9話【兄妹と兄弟】
――エリンダルの丘、現代。
ラハルは、過去の記憶を掘り返して話をするたび、顔に苦悶の色が増していった。
相対しているレンの顔もまた、険しい。
「そこからは……もうわかるだろう? リクの姿となった俺は領主館に戻り、視察団にあいつの父親――領主の企みを密告した。すぐさま領主夫妻は捕らえられ、処刑台に送られるまで……そう時間はかからなかったよ」
息子に裏切られた父親は、ひどく動揺していたようで、大した抵抗もみせなかったらしい。
言いつけを守らず、遊び回る息子に頭を悩ませてはいたが、なんだかんだ自分の息子を信じていたのだろう。
「たしかレイは、リクが父親を密告したんじゃないかと疑っていたな。この前エリンダルを訪ねてきたとき、もっと自分の兄を信じろと言った記憶があるが……あれは本心だ。あいつはたとえ拷問されたって、何も言わなかっただろうさ」
「全部……あんたがやったんだな」
「正気を失っていた……なんて言い訳をするつもりはない。だが、冷静に物事を考えられるようになって、自分のしたことを思い返したとき……死にたくなった」
何もかも投げ捨てて逃げてしまいたくもなったが、当然そんなことは許されない。
ラハルは、自分にできることはないかと必死に探し始めた。
領主夫妻が処刑された後、まだ幼かったレイとレンは帝都に連行され、懲罰も兼ねて特務部隊へと押し込まれることとなる。
特務部隊の任務は過酷なものが多く、そのための訓練を耐え抜くのは容易なことではない。
訓練を終える頃には、心が壊れてしまったという者も少なくないのだ。
せめてもの罪滅ぼしに、二人を影ながら見守ろうとしたラハルは、帝都に戻ってから特務部隊への転属願いを出した。
幸いなことにすぐにそれは受理され、特務部隊の小隊長を務めていたヘラの部隊に副長として配属されたのだが……どうやら彼女がそれを望んだらしい。
必死にあがいている姿を見るのが、面白かったのかもしれない。
――そしてもう一つ。
リクの姿を借りたラハルは、エリンダルの新たな領主となった。
亜人というだけで差別されることのないような国をつくりたい――そう口にしていた友に代わり、できるだけのことをしようと思ったのだ。
特務部隊との二重生活は厳しいものがあったが、普段から遊び回っていたリクの性格が幸いしたといえる。
領主になったとはいえ、政務に全力を注ぎ、常に執務室で仕事をしているタイプではない。
特に理由もなく外出したり、たまに帰ったときに書類仕事を片付けるといった行動にも、周囲の人間が不審な目を向けることがなかったのである。
「そうか。それであんたは……亜人の奴隷を買い集めるような真似をして、領内にこっそりと亜人が暮らせるような村を作ったってわけだ」
「まだ……あいつが言っていた理想とは程遠いがな」
「オイラやレイ姉が特務部隊に放り込まれた頃、今までとの環境の違いに、何度か命を落としそうになったことがあるんだ。生きてるのが不思議なくらいだと感じたりもしたけど……もしかすると、そんなときはあんたが裏で助けてくれてたのかもしれないね」
そう言って、レンは鞘から刀身が真っ黒な剣を抜き放った。
「だけど……オイラはあんたを許せそうにない」
レンが本気で怒りの感情を露わにするのは、非常に珍しい。
彼とずっと一緒にいる姉のレイでさえ、その姿を目にしたのは数えるほどだろう。
当たり前といえば、当たり前。
レンの両親を死に追いやったのは、紛れもなくラハルなのだから。
それも――父親が信じていた息子に姿を変えて裏切るという、最悪な方法で。
「特務部隊にいた頃……オイラは人をたくさん殺した。だけど、殺すことが楽しかったわけじゃない。ある程度感情をコントロールすることはできたから、どこかで仕方ないと割り切っていたんだと思う。そう……積極的に誰かを殺したいと思ったことなんてなかったよ」
剣を握る手に、力がこもる。
「だけど、今は違う」
漆黒の刀身を水平に構え、相手を突き刺すような眼で捉えた。
「今は……あんたを殺したくって仕方ないよ」
殺意を剥き出しにしたレンを前にして、ラハルは疲れ切ったような表情で抵抗する素振りもなく棒立ちになっていた。
「それでいい……殺せよ」
「言っとくけど……オイラはさ、生きて償えだなんて前向きなことを言うつもりはないよ」
全力で駆け出したレンは、まっすぐにラハルへと向かっていく。
「あんたはここで――きっちり死んどけ!」
彼が手にしている剣は、《漆黒に潜伏する赤脈》。
使い手が同種族を切り殺すたびに、切れ味が増していく魔剣である。
(……まさか、セーちゃんに借りた剣で本当に人を斬ることになるなんてね!)
◆◆◆◇◇◇◆◆◆
――セイジ視点。
「はい、無事に到着……っと」
帝都から戻ってきた俺は、弟がまだ戻っていないから会いに行くと言っていたレイをエリンダルに送ると申し出た。
いや、けっしてレンのやつに貸したままになっている愛剣が心配だったとか、そんな理由からではなく。
「やっぱり、空を飛ぶ騎獣に乗ってだと早いわね。素直に助かったわ」
後ろに乗っていたレイがぴょんと地面に着地し、風で乱れた髪や服装を整えながらそんなことを口にした。
今回はリムが一緒というわけではなく、俺とレイだけである。
あまりエリンダルに長居するつもりはないし、リムは久々に料理でもして待っているそうな。
「だろ? もともと足が速かったルークが空も飛べるようになって、もうこれって最強なんじゃないかな。ああ……この立派な翼に、主人を見つめる愛らしい瞳、身体を覆っているこの綺麗な鱗なんかは一枚ぐらい剥ぎ取って記念に飾っておきたいぐらいに……って痛い! うそ、嘘だから! 鱗をむしるなんて真似しないから、ちょっと摘んだだけだから! 噛んじゃだめ、もうそれ甘噛みの域を遥かに通り越してるから!」
鴉の濡れ羽色のような美しい鱗を持つルークであるが、俺がちょっと冗談を言うとすぐ戯れて遊んでくるのだ。まったくもう可愛いやつである。
「あんたって……なんていうか本当に緊張感がないわよね」
「え、なにそれ、どういうことだ?」
「ブレないっていうか……まあ、今のはあんまり悪い意味で言ったんじゃないから気にしないで」
「お、おう。なんだか褒められたぜ」
「……褒めてない」
緊張感がない、か。
レイは知らないだろうが、シャニアから大罪スキルの本当は怖い話を聞いてから、実はちょっと動揺している。
しかし、意識が侵食されるかもしれないとビクビクしていても、何も解決はしないのだ。
それなら、きっと普段通りにしているのが一番いい。
まあ……そう思えるようになったのは、俺一人だけの力じゃないんだけどね。
「ところでさ、領主館に顔を出す前に、ちょっとだけ武器屋に寄らせてもらえないか?」
「なんでよ?」
レンに黒剣ノワールを貸したのは、あいつの剣が魔族ディノとの戦いでボロボロになってしまっていたからだ。
ディノの一件については不本意ながら俺に責任があるわけで、お詫びに傷んだ剣は研ぎに出しておいてやると言っていたのだが……正直、帝都で色々とバタバタしているうちに、そのことをすっかり忘れてしまっていた。
「どうせなら、武器屋で新しい剣を買って渡してやろうかと思ってさ」
ピカピカの新品と交換するほうが、レンだって喜ぶだろう。
「まあ……それならいいけど、あんまり時間をかけすぎないでよ」
「りょうかい」
――手頃な武器屋を見つけて中に入ると、鈍色の輝きを放つ剣や斧、槍などがずらりと並んでいた。
樽の中に無造作に放り込まれているものは、十把一絡といった鉄製の武器のようだ。
ところどころ刃こぼれしているものもあり、さすがにこれは論外。
「いらっしゃいませ! そっちに置いてあるのは安く買い上げた中古ばかりだからね。質の良い新品を探してるんなら、ぜひこっちを見てもらわなくちゃあ」
筋肉ムキムキの店主が笑顔で近づいてきて、店の奥にある商品を勧めてきた。
丁寧に陳列されている品々は、たしかに自信をもって勧めるだけのことはある逸品だ。
鞘から引き抜くと、硬質な金属音がキィンッと鳴り響く。
変態と思われるかもしれないが、俺はこの音が大好きである。
「この辺りは温暖な気候で農作物なんかも豊富だが、良質な鉄鉱石も採れるからね。それを鍛えて造られた鋼の武器は自慢の逸品なんだよ」
鉄鉱石を精錬して鉄を取り出し、さらにそれを鍛えて炭素量を増加させたものが鋼……だったか。鋼は鉄よりも硬く、敵を断ち切るための武器に向いてはいるものの、粘り強さ――いわゆる靭性はやや劣る。つまり、あまりに負荷をかけすぎるとポッキリと折れてしまうのだ。
硬くなりすぎると、柔らかさを失う。
当たり前かもしれないが、硬性と靭性はバランスが大事であり、どちらも最高品質で両立するのは至極困難だといえるだろう。
それを踏まえて敢えて言わせてもらうとすれば――
「うぐぅっ」
物思いに耽っていると、脇腹を小突かれる衝撃で我に返った。
いったい誰が……などとは、言うまでもない。
――レイだ。
「“ちょっと”武器屋によるだけって言ったのは、誰だったっけ?」
誰だ? ああ……俺か。
もう、俺の馬鹿。
自分の発言を悔やんでいると、ふと壁に掛けられている剣に目がいった。
硝子のケースに収納されていることを考えると、目玉商品なのかもしれない。
刀身に樹木の年輪のような木目状を有している美しい剣は、俺の記憶にあるダマスカス鋼によく似ている。いくつかの異なる金属を使用して積層鍛造し、硬性と靭性を高い品質で確保した金属――それがダマスカス鋼だったはずだ。
積層鍛造することで別種の金属が混ざりあった結果、あのように綺麗な木目状の刃が生まれるのだとか。
しかし、正確にはダマスカス鋼は古代インドで造られていたウーツ鋼の別称とされており、その製造方法は積層鍛造ではなく、るつぼによる製鋼で、あの美しい模様は内部結晶作用――つまりは内部の炭素濃度の違いによって凝固点が異なるため、それが木目状となって表面に――
「……あ、うん。あとちょっとだから、その振り上げた拳は下ろしていただきたいかな」
レイにめっちゃ睨まれた。
「はっはっは。仲が良さそうで羨ましいね。そこに飾ってある剣は、魔物から獲れる素材と良質な鋼を合わせて鍛造されたものだ。なんでも、地中深くから発掘されたエンシェントタートルとかいう魔物の甲羅を使ったらしい。硬くて丈夫で折れにくい、まあ最高の逸品ってやつだな」
「……でも、お高いんでしょう?」
「そりゃあ、うちの看板商品だからな。まあこれぐらいはいただかないと……」
ごにょごにょと耳打ちされた金額は、たしかに高いものの……買えないことはなかった。
帝都の冒険者ギルドでは高ランクの依賴ばかり受けていたし、臨時収入もあったことで財布はかなり潤っているといえるだろう。
「そっちのお嬢ちゃんはトグルの出身みたいだし、今なら特別サービスで少しオマケしとくよ」
髪や瞳、肌の色なんかでレイが同郷の人間だと気づいたのだろう。
こうまで言われたら……ねぇ?
実際に剣を握らせてもらい、軽く素振りもさせてもらったが……たしかに良い剣だ。
よし、ここはちょっと奮発するとしようか。
――いやぁ、良い買い物をした。
にやにやしながら大通りを歩いていると、
「いいの? そんな高級な剣をレンにあげちゃって」
レイがそんなことを言った。
「まあ……レンのやつにはなんだかんだ世話になってるから、たまには豪勢なプレゼントを渡すのも悪くないさ」
「ふぅん。レンにだけ……ねぇ」
「え……なにか言った?」
「ううん、なんでもない」
珍しくあたふたするレイを眺めつつ、俺はエリンダルの街を改めて見回した。
「どうかしたの?」
「……うん。この街ってこうしてみると、なかなか活気があっていい街だよな」
帝国にある村や街はいくつも見てきたが、貧困や治安の悪さが目立つ場所が多かった。
よほどしっかりした領主が赴任していないと、荒廃の一途をたどっていくことになるのだろう。
それが、今の帝国の現状なのかもしれない。
「なんていうか……さ。それだけリクさんが領主として頑張ってきたんじゃないのかって、ふと感じたわけだよ、うん」
多少不真面目なところはあったのだろうが。
「ふぅん。だから、もう少し兄妹で仲良くしたほうがいいんじゃないか……そう言いたいわけ?」
「まあ、そのへんはレイにお任せだけど」
「……あんたって、本当にお節介よね。帝都でも色々と面倒なことに首を突っ込みたがるし、刃物を見てはニヤニヤと嬉しそうにしてる変態だし……」
おい、最後のは言い過ぎだろ!
言い返そうとしたら、レイが不意打ちぎみに笑顔を見せた。
いつもはほとんど笑わない少女が、ごく稀に見せるレアな表情。
これは、ちょっとした破壊力がある。
「でもまあ……そういうのも悪くないと思うわよ」
「お、おう。なんだか褒められたぜ」
「いや、褒めてないから」
――そんなこんなで無事に領主館へたどりついた俺たちだったが、あいにくと領主もレンも不在だった。
応対してくれたのは執事のリーガルさんで、どうやら二人はエリンダルにある見晴らしの丘へと向かったとのことだ。
レイが軽い拒否反応を見せたため、気になって理由を聞くと、そこはどうやら両親が処刑された場所らしい。
そりゃ、まあ……かなりキツいだろうな。
「その、俺だけ行って様子を見てこようか?」
「……ううん。いい、ワタシも行く」
なぜ二人がそんな場所へ行ったのかはわからないが、過去のわだかまりなど、腹を割って話すには適している場所といえる……のかもしれない。
――もうすぐ丘の上に到達するかという頃、遠目に人影が見えた。
……のだが、なにやら様子がおかしい。
レンの姿はいつも通り見覚えのあるものなのだが、正面にいる人物はお兄さんじゃない……ような気がする。
だって髪の色とか黒じゃなくて金髪だもの。
え、誰?
などと思っていると、レンがいきなり鞘から剣を抜き放ったのである。
なんというか、今にも斬りかかりそうな勢いだ。
俺は咄嗟に駆け出した。
なにやら事情があるにせよ、相手は抵抗する素振りを見せていない。
このままだと、本当にレンは無抵抗の人間を斬り殺してしまうだろう。
使い手が自分と同じ人間を斬り殺すたびに切れ味が増す魔剣――たしかにあの剣はそういう剣だが、だからこそ、あの剣でそういった行為はできるだけしたくないと俺は思っている。
うまく言えないが、自分への戒めのようなものだ。
レンにだって、今後はあまり人殺しなんてしてほしくない。
そんなことのために、あの剣を貸したわけではないのだ。
「レン!」
大声で叫んだが、レンの突進する勢いは緩まらない。
ダメだ……距離がありすぎる。
間に合わな――
そう思った次の瞬間――二人の間に割って入る影があった。
見事にレンの一撃を受けきった鮮やかな剣さばきには、どこか見覚えがある。
というか、その姿にも大いに覚えがあった。
――……夜鳴きの梟の……団長、さん?
「やっぱり……お前は不器用なやつだよ」
割って入った団長さんがそんな言葉を口にすると、金髪の男性が力を失った人形のようにガクリと膝をつき、両手で顔を覆うようにしたのだった。
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