするケースも珍しくはないらしい。
しかしながら、凶作が続いたり、魔物に襲われたり、野盗に荒らされたりして、廃れてしまう村がここ数年で増加したため、このような廃墟に近い教会跡も増えてしまったとのことだ。
造りはそれなりにしっかりしているので、雨風は防げるし、身を隠すにはもってこいの場所といえるかもしれない。
負傷していたアーノルドさんとドーレさんは、アルバさんが拠点へと連れ帰ると言ってくれたので、ありがたくお願いした。
怪我人を、いつまでも危険な場所においておくわけにはいかない。
なので、ここにいる人間といえば、俺とリム、そしてリクさんぐらいだ。
人質であるアンデル(さすがに服は着せてあげた)は……椅子に座ってグッタリしている。
「うう……許さん、許さんぞ……絶対にだ」
お、おう。
もう本音を隠す元気もなくなっていらっしゃる。
ぶっちゃけ、彼自身にはほとんど危害を加えていないのだが……。
レイとレンの二人は、帝都に向かったラハルさんが不測の事態に陥ったときに対処できるよう、息を潜めて状況を見守っているはずだ。
「それに無事アリーシャを助けることができたとしても、皇帝がすぐさま権力を取り戻し、私腹を肥やしていた大臣を罰することは正直難しいかもな」
リクさんの心配は、もっともである。
長年かけて地盤を築いてきた大臣の根は、かなり深いものだろう。
今回の救出が上手くいったとしても、俺たちが犯罪者として追われる可能性は十分にあり得る。
「もしそうなったとしても、アリーシャさんを助けることは無駄じゃないよ。帝国に住みにくくなったのなら、別の国へ逃げちゃえばいいわけだし、うん! まずはこの救出作戦をしっかり成功させなきゃだね」
気合を入れるようにして、小さく拳を頭の上にかかげたリムの言葉は、とても前向きなものだ。
……たしかにな。拠点として活用していた古代遺跡を放棄することになるのは残念だが、住み心地の良い土地は他にもあるだろう。
「はっはっは! その嬢ちゃんの言う通りだ。可愛く、美しい女性は世界中のどこにだっているわけだからな。いやなに、不安を煽るようなことを言ってすまなかった。俺も……さすがに少し緊張してピリピリしてたようだ」
――そうして、いつもの調子を取り戻したリクさんがふたたび見張りを続けることしばらく。
帝都に行ったレイとレンが、無事に戻ってきた。
二人の報告によれば、ラハルさんは首尾よく大臣の屋敷へと潜入し、目的の封玉を手に入れることに成功したようだ。
しかも現在、ヘラと一緒にこちらへと向かっているらしい。
「もしかするとさ、セーちゃんが戦うまでもないんじゃない?」
レンの言うように、人質交換が無事成立すれば事を荒立てる必要もないのだが、あまり楽観視すべきではないだろう。
帝都でヘラに会ったときの印象は、かなりヤバイ感じだった。
そうこう話しているうちに、外の様子を窺っていたリクさんが声を上げた。
「……きたぞ」
二人は騎獣に乗ってきたようで、教会跡の前で手綱を引いて制止した。
当初の予定通り、縛っているアンデルを引っ張るようにして連れていく。
「た、助けがきたのか!? 今すぐ私を解放しろ! さあ、早くするんだ!」
「こいつ……うるっさいわね」
「ひぃっ、や、やめ……」
レイとレンが、騒ぎ立てるアンデルの喉元に刃物を突きつけるようにして外へ出た。
傍から見れば、悪者は完全に俺たちのほうだろう。
「お、お前が私を助けにきたという者か? ならばすぐにこいつらを説得しろ。なにを引き換えにしても構わん。さっさと言う通りにするんだ」
矢継ぎ早に自分の身の安全を求めるアンデルのことを、ヘラは虫でも見るような目つきで見ていた。
しかし気のせいか、彼女の虚ろな瞳にわずかながら怒りの感情が灯っているように思える。
「そこの二人……なんだか見覚えのある顔だわ。ああ……たしか特務部隊にいた子たちね。任務に失敗して死んだかと思っていたけど、生きてたんだ?」
ヘラは、ぐるりと周囲を見回してそんな言葉を述べた。
「それに……リク・シャオ。あなたも生きてただなんて驚きだわ。てっきりラハルが殺したものだと思ってたのに」
「……おかげさまでね。ずいぶんと苦労させられたよ」
「あはっ……よかったじゃない。そうして妹や弟と無事に再会できたんだから。仲が良さそうで羨ましい限りだわ。そして――」
ギョロリ、とした視線が俺とリムに向けられた。
「久しぶり……というほど時間も経っていないけど、帝都で出会って以来かしら? ちゃんと忠告に従ってくれたみたいで、安心したわ」
知り合いを手当たり次第に殺すなんて言われれば、素直に帝都を出て行くしかないだろうに。
「なるほど……ラハルが強気な行動に出られたのは、あなたたち二人が協力すると言ったからかしら? たしかに七つの大罪の力を宿す者が二人もいれば、心強いものね」
「ここでぐだぐだとお喋りするつもりはありません。その男を助けたいのなら、さっさと言われた通りにしてくださいよ」
俺は、今すぐアリーシャさんを解放するように求めた。
「――ふぅん……これだけ頭数が揃っていれば、賊として扱うには十分よね。動機は、過去に両親を処刑されたことへの復讐……といったところかしら」
ん……こいつ、いったいなにを言って……?
ヘラは、目元はそのままで唇だけ弓なりに歪ませると、女性らしくポンっと胸元で手を合わせるような仕草を取った。
「それじゃあ――あなたたち全員……ここで死んでもらうことにするわね」
……ほらね。
どう考えても一筋縄ではいかない相手だと思ってたんだよ。本当にありがとうございました。
「そ、そうだ! この不届き者たちを全員皆殺しにしろ! ただし、それは私の安全を確保してからだからな! まずは私を助けることに全力を注ぐんだ!」
「ふふ、あはははっ。何か勘違いしているようだからもう一度言うけど……わたしは――ここにいる『全員』を殺すと言ったの。情けない声で叫んでいるあなたも含めて……ね」
「なん……だと!?」
「恨みを持った賊に殺されてしまった可哀想なアンデル様。わたしはその賊たちを皆殺しにして仇を取った……そう報告すれば、ギルバラン様にも言い訳が立つでしょう? ほら、わたしって最近あまり信頼されてないみたいだから……賊の死体があれば信憑性も上がるだろうし、なかなかこういう機会ってないのよね」
「ふ、ふざけるな! お、お前は私を助けにきたんだろうが!」
え、なに……どういうこと。
アンデルまで殺すつもりなの?
「ヘラ! 何を馬鹿なことを言っている!? お前が固執しているのはあくまでギルバランだったはずだ。そんなことをしても、お前が望むような結果にはならない! それに、アンデルは仮にもお前の――」
そんなラハルさんの叫びを無視して、ヘラは俺とリムのほうを向いた。
「知ってるかもしれないけど、帝国の特務部隊はね……懲罰を受けた者や、貴族のような身分の高い人が、平民や奴隷に産ませてしまった子供を放り込んでおくような場所なの」
たしか、レイやレンは反乱を企てた領主の子供ということで、懲罰も兼ねて特務部隊へ強制的に配属させられたと言っていた。
「わたしの場合は後者に該当するんだけど、母親は地位も財産もない平民で、父親は……ふふ、もうわかるでしょう?」
なるほど……、な。
あれだけギルバランに固執していたのは、つまりそういうことなのだろう。
「真実を知ったとき、なぜわたしだけ……そういった気持ちはたしかにあったけど、特に気にもならない程度のものだった。それが……ある時を境にして抑えきれないぐらい急速に膨らんでいったの。大罪の力を宿しているあなたたちなら、その理由はわかるでしょう?」
おそらくは、そのとき大罪スキルに魅入られたのだろう。
ほぼ間違いなく、七つの大罪のうちの――《嫉妬》だ。
「それでも最初は……わたしを認めてくれたのなら、必要としてくれているのなら、それでいいと思ってた。でも……最近はそれだけでは満足できないの。もっと……もっともっともっと! そうだ……足りないのなら、邪魔なものを消せばいい。そうすれば今よりずっと必要とされる――……そんな声が頭から離れないのよ。ふふっ、あははははっ、あーっはははははははは!」
邪魔なもの――それは……腹違いの兄妹のことか。
自分だけ特務部隊に押し込められ、過酷な任務を与え続けられてきたのだとしたら……面白くはないだろうが……。
「でもね、あなたたちに言いたいのはそういうことじゃない。七つの大罪を宿しているあなたたちは、遅かれ早かれわたしのように壊れる。同じように壊れる存在なの。だからね……そんなあなたたちが、クソみたいな正義感を振りかざして邪魔しないでほしいのよ。それって、なんだかとても……目障りだわ」
声が、一段低くなった。
これはもう……今から手を引くといっても無駄なんじゃないかな。
まあ、引く気はないけども。
「言いたいことはわかりました。でも……俺やリムは、あんたのようにはならない」
「へえ……なんでそう言い切れるの? 興味があるから教えてくれない?」
「危なくなったら、助けてくれる仲間がいるからな。ちなみに俺が心を呑まれそうになったら、リムがぶん殴って正気に戻してくれるってさ」
「は……あははははっ、なにそれ……! そんなことで正気に戻れるなら、誰も苦労しないわよ。馬鹿じゃないの? ふふ、あはははははははっ」
「はは……たぶんあんたにとって、その役目を頼めるのは、ラハルさんだったんじゃないのかな」
「はあ? なにそれ……あなた面白いこと言うのね」
「まあ、過去にあれだけ酷いことをしたわけだし? もうそこまではしてもらえないと思うけど」
ヘラの瞳に、はっきりとわかるほど怒りの色が滲んだ。
「……くだらない。もういいわ。お話しはここまでにして……全員――殺してあげる」
俺はやや緊張して強張った自分の手を、しっかりと握りしめた。
……大丈夫だ。きっと上手くやれる。
「だから、今回は特別に――――俺がぶん殴って目を覚まさせてやる」
お読みいただきありがとうございます。
次回更新も来週を予定しています。