15話【久しぶりの】
「えーと……地図だとこの辺りのはずなんだけど」
飛行騎獣であるルークの背に乗り、空から大地を見下ろすようにしてつぶやいた。
「よし、あそこに降ろしてくれ」
ルークの首を軽く撫でてやると、高度がゆっくりと低くなっていく。
着地したのは、帝都から北にのびている街道から少し外れた場所だ。
先日、街道を通っていた隊商が魔物に襲われるという事件が起こったらしい。
襲った魔物は人間を軽く丸呑みできるほどの大蛇の魔物――『エンペラーサーペント』というやつで、隊商は半壊状態、運んでいた荷物も大部分が呑み込まれてしまったとのことだ……隊商の護衛たちと一緒に。
エンペラーサーペントは、もともとが何メートルもある大蛇であるが、脱皮するごとにどんどん身体が大きくなっていき、非常識なまでに巨大になるやつが稀にいるらしい。
巨大化した個体は手がつけられないほど凶暴で恐ろしく、その巣穴は人が住めるほどに大きな洞窟のようだという。
今回隊商を襲ったのも巨大化したエンペラーサーペントであり、その巨体が巣くっているであろう洞窟は、襲撃があったこの付近に存在する可能性が高い。
なぜ俺がそんな魔物の巣穴を探しているのかといえば、大蛇を退治する依頼が帝都にある冒険者ギルドに寄せられていたこと、この依頼がランクAの難易度であり、俺がランクAの冒険者であったからだといえる。
「もしでっかい巣穴を見つけたら、中に入るの?」
『わたし……暗いところはちょっと怖いです』
「うん、奥に引っ込んでるかもしれないし……っていうかライム、お前はスライムなんだから、そもそも視覚に頼ってないだろ。どうして暗いところが怖いんだよ」
『あ……そういえばそうですね』
まあ、気分の問題だといえばそうなのかもしれないが。
さてさて、ここにいるのは俺だけではない。
ルークに乗っていたのは、俺の他にリム、そして肩にちょこんと鎮座しているライムだ。
「あたしは夜目が利くから、中に入るのなら先頭を歩くね」
なんとも頼もしいお言葉ではないですか。
たしかに猫の獣人であるリムは、俺よりずっと夜目が利く。暗い洞窟に入るのなら先頭を任せたほうが無難かもしれない。
頷き、俺たちは周囲の探索を開始した。
「――でも、なんで帝都の冒険者ギルドで依頼を受けることにしたの?」
歩きながら目線の高さにある枝を手で払い、リムがそんな言葉を口にする。
俺は辺りを警戒しつつも、彼女の問いに耳を傾けた。
冒険者がギルドで依頼を受けるのは当たり前。
しかしながら、なぜ帝都の冒険者ギルドで依頼を受けることにしたのか説明しておくべきだろう。
ティアモの護衛を開始して一日目から、皇帝が空から降ってくるというハプニングが起こった。
ならば二日目などもっとすごい出来事が起こるのではないか、と考えてしまうわけだが、幸か不幸か何事もなかったのだ。
婚約の儀の最中に何者かが乱入してくることもなく、婚約するはずの当人が相手を拒むというドラマチックな展開もなく、つつがなく婚約の儀は終わった。
あの手紙を届けたことで何かが起こるかもしれないと考えていたが、結局のところ何もなし。
いったいあれは何だったのか。
俺としても、皇帝が困っているのならもう少し何かしてあげたい、という具体性のない気持ちはあったが、それがすぐさま具体的な結果を生むはずもなかったわけで、結局はティアモの護衛を無事に勤め終えただけだった。
婚約の儀が終わってティアモは自分の治めるアモルファスへと帰っていき、護衛の依頼はそこで終了。
そしてとても残念なことだが、レイも拠点に戻ると言って帰ってしまった。
まあ、帝都に来ることさえ渋っていた彼女が、ここまで付き合ってくれただけでも幸運だったと考えるべきだろう。
俺がもうちょっと帝都に残ろうかなと口にしたら、コンマ一秒で別れを告げられた。
レンがエリンダルから戻っているかも気になるし、先に帰るとのことだ。
リムとライムは俺に付き合うと言ってくれたため、レイだけが帰途につくことになった。
さて、そこで少々問題が起こったわけだ。
大臣ギルバランと皇帝ミハサの仲は良好とはいえず、皇帝が何やら困っているらしいことはわかるのだが、その詳細は不明。
何かしようにも、動きようもない。
かといって、俺にはレイのように情報屋の知り合いがいるというわけでもない。
つまりは情報不足。
圧倒的な情報不足。
もうね、気分一新して帝都であったことをキレイさっぱり忘れてしまい、俺も拠点に戻っちゃおうかなと脳裏に浮かんだぐらいである。
だが、俺はこれでも冒険者だ。
帝都にある冒険者ギルドならば、皇宮の噂なんかも転がっているのではと考えたわけである。
とはいえ、帝都のギルドで依頼を受けたこともない新参者があれこれ聞き回るのはよろしくない。
「――とまあ、そういうわけで、高ランクの依頼をいくつか片付ければ他の冒険者にも見知ってもらえるだろ? もしかすると有益な情報だって教えてもらえるかもしれない」
「そっか。帝都のギルドは大きいし、冒険者同士の情報交換も他より活発みたいだもんね」
リムは納得したように頷き、巣穴を見逃さないように周囲の地形に視線をやった。
……まあ、仮に何も情報が得られなかった場合は、それはそれで仕方ないと思う。
そのときはすごすごと実家に帰らせていただくことにしよう。
「――あ。セイジ、あれ」
『ご主人様、あちらの方角に大きな穴があります』
リムとライムの声に意識を呼び戻された俺は、すぐさま二人が示した方向へと首を向けた。
そこには、幅数メートルほどのドでかい楕円形の穴がぼっこり空いている。
いかにも大きな生物が出入りしていそうな大穴だ。ちょっと怖い。
「さっそく入ってみる?」
「あ、ああ。そうだな……ルークはここで待っててくれ」
うむ……退治するために来たんだから、暗いの怖いなどと言っている暇はないのだ、俺。
ライムが魔法で自らの身体を発光させ、洞窟内部を照らしてくれたが、巣穴はかなり深くまで掘られているようで、奥までは光が届かない。
しかしながら、暗闇でも問題ないと胸を張っていたリムが、怯むことなく洞窟の中を進んでいくではないか。
やだ、男前。
……とまあ、そんな冗談はさておき、俺はすぐさま彼女の後を追った。
なんだか生臭いような、変な臭いが辺りを漂っている。
長くは滞在したくない場所だが、この異臭は洞窟に何かが巣くっていることを主張している。
歩いていくと、内部には通路よりもやや広い空洞が存在していた。
「蛇……いないね」
「ああ、でもまだ奥に続いてるみたいだ」
リムが空洞内部を見回し、大蛇がいないことを確認していると――
突然、奥へ続く通路の暗がりから巨大な生物が飛び出してきた。
黄色く濁った眼球が捉えた最初の獲物は、小柄で可愛らしい獣人の少女だったようで、巨木の幹のような太さの胴を何重にも巻きつけていく。
「リム!」
蛇の身体は全身が筋肉であり、その太い胴に巻きつかれた獲物は全身の骨をバキバキに折られて柔らかく食べやすくされ、丸呑みにされるのだという。
だが、ここまで巨大なものだと獲物の骨を砕く必要すらないだろう。
即丸呑みだ。
リムを丸呑み? ……そんなこと蛇なんかにさせてたまるか!
「今助けてやるからな!」
すぐさま剣を抜こうとしたところで、俺の肩に乗っていたライムが光を発しなくなった。
そのせいで辺りは真っ暗になってしまう。
「ちょ、ライム!? なんで明かりを消すんだよ」
『あ、あの、わたしが魔法を止めたのではなく、周囲のマナがいきなり――』
――ブヂィッ!!
工場にでもありそうな極太のゴムローラーを、無理やりねじ切ったような音が空洞に響く。
続いて、ズズンッと何かが地面に落ちる衝撃。
暗闇の向こうで、いったい何が起こったのか。
「セイジ? あたしは大丈夫なんだけど、ごめん。明かり……消えちゃったね」
どうやらリムは無事のようだ。
あ……なるほど。そういうことね。
暗闇の中で待つことしばし。ようやくライムの身体がうっすらと発光を始めた。
弱々しくライトアップされたのは、全長何十メートルはあろうかというエンペラーサーペントの死骸である。
人間どころか、小さな家ぐらいなら丸呑みできそうなほどの巨大な蛇。
そんな魔物が、身体をバラバラにされて絶命している。
うん、その……巻きついた相手が悪かったな、と。
俺が言えるのはそれぐらいだ。
リムが宿している大罪スキルは『暴食』――《魔喰武装闘衣》というかたちで彼女の中で顕現している。これは周囲のマナを全て喰らい尽くし、それを己の力に変えるという単純ながらにして恐ろしい能力を有しているのだ。
ライムが発動していた照明用の光魔法が強制的に停止させられたのは、周囲のマナが一時的に枯渇したからだろう。
マナを喰らって得られる力は強大で、ご覧のように危険極まりないはずの魔物がこの有様だ。
もし剣を持たずに戦えと言われたら、俺だって死ねる自信がある。
「えへへ、いつもセイジに守られてばっかりじゃ悪いもんね」
嬉しそうに舌を出して笑うリム。
その仕草はとても可愛いのだが、なんとなく悶々とした気持ちになるのは否定できない。
もう俺がリムを守る必要はないのだろうか?
いや、このままだといずれ立場が逆転して俺がリムに守ってもらうことに?
……ふむ、それも悪くないか。
いや、悪い。
とても悪い。
競うわけではないが、俺だって男だ。頼りになる存在でいたい。
つまらないプライドを大事にすることは、俺のちっぽけな自我を保つために必要なことなのだ。
くっくっく、スキルオーブもあることだし、こりゃあ本格的にスキル収集と強化を進めていかねばならんようだな。
「どうしたの? セイジ」
俺が黙り込んでいたため、心配したリムが顔を覗き込んでくる。
「い、いや別に」
俺たちはエンペラーサーペントを討伐した証明となる部位を死骸から切り取って、洞窟を出た。
――ルークに騎乗して上空へと高度を上げていき、しばしそのままの位置で停止する。
「どうかしたの? 帝都に戻るのならあっちだよ」
「ああ、もうすぐ来ると思うんだけど……」
「――クアッ、ギャッギャ」
……来たか。
実は洞窟に入る前に、クロ子を呼び寄せておいたのだ。
理由は明快。
今回、苦労に苦労を重ねずに入手した天緑石を、さっそくシャニアのところへ送ってもらうためである。
あんな事件があったわけだし、街中でクロ子を呼ぶような行動を慎むぐらいの警戒心は持っているつもりだ。
杞憂だとは思うが、上空でなら周囲に誰もいないことを容易に確認できる。
俺は全身真っ黒なクロ子の足先に、天緑石のペンダントを結んであげた。
『ご主人、これはわたしへのプレゼントですか? ああ、各地を飛び回っているわたしの苦労をついに労ってくれる気持ちになったんですね。実はこういう光りモノ好きなんですよ』
うむ。おそらく勘違いをしているクロ子だが、いつになく上機嫌だ。
光りモノが好きだなんて、まるで鴉みたいだな。
まあ……たしかに外見は大型の鴉のような魔物なんだけど。
「いや、それはクロ子への贈り物じゃなくて、シャニアに届けてほしいんだよ」
『……え?』
頭の中に響く声のトーンが、明らかに下がった。
『ああ……そうですか。わかってました。わかってましたよ? ご主人がそういう気配りをするような人間じゃないことぐらい。どうせわたしのことなんて都合のいい宅配便ぐらいにしか思ってないんでしょう。東ヘ西へ、北へ南へ飛び回らせ……この前なんてそこにいる獣人の彼女を空から見張る役まで押しつけて、この変態! どうせわたしは――――クァァァッ、ギャギャ、クァ、クァァァァァァッ!』
「わ、悪かったよ。だからまず落ち着いてくれ」
「クアァァァッ!」
さて、頭が一部翻訳を拒否してしまいたいぐらいの言葉をいただいたわけだが……クロ子には今度何かしら光りモノをプレゼントすることで和解が成立した。
夕闇の中で点となって消えるまでクロ子を見送り、俺はルークに移動するようお願いする。
大きな翼が風をかき、ゆっくりと速度が増していく。
「ん? どうしたんだ?」
飛行途中、ルークが首をこっちにくるりと向けた。
『あの、わたしもたまには生肉以外のご褒美が欲しいかな……と』
……なん、だと。