プロローグ
長らくお待たせいたしました。
ライオットグラスパー7章を開始します。
――時は遡って、トグル地方の都エリンダルにて。
「……どうしても行くのか? 帝都に行ったとしても、アリーシャに会うことは難しいと思うぞ。それに、権力争いに負けた貴族がいまさら出戻ってきたと知れば、帝都に住まう貴族から面白くもない挑発をされることだってあるだろう。金と暇を持て余してぶくぶくと肥え太った連中にとっては、絶好の暇潰しだ」
旅装を調えている金髪の青年――ラハルに忠告するかのように声をかけたのは、現エリンダルの領主の息子――リク・シャオだった。
二人が友と呼べる関係になってからずいぶんと時が経っているが、このような真剣な面持ちで会話をしている光景というのは、初めてのことかもしれない。
この二人と仲が良かったもう一人の少女――アリーシャは、少し前に帝都に行ってしまった。
理由あってエリンダルで暮らしていた彼女であるが、帝都にある実家はフルブライト家という有力貴族であり、妹が現皇帝の側室に招かれたことをきっかけに、皇帝が姉であるアリーシャにも興味を持ったらしい。
そうして、彼女は皇帝に招かれるという形で帝都に連れ戻されることになったのだ。
仲の良かったリクとラハルは、招きを受け入れるしかなかった彼女を見送ったのだが、その後に取った行動は、よく行動をともにしていた二人であるにもかかわらず正反対のものであった。
すなわち――事態を静観するか、心配を抑えきれずに帝都へ赴くか。
前者はリクで、後者はラハル。
友の言葉に振り返ったラハルは、やや口調を荒げて返答した。
「親父も反対していたが、いまさら没落した貴族の息子がひょっこりと顔を見せたぐらいで、どうということもないだろう。何か言ってきたとしても、適当にあしらってやるさ」
「本気か?」
「……何がだ?」
「帝都で暮らしてる貴族にも相手にされないような没落貴族の息子が、アリーシャのために何かできると、本気で思ってるのか? アリーシャはきっと皇帝の側室に迎えられている。おそらくお前は会うことだって叶わないだろう」
そんな言葉に、ラハルは勢い余ってリクの襟元を掴み上げた。
「あのときに二人で彼女を引き止めていたら、こうはならなかったはずだ。いくら皇帝に招かれたとはいえ、断る理由なんてどうとでもなった!」
「行かないでくれと叫べばよかったのか? ……どういった理由をつけようとも、断れば、世話になったフルブライトの家名に泥を塗ることになる。そうアリーシャも言ってただろうが」
「くっ……」
ゆっくりと、力を失ったラハルの指を引き剥がすと、リクは少しばかり咳き込んでから笑顔をみせる。
「まったく……さっきみたいな挑発で頭に血が昇るようじゃあ、帝都の貴族を適当にあしらうことができるか疑問だぞ」
ようやく冷静さを取り戻してきたラハルは、その言葉にわずかに表情を緩ませた。
「……たしかにそうかもな。だけど、俺は帝都に行く。何もできないかもしれないが、このままずっとエリンダルにいても、後悔するだけだ」
幸せに暮らしているのなら、それでいい。
帝都に行くのは、半分は自己満足のようなものだ。
「……わかったよ。もう止めないさ」
頷いたリクは、旅立とうとするラハルにずしりと重たい革袋を手渡した。
中には、ピカピカに輝く金貨が数十枚は詰まっている。
「おまっ……! こんな大金、受け取れるかよ」
「いいから持ってけよ。帝都で何をするにしても、金があって困ることはないだろうからな。知ってるんだぞ? 俺が酒場で騒いで酔い潰れたときなんかに、手持ちの金で足りない分をお前がこっそりと払ってくれていたことぐらいな」
「お前は周囲の客にまで酒を奢ったりするからああいうことになるんだ。だいたい、それを知った上で今まで酔い潰れてたのか!?」
「ま、まあ、そう怒るなって。だからこうして利子をたっぷりつけて返すんじゃないか」
「とは言っても、かなりの額だぞ? まさか……」
「安心しろって。別に親父……領主が管理している金庫から盗んだものとかじゃない。俺が自分で汗水垂らしてこつこつと稼いだ金さ」
「こつこつって……リクは気が向いたときに冒険者の依頼を手伝ってたぐらいなのに、なんでこんなに貯まるんだ?」
「そりゃあ、それを元手に色々と面白いことをして稼いだんだよ。とにかく真っ当な金だから安心しろって」
「リク……」
「俺の全財産なんだから、使うときは必ず俺に感謝しろよな。当然だけど無駄使いはするなよ。酒場で酔い潰れるまで飲むなんてもっての他だ。それと、間違っても帝都の夜の街で気分を盛り上げるような行為に使い込むんじゃないぞ。ああ、それに――」
「わかった……ありがたくもらっとくよ」
止まることなく言葉を紡ごうとするのは、出発の時間をできるだけ遅らせようとする、彼なりの照れ隠しだったのかもしれない。
まだまだ言い足りないといったリクの言葉を中断するようにして、ラハルは懐に金貨の袋を収めた。
「もう……行くのか?」
「ああ、そろそろ帝都方面行きの馬車が出る頃だからな」
「元気でな」
「そっちこそ」
――こうして、ラハルは帝都へと旅立った。
リク。
ラハル。
アリーシャ。
仲が良かった三人が別々の道を歩き始めたのは、この時からだろう。
◆◆◆◇◇◇◆◆◆
「ここか……」
ラハルは帝都に到着してから、まずフルブライト家へ挨拶に訪れた。
アリーシャが現在どうしているかを尋ねるためである。
没落貴族であるラハルが、貴族の名家であるフルブライト家を訪れたところで門前払いされる可能性は多分にあったが、アリーシャから色々と聞かされていたようで、当主は快くラハルの訪問を受け入れてくれた。
――そうして、アリーシャが正式に皇帝の側室になったことを知る。
それは思っていたよりもショックで、ラハルはしばし固まってしまった。
「どうかされましたかな?」
「いえ、それは大変名誉なことですね。帝都から離れて暮らしていた私などが、アリーシャ……様と仲良くさせていただいていたなどと、嘘のようです」
彼はなんとか気を持ち直して当主へと質問した。
アリーシャは元気にやっているのだろうか、と。
側室ともなれば、皇宮の奥に豪華な部屋を与えられ、自由に外出することはできないのだ。
時折送られてくる手紙には、元気でやっていると書かれているらしいのだが……。
本当に大丈夫なのだろうか、というラハルの不安は拭えない。
とはいえ、必要以上に心配するのは不敬にあたるため、それ以上のことは聞けなかった。
皇帝の側室となった者を憂慮するなど、皇帝を侮辱することと同義である。
せっかく温和な態度で接してくれている相手を怒らせることにもなりかねない。
そうして当たり障りのない雑談を終えた後、ラハルは当主に願い事を申し出た。
「一つ、お願いがあるのですが」
「ふむ……。どのような要件でしょうかな?」
――しばし時は流れ。
「ふう……なんだかちょっと緊張しますね」
ラハルの隣に座っている青年が、そんな言葉をつぶやいた。
青年は剣と鎧を身に纏ってはいるが、どことなく頼りない感じがする。
「そうだな」
ラハルが今いる場所は、スーヴェン帝国の兵士採用試験会場だ。
普段は兵士が訓練を行っている練兵場を貸し切っており、たくさんの試験生が練兵場に詰め込まれていた。
なぜ、ラハルが兵士採用試験を受けることになったのか?
それは、フルブライト家の当主に兵士採用試験への推薦を願ったからである。
帝都の兵士採用試験は、誰もが受けられるものではない。
身分が不確かな者は受験することすらできないのだ。
受験者のほとんどは兵士養成アカデミーを卒業した者や、貴族から推薦を受けた者で占められる。
ラハルの家は権力闘争に敗北し、もはや貴族としての権力は皆無であるため、フルブライト家の推薦を受けたというわけだ。
では、なぜ彼は兵士になろうと思ったのか。
その動機は、極々単純なものである。
兵士になる理由……それは、兵士となって皇宮の警備などを担当することになれば、アリーシャを見かける機会があるかもしれないと思ってのことだ。
ラハルも我ながら希望的観測だと思ってはいたが、まだ可能性はある。
兵士ならば、冒険者ギルドの依頼で魔物相手に鍛えた剣の腕を役立てることもできるだろう。
他に良い方法があるわけでもない。
何もせずにエリンダルに引き返すよりかは、ずっといいはずだ。
そう思い返したところで、ラハルは試験へと意識を戻した。
「よし、最終試験は捕らえてある魔物を相手に戦ってもらうことにする。番号を呼ばれた者は前に出るように」
帝都の兵士となれば、魔物を討伐することもあるだろう。
やがてラハルの番号が呼ばれ、彼は深く息を吸ってから立ち上がった。
準備を調え、試験官の声とともに檻から一匹の魔物が放たれる。
それは銀色の体毛を持ち、鋭い牙と爪で獲物を引き裂くとされている魔物――シルバーフォックスだった。
ラハルがアリーシャとともに冒険者ギルドの依頼を受けていた頃にも、戦ったことのある相手だ。
焦ることなく、ラハルは剣を抜き放ち、襲いかかってくる魔物を相手取った。
短剣のほうが扱い慣れているものの、丈のある長剣も使ったことがないわけではない。
シルバーフォックスのような獣系の魔物は、俊敏な動きで相手を翻弄して仕留めるタイプが多い。正面からまともに追いかけても致命的な一撃を与えることは難しいが、攻撃した直後にわずかな隙ができるため、そこへ渾身の一撃を放つ。
ただし、あまり大きな動きで回避すると、相手も機敏に動きを修正してくるので、躱した後に反撃する場合はぎりぎりまで引きつける必要があるのだ。
「クァァァァァッ!」
威嚇する声とともに駆けてくるシルバーフォックスに恐れることなく、あと一歩のところまで距離を縮めた瞬間にラハルは素早く半身を反らせ、相手の爪と牙の攻撃を見切った。
飛びかかったシルバーフォックスは着地してすぐさま反転しようと身を翻したが、そこへラハルの長剣が容赦なく刺し込まれる。
「カ……ァッ……」
横腹から心臓を一突きにされた魔物は、わずかに苦しみの声を上げてから地面へと倒れ込んだ。
「そこまで! ふむ……見事なものだな。よし、次の者は前へ!」
「は、はい!」
ラハルの次に呼ばれたのは、さっき隣に座っていた頼りない青年だった。
檻から放たれた魔物に萎縮してしまっているようで、動きが鈍い。
おそらく今まで人間相手に模擬戦で訓練を積んできたのだろうが、魔物を相手にするのは慣れていないようだ。
やがて青年は魔物の一撃を避けきれずに地面に膝をつき、剣を取り落としてしまう。
「ひ、ひやぁぁぁ! く、来るな、来るなぁぁ!」
青年に飛びかかろうとする魔物に向けて、ラハルは無意識に腰に帯びていた投擲用のナイフを構えて投げ放った。
ピッと空気を裂くようにして、ナイフは魔物の目玉を正確に突き潰す。
そうして青年は戸惑いながらも落とした剣を拾い上げ、魔物にトドメの一撃を繰り出すことで、試験の場は静まり返ってしまった。
「そこ! どういうつもりだ!? 試験中に他の者へ手を貸すことはするなと、最初に言っておいただだろうが!」
試験官の叱責に対して、ラハルは自分が咄嗟にやってしまった行動を悔いる。
「その……あのままだと危ないと思って、つい……」
「本当に危険になったら、試験はストップさせる。命の危険があるかを判断するのは我々の役目だ! それをお前はっ……」
「まあ、良いではありませんか。反射的に助けようと思った気持ちをそこまで責めるのは、あなたの器量が問われることにもなりかねませんよ?」
激昂する試験官を諌めてくれたのは、武官というよりは、文官の風貌をしている男だった。
温和な表情をしているが、試験官が何か反論しようとするのを許さずに言葉を続ける。
「そこの青年は、どうやら魔物を相手にした経験がない様子。今の戦いで感覚を養うことができたでしょうから、もう一度改めて試験をすることで、正しく力量を測ることができるのではないでしょうか?」
「む……ぐっ……わかりました。あなたがそう言われるのでしたら」
そうしてどうにか場が落ち着いたところで、ラハルは自分をかばってくれた男に小さく頭を下げた。
「あの、ありがとうございます。俺……」
その男はにこりと微笑むと、ラハルの肩をぽんと叩く。
「気にしないでください。あなたのような人が兵士になってくれると、心強いものです」
「え、あ、……はい」
「――私の名前はデュラン。きっとまた、近いうちに会えると思いますよ」
更新は週一ぐらいを予定しております。
それと予定していた開始時期が大幅に遅れたこと……
なんていうか、その……
本当にすみません!