13話【ノーズフォレスト】
「あ~、ワタシってば何やってんだろ……」
そう口にして、ワタシは柔らかな綿がたっぷりとつまっているベッドに頭から突っ込んだ。
今頃、あいつとリムは皇宮で振る舞われる豪勢な食事を楽しんでいることだろう。さすがにワタシがそんな場にいけるわけもなく、大人しく宿で留守番をすることになっていた。
「あ……伸びる! なんか気持ちいい」
端的に言えば暇なため、あいつがライムと呼んでいるプリズムスライムの身体を持ち上げ、横に引っ張ってみた。
ムニィッ!! という効果音が似合いそうなほどに、よく伸びる。
……そもそも、今回は一緒に来るつもりじゃなかったのに、なんでワタシはここにいるのだろうか? ムニムニとした掌の感触に癒されながら、少し思い返してみようと思う。
きっかけは、あいつがワタシの弟であるレンに剣を貸したことだ。
この前はワタシがリク兄に対して感情的になってしまい、ゆっくり話をすることもできなかったから、エリンダルへ行きたいと言った弟の気持ちは理解できる。
そんな弟に、あいつは剣を貸したのだ。
弟が持っていた剣が傷んでいたので、代わりの品として自分の愛剣を渡したのだという。
自分の剣に名前を付け、黒光りする刀身に頬ずりして怪我をしてしまいそうなぐらいに変態なあいつが、大事にしている剣を一時的とはいえ手放したのだ。
まあ……それがなんだか嬉しかったので、今回の依頼に協力してやろうと思ってしまったわけで。
「いや、別に待機してるのはいいのよ。ただ、あいつが何事もなく平和に仕事を終えて帰ってくる未来が想像できないから嫌なのよっ。なんでこっちが常に心配させられないといけないわけ!?」
柔らかなライムを胸に抱きかかえるようにしてベッドで独り言を口にしていると、心配の種はどんどん大きく育っていく。
「ぜっっったいに、なんか厄介事に巻き込まれてるわ。あいつ。厄介そうな貴族に因縁をつけられて、逆上して大暴れてして、はずみで皇宮を破壊したりなんかして、衛兵に牢屋に放り込まれてたって不思議じゃないわ。むしろそれぐらいで済んでよかったと思えるぐらいよ」
溜息をつき、気分を落ち着けるためにベッドの上をゴロゴロと転がる。
「リムが一緒にいるから、そこまで酷いことにはならないと思うけど、あの子もけっこう無茶するところがあるから心配なのよ……っていうか、これじゃあワタシあの二人のお母さんみたいじゃないの」
ふう……もう少しすれば、皇宮でのパーティーも終わるかな。
「さっさと帰ってきなさいよね……もう」
怒り疲れたのか、ちょっとだけウトウトしてきたため――ワタシは静かに目を閉じた。
◇◇◇◆◆◆◇◇◇
皇帝ミハサが去ったあと、無事にお披露目会も終了したようで、戻ってきたティアモが貴族御用達の宿泊施設に帰るのを見届けてから、俺たちは自分の宿に足を向けた。
部屋の扉をノックしてから開けると、レイが寝具に寝転がって小さく寝息を立てているではないか。
これは珍しい。彼女がこのような無防備な姿をさらすのは、非常にレアだ。
レンのやつが、自分たちはわずかな物音でも目を覚ますように訓練されているとか自慢していたが、気が緩むこともあるのだろう。だって人間だもの。
俺が生温かい視線で見守っていると、レイが胸に抱きしめていたままのライムが、もぞもぞと動きを見せた。
『ご主人様、お帰りなさいませ』
「あ」
「う……ん? ちょ、ちょっと! 帰ったのなら声ぐらいかけなさいよ」
勢いよく起き上がったレイは、すぐさま腰にあるナイフを抜ける体勢となった。
「いや、レイが気持ちよさそうに寝てるから、起こすのも悪いかなと思って」
「そりゃどーも。それで、無事に護衛の仕事は終わったの? 追われてるような雰囲気ではないけど、すぐに帝都を出発したほうがいい?」
「だから! そうやってすぐ俺が何かをやらかしたみたいに考えるのをやめなさい。無事に今日の護衛は終わったし、ティアモからの依頼は順調だよ」
「ふぅん、本当に何事もなく終わったんだ? ……って、なんで急に目を逸らすのよ、そういうの怖いからやめて!」
いや……だって、ねえ?
「ちょっとリム、やっぱり何かあったんでしょ!? ちゃんと教えてよ」
「え、えーとね。聞いても驚かない?」
ある程度覚悟をしているのか、リムの言葉に諦め口調のレイはこくりと頷いた。
「セイジがね、皇帝が身に着けていた首飾りが欲しいって言って、それで……」
「ま、まさか」
「いや、待て待て待て! 間違ってはいないけど、別に無理やり奪ったわけじゃないからな! 犯罪者みたいな目で見るな! こ、皇帝から手紙を渡してくれって頼まれたんだよ。その前報酬として、この首飾りをもらったんだ」
「……は? 今なんて?」
「も、もちろん、手紙を渡せたらちゃんとした報酬も支払うって話で……」
「じゃなくて! なんであんたが皇帝とお近づきになってんのよ!? 皇帝に挨拶できるのなんて、招待されてる名門貴族の人たちぐらいでしょ」
もっともすぎるツッコミに、俺は偶然にも皇帝が窓から降ってきたことを告げる。
「――とまあ、そんなわけでお願いされたんだよ」
一通り、さきほど起こった出来事を説明していくうちに、目の前にいるレイの顔がだんだんと赤くなっていく。目つきも鋭くなり、今にもナイフで誰かを刺しそうな勢いだ。
「この……バカ!! なんでそんな厄介そうな件に首を突っ込むのよ!」
「いや、だって手紙を渡すだけだぞ? 前報酬で首飾りだってもらったし」
「黙りな。昨日の老夫婦のことだってそうだけど、なんであんたはそうやって面倒そうなことに自分から向かってくのよ。リムだってそう思うでしょ?」
くっ、レイのやつめ。リムにまで支援を求めるだと!?
「うーん、あたしは……セイジのそういうところに救われたことが何回もあるから。普通の人が関わりたくないって思うような出来事に踏み込んでいくのって、いいかなって」
あ、やばい、なんだか顔がにやけてしまう。
「騙されないで。そいつは首飾りが欲しかったから依頼を受けただけよ」
「うん……たしかに、ちょっとそういうところはあるけど」
ちぃぃっっ! たしかに天緑石という報酬は魅力的だったさ。だがこれを貰ったことについては一切後悔していない。だって欲しかったんだもん! そもそも、冒険者が依頼を受ける代わりに報酬を貰うのは、いたって正当な行為じゃないか。
「と、とにかく、この手紙は俺一人で届けてくるから。それなら文句もないだろ?」
「え、なんで? あたしも一緒に行くよ」
ベッドの上で丸まって様子を窺っていたライムを抱き上げ、俺の頭に乗せたリムは、当然のことのようにそう言った。
「え、だから、レイが言うように危険なことに巻き込まれるかもしれないし……」
「うん。だから一緒についていくんだけど? 今ならあたしだってセイジの役に立てるだろうし、一人で行くより安全でしょ?」
にこやかに笑む彼女の表情を見た瞬間、元気に動いていた俺の心臓が血液の供給を突然ストップさせて限界まで膨張したかのような感覚に襲われる。
…………ぐ、ぬあああぁぁぁぁぁぁ!!
はあ……はあ……危ないところだった。
ふう……もう少しで猥褻行為による逮捕歴がつくところだったぜ。
『ご主人様、今度はわたしも一緒に行きますね』
「ああ、ありがとう。ライム。たしか……目的の人物はノーズフォレストっていう酒場にいるって話だったな。あれ……どうしたんだ? レイ」
見れば、さっきまでプリプリしていたレイも外套を被り、ナイフや鞭なんかを確認している。
「どうって……準備したら悪いわけ?」
「じゃなくって、レイは来ないと思ってたから」
あれだけすごい剣幕でまくしたてた人物が、一緒に来てくれるとは思ってなかったのだ。
「別に、行かないとは言ってないでしょうが」
「え、でも面倒そうな件に首をつっこ……」
「うっさいわね。だいたいあんた、その酒場がどこにあるのか知ってんの? ノーズフォレストってね、情報屋がたむろしているような場所なの。口八丁なやつらが多いから、あんたなんかすぐ騙されるわよ」
ううむ、たしかに土地勘もないのに、そんな裏社会的な人たちが多そうな場所に行くのはちょっと怖い。レイは情報屋に知り合いがいるとも言っていたし、来てくれれば非常に頼もしい。
「さあ、行くんならさっさと行きましょう」
決断すれば動くまでは早いもので、俺たちはさっそく宿を後にした。
夜だというのに、昼間にお祝いのパレードがあったせいか、市民街の通りに並んでいる商店の多くはまだ活気に満ちていたが、レイの案内にしたがって通路を曲がっていくたびに、人通りは少なくなっていった。
「――ここよ。店の中に入ったら、あんまり周りの人間をジロジロ見ないでね。胡散臭い儲け話とかを延々と聞きたくないでしょ?」
半地下になっている石造りの建物、看板には崩れた字体で何かが書かれていた。
店内へと続く扉を押し開けると、内部はやや薄暗い。
レイに注意されたように、できるだけ周りの人を見ないようにしていたが、顔を露わにして皆が酒を楽しんでいるという雰囲気ではない。
そして、明らかにこちらに向けられている視線をいくつか感じる。
真っすぐに酒場のマスターがいるカウンターへと進んだところで、レイがこちらの耳元に唇を近づけ、小声で俺にこう言った。
「お金出して」
マジかよ? ここにきてカツアゲされるだなんて、泣けるぜ。
俺は黙って財布から銅貨を取り出し、レイに渡そうとしたら……横腹を小突かれた。
慌てて銀貨に取り替えると、レイはその銀貨をすいっと奪ってカウンターテーブルの上に差し出し、マスターに尋ねる。
「トルフィンってやつに用があるんだけど……どこ?」
あ~なるほど。そういうことか。でも、もうちょっと優しく作法をレクチャーしてくれても良かったんじゃないかな。
マスターは、透明で綺麗なグラスを磨きながら、顎をクイッと部屋の隅にいる男へと向ける。
そこには、外套で顔を隠した人物が座っており、グラスを口元で傾けていた。
「あの、あなたがトルフィンさんですか?」
「君は? なぜ俺の名前を知っている?」
低めの声からは、隠すことのない警戒の意が汲み取れる。
「ある人から、この手紙をあなたに渡すように頼まれました」
訝しみながらも手紙を受け取ったトルフィンさんは、封をしている蝋印を見た瞬間に小さく驚きの声を上げた。
「……マスター、少し奥の部屋を使わせてもらうよ」
そう言って、酒場の奥にある部屋と移動した。周りに俺たち以外の人間はおらず、密談をするのに最適な環境といえる。
「さて、ここなら誰かに話を聞かれる心配はない。なぜ、あの手紙を君たちが持っていたのか、教えてもらえるか?」
まあ、ここで隠しても何も始まらないので、とりあえず俺が皇帝から手紙を受け取ることになった経緯を手短に話した。
「ミハサ様から直接手紙を……!? いや……デュラン様が亡くなられたということは、そうするしかなかったのか」
うん? また新たな人物が出てきた。もうそろそろ頭がこんがらがってきたぞ。
「デュランっていうのは、この前に死体で見つかったっていう皇宮の官の名前ね。婚約の儀に反対していたっていうから、皇帝の良き理解者だったのかもしれないわ。その口ぶりからして、あなたはデュランって人の関係者かしら?」
そういえば、この間レイがそんなことを言っていたな。婚約が時期尚早だと反対したぐらいで暗殺されるとか、皇宮怖すぎんよ。
「……そうだ。俺はデュラン様からある密命を受けていた。しかし、連絡を取るために帝都に戻ってきてみればデュラン様が亡くなったという。どうしたものかと思っていたんだが……そこに君たちが現れたってわけだ」
トルフィンさんは、手に持っていた手紙の封蝋を丁寧にはがした。
「――この手紙と一緒にな」