2話【魅入られたのは】
――帝都で兵士になったラハルは、順調に昇進を重ねていった。
優秀な文官であるデュランに目をかけてもらったということもあるが、彼のひたむきな努力が実ったというべきだろう。
兵士として勤めていると、嫌でも色々な情報が入ってきた。
権力的には皇帝が頂点に位置しているわけだが、その下では派閥争いが絶えないのだとか。
本人は謙遜していたが、高位の文官であるデュランも、そのような不毛な権力争いには辟易していると漏らしていた。
また、そういった争いは高位の武官や文官だけに留まらない。
公爵位の貴族などは自分の娘が皇帝の側室に招かれるように励み、皇帝とのつながりを得ようとしているのだ。
後継ぎを身籠ることができれば、正式に妃として迎えられることになるし、その子供が次代の皇帝となるのだから、必死になるのは当たり前といえる。
当然ながら、相手を蹴落とすような卑劣な真似をする者もいるだろう。
アリーシャがそんなドロドロした競争の中で上手く立ち回れるとは思えないため、ラハルの心配は増すばかりであった。
……とはいえ毎日働き詰めでは、先に自分の身体のほうが壊れてしまう。
久方ぶりの休日をもらったラハルは、帝都グランベルンの街をあてもなくぶらぶらと歩いていた。
さすがに帝都というだけあって、エリンダルの街よりも規模が桁違いに大きい。
散策するだけでも一日を潰せるだろう。
「……へえ。なかなか旨そうなリンゴだな」
店先に瑞々しい果物が並んでいるのを見て、ラハルは適当にいくつか購入した。
リクと初めて出会った場所も、こんな果物屋の店先だったことを思い出し、くすりと笑みがこぼれた。
歩きながら真っ赤に色づいた果肉にかぶりつき、じゅわりと甘みのある味を堪能しながら周囲を見回す。
街中を歩き回るのも少し疲れたので、どこか休憩できる場所はないものか。
そんなことを考えていると、ちょうど手頃な建物が目に入った。
深みのある色に焼成された煉瓦を丁寧に組み上げて完成した荘厳な建物――クリケイア教会である。クリケイア教とは、遥か昔に魔族との戦争で人間を助けたという竜を信奉する教えを説いているものだ。
魔族との争いで恐れをなして逃げた亜人たち、逃げずに戦ったヒューマン、それを助けた賢竜の話は、帝都に住んでいる者なら子供でも知っている。
クリケイア教はスーヴェン帝国内にも広く浸透しているため、魔族との戦いで逃げてしまったとされる亜人たちに対して冷たい目を向ける者が多い。
「……まあ、それはそれとして」
ラハルが教会に足を踏み入れ、大きく分厚い木製の扉を閉めると、うるさかった街の喧騒が嘘のように途切れた。
教会内部はとても静かで、ステンドグラスから差し込んでくる日差しが、温かみのある色合いに変化して礼拝堂を照らしていた。
こういった雰囲気は、とても落ち着く。
クリケイア教を広めるための教会だからといって、熱心な信仰者しか立ち入ることが許されないわけではない。
静かな場所で少しだけ休憩したいときに利用するぐらいなら、罰は当たらないだろう。
ラハルは規則正しく並んでいる長椅子をちらりと見やり、誰も座っていない椅子を探す。
――ふと、そこで見覚えのある顔が目に留まった。
他の信仰者のように熱心に祈るわけでもなく、ただ目を閉じてジッと動かない少女。
寝ているのかとも思ったが、声をかけようと距離を縮めると、機械仕掛けの人形のように瞼が開いた。
「……なに? あなた、わたしになにか用事でもあるの?」
気怠そうな雰囲気をまとい、熱のない虚ろな瞳がラハルへと向けられる。
忘れようもない。
かなり前のことになってしまうが、デュランに連れられて地方領主のところへ視察に向かったとき、危ないところを助けてくれた少女である。
欠けた仮面から覗いていた虚ろな瞳の少女のことは、少しばかり気になっていたのだ。
たしか特務部隊に所属していると聞いたが、あちらも休日にのんびりしている最中なのかもしれない。
「えーと、そっちは覚えてないかもしれないけど、あのときお礼も満足に言えなかったから」
「ああ……あなた、あのときの兵士さんじゃない。そういえば顔を見られたんだっけ。ふーん……仕事の性質上、あんまり他人に顔を覚えられたくはないんだけど」
「いや、ほら、所属してる部隊とかは違っても、いちおうは帝国に勤めてる兵士なわけだし、そこまで警戒しなくてもいいかなぁ……なんて」
「……まあいいわ。面倒そうになったら――消せばいいだけだし」
少女は、ささやくような小声で恐ろしいことをつぶやいた。
冗談のようでもあるし、本気のようにも思える。
「え? なにか言った?」
「別になにも。それで……あなたの用事はそれだけ?」
「そうだけど、せっかくこうして再会したんだから、自己紹介ぐらいはしようと思ってさ」
こういった気さくなところは、エリンダルで長く暮らしているうちにリクの影響を受けたのかもしれない。
「俺はラハル。君のお名前は?」
「あなた馬鹿じゃないの? 先に名乗ったからって、素直にこっちが応じるわけないじゃない」
「なるほど。それもそうだ」
「……お祈りでもして、さっさと帰れば?」
「久しぶりの休日だったから街を色々と散策してたんだけど、ちょっとばかし休憩しようと思って教会に逃げ込んだだけでね。熱心に祈るほど信仰にあついわけじゃないさ。もしかすると、君も似たような感じ?」
虚ろな目をした少女が、熱心に祈りを捧げている姿はちょっと想像しにくい。
実際、遠目からだと眠っているかのように見えたのだ。
「……」
黙ったままの少女はラハルから目を逸し、ふたたび目を閉じてしまった。
もう話すつもりはないということなのか。
その態度は、控えめにみても友好的なものではないだろう。
「わかった。静かに過ごしてるところを邪魔して悪かったな。お詫びに、余り物で悪いけどさっき市場で買ったリンゴをプレゼントするよ。甘さと酸味がいい感じのもぎたてだ」
紙袋から最後の一つを取り出して、少女が座っている長椅子の上に赤い実をちょこんと置いた。
「いらない場合は、供え物として教会に渡してくれ。それじゃあ」
そう言って席を立とうとしたとき、またもや少女の瞼がぱちりと開く。
「……変な人」
置かれたリンゴを手に取った少女は、艶やかな表面をまじまじと見つめながらそんな言葉を漏らした。
「……ヘラ」
「ん? なにが?」
「わたしの名前。気が向いたから……教えてあげる」
――それからも、ラハルは兵士として数年を過ごした。
ヘラという少女とは、たまの休日に教会で顔を合わせることが多く、最初はそっけない態度だったものの、何度か会ううちに少しずつ態度が柔らかくなっていった。
あるとき、ラハルは疑問に思っていたことを尋ねた。
なぜ、ヘラが特務部隊に所属することになったのか、ということを。
特務部隊というのは、諜報活動であったり、表に出にくい任務……言ってしまえば、あまり人が好んでやりたくないような汚れ役を任されることが多い。
そういった性質上、悪事を働いて懲罰を受けた者などが、強制的に配属させられることもある。
「別に、わたしは懲罰を受けてここにいるわけじゃないわ。貴族なんかが、平民や奴隷に産ませてしまった子供を認知したくないという理由で、過酷な特務部隊に押し込んでおくことはさほど珍しいことじゃないし、たぶん……わたしはそっちのほう」
過酷な労働で命を失っても、それはそれで構わないと思っているのだろう。
「なんか……悪かった。変なことを聞いて」
「別に。親が誰かもわからないから、気にしようもないわ」
ヘラはそう言っていたが、闇に潜むような仕事を続けているせいか、心の底では人との繋がりを求めていたのだろう。ラハルと喋るのを拒絶しなかったのも、寂しいという気持ちがあったのかもしれない。
――そんなある日、強がっていたヘラの様子がおかしくなり始めた。
ラハルが話しかけてもどこか上の空で、時折なにかをぶつぶつとつぶやくのだ。
「そう……そうだったの……なんでわたしだけ」
「お、おい。大丈夫か? なにかあったのかよ?」
「――……あら、ラハル。いたの? ふふ……わたし今度、特務部隊の小隊長を任されることになったの。今よりたくさん活躍すれば、きっとあの人も……ふふ、あははは、もっと……もっともっともっと」
明らかに様子がおかしいヘラの姿を見て、ラハルはなにがあったのかを聞こうとしたのだが、彼女は詳細を話してくれようとはしなかった。
それどころか、彼女と会う機会もどんどん減っていった。
苦労の甲斐あってラハルが近衛兵に昇進する頃には、もうほとんどヘラを見かけることもなくなっていたほどだ。
頭の片隅で心配しつつも、ラハルは当初の目的を果たすべく動き出す。
晴れて近衛兵となれたラハルは、どうにかしてアリーシャに接触しようと試みたのだ。
皇帝の側室が暮らす後宮には、世話係である女官も多い。
どうにか女官の目を盗み、アリーシャと話すまでにはずいぶんと苦労した。
「――えっ、ちょ、ちょっと! なんでラハルがこんなとこにいるわけ!?」
突然、昔なじみの友達が訪ねてきたのだから、それはもう驚いたことだろう。
以前と変わらない……いや、少しやつれてしまった彼女は、ラハルが会いに来てくれたことを素直に喜んでくれた。
しかし、明るく振る舞っているものの、どこか顔には翳りがある。
皇帝の後継ぎを産めば正式な妃になることができ、その子供が次代の皇帝となるため、後宮では女同士の争いが頻繁に起こっていることは想像に易く、それがアリーシャの負担になっているであろうことは明白だった。
「なんていうか、無事にやってるのか? そういえば、妹のエルザって子も一緒のはずだよな?」
「え……」
その名前を出した瞬間、アリーシャは明らかに動揺した。
曰く、彼女の妹であるエルザはもともと身体が弱かったこともあるのだが、体調を崩して寝込んだままの状態が続き……つい先日――亡くなったらしい。
「あ、はは……。弱音を吐くのはあんまり好きじゃないんだけど、ちょっとね……つらいときが多いかもしれない」
「俺に……なにかできることはあるか? なんでも言ってくれ」
……やっぱりだ。
こんな場所、彼女には相応しくない。
こんな汚い感情がうずまいている場所に、彼女を閉じ込めておくべきじゃない。
いつもは冷静であるはずのラハルだが、このときばかりは憤りを抑えることができなかった。
もし彼女が望むのであれば、死罪を覚悟でここから逃げるのを手伝ってもいい。
妹が体調を崩すことになった原因が特定できているのなら、その原因――相手を排除することに全力を注ごう。
上辺だけの言葉ではなく、本当になんだってやってやる。
だが、そんなラハルの言葉を、アリーシャはやんわりと拒絶した。
大丈夫だから、放っておいてほしい、と。
もちろん、ラハルにそんな危険なことはさせられないという気持ちから断ったのだろう。
本当は、今こうして話していることすら危険極まりない行為なのだ。
「えっと、一つだけお願いがあるんだけど」
「なんだ? なんでもいいぞ」
「もし、エリンダルに帰ることがあったら……リクにはわたしが元気でやっていたって伝えてくれないかな? あいつには……あんまり、心配してほしくないんだ」
「あ……ああ! わかった。任せとけ」
――後日。
ラハルは、夜遅くに教会の長椅子に座っていた。
誰もいない、静謐に満ちた空間。
今ばかりは、その静けさが心地いい。
アリーシャと会って、無事でいるかを確認する――そんな当初の目的は、曲がりなりにも果たせたわけだ。
「心配してほしくない、か」
……薄々は、気づいていたことだ。
仲の良い友達というのは嘘ではない……が、自分がどうしようもなくアリーシャのことを好きになってしまっていたことは。
そして……彼女の気持ちは別の方向を向いているということも。
もし来たのが自分ではなく、あいつだったなら、もっと上手く励ますことができたかもしれない。
「はは……なんだか俺、馬鹿みたいだな」
どうしようもない虚脱感が、襲ってくる。
「――あら? ふふ、あははは。久しぶりに会えたっていうのに、なんだかずいぶんと困り果てた顔をしてるじゃないの」
「お前……」
そんなラハルに声をかけてきたのは、しばらく顔を見ていなかった少女――ヘラだった。
物音一つでも響きそうな静かな空間に、彼女の壊れたような嗤い声がよく響く。
その瞳は変わらず虚ろなものであったが、なにやら狂気じみた色が混じっているように感じられた。
「そうねえ。なにかわたしにできることはあるかしら? もし気が向いたなら、力を『貸して』あげてもいいわよ」
読んでいただきありがとうございました。
過去編は……なんというか重いですね。
次回はセイジ視点に戻る予定です。
明るい雰囲気になることを祈りつつ。
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