11話【告白タイム】
――帝都グランベルン。
高い城壁に囲まれた、城郭都市といえる街の中心には、皇帝が住まうきらびやかな皇宮がある。
皇宮で働く武官や文官には貴族位の者も多く、その者たちが住まう屋敷が建てられている区域が、いわゆる貴族街と呼ばれる場所だ。
屋敷の大きさは、すなわち貴族の格に比例しているといっていい。
武勲を立てて爵位を授けられた騎士の中には、つつましやかな屋敷で暮らすことを好む者もいるが、そういった例外を除けば、名門貴族ほど立派な屋敷を構えているわけだ。
皇宮のほど近く、貴族街においても一際大きな屋敷では、さぞかし大物の貴族が優雅な暮らしを送っていることだろう。
警備に多くの私兵を配し、使用人の数も桁外れ。
どこぞの小国ならば、ここが王宮であるといっても通用するほどに大きい。
そんな巨大な屋敷に住んでいるのは、他ならぬ帝国の重鎮――大臣のギルバランだ。
屋敷の奥にある大臣の私室には、わずかに眉根を寄せながら、書類に目を通している男の姿があった。
「ふむ……以前と比べると、ずいぶんと増えたな」
ギルバランが目を落としているのは、帝国の直轄領に配備されている兵士の数である。
帝国のような広大な土地を持つ国では、貴族が皇帝から土地を授かり、地方領主として統治を任されることが多いが、帝国の中心ともいえる帝都グランベルンを含む広範囲の土地は、皇帝が直接管理している直轄領である。
当然ながら、直轄領には潤沢な兵力が保有されていることが望ましい。
領内の治安を維持するといった役目を遂行するには、相当数の兵士が必要となってくるわけだが、大事なのはそれだけではない。
地方領主にも、魔物の討伐や盗賊行為の横行を防ぐため、軍備増強を図る権利が認められている。
しかし、その武力の矛先がいつも魔物や盗賊にだけ向けられるとは限らないのだ。
反旗を翻した貴族が、帝国に牙をむく可能性も皆無ではない。
……それは、すでに歴史が証明してくれている。
十年以上前、帝国東部のエリンダルで摘み取った反乱の芽は、けっして楽観視できるものではなかった。
とはいえ、兵力を増やすのは容易なことではない。
村や街から若者を下級兵士として徴兵し、練度を上げるための訓練を実施し、砦などに常駐させるとなれば金も時間もかかる。
また、農作を中心にしている村や街などでは、働き手となる若者を失うのは大きな痛手だ。
若者にしても、無理やり故郷から引き離され、嫌々兵士として訓練を受けていたのでは、戦力が半減しても致し方ないだろう。
――だが、ここ数年で兵士の数は順調に増えている。
それも強制的な徴兵というかたちではなく、志願して兵士となった者の割合が多い。
「……小娘といえど、やはり皇帝陛下のご威光というのは、侮れぬということか」
軍備増強については、穏健な皇帝ミハサといえども、その重要性は理解している。
最悪の事態を想定せず、武器を錆びたままにしておくなど、愚者以外の何者でもない。
実際、彼女自身が民衆に呼びかける機会も何度かあった。
たしかに、帝国皇帝という権力者の威光にひれ伏した者もいるだろう。
だが、幼い少女が懸命に演説をしている姿を見て、自分もなにか力になれないかと考えた末、兵士に志願した者も相当数いるはずだ。
「あまり……面白くはないがな」
皇帝としての権力を強め、調子に乗られると、ギルバランとしては鬱陶しい限りである。
欲しいのは、言いなりになる人形だ。
「まあ、切り札がわしの手の中にある限り、最終的にはこちらに従うしかない……か」
椅子に座っていた大臣は、不機嫌そうに寄せていた眉根をもとに戻した。
そこで、扉を軽めに叩く音が響く。
「……誰だ?」
部屋へとやってきた相手の顔を見るなり、大臣はふたたび顔をしかめた。
暗めの色を基調とした衣服に、虚ろな目をした女性――ヘラが、表情を変えぬまま一礼する。
彼女をここへ呼んだのは、他でもないギルバラン自身だ。
つかつかと歩み寄ると、苛立ちを隠さない強めの口調で詰問した。
「先日、わしはトルフィンにある事を命じた。だが、やつからの連絡が一向にないため、妙だと思って調べさせた」
「ギルバラン様は人使いが荒いため、逃げられたのでは?」
ピクリ、とこめかみの血管が動くのが見えた。
「……逃げたのなら殺すまでだが、わしが手を下すまでもなく、やつは死体となっていたらしい」
「ふふ……それなら、殺す手間が省けてよかったじゃないですか。もしかしたら、会いにいった相手に殺され――」
挑発めいた言葉に、ついに我慢できなくなったのか、ギルバランはヘラの頬を強く叩いた。
口の中を切ったのか、唇から一筋の血が流れていく。
だが、そんなものでギルバランの怒りが収まる様子はない。
「これ以上わしを怒らせるな! お前がやったということはわかっている! やつを手駒として使っていたことが、そんなに気に障ったか!?」
続けて、二度、三度とヘラの頬を張り倒すように叩き、わずかに息を切らしながらギルバランは吐き捨てるように言った。
「つまらぬ感情などに支配されおって。やはり、下賤の血は下賤ということか」
「……下賤というのは、どちらの血のことでしょう? 母親? それとも父お――」
言い終わる前に、またもや殴られた。
ポタリ、ポタリ、と球状になった血の塊が次々に落下し、床に敷いてある絨毯の色合いを変色させていく。
「もういい。必要となれば呼ぶ。それまでわしの前に顔を見せるな」
怒りを露わにしているギルバランを横目に、ヘラは満足げな顔で退出していった。
去り際に、
「……そうですか。それでは、きっと近いうちにまた会えるということですね」
などという言葉を残して。
◆◆◆◇◇◇◆◆◆
場所は変わって、エリンダル。
「――ってなわけでな。七つの大罪っていうとんでもないもんに魅入られちまったやつは、人外な能力を得ることができるらしい」
リクさんが話してくれた内容というのは、概ね俺がシャニアから教えてもらったものと同じだった。
それはつまり、七つの大罪という力の存在。
宿した者が、それぞれ人外な能力を得ることができるということ。
そして、その力を得ることの――代償。
心を呑まれた大罪スキル保持者が、過去に国を滅ぼすような惨事を引き起こしたこともあるという。
マジかよ……なんて恐ろしい。
ちなみに、そんな話をいったいどこで聞いたのかと尋ねてみると、答えは意外と単純だった。
七つの大罪が封印されていた、世界各地にある古代遺跡は、太古の竜人が建てたものである。
封印が解けないよう、彼らは守り人として遺跡で暮らしていたものの、長い年月を経て封印は弱まり、ついにはドラゴンオーブが壊れて七つの大罪は解き放たれた……たしか、シャニアはそう言っていたはずだ。
その後、役目を失った竜人たちは各地に旅立ったとされており、シャニアの故郷とかいう竜人の里は、そんな彼らの子孫が集まってできたものだと聞いた。
だが、そんな竜人の里以外にも、各地に散っていった竜人の子孫がいてもなんら不思議なことではない。
リクさんが話を聞いたのは、そういったはぐれ者の竜人だということだ。
もちろん、それなりに重要な情報なので、気軽に話してくれたわけではないようだが、何度か一緒に酒を飲んでいるうちに仲良くなり、何でも話してくれるようになったっぽい。
「いやー、獣人だろうがドワーフだろうがエルフだろうが、たとえ竜人にしたって、美しい女性との間には壁なんかなくっていいよな」
あ~~……なるほど。
てっきり、話に出てきた竜人は男かと思っていたが、なるほどそういうことね。
うん、さすがは元祖といったところか。
いや、本家? まあ、どっちでもいいんだけどさ。
「俺が調べたところだと、ヘラって女が七つの大罪の力を持ってる可能性はかなり高い」
うーむ……俺は帝都でヘラに遭遇したから、あの女が大罪スキルの所持者だということを知っているわけだけども、よくよく考えれば、ラハルさんに貸し与えたという『他者に姿を変える能力』なんてのは、相当にぶっ飛んでいるといっていい。
使いようによっては、世界最強の恐ろしい能力だ。
誰にだって、心を許せる親しい人間の一人や二人はいる。
そんな相手に姿を変えて、油断したところをサックリといけば、世界中の誰であろうと殺すことができる。
それも……とても簡単に。
使用条件などはあるのだろうか?
俺の《盗賊の神技》にもそこそこ厳しい条件が設定されていることを考えると、いつでもどこでも、誰にでも姿を変えることができる……というわけではなさそうだが……。
詳細をラハルさんに聞いてみたいけど、さすがに今はそういう雰囲気じゃないし、そもそも部外者の俺がそこまでツッコんだ質問をするのもどうかと思う。
とにかく、だ。
そんな力をラハルさんに与えたという事実だけでも、ヘラがとんでもない人外――つまりは、七つの大罪の所持者と断じてしまっていいように思える。
……いや、まあ、実際そうだし。
「だ か ら! その話が本当で、ヘラって女がとんでもないやつだったとしても、そいつのしたことが全部許されるわけじゃないでしょ?」
そいつ……というのは、ラハルさんのことだ。
今この場でもっとも興奮しているのは、新情報をぐいぐいと呑み込んで胸焼けしそうになっている彼女――レイである。
レンのほうは、もうかなり落ち着いてきている。
俺の勝手な考えだが、おそらくレンにとっては、一番親しみを抱いていたリクさんが無事生存していたことが大きいのだろう。
一方、レイは最も大切に想っていた母親を処刑されている。
父親を一番心配していたのは……たぶん最兄のリクさんなのだろうが、彼はすでに気持ちの整理を終えているように思える。
そう考えると、レイがこの場で最も怒りを露わにしているのも、道理だろう。
「一旦落ち着けって。レイが怒るのもわかるが……」
「ふん、リク兄の昔の友達だかなんだか知らないけど、ワタシは絶対に――」
なだめるリクの言葉を遮ったところで、レンが自分の姉の肩をトントンと指で叩いた。
「……なによ?」
「レイ姉、あの……ちょっといいかな? あのラハルさんって人、オイラたちが特務部隊に放り込まれた後、自分も特務部隊に転属して影ながら見守っててくれたらしいのね」
「だ、だから、なによ? そんなことで……」
「いや、ほら、オイラたちまだ小さかったし、何度か命を落としそうになったことがあったじゃんか。そんなときに、傷の手当てをしてくれたり、武器の手入れを教えてくれたり、たまに訓練のご褒美としてお菓子をくれたりした優しい人……覚えてるでしょ?」
「…………!?」
「たぶん、あれラハルさんだよ。部隊の制服のせいで顔は隠れてたけど、声とかはよくよく聞いてると覚えがあるし……」
「はぁ!? あんた、適当なこと言ってんじゃ――」
そんな二人の会話は、傍にいる俺でも聞き取れないぐらい小さなものとなっていく。
「いや、間違いないって。さっきまで一番キレてたオイラが言うのもなんだけどさ、レイ姉がちょっと年上の男の人に憧れるのって、もともとは――――…………でしょ?」
ズン! とレイの拳が弟の腹部に吸い込まれた。
レンは見事に膝から床へ崩れ落ちる。
おおう……いったい、どういうことだってばよ?
八つ当たり?
なにかの八つ当たりなの?
とにかく、ラハルさんに憎しみの感情しか持っていない状態からは、なにかしらの変化はあったようだ。
弟との会話(※物理)を終えた後、レイがくるりと向き直る。
複雑にこんがらがった感情を、コップの水に無理やり溶かし込んで一気飲みしたかのような、そんな難しい顔をしていた。
「……わかったわよ。元凶がその女だって言うんなら、まずはそいつにきっちりと借りを返す。その後のことは……それから考えることにする」
「ありがとうな、レイ」
妹が落ち着きを取り戻したことで、ようやくリクさんも一息ついたようだ。
だが、ここでラハルさんがあるお願い事をする。
「ヘラには……手を出さないでくれ」
そんなことを言ったものだから、さあ大変。
またもや修羅場に突入した。
ようやく共通の敵が定まって場が静まったというのに、その敵を討たないでくれと言い出したのだから、当然といえば当然か。
しかし、俺にはなんとなくその理由が推測できる。
「……理由を、聞かせてもらおうか」
リクさんが促すように言い、ラハルさんもこくりと頷いた。
――結論からいえば、俺の予想通りだった。
ラハルさんは、長い間ヘラと付き合いがあったわけで、アリーシャさんが行方不明になった件についても、問い詰めたことがあるらしい。
そうすると、彼女はわりとすんなり白状したそうだ。
自分の能力で、アリーシャさんを閉じ込めた、……と。
それは、俺が帝都で見せつけられた封玉のようなものに閉じ込めたということで、ほぼ間違いないだろう。
「なるほどな……俺がいくら探しても、手がかりが出なかったわけだ。帝都やその近隣の街はもちろん、人を隠しておけそうな施設、帝都から外部に運び出される荷物なんかを調べても、成果はまったくのゼロだったからな」
……そっか。
リクさんがずっと故郷のエリンダルに戻らなかったのは、真相を突き止めるという理由の他に、アリーシャさんを探し出してからという想いがあったのかもしれない。
にしても……厄介だな。
ラハルさんがヘラに手を出すなと言ったのは、至極単純な理由だ。
――もしわたしが死ねば、封玉に閉じ込められているアリーシャも死ぬ。
彼女は、そう言ったらしい。
帝都で言われた「――助けようとしても、絶対に無理だから」という言葉の意味が、ようやく正しく理解できた。
普通の誘拐事件ならば、人質を無事に助け出せる確率はゼロではない。
人質の場所を特定し、犯人に気取られないように救出する作戦を立てればいい。
だが、もし人質が隠されている場所が判明したとしても、助け出す方法が皆無ではどうしようもないだろう。
【犯人の意思によってのみ、人質を監禁場所から出すことができる】
【犯人が命を落とせば、人質も命はない】
そんな条件下では、警察だってお手上げだ。
これが大罪スキルによる能力だとして、力の源をなんとか引き剥がそうにも、大罪スキルが宿主から離れていくのは、宿主が死んだ場合のみ。
かといって、宿主であるヘラが死ねば、アリーシャさんも死ぬ。
……うん、これは絶対無理だ。
それがわかっているからこそ、ヘラもラハルさんに色々と教えたのだろう。
というか、それを知らせることで、ますます自分に逆らうことのできない状況を作りあげたのかもしれない。
「事情はわかったけど……だからといって、そいつに手出しするなっていう言葉には頷けないわ」
「オイラも……それはレイ姉に同意かな」
リクさんは、それには同調せずに黙ったままである。
この場でアリーシャさんを大切に想っているのは、リクさんとラハルさんであり、言ってしまえばレイやレンは彼女と面識すらないのだ。
親の仇を討つという気持ちのほうが、きっと強い。
「悪いが、これだけは……どうしても譲れない」
ラハルさんは、やや強い口調でレイの言葉を否定した。
「どうしてもと言うのなら、力づくでも止めさせてもらう」
「……はぁ?」
ビキビキ――と青筋を立てる、という表現はもう古いのかもしれないが、レイが怒ったときの顔はとてもわかりやすいのだから仕方ない。
……ヤバイな。
あっという間に、またもや一触即発状態じゃないか。
割って入って衝突を止めるのは可能かもしれないが、それは根本的な解決にはならない。
うーむ。
実を言うと……現状における唯一の解決方法には心当たりがあったりするのだ。
シャニアが言っていた――……お勧めはしないという方法。
ちょっと、いや、かなり怖いが、彼女の言わんとしたことは概ね理解できていると思う。
……問題は、皆にどう伝えるかだよな。
ちなみに、俺は今回の件にガンガン首を突っ込むつもりだ。
レイやレンが困っているのなら助けてあげたいと思うし、アリーシャさんを助けることができれば、リクさんやラハルさんも喜ぶだろう。そうすれば、大臣の傀儡となっている皇帝ミハサも解放される。
良いこと尽くめである。
厄介な相手を敵に回すことになるだろうが、面倒事を避けていく人生もあれば、首を突っ込んでいく人生もアリだと思う。
強い力を持っていて、求められる機会があるのなら、俺はそれを使いたい。
敵からすれば迷惑な行為であっても、俯瞰的に見れば最善の行動ではなくとも、そんなのは知ったことじゃない。
自分が欲しいと思った結果を得るために、動く。
まあ……なんというか、こんな我儘な自分だからこそ、大罪スキルを宿すことになったのかもしれないな。
それともう一つ。
ヘラが大罪スキルに心を呑まれてしまっているのだとしたら、そんな彼女と向き合うことで、俺も自分の中の大罪スキルと向き合うことができるかもしれない。
……なんとなく、そう感じたのだ。
このまま放っておくことは、したくない。
「あの……確実ではないですけど、アリーシャさんを助けられるかもしれません」
俺の言葉に、皆の視線が一斉にこちらへ向いた。
ここまで来たら、もう黙っていても仕方がない。
レイとレンにはいつか教えようと思っていたし、リクさんにも言って問題ないだろう。
ラハルさんは完全には信用しきれないが、現在も特務部隊に所属していてヘラと関わりがある以上、俺がそうであることはいつか知られることになる。
さすがに、能力の詳細まで全部を教えるつもりはない。
だが、これだけは言わないと、何も始まらないのだ。
今こそ、声を大にして言おう。
「いきなりこんなことを言っても信じてもらえないかもしれませんが、実は俺も……七つの大罪の力を宿している人間なんです」
……言っちまった。
さあ、もう後戻りはできないぞ。
ちらり、と。
皆の反応を窺ってみる。
……あるぇ?
お読みいただきありがとうございます!