11話【Past days】
スーヴェン帝国東部にあるエリンダルの街にて。
大通りには露天の商店が多く並んでおり、活気のある喧騒の声が飛び交っている。
「ぷはぁっ! やっぱりこの辺りはまだちょっと暑いや。セーちゃんに送ってもらったのは正解だったかな……あ、お代はここに置いとくよ」
新鮮な果物を搾り、魔道具によってキンキンに冷やされたジュースを一気に飲み干した男――レンは、一枚の銅貨をテーブルの上に置いた。
「さて、と。行きますか」
レンが目指すのは、エリンダルにある領主館である。
通りをしばらく歩くと、彼が子供の頃に過ごした大きな建物が見えてきた。
「悪いけど、執事のリーガルを呼んでもらえる? レンが来たって言えば伝わると思うから」
この前の一件があるとはいえ、子供の頃に帝都に徴兵された領主の息子の顔など、大勢いる兵士全員が覚えたとは思えない。
そう考えたレンは、馴染みがある老執事のリーガルを呼んでもらったのだ。
ほどなくして、まるで我が子が帰ってきたのを喜ぶかのように好々爺のリーガルが顔を見せた。
「これはレン坊ちゃま。しばらくは帰って来られないと思っておりました。今日はどうされましたか?」
「ああ、別に用ってほどじゃないんだけど、この前に来たときはレイ姉が興奮してたから、バタバタしてたでしょ? リク兄とゆっくり話せなかったからさ」
「そうでございますか。しかし……リク様はちょうど今エリンダルを離れておりまして」
執事服を着こなしているリーガルは、白く染まった眉を残念そうに引き下げた。
「ただ、いつもフラリと行き先も告げずにどこかへ行ってしまうのですが、今回は帝都グランベルンに向かったはずです」
それを聞き、レンは「ああ」と頷いた。
セイジが言っていた、皇帝の婚約の儀。
いちおうは地方を治める貴族であるリクも、招待されているのだろう。
「そっか、そうだよね。ねえ、リーガル……リク兄って昔からあんな感じだっけ? いや、たしかに昔と比べて色々と真面目なことも考えてはいるんだろうけど」
「……と、申されますと?」
「どこがどうって聞かれると上手く言えないんだけど……うん、やっぱいいや。変なこと聞いてゴメン」
「いえいえ、せっかく帰って来られたのですから、ゆっくりとくつろいでください。すぐにお茶を用意させますので」
「うん。それなら館の中を適当に見て回ってもいいかな? なんだか懐かしくなっちゃって」
「ええ、もちろんですとも」
「それならリーガル、悪いけど案内を頼めるかい? 昔とあまり変わってないんだろうけど、オイラまだ小さかったし、記憶もだいぶ薄れてるからさ」
「ええ、喜んでご案内させていただきますよ」
「――少しばかり風を通しておきましょうか」
リーガルが閉めきっていたカーテンを開けると、採光を目的とした大きな窓によって室内が照らされた。
机に置かれている書類の束や、本棚に眠っている書物の題名が浮かび上がる。
「ここって、昔は父上が使ってた部屋でしょ? リク兄がこの執務室で仕事してる姿とか、想像できないな」
「左様でございます。ええ、リク様がここで長くお仕事をされている姿は、私も見たことはありませんよ」
もはや慣れっこであるが、突然姿を消して戻ってこなくなるリクには、リーガルだけでなく皆が困っているのだ。
「あはは。子供の頃は、父上が怒るからほとんど誰もこの部屋に入れてもらえなかったなぁ……」
レンは懐かしみながら、ほぼ記憶にない室内を見回した。
「あれ……この絵は?」
壁に飾られている絵には、三人の人物が描かれていた。
家族を描いたものかと思ったが、違う。
中央にいるのはリクで間違いないが、その両隣にいる人物にはレンは面識がなかったのだ。
「ああ、その絵はリク様が新しくお飾りになったものですよ。なんでも、仲の良かったご友人と一緒に描いてもらった絵だとか」
描かれている三人は、どれも現在のレンと同じか、少し年下ぐらいに見える。
「リク様の隣にいる男性が、たしか……ラハルさんで、女性のかたはアリーシャさんだと仰ってました」
「ふぅん。オイラは会ったことない、かな」
「私も直接会ったわけではないのですが、いやなかなかに気品溢れる青年と、可愛らしいお嬢さんですね。当時のリク様は毎日のように館を抜け出しては、街へと遊びに出掛けておりましたので、ご友人も多かったのでしょう。なかでも、特にこのお二人とは仲が良かったようです」
「ラハルさんに、アリーシャさん……か」
そのとき、執務室の扉を軽く叩く音が響いた。
「おっと、どうやらお茶の用意ができたようですね」
「そうみたいだね。案内してくれてありがとう、リーガル」
「いえ、また何かありましたら遠慮なく仰ってください」
◇◇◇◆◆◆◇◇◇
――帝都グランベルン。
皇宮には、舞踏会を開ける大きな玄関ホールがあり、そこから大階段を上っていくと豪奢な謁見の間へと続いている。
普段は大扉によって隔たれているが、今夜は皇帝の婚約の儀を祝うために多くの貴族が皇宮に招待されており、贅を尽くした料理がたくさん並んでいた。そのため、玄関ホールや謁見の間は大勢の人で賑わっている。
そんな祝いの席から少し離れた皇宮の一室にて、静かに会話する男女の姿があった。
「やっと戻ってきたと思ったら、ずいぶんと不機嫌じゃないの」
「当然だろう。あの大臣の馬鹿息子……アンデルの顔を見ていると気分が悪くなるからな」
女のほうは綺麗な顔を歪ませ、男の言葉にくつくつと笑いを漏らす。男は表情こそ平静を保っているものの、声に苛立ちが混じっていることは明白だった。
「あら、ダメよ。アンデル様に向かってそんな口の利き方をしては。まあ、あなたにとっては面白くないでしょうけど」
「できることなら、アンデルも、あいつの父親であるギルバランも、そして……俺の目の前にいる女も、全部始末してやりたいところだよ、ヘラ」
「あら、怖いこと言わないで。そんなこと言ってもあなたには誰も殺すことなんかできない。だって、あなたが彼女を見捨てることなんてできないんだもの」
そう口にして、ヘラと呼ばれた女性は男の頬に指を這わせる。
「あなたがあの子のために、裏で色々と頑張っているのは知ってるわ。それもわたしの助けがなくてはできないでしょう? ああ……本当に愛してほしい人から愛してもらえず、それなのに必死にあがいているそんなあなたが、わたしはたまらなく好きよ、ラハル」
ラハルと呼ばれた男は、頬を這う相手の指を手で払いのけて席を立った。
「……愛してほしい人から愛してもらえない? それはお前も一緒だろう。いい加減に俺を傷の舐め合いの相手にするのはやめろ」
「ふふ……そう言っても、あなたにはわたしが必要なのでしょう? 強がっても無駄よ。愛する人を騙し、親友を裏切ったあなたに一体何が残ってるって言うの? わたしだけが、あなたの苦しみを全部わかってあげられるわ。ねえ、そうでしょう?」
ラハルは黙って、傍にあった面へと手を伸ばす。
「……もういい。話はここまでだ」
部屋から出て行く男を、ヘラは残念そうに見送った。
しかし、すぐにケタケタと愉悦の笑みを浮かべて笑い出す。
「あは、あははは……お互いに傷を舐め合うって、すごく楽で気持ちのいいことだと思うんだけどなぁ……何がダメなの?」
ラハルがいなくなり、自分の声しか聞こえなくなった室内で、ヘラは静かに口ずさんでいた。
◇◇◇◆◆◆◇◇◇
「しっかし、盛大なセレモニーだな」
皇宮内のホールだけでは収まらなかったのか、ドでかい庭園までずらりと料理が並んでパーティー会場となっている。
皇宮内の警備は屈強な衛兵が担当しているようで、貴族の護衛としてついてきた兵士や、俺のような雇われ冒険者は隅っこのほうで差し入れられた料理を頬張っているのだが、それだってかなり豪勢だ。
婚約発表というだけでここまで豪華なものにするのは、権威を明確にしておきたいのだろうか。
街中をパレードで回ったのも、民衆に皇帝を崇める対象であることを再認識させておきたかったのかもしれない。
ちなみに、レイは言わずもがな、ルークとライムも宿でお留守番である。
ライムはいちおう魔物だからね。庭先とはいえ皇宮だものね。
「はい、飲み物もらってきたよ」
「お、ありがとう」
そんなわけで、現在は俺とリムの二人で待機している状態である。
ティアモは皇宮内にいるため、現在のところやることはない。裏方の護衛なんて何事もなければ実は暇なのかもしれないな。
――と、思っていた時期が俺にもありました。
なにやら近くから喧騒が聞こえたので、歩を向けた。
「……やはり、護衛の質というのは飼い主に似るのかもしれんな。このような兵士しか部下に持っていないとは、嘆かわしいことだ」
「我らだけでなく、ティアモ様まで愚弄するかっ……」
やだー、もう。
ヴァンが連れてきた兵士数名が、ティアモの護衛の兵士にからんでるじゃないですかー。
……こんな祝いの席でぐらい、仲良くしてほしいよね。
さて……、と。
ティアモからの依頼内容としては、ルドワール家の身内の争いを公にしてくれるな……というものだった。お互いが連れてきた兵士が喧嘩なんかしていたら、家名に傷がつく。
うーむ。ベタな方法かもしれないが、あの手でいくか。
「リム、せっかく持ってきてもらった飲み物だけど、ゴメンな。しばらくここを離れることになると思うから、そっちはここで待機しててくれ」
「うん。まかせて」
リムに一言告げてから、俺は喧騒の中心に向かって歩いていく。
「さ、騒がしいようですけど、何かあったん……あわわ!?」
第三者を装い、さも自然なふうに――
持っていた飲み物を、ヴァン側の兵士たちに頭からぶちまけてやった。
ポタポタと、髪から滴を垂らす兵士たち。
「……お前、ちょっとこっちに来い」
冷たい飲み物を頭から浴びたせいか、さっきまで興奮していた兵士たちは冷ややかな声とともに俺の腕を引っ張っていく。
やだ怖い。
「あ、ちょっと待ってください。わざとじゃないんです」
いや、だってあの場で堂々と割って入ったら、お前誰だよ? って話になるもの。
これが最良の選択だと思うわけです、はい。
悲しいかな、誰も俺を助けてくれる人は現れなかったわけで、皇宮の庭をぐるりと囲む壁に沿って歩き、連れていかれたのは人気のなさそうな暗がりだった。
「お前……冒険者か? 俺らにあんなことして無事にすむと思ってない――」
「……いや、たしかに兵士の質って雇い主によって変わるものみたいですね」
「何をわけのわから……っんガフッ!!」
「てめっ……なにしヤブフッ!!」
「このや……ろゲヴォッ!!」
三人いた兵士を全てワンパンで沈めたあと、周囲を見回す。
うん、誰にも見られていない。問題なし。
それにしても、さすがはジグさんが作ってくれた特製ナックル。鎧ごしでも効果抜群だ。
「ん……?」
皇宮といったドでかい建物の陰になっているせいか、この場所には月明かりすら届かない。
だが、ふと頭上を見上げると、皇宮の窓から暖かそうな光が漏れていた。
「いいな……中では豪勢なパ―ティーが開かれてるんだろうなぁ」
バタンッ!
「え……」
次の瞬間、窓が開いて何かが窓の外へ放り投げられる。
太い紐のようだが、目をこらせばそれがカーテンを束ねたものだとわかった。
もしやアレか? カーテンをロープ代わりにして窓から脱出する的なやつか?
俺がしばし静観していると、小柄な身体がカーテンをつたって下りてくるではないか。
……あ、でもこれ、カーテンの長さが足りないんじゃないかな。
下りてきた人物は端まで到達してミスに気づいたらしく、戻ろうにも腕が疲れてしまったのか、そのまま動かなくなってしまった。
もうちょっとだけ静観していると、だんだん小柄な身体がプルプルと震えだし、然るのちに――落ちた。
さすがにそれを見ているだけというのは抵抗があったので、高所から落下してきた人物をキャッチ。
小柄とはいえ、それなりの衝撃が腕を走った。
「っ重た……」
「ぶ、無礼者!」
俺が思わず口にした言葉に腹を立てたのか、抱きとめた人物の第一声はそれだった。
「はやく下ろしなさい。いつまで身体に触れているのですか!?」
「はいはい、悪かったですね。次からはカーテンの長さぐらい確認してください」
窓から漏れる光が、わずかにだけ相手の顔を闇夜の中にうつしだす。
「ぇ……」
俺は言葉を詰まらせた。
目の前の人物の顔には、見覚えがあったのだ。
若草のような綺麗な澄んだ瞳。
昼間のパレードの中心人物。
――ミハサ・リア・スヴェルドニア。
おい、待ってくれ。なんで……皇帝が空から降ってくるんだよ。