10話【パレード】
※前話において、セイジのガウスさんへの料理スキルに対する扱いを、もらう→借りるというニュアンスに修正しております。
「大丈夫ですか? みたところ、それほど酷い火傷ではないようですが」
長年料理人をやってきたため、火傷などの怪我に慣れているというガウスさんが、俺の腕の火傷をみてくれた。
「すぐに冷やして処置しておけば、数日で気にならなくなると思いますよ」
ガウスさんがそう言って、マーサさんは井戸で汲んできた冷水に布巾を浸し、絞ってから火傷した部分にかぶせてくれた。
ひんやりとした感触が心地よく、自分の魔法で治療することも可能ではあるが、この場ではご厚意に甘えさせていただくことにする。
「リムちゃんは獣人さんだったんだねぇ」
「すみません。隠してて」
老夫婦に向かってぺこりと頭を下げるリム。
「いやいや、いいんだよ。たしかに帝都では獣人であることを隠しておいたほうが面倒事に巻き込まれないだろうからね。わたしやガウスには気を遣わなくても大丈夫だよ」
幸いなことに、この老夫婦はクリケイア教の熱心な信者というわけではないようだ。親しくなった人がいきなり豹変するのはトラウマものである。
……そうだ。借りていた料理スキルをガウスさんに返さないと。
自然なふうを装って手を伸ばそうとした矢先――
「ところで、セイジさんは普段はあまり料理をされないようですね」
「え?」
さっき、ガウスさんの目の前であれだけ料理を作ったというのに、そのような言葉が向けられるとは思わず、つい上ずった声が出てしまった。
「手を見ればわかります。普段から包丁を握っているような人の手は、すぐにね」
ガウスさんは苦笑しながら、自分の掌をこちらに向けて見せてくれた。ところどころにある火傷の痕、切り傷に包丁ダコなんかもある、年季の入った手だ。
「失礼、驚かすつもりはありませんでした。いやはや……実はちょっとショックだったのです。教えたとはいえ、わしの自慢の料理がああも簡単に再現されるとは思っていなかったもので」
そりゃあ、長年かけて磨き上げた料理スキルをお借りしましたからね。
「しかも、普段はあまり料理をしないはずなのに、です。ですが……妙に納得してしまった自分もいるのですよ」
「と、言いますと?」
「自分で言うのもお恥ずかしいのですが、セイジさんの厨房での動きは洗練されていました。まるで……昔のわしのように」
ガウスさんは、皺のある顔をクシャッとして微笑みを浮かべた。
「笑わないでくださいよ? あの時……奇跡が起こって、わしの料理人としての経験がセイジさんに注がれたような気持ちになったのです。そうしたら、自分でも妙に納得してしまって」
……じ、人為的な奇跡ですけどね。
俺は心拍数を跳ね上げながら、ガウスさんの言葉に反応する。
「あ、はは。でも、本当にガウスさんの経験が俺に注がれたとすれば、ガウスさん困っちゃいますよね」
包丁を握れないほどに身体を壊したといっても、何かの折に料理をする機会があるかもしれない。
「はっは。このような老人の妄想に付き合っていただき、ありがとうございます。しかし、わしはもう料理をすることはないでしょうな。店を閉じるとき、これからはマーサの手料理を食べてのんびり過ごすと決めておりましたから。長年、料理人として鞭を打ってきた身体を少しは休息させてやりませんと」
ガウスさんはゴツゴツとした掌で、俺の手をそっと包んだ。
「ですから……もしそうであったなら、セイジさんには、わしの料理の経験をさらに磨き上げていってほしいものですな。老いた自分の技術が若い世代に受け継がれるなんて、夢があっていい」
「いや、でも……」
とはいっても、ねえ?
マーサさんが冷やし終わった腕に包帯を巻いてくれる中、ガウスさんはこちらの手を包んだ両手を動かそうとしているのがわかった。
しかし、ゴツゴツとした掌は、握るというよりも包むという感触のままだ。
「……おわかりでしょう? もう、ほとんど動かないんですよ」
「あ……」
「よろしく、お願いします」
俺は静かに、伸ばしかけていた手を引っ込めたのだった。
◇◇◇◆◆◆◇◇◇
市民街へと戻り、宿泊手続きをしていた宿へと帰ってきた。
「遅い! こんな時間までどこをブラブラしてたのよ!?」
部屋に入るなり、先に戻っていたらしいレイが詰め寄ってくる。
「……って、ああ! その腕! あれほど騒ぎを起こさないでって言ったのに」
「いや、これは――」
こちらの包帯を巻いた腕を見て、頭を抱えるようにしてしゃがみ込んでしまった。
「それで……一体何をやらかしたの? 腹の立った貴族をぶん殴って、騒ぎに駆けつけた衛兵を数十人ぐらい斬り殺した? だったらすぐに帝都を出ましょう。二人とも荷物をまとめて」
うーむ、実に切り替えが早い……じゃなくて!!
「ちょ、ちょっと待て! なんでレイはすぐ俺を危険人物みたいに扱うんだ!? 勝手に数十人単位の死者を出すな!」
「だってあんたが腕に怪我するなんて、相手がよっぽど強いか、多勢に無勢だったとかぐらいでしょ? 他に理由なんてあるの?」
「あるよ! めちゃくちゃあるよ!? この腕はただの火傷だっての」
処置が早かったおかげか、もう火傷の痛みはほとんどない。
巻いてあった包帯を取り、念のために治癒魔法をかけておく。
「ふぅん。まあ、あとでそっちの話もちゃんと聞かせてもらいますからね」
まだ完全には信用していないジトッとした視線を遠慮なく浴びせてから、レイはベッドの上に腰かけた。
「こっちは、予定通り情報屋と会って色々と調べてきたわよ」
「何か有益な情報はあったのか?」
「有益かはわからないけど、いくつか気になる情報はあったわね。皇帝と大臣の息子が婚約するって話、かなり強引に事が進められたそうよ。時期尚早だと反対意見を述べた官が後日に死体となって発見されたとか……きな臭いったらないわ」
皇帝ミハサは幼い頃に皇位についたせいで、実質的な政治はギルバランという大臣が裏で操っているというのが、俺の中の認識である。
いわゆる傀儡政権だ。
大臣は自分の息子を皇帝と結ばせることで、より実権を握りたいのだろう。
「皇帝本人も、今回の婚約の話は不本意みたいね。といっても大臣には正面から反対できないだろうし、そうそう問題は起こらないだろうけど……式典会場では特に気を抜かないようにしたほうがいいわ」
ふむ。婚約の儀を中止させるような事件が起こる可能性も、あるかもしれないってことか。
ティアモがそれに巻き込まれないようにしないと。
「それと、あんたの護衛対象である領主様の兄にあたる……えーと」
「ヴァン・ルドワール?」
「そう、そいつ。ワタシが得た情報によると、もう帝都に到着しているそうよ」
「うん、知ってる」
ティアモより一足先に帝都に到着し、のんびりと帝都見物でもしているんだろう。
「知ってるって……なんで?」
「まあ、その…………」
「黙んないでよ、なんか怖いから」
レイにこちらで得られた情報を教えつつ、ガウスさんの店で起こった一件についても報告した。
腕の火傷は、ヴァンに鍋を投げつけられたせいだ。
「まったく……要注意人物に料理を振る舞うとか、なにやってんのよ。っていうか、料理そんなに得意だったっけ? あんた」
「途中までは上手くいってたんだよ。あたしが獣人だってことがバレて、あの人が怒りだしたの」
リムの言葉に、レイは俺のときと違って語気を柔らかくして応対する。
「まあ、今日のことはなかったことにしてもらったんでしょ? とりあえず大事がなくて良かったじゃない」
俺の腕は火傷したけどな。
「そうだな。実際にヴァンがどんなやつか知る機会にもなったわけだし、リムが気に病むことはないよ」
「うん、ありがとう。レイ、セイジ」
――さて、初日からこのようなハプニングがあったものの、その後は平和なもので、依頼主であったティアモも無事にグランベルンに到着した。
いちおう、ヴァン・ルドワールとこんな一件がありましたという報告はしておく。
彼女は少しばかり悲しそうな表情で、
「あの人は、そういう人なんですよ」
と口にした。
到着早々に身内の横暴を知り、暗い気分にさせてしまったようだ。本当に申し訳ないと思う。
が、ティアモはすぐに気を取り直し、明るい口調で告げた。
「ところで、明日の昼はパレードがあるんですよ。セイジさんたちも見物されてはいかがですか?」
小柄な身体なれど、知性を備えた碧眼の双眸が、眼鏡ごしにこちらを見つめてくる。
「でも、護衛はどうするんです?」
「わたしはパーティーに出席する準備をしますので、昼は特に外出することもないですし、それなら護衛は部下の兵士だけで十分ですよ」
婚約の儀というのは俺が思っていたよりも盛大なようで、一日目はパレードで民衆へのお披露目、そのあとにパーティーで貴族たちにお披露目、正式な婚約は二日目になるとのことだ。
――翌日。
お祝いのパレードが街中を行進している様は、さながらお祭りのようだった。
たくさんの出店が並び、見た目にも楽しい色鮮やかなお菓子から、砂糖を焦がしたような香ばしい匂いが風に乗って流れてくる。
俺はリムと一緒に、出店で購入したお菓子を片手にパレードを眺めていた。
レイも誘ったのだが、「なんでわざわざ人が多いとこに行かないといけないのよ? できれば帝都に来たくなかったって言ったでしょ。あんたバ――」
回想中断。
……とまあ、こんな感じに断られたので今は二人――
『ご主人様、それ美味しいですか? わたしもちょっとだけ食べていいですか?』
いや、俺の頭の上にライムが乗っかっているから、二人と一匹か。
『んぐ……んむ』
「どうだ? 美味しいか?」
『はい、とても。でもご主人様がこの前に作っていたデザートのほうが、わたしは好きです』
「そんなこと言って、また作ってもらおうとか考えてるんだろ?」
そんな言葉に、ライムが小さくぷるるんと震えた。
「ねえねえセイジ、あれが皇帝かな」
「ん……?」
振り向けば、長い行列の中心がこちらにやってくるところだった。
行列の中心にあるフロートに乗っているのが、皇帝と婚約相手なのだろう。
人が多いので傍まで行くことはできないが、男性のほうは機嫌良く笑顔を浮かべている。
女性のほう――おそらく皇帝は、遠目にも美しく気品がある少女だった。
しかし、その若草のように澄んだ瞳は、どこか寂しげなものを感じさせた。
「レイの話を聞いたからかもだけど……あんまり嬉しそうにみえないね」
「そう、だな。いちおう笑ってはいるけど……なんかちょっと、寂しそうだ」
そんな俺たちの印象とは裏腹に、音楽隊が演奏する楽しげな音を伴いながら、パレードは目の前を通り過ぎていったのだった。