3話【在りし日を想う】
「……ぷはぁ! こんなに気分良く酒を飲めるってのは、いつぶりかなぁ」
赤らんだ顔に笑みを浮かべているのは、ふくよかな身体を商人服に包んだ獣人ドーレである。
彼の隣には旧知の仲ともいえるミレイが座っており、空いたグラスになみなみと新たな潤いを注いでくれている。
それはドーレにとって、商売で大きな利益を得たときの祝杯で飲む高級な酒よりもずっとずっと美味といえるものだった。
「いやぁ、それにしても本当にミレイさんが無事で良かったよ。アーノルドから話を聞かされたときは、あまりのショックに体重が減ったもんさ」
「心配かけてごめんなさいね、ドーレ。でも……わたしの記憶に残っているあなたは、もう少しスリムだったと思うんだけど?」
「そ、そりゃあ、ミレイさんに最後に会ったのは俺が村を出るときだったから……かれこれ十年以上も前の話だろう? あの頃と比べたら少し丸くなったとは思うけど」
「……少し、かなぁ?」
じとりとしたミレイの視線の行き先は、ドーレのふくよかな腹である。
「あ……そうだ、あなた村を出てから全然こっちに便りをよこさなかったけど、商売のほうは順調にいってるの?」
「まあ……色々と必死だったからね。おかげさまで、順調に商売させてもらってるよ」
当時、ミレイに恋心を抱いていたドーレは、ミレイとアーノルドが結ばれたことを祝福しながらも、複雑な気持ちを自分のなかで整理することができなかった。
それが村を出て商売をすることに決めた理由の一つであるため、便りも出しにくかったのだ。
今は年月も流れ、二人の幸せを純粋に祝福できる程度には心の整理もついている。
それでも、隣でミレイが笑いかけてくるという状況に、心が浮き立つのは否めない。
「――……というわけで、びしっと言ってやったんだよ。粗悪品を混ぜた品物を秤にかけることには口を出さないが、次にくるときには自分の良心を天秤にかけておけっ! ……てさ」
酒に酔っていることもあり、普段は喋らないような武勇伝を語るドーレを誰が責められよう。
「……っと。なんだか俺の話ばっかりだな」
ミレイを挟むようにして、彼女の両端にはドーレとアーノルドが座っている。
先程から、ミレイはドーレとばかり会話をしていた。
「別にかまわんぞ。さっき、ミレイとは二人でゆっくり話をさせてもらったからな」
酒をぐびぐびと煽りながら、気にするなと伝えるアーノルド。
ドーレが気を利かせ、再会直後は邪魔しないように二人きりにさせてあげたのだ。
「へえ、どんなことを話してたんだ?」
「そうだな……オレとリムの二人で旅をしていたときのことや、リシェイルに渡ってからセイジと会ったときのことなんかも話したな」
「あの子ったら、しばらく誰とも話せないぐらい落ち込んでたらしくって……友達になって励ましてくれたセイジ君には感謝してもしきれないわ」
我が子であるリムが苦しんでいた姿を想像し、ミレイは名案を思いついたとばかりに手を叩いた。
「そうだわ! リムさえ良ければあの子をセイジ君の――」
その発言をかき消すように、ダンッ! とグラスの台をテーブルに強く叩きつけたのはアーノルドである。
「な、なによアーノルド? そんなに怖そうな顔しちゃって」
自分が強張った顔をしていると自覚していなかったアーノルドは、瞬時に表情を緩ませてからミレイのほうに向き直った。
「ん……いや、そういえば、お前が世話になったというナントカの……」
「夜鳴きの梟がどうかしたの?」
「そうだ。そこの団長にも、いつか礼を言いにいかんとな」
「あ~、あの人すぐに住んでるところを移動しちゃうし、もう会えないんじゃないかしら。わたしも副団長なんて偉そうな肩書き付けてもらってたけど、やってることは雑用というか面倒事のまとめ役みたいなものだったし、助けてもらったお礼なら自分の身体で払ったようなものだから、別に必要ないと思うわよ」
炊事洗濯などは他の団員も一緒にやっていたが、団長が勝手に拾ってきた孤児の受け入れ先を探したり、団の運営資金のやり繰りをしたり、ミレイに丸投げされていた仕事は多岐に渡る。
「いや、しかし、ミレイさんが良心的な人たちに助けられたようで良かったよ。商人をしているせいか盗賊の怖さは身に染みてるけど、相手が極悪盗賊団とかだったら、助けた見返りに何を求められるかわかったもんじゃないからね。下手をすれば本当に身体で払えとか……あ、でもミレイさんも昔ほど若――くブフゥッ!!」
言葉の途中、ミレイの拳がドーレの顔面に突き刺さった。
普段の彼であればこのような失言はけっしてしないのだが、今はかなり酔っていることが災いしたようだ。
ほがらかな笑みを浮かべていたドーレの顔がぐにゃりと歪み、イスから転げ落ちる。
「……いや、今のはドーレが悪いだろう」
「……うん、今のはわたしも傷ついた」
息をぴったり合わせたアーノルドとミレイは、ドーレが起き上がろうとするのを手伝うように手を伸ばした。
「痛っててて。いや、ミレイさんが綺麗なのは俺の商人眼に誓って保証するよ。でも、俺が最後にミレイさんに会ったのはさっきも言ったように十年以上前なわけで……」
たしかに、ドーレの記憶にあったミレイの姿は、現在のリムよりちょっと年上ぐらいのものだ。
彼にとっては、アーノルドとミレイを含めた三人で一緒に遊んでいた頃の記憶が大部分を占めている。
「もうドーレとはしばらく口利かない。言っとくけど、わたしだって何度も団長に口説かれてたんだからね。そりゃあ、可愛い女の子を追いかけるのが生き甲斐みたいな人で、いっつも違う女性を連れてるようなダメな団長だったけど、まだまだわたしも――」
「なん、だと?」
強張った表情のまま、石のように身体を硬直させたアーノルドが呟きを漏らした。
「あ……」
誤解を招くような発言をしてしまったことに気づいたミレイは、慌てて訂正する。
「ち、違うのよ。アーノルド。団長は誰にでもそういうことを言う人だったの。記憶がなくたってわたしはそういう男の人には興味なかったし……」
押し黙ったまま、酒を飲むペースをただ速くしていくアーノルド。
止まらない。
「もう、ドーレもなんとか言ってあげてよ!」
「大丈夫だ。安心しろアーノルド」
さっきまで鼻血を垂らしていたドーレが、キリッと顔を引き締めてから言葉を紡ぐ。
「俺の商人としての情報網をフルに活用すれば、その連中の居場所はじきに判明するはずだ。あとは俺の全財産をはたいて傭兵や冒険者を大量に雇い、アジトを襲撃すれば盗賊団の一つや二つぐらい簡単に壊滅できる!」
「うおおお!!」
ドーレの提案に、雄叫びをもって応えるアーノルド。
「ちょ……ドーレ、あなたもかなり酔ってるわね?! 馬鹿なこと言わないでよ」
「馬鹿なことなんかじゃない! 俺が心の整理をつけたのは相手がアーノルドの場合だけだ! 他のやつなんか許せるかぁぁぁ!」
「うおおおおおおお!!」
「もう……なにわけのわかんないこと言ってんの、よ!!」
ミレイの鉄拳が、アーノルドとドーレ両名の腹部にクリーンヒットした。
「うぐぅ……」
「う、おお……」
たらふく酒が詰まっていた腹部を刺激され、こみあげてくる内容物を手で押さえ込もうとする二人。
「はいはい、吐くならあっちに行きましょうね」
両手で大人の男二人を引きずっていくミレイは、
「まったく、いつまで経っても子供みたいな二人ね。でも……アーノルドがこんなにはしゃぐのを見たのは久しぶりかも」
と小さく呟いた。
同時に、三人一緒に仲良く遊んでいた過去のことを思い出す。
年長者だったアーノルドに憧れていたが、年が近かったドーレにはずいぶんと無茶なことを言ったものだ。
村の近くにあった沼に棲まうというヌシを捕らえるため、沼でドーレに泳ぐようにお願いしたこともしっかり記憶に残っている。
「あれからもう十年以上も経ってるのかぁ」
二人を引きずっていくミレイは表情を緩ませ、くすりと笑みを浮かべたのだった。
「まあ……でも、今のこの感じも悪くないかな」
「――ふぅん……どこにでも同じような人種っているもんなのね」
大人なのに子供のようなやり取りをしていた三人組を傍から見ていたレイが、そんな感想を漏らした。
「………」
「ねえ、ちょっとレンってば、聞いてる?」
「……え!? ああ、ごめんレイ姉。オイラちょっと考え事してた。美味いよね、この串焼き」
「はぁ……そうね。たしかに美味いわよ」
彼女が串焼きから肉をむしり取ると、ジュワリとした肉汁が舌の上を満たしていく。
「あ、アルバさぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!! ちょ、ちょっと来て見て触ってくださいよぉぉぉぉ!! ルークが、ルークがぁぁぁぁぁ!!」
先程ふらりと外に出ていったはずの男が、狂気の入り混じったような声とともに駆け戻ってきた。
「ぶふぅっ」
レイが驚きとともに吹き出した料理が、目の前にいる弟へ直撃する。
「ちょっ、もう、レイ姉落ち着いてよ……この雄叫びを上げてるのって――ああ、セーちゃんか」
狂喜乱舞している黒髪の男――セイジを、半ば慣れた様子で眺めるレンは、ポケットからハンカチを取り出して顔を拭いていく。
「今度は一体何が起こったんだろう?」
「こほ……こほ……さあ? もうあいつが何をしようと、大抵のことならワタシは納得する自信があるけど」
「だよね、うん。オイラもセーちゃんはああいう人物だって割りきるようにしてるからさ」
双子姉弟だけでなく、どうやら周囲にいる皆も同じ感情を抱いているようで、生暖かい、人肌のような温もりのこもった視線がセイジへと注がれていた。
◇◇◇◆◆◆◇◇◇
……以前、溶岩洞に棲んでいたフレイムキャットという魔物が火魔法スキルを所持しており、それを強化することで焦熱暴虎という別の魔物に進化したことを思い出した。
可愛らしい猫のような外見だったものが、荒々しい炎の暴虎に変貌を遂げたことを考えると、俺の目の前で起こったことも予測できたことかもしれない。
いや、無意識下では予測していたのだと思う。
ルークの進化を目の当たりにした俺は、興奮するままに魔物の生態に詳しそうなアルバさんを呼びにいった。
アルバさんも『すごい……こんなの初めて』と驚きを露わにしていた(※実際の口調とは少々異なります)が、一夜明けた今でもまだ俺の興奮は鎮火しきってはいない。
実際、こうして用事もないのにルークを見にきているのだ。
身体は一回り大きくなり、爪や角なんかも鋭さが増しているが、
「クォォォ」
なんといっても、一番大きな変化といえば背中から生えている立派な翼だろう。
――元竜。
《全属性耐性Lv2(60/150)という、今まで見たことのないレアスキルを所持しており、おそらくルークに六つの属性耐性スキルを全て譲渡したことで発生したものと思われる。
それが進化条件だった可能性は高いが、ルークからこのスキルを奪ってみる勇気は俺にはない。
失敗すれば二度と取ることはできないし、そもそもルークからすれば『あんたなんばしよっとね!?』という気分になるだろう。
実物を見たのは初めてだというアルバさんによれば、元竜は環境が非常に厳しい土地に棲むと言われているらしい。遭遇すること自体が稀な激レアモンスターだそうだ。
もし騎獣屋に売れば、一生遊んで暮らせるぐらいの価値があるだろうと俺は勝手に思っている。
……まあ、売りませんけどね。
付け加えておくと、ルークはライムと違って他の個体と合体するような方法でスキルを得たわけではないため、今のところ暴走するような事態も起こっていない。
これまでと同じく、俺のことを肉を見るような目つきで眺めている。
さて、騎獣が飛行能力を得たことで俺の行動範囲は劇的に広がったといえるだろう。
ゲーム終盤に飛行船を入手するときと同じような快感かもしれない。
まあ……この遺跡を拠点に活動を始めたのは最近であり、まだまだ序盤だけどもさ。
そんなわけで、今日はリムでも誘って冒険者ギルドに顔を出しに行こうかと考えていた矢先――
「セーちゃん? ああ、やっぱりここにいたんだ」
背後からレンに呼びかけられて、ルークを愛でる時間は強制終了させられた。
「あのさ、ちょっと相談があるんだけど」
「どうしたんだ?」
「いや、この拠点も人が多くなってきたでしょ? シャニアちゃんやベルガさんがいなくなったけど、新しくアーノルドさんやドーレさん、それにあの魔族の……アルバさん? も来たことだし」
うむ、けっこう増えたもんだ。
「それでね、この機会に浴場を改装するのはどうかと思うんだよ」
この遺跡の奥には、近くの川の水を引き込んで湯船に溜めておける浴場が存在する。使用する際は魔道具によって適温に調節できる便利仕様だ。
マナ結晶体を消費するため、遺跡内にある魔道具のほとんどは稼働していないが、風呂に入りたいという俺の願望を優先させたため、浴場は使用可能となっている。
現在は『使用中』という木の板を扉にかける形式にしているが、レンが言う改装というのは、男湯と女湯を完全に分けてしまうというものだった。
……たしかに、これだけ男女の人数が増えてくるとそっちのほうが便利かもしれないな。
過去に遺跡に住んでいた竜人はどんなふうに使用していたのだろうか……まさかの混浴とか?
とまあ、そんな冗談はともかくとして――
「材料の調達から施工まで、全部オイラ一人でやってみせるからさ」
うーむ。
「レン、それ……俺もちょっと手伝っていいか?」
「……え!?」