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8話【吐露】

「――なんだよ? 結局飲みに行かないのか?」


 リクに誘われたラハルだったが、さすがに視察団の一員として来ているのに、領主の息子という立場にいる者と気軽に飲みにいくわけにはいかない。


「悪いがそれはまた今度だ。今はもっと大事な話があるからな」


 リクの私室へとこっそりと足を運んだラハルは、今回の訪問目的を洗いざらい喋ることにした。

 ここで彼の協力を得られなければ、それこそ来た意味がない。




「――やっぱり、今回の視察の目的はそれか……」


 いつも飄々としているリクが、珍しく苦笑いしてから軽く唇を噛んだ。

 自分の父親が物騒なことを始めようとしているのだから、複雑な気持ちなのだろう。


「……リクも知っていたんだな」

「おいおい、そんな問いに素直に頷けるかよ。お前だって今は視察団の一員なんだろう?」

「ああ、それもそうだな」


 反乱を企てていることを知っていたかと聞かれ、『はい、そうです』と答えるわけがない。


「まあ、こうして真正直に話してくれたお前を今さら疑うわけじゃないけどな」

「……とにかく、このままじゃまずい。なんとか親父さんを説得することはできないか?」


 行動へ移す前に思い留まってくれたなら、なんとか穏便に済ますことができるかもしれない。


「あのな……説得って簡単に言うけど、あの頑固親父がそう易々と意見を変えるとは思えないぞ。だいたい、いつも街で遊び回ってる俺の言葉なんか聞く耳持つはずないだろ。それに――」


 なんだかんだと言いながらも、最終的にリクは渋い顔をしながら頷いた。

 ラハルの真剣な眼差しに根負けした……というよりかは、もともと彼個人としても争いなど起こらないに越したことはないと思っていたようだ。


「……わかった。やるだけやってみる。どういった結果になるかは知らないけどな」

「ああ、頼む」


 リクは残念そうに頭をポリポリと掻く。


「なんていうか……久しぶりに会えたのに物騒な話になっちゃったな。こういうのは抜きで、久々に楽しく飲みたかったよ」

「……すまない」


 話を終えて、部屋から出ていこうとするラハルの背中に、リクは思い出したかのように声をかけた。


「そういえば、帝都では無事にアリーシャに会えたのか?」

「ああ、なんとかな」

「そうか。よかったな」


 にかりと笑いながら、リクはそれだけ口にした。


「……リク」

「ん? なんだよ?」

「いや……やっぱり、なんでもない」




 ――その夜、執務室前にて。


 やや緊張な面持ちのリクが立っていた。

 コンコン、と控えめに扉を叩く。


「――入れ」


 厳格さが滲み出ているかのような声が響き、彼は執務室に足を踏み入れた。

 実を言うと、リクは自分の父親が苦手だった。

 自由奔放な性格である彼は、子供の頃からよく父親に怒られていたのだ。

 いつしか怒られても笑ってやり過ごすようになり、本気で意見をぶつけ合うことなど今後もないと思っていた。

 ああしてラハルが背中を押さなければ、こうして向かい合うこともなかっただろう。


「お前がここへ顔を出すのは珍しいな。どうしたというのだ?」

「親父……いえ、父上。どうか考え直してはもらえないでしょうか」


 リクは精一杯、自分なりに説得しようと試みた。

 昔々――トグル地方がまだ帝国に吸収される前、この土地は一つの国として栄えていた。

 その頃の栄華を取り戻そうとする気持ちは、リクとてわからないわけではない。


 しかし、帝国の支配下に入ったとはいえ、別段ひどく冷遇されているというわけではないのだ。

 幸いなことに、トグル地方は気候にも恵まれている。

 税を納めても、民の生活にはまだ余裕がある。

 わざわざ危険なことをせずとも、今の暮らしを続けられるのならそれも良いではないだろうか。


 過去の栄光を夢想して無茶な行動を起こすなんて、それこそただの自己満足だ。

 ……最後の一言は、リクも殴られる覚悟で口にした。


 初めて正面から意見をぶつけた息子に対して、父親はどこか微笑ましいものを見るかのような態度で――といった甘い展開になるようなことはなく、


「――っぐ!」


 リクは次の瞬間吹っ飛んだ。

 きつく握りしめた拳で、思いきり顔面を殴られたのだ。


「馬鹿者が。今はよくとも、もっと将来を見据えろ。帝国は………勢力を広げすぎた。たとえ地方領主にある程度の裁量を許していたとしても、中心となる皇帝には優れた統治力が必要となる。聞けば前皇帝が崩御され、新たに帝位を継いだのはまだ一歳にも満たぬ幼皇帝だというではないか。広大な帝国を治めることなど到底不可能……となれば、いずれは権力争いに躍起になっている者たちが実権を握ることになろう。そのような腐ったブタどもに、どうして大人しく頭を下げていられようか」


 そうして、父親は荒げていた声を少し落ち着かせ、諭すように言葉を続ける。


「この土地は気候に恵まれていると言ったな? しかし、ここよりずっと北方の寒さの厳しい土地では毎年餓死者が出ている。権力を我が物顔にしたやつらが、今より金を搾り取るような真似をすれば多くの難民を生むだろう。その者たちがこの土地に流れ込んでくれば、どうなると思う?」


 鼻の奥から鉄臭く生温かいものが流れ出しそうになるのを堪えながら、リクはその言葉を黙って聞いていた。


「たしかに、帝国の支配から逃れて独立するのは容易なことではない。だが、わしのような考えを持った地方領主は大勢いる。トグルで反乱が起これば、その火種は各地に広がっていくことになるだろう。そして……現在の帝都にはそれを抑えるだけの力はない」


 尻もちをついて倒れていたリクに、そっと手が差しのべられる。

 その手は力強く、なんだかとても懐かしいような気がした。


「厄介なことは、全てわしに任せておけ。お前は……少し優しすぎる気もするが、人を惹きつけるだけの魅力は持っている。遊ぶ回るのは程々にして、色々と学べばきっと良き統治者となれるだろう。その地盤は……わしが作ってやる」


 そう言って、父親はわずかに頬を緩ませた。


 ……こんなのは、卑怯だ。

 普段は厳しい言動ばかりで、ろくに親子らしい会話も交わさなかったというのに、こんなときだけ甘い言葉で納得させようとする。

 わかりやすすぎる、飴とムチ。


 だが、リクはこれ以上何かを言う気にはなれなかった。

 父親が話してくれた帝都の現状さえ、彼はほとんど知らなかったのだから。

 悔しさと、その反対の気持ちとが綯い交ぜになり、わずかに目元が熱くなった。


「……失礼します」


 執務室から出ると、殴られた頬をふわりと風が撫でていく。


「痛っ――親父のやつ、年甲斐もなく思いきり殴りやがって」


 腫れてきた箇所をさすりながら周囲を見回すと、小さな人影のようなものが動いた。


「あれは……」


 あの小さな影は、おそらく妹のレイだ。

 弟のレンは自分に懐いているから、見かけたら逃げずに声ぐらいかけてくるはず。

 蒸し暑い夜だから、寝つけなくて廊下を散歩でもしていたのだろう。

 父親に殴られた顔を見られるのも恥ずかしいため、リクはそそくさとその場を後にしたのだった。




 ――翌日。


 視察団による調査が開始された。

 表面上は領主も協力的であり、『調べたいことがあるのならご自由にどうぞ』と書類の山を視察団に開示していた。

 持ち帰った情報を帝都で精査すれば何か不審な点が見つかるかもしれないが、すぐわかるような証拠は残していない。

 そんな悠長なことをしているうちに、各地で反乱が勃発すればもう手遅れだ。



 ――そうして館内が慌ただしくなっている頃、別の場所で向かい合っている二人の姿があった。


「……こんなとこでのんびりしてていいのか? お前は視察団の護衛なんだろ?」

「護衛の主な任務は、道中の危険から皆を守ることだからな。まあ……視察団を口封じに殺してしまうような相手だと話は別だが」


 むしろ、リクの父親がそんな単純な思考の持ち主だったなら、事はもっと簡単だったろう。


「それにしても、まだこんな場所が残ってたんだな」


 リクとラハルは、子供の頃から一緒に遊んでいた仲だ。

 街中でも人の目を気にしなくていい、隠れ家的な場所をいくつも知っていた。


 今はそのうちの一つ、二人が秘密基地として使っていた空き家で顔を合わせている。

 もちろん、秘密基地としていたのはもうずっと昔の話だが。


「へへ~、いいだろ? 今でもたまに掃除してるし、こういう場所があると何かと便利なんだよ」


 たしかに、領主館内はバタバタしているし、内密な話をするのにはもってこいの場所である。

 今現在、この場所を何に使用しているのかは言及せず、ラハルは単刀直入に尋ねた。


「……説得は、無理だったんだな?」


 殴られたのだろう。顔を腫らし、無理に笑顔を作っている様子を見れば聞かなくともわかる。


「……ああ」

「無理を言って悪かった。だけど、あまり時間はないんだ。すぐに別の手を考えないと……」


「なあ、ラハル」

「どうした?」

「本当に……止めるべきなんだろうか?」

「なにを……」


 協力してくれるものだとばかり思っていたリクが、急にそんなことを言い出した。

 たしかに、争いなど起こらないに越したことはないに決まっている。

 だが、彼の父親も考えがあって行動に移しているのだ。

 一歳にも満たない幼子が帝位を継ぎ、自分の利しか考えないような輩たちが実権を握ることになれば、国は荒れる。


 昨晩、父親が話していた言葉が脳裏に浮かんだ。


『……お前は少し優しすぎる気もするが――色々と学べば、きっと良き統治者となれるだろう』


「もし……もしもだが、トグルが帝国の支配から独立できたとしたら、俺にはやってみたいことがある。ほら、帝国はクリケイア教のせいで亜人への蔑視が激しいだろ?」


 亜人への差別は、帝国の中心である帝都グランベルンに近づくほど酷くなる。地方ではそこまで激しく非難されることはないものの、それでも亜人が暮らしやすい環境とはいえない。


「俺は昔からああいうのが苦手でさ。もっと皆で仲良くすればいいのにとずっと思ってた。トグルが独立すれば、そういったくだらない教えは綺麗さっぱり水に流して、誰もが自由に過ごせるような国にしてみたい。もちろん……そんなに簡単なことじゃないとは思うけど」

「リク……」


「ははは……獣人やエルフ、ドワーフにしたって美しい女性には優しくしないとな」


 照れ隠しのようにそう言うと、リクは真剣な顔でラハルを見つめた。


「ラハルが心配して来てくれたのは、正直嬉しい。でも……今の帝国は、そうまでして守らなければいけない存在なのか?」


 ラハルは一瞬、その言葉に言い返すことができなかった。

 ギルバランのような男が実権を握ることになるぐらいならば、滅んでしまってもいいように思える。

 数年を兵士として過ごしたからといって、帝国自体にそれほど愛着があるわけではない。


「……戻ってこいよ。ラハル」


 伸ばされた手を、思わず掴んでしまいたい衝動に駆られた。

 だが、それはできないのだ。


「生まれたばかりの幼い皇帝――ミハサ様の母親が誰なのか、知っているか?」


 ラハルは一呼吸おいてから、そんな言葉を吐き出した。


「いや……ここは帝国の東端にある田舎だ。そこまで詳しい情報は入ってきていない」

「……アリーシャだよ」

「なん……だと!?」


 これにはリクも驚いたようで、何を言ったものかと口を開いたまま黙っていた。

 たしかに、アリーシャは側室として帝都に招かれるかたちとなったが、そういった女性は大勢いる。皇帝の後継ぎを産み、めでたく皇妃となれるのは一人だけだ。

 まさかアリーシャがそのような立場になっているとは、思わなかったのだろう。


「なるほど……お前が焦っている理由がなんとなくわかった気がするよ。あいつの子供を危険な目に遭わせたくないってわけだな」


 リクは、微妙に口元を緩ませた。


「それにしたって、つくづく不器用なやつだよ……お前は」

「うるさい。でも、問題はそれだけじゃないんだ」


 そしてラハルは、現在アリーシャが行方不明になっていることも告げた。


「本当かよ……?」


 リクは歯噛みするように顔を歪める。


「ああ……彼女は――アリーシャは、お前には元気でやっていると伝えてほしいと言っていた。心配してほしくないからとな。だから……行方がわからなくなったことも教えるか迷ったんだが……ぐ、ぁ……かはっ……ハァ……はぁ!!」


 突然、ラハルが胸を押さえるようにして苦しみ始め、リクは慌てて駆け寄った。


「お、おい! 大丈夫か?」

「やめ……今の、俺に……近づく、な!」


 冷や汗が顔の毛穴から吹き出し、心臓が、まるでタールのような粘り気のある真っ黒な液体に包み込まれていくようだ。


「ぐぅぅ……! ふざけ、やがって……。あのとき、やはりお前が強引に止めていれば、こんなことには! ……いや、違う、リクのせいじゃない!」


 独り言のように、罵るような言葉を吐いてはすぐさまそれを自分で否定するラハルの様子は、どう見ても尋常ではない。


「……なんで、なんでお前だけが! 俺はいったい……三人でいた頃のままでよかったのに、誰のせい……俺のせいか? いや、違う。じゃあ誰のせいだ? 守らなきゃ……あいつの子供を……なんで邪魔をする? 誰が? リク……一緒にいたい、のに。う、ああぁぁぁぁぁぁぁ!」

「おい、落ち着けってば。ラハ――」


 ピリッとした痛みが、リクを襲った。

 何かで腹を小突かれたような感覚。

 ふと目をやると、無骨な鉄の棒のようなものが突き出ている。


 違う。

 突き出ているのではなく、突き刺さっているのだ。


「なん、だよ。これ、……ラハ……ル……?」


 力が抜けたように、リクは床に倒れ込んだ。

 じわり、じわり、とゆっくり血が滲み出ていく。


「はは……そういえばお前……昔から、ナイフの扱いが上手だった、よな……」




 ――同時刻、領主館にて。


 視察団の一員であるヘラが、ふとエリンダルの街のほうへと顔を向けた。

 建物内から直接何かが見えるわけではないのだが、彼女はくすりと嗤う。


「たしかにあのとき“力を貸してあげてもいい”とは言ったけど……タダでとは言ってなかったわよね。ふふふ……どういった言葉がきっかけになったのかしら?」

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