12話【その胸元の輝きは】
「あなたは……ギルバランの部下ですか? わたしを連れ戻しに?」
警戒している皇帝は、一歩、二歩と後ずさりながら、そんなことを尋ねた。
「ちょ、ちょっと待ってください。正直、なにがなんだかわかりません。なぜ、ミハサ様が空から降ってくるんです!?」
「ふ、降るつもりなんてありませんでした! ただ……ちょっと予定外だったのです」
「カーテン、短かったですもんね」
「もしかして……ずっと見てました?」
「まあ、偶然にも下にいたんで」
かぁっと顔を赤くした皇帝は、何かを言いかけて、言葉を呑み込むようにして押し黙った。
今は周りに人がいないとはいえ、騒ぐのはよろしくないと判断したのだろうか。
……というか、なんだか普通に皇帝と話してしまっている自分が怖い。こんな偉すぎる人と話す機会なんてそうそうないから、感覚が麻痺しているのか?
いや、よくよく考えればリシェイルの王様だって相当偉い人だ。もしや慣れてきてしまっている……? 本当なら片膝でもついて頭を垂れるべきなのかもしれないが、お膝が土で汚れちゃうんだもの。
とまあ、混乱している自分を冗談めかして落ち着かせたところで、改めて現実と向き合おうじゃないか。
「ギルバラン……というのは、この国の大臣ですよね? お……自分は、ミハサ様の婚約のお祝いに招待された貴族の方に、護衛として雇われた冒険者です。大臣とは関係ありませんよ」
ティアモの名前は出さないほうがいいだろう。今回の護衛の依頼も内密に受けたわけだし、今の状況がわからないため、迷惑をかけることになるかもしれない。
「そう……ですか」
ひとまずホッとした表情を浮かべた皇帝は、今度は逡巡するように顔をうつむけた。
「あの、冒険者というのは、お金をもらって依頼を解決する人たちだと教わったのですが」
「ええ、間違ってはいませんけど」
「突然こんなことをお願いしては驚かせてしまうでしょうが」
おっとぉ、すでにお願いされる前から心臓が高鳴りを始めましたが?
「わたしを助けてくれませんか? 今はお金を持っていませんが、後で必ず」
ま、まて……待てぇぇぇぇい!
いやいや、これで驚くなというほうが無茶だろう。
なんでいきなり皇帝から直々に依頼が発生するんだよ!? フラグ管理はどうなってんだとツッコミたくなるレベルじゃねえか! 色々と大切な順序すっとばしてるよね、これ!
全然関係ないけど、窓から漏れるわずかな光に目が慣れてきたせいか、皇帝――ミハサの顔もしっかりと見えるようになっている。
パレードの際は遠目だったが、至近距離でご尊顔を拝謁させていただいた感想としては、ミハサはとても美しい女性である。ハッとするほどの綺麗さと、歳相応の可憐な可愛らしさを併せもった、魅力的な人物であることは間違いない。
というか、滅茶苦茶に可愛い。
……まあ、依頼を受けるのに相手の容姿なんか関係ないけど。
しかし、高貴で魅力的な女性から助けを求められて嬉しくない男など存在しないわけで。
「なにしてるの? セイジ」
「ふぁ!?」
聞き覚えのある声に首を高速回転させると、そこにはリムの姿。
「な、なな、なんだ……リムか。驚かせないでくれ。ど、どうしたんだ?」
「どうしたって、セイジが戻ってくるのが遅いから心配で見にきたんだけど」
ぐぅっ……! 俺の馬鹿! 別に何も悪いことしてないけど、俺の馬鹿!
「え、あれ? そこにいるのって、もしかして……」
俺もよくわかってはいないが、とりあえず皇帝が空から降ってきたことだけはリムに説明する。リムが冒険者仲間だと伝えると、ミハサもこくりと頷いた。
さて、話を元に戻すが、これは簡単には引き受けられない案件である。
別にリムが来たから態度を変えるというわけではないが、皇帝が助けを求めているなんて、危険な香りしかしない。劇薬を鼻から直接吸い込んだぐらいにヤバイ香りがする。
「でも、そんな……助けるって、出会ったばかりの冒険者にお願いするのはおかしいでしょう」
やんわりと断るために、おかしいと感じるポイントを攻めることにした。
「……たしかにそうです。見知らぬ冒険者にそんなお願いをするほど追いつめられていることは認めます。ですが、考えなしに言っているわけでもありません」
ミハサは、細く綺麗な指をピッと立てる。
「さきほど、パーティーに招待された貴族に護衛として雇われたと言いましたね。つまり、あなたの実力は貴族から信頼されるに値するもの、ということです。理由はわかりませんが、ここに倒れている三人もあなたが倒したのでしょう?」
傍には、俺がさっき殴り倒した三人の兵士が転がっている。
「それに、あなたは窓から落ちそうになったわたしを助けてくれました。自分を助けてくれた人物を少しぐらい信用するのは、それほど変なことではないでしょう」
なるほど……もっともらしい意見だ。
追手というのは、さっき話に出たギルバランとかいう大臣か。
だがしかし、ギルバランが悪いやつで、皇帝ミハサは利用されてるだけだという構図は、色々と事前に集めた情報から勝手に組み立てた推測でしかない。もしかすると、大臣のほうが良識ある人物だという可能性もゼロではないのだ。
たとえお金を払うと言われても、相手を見極める必要がある。
いくら金を積まれたって、すぐさま依頼を受けるなんてことはしない。こっちにも譲れないもんってのがあるんだぜ。
「……ん?」
俺はふと、皇帝の胸元に視線をやった。
いや、けっして変な意味ではなく。
彼女がさげている首飾りが、目に留まったのだ。
「どうされました? ああ、この首飾りですか? これは先々代の皇帝が異国へと遠征した際に持ち帰ったものだそうです。綺麗な色をしていて、わたしは気に入っているのですが」
首飾りに埋め込まれている、緑色の宝玉。
「まさか……」
深みのある翡翠色の石で、ところどころに小さく光る星のような輝きを帯びている。
信じられないことだが、その宝玉がシャニアの言っていたドラゴンオーブの修復に必要な“天緑石”の特徴と合致していたのだ。
念のため、《盗賊の眼》で宝玉をジーッと凝視してみると、たしかに《天緑石》と表示される。
おいおい……まさかこんなに早く発見することになるとは。
俺があまりに首飾りに視線を集中したためか、ミハサは手で胸元を隠す仕草をしながら言う。
「そ、そんなにこれが気になりますか? お望みであれば、これを依頼の前報酬としてもいいですよ。もちろん、きちんとした報酬は後で払います」
首飾りを外し、それをこちらに渡そうとしてくる皇帝ミハサ。
うん。やっぱり困っている人を助けずに放っておくのは、マズいと思うの。
たとえ相手が皇帝でも、厄介そうな依頼だったとしても、自分を頼ってくれる依頼人を無下にするのはダメだと思うの。
反射的に天緑石の首飾りに手を伸ばそうとしたところで、一旦ストップする。
ぶっちゃけ色々と言いはしたが、相手がこちらの欲するものを支払うというのなら、依頼を受けるのは全然アリだ。皇帝がよほどの悪人なら話は別だが、欲しいものを得るために仕事を引き受けて何が悪いというのか。
ただ一つ問題なのは、現在俺がティアモからの依頼を受けている最中ということだ。
魔物の討伐依頼とか、採取依頼をギルドで複数受けるのは問題ないが、護衛の仕事とかは基本的に一つこなしてから次の依頼を受けるものだ。待機状態ではあるものの、護衛対象のティアモをすっぽかすわけにもいかない。
「大丈夫です。なにもこの場からわたしを連れ去ってくださいなんて、無茶を言うつもりはありません。この手紙を市民街にあるノーズフォレストという酒場にいるはずの、トルフィンという人物に渡してくださるだけでいいのです」
「え、と、それだけですか?」
「はい、それだけです。そうすれば、彼から報酬を支払ってもらえるはずです」
なんというか、婚約がどうしても嫌なので、ルークで皇帝を連れ去り、拠点に戻って帝国軍と戦うぐらいの展開を考えてしまっていた。大規模軍隊を個で蹴散らすとかは憧れるが、さすがに途中で力尽きそうだ。
「好きでもない人との婚約は、わたしだって抵抗があります。ですが、わたしは皇宮から離れるわけにはいきませんから……」
ふーむ。何か訳ありのようだな。もちろん、手紙を渡すだけの簡単なお仕事です……という内容をそのまま素直に信じるほどには俺の心は純粋じゃない。何かしら危険を孕んでいるのは間違いないだろう。
「わかりました。その手紙を渡してください」
が、天緑石はその危険に見合うだけの報酬だ。
シャニアは何か情報があれば教えてくれと言っていたが、天緑石そのものを渡せば、新しいスキルオーブだって作ってくれるかもしれない。
「頼みましたよ」
そう言って、ミハサは首飾りと手紙をこちらに渡した。
「ねえ、セイジ、誰かこっちに近づいてくるよ」
獣人は耳や鼻が利くため、リムがいち早く接近してくる者の気配を感じ取ったようだ。
しばらくして暗がりから姿を現したのは、記憶にあるような面をかぶった黒ずくめの男だった。
レイやレンが着けていたのと似ている。となると……特務部隊の人間だろうか。
「ミハサ様、こんなところにいたのですか。すぐにお戻りください。今ならまだ衛兵も気づいておりません」
紳士的ともいえる口調で、ミハサに皇宮に戻るように告げる男。
「ええ、わかっています。逃げることなどできないのは、あなたたちが一番よく知っているでしょう」
すんなりと男の言を受け入れたミハサは、こちらを振り向くことをせずに歩いていく。
「……君たちは? こんなところで何をしている」
次にこちらに視線をくれた男は、当然ながらそんなことを尋ねた。
すわ戦闘勃発かと思いきや、わりと穏やかな口調である。
「招待されている貴族の方に雇われた冒険者です。そこで寝ている三人とちょっとモメていたんですが、途中でミハサ様が窓から降ってきて、正直なにがなんだか……」
半分以上が本心である。
男は上空を仰ぎ、窓から垂れ下がっているカーテンの束を見つめてから、小さく
「……まったく、無茶なことを……」
とつぶやいてから、皇帝の後を追っていく。
「――行っちゃったね。その手紙って、何が書いてあるんだろ?」
完全に相手の気配がなくなってから、リムがそんなことを言う。
たしかに、手紙の中身はちょっと気になる。
というか、色々と突然だったから、いまだに現実味が感じられない。
だが、懐にしまった手紙と天緑石をあしらった首飾りの重みが、この夜に起こった出会いが現実のものであると、静かに主張していた。