1話【二人の秘密】
――俺の目の前で大きく息を吸い込んだリムが、拳を振り上げた。
彼女の正面にある岩は、屈強なオーガが群れをなしたとしても、持ち上げることが困難であろう巨岩である。
そのまま真っすぐに振り下ろされた拳が巨岩に吸い込まれるようにして、次の瞬間――
バギャァァァァァァァァァァァァン!!
と鼓膜を揺さぶる轟音とともに砕け散った。
俺がリムに真実を述べた結果、他者からスキルを奪うという乱暴な方法に彼女が失望と怒りの感情を爆発させた……というわけでは、けっしてない。
「どう? だいぶ上手にコントロールできるようになってきたでしょ」
にこやかな笑顔を浮かべてこちらに振り返ったリムは可愛らしい獣人であり、ばらばらに砕け散った岩の塊が散乱する背景との対比がひどくアンバランスだ。
――あれからもう一週間……か。
◇◇◇◆◆◆◇◇◇
「――……というわけで、俺がヒューマンなのにあれだけ戦えるのは、俺が宿している極大スキルの恩恵ってわけなんだ」
上手く説明できたかはわからないが、リムはこちらが話している内容に相槌を打って真剣に聞いてくれていた。途中で誰かが見舞いに来てくれるたびに話を中断していたため、途切れ途切れになる部分もあったが、話せることは全部話した。
さすがに俺が前世で命を落とし、この世界に転生したことまでは話していないが、他者からスキルを奪うことで強くなっていたことも含めて全部だ。
もっとも、異世界イーリスでは『スキル』という概念が浸透していないため、剣術や魔法などの修行によって蓄積された研鑽の結果を自分のものとできる……という説明になったわけだが。
自分の能力の詳細を教えるかは少し迷ったが、リムの極大スキルがどのような能力かを後で一緒に確認しようという流れになり、公平を期すためにこちらの能力も彼女に教えたのだ。
いつか言おうと思っていたため、良い機会だったといえばそうなのだろうが、努力の成果を強奪するような方法で強くなってきた事実を告げて、俺は内心ビクビクだった。
一生懸命努力することで強さを獲得してきた者にとって、自分がどう映るのか。
「その……がっかりした?」
「え、なんで?」
屈託のない表情でこちらに疑問の声を投げるリム。
「いや、俺自身が頑張って強くなったわけじゃないから」
うーむ、なんかこういう言い方って卑屈だよな。かといって宿った極大スキルを利用することの何が悪いんだと開き直るのもおかしいし……どうしたもんか。
悩んでいると、俺の肩にぽすんと軽い衝撃が走った。
リムお得意の猫パンチである。
「なんだかセイジらしくないよ。じゃあ教えてほしいんだけど……ブラッドオーガから皆を守ってくれたときや、パウダル湿地帯で魔族の女の人と戦ったとき……村を襲った魔族からあたしを助けてくれたとき、セイジはどんなふうに戦ってたの? 余裕たっぷりだった?」
ブラッドオーガ戦では巨大な棍棒で殴られてゴム毬のように弾んでいたし、アルバさんと戦ったときは弓矢やら槍で身体を貫かれまくってたな……ディノ戦ではなにげに俺が一番重傷だったらしく、三日間も寝込むことになってしまったのだ。
お恥ずかしい限りである。
「えっとね、強いっていうのは、そういうことだと思うよ?」
……んん? ちょ、どういうこと?
「リム、もうちょっとだけ詳しく」
「えへへ~、もう言わない」
猫のように機敏な動きで伸ばしかけた俺の手をさっと躱したリムは、くすくすと笑いながらイスから立ち上がった。ちょっとだけ照れている感じがたまらなく可愛い。
さっきの猫パンチのお返しに、こちらも軽めのボディタッチを試みようとするも見事に回避されてしまう。
「あたしのスキルはあげませんよーだ」
はっは、こいつめ。極大スキルを所持する者同士は能力が反発するって教えただろうに。さてはわざと言っているな? なんだろう……秘密を共有したことで二人の距離感が縮まった気がする。こんなことならもっと早くに……いや、今だからこそ理解が得られたと考えるべきか。
まあいい、なんだか最高にハイな気分になってきやがっ――
「――へえ、ずいぶん楽しそうじゃないの、あんたたち」
「……ハイ」
浮かれていたためかノックの音に気づかず、ガチャリと開いた扉から入ってきた人物を前にして、俺は冷静な気持ちを取り戻した。
健康そうな褐色の肌に、少しばかりつんとした黒眼が特徴的な女性――レイである。隣には弟であるレンも一緒におり、狩りで仕留めたであろう数羽の野鳥を紐でつなげてぶら下げていた。
「いや、ほら、セーちゃんが目を覚ましたって聞いたからさ。今日はお祝いも兼ねて晩飯を豪勢にしようと狩りに行ってたんだよ」
弟がぶら下げている野鳥の首筋にナイフを突きつけたレイは、にっこりと微笑む。
「血抜きはしといたほうがいいよね」
「そ、そうだな」
え、今の野鳥の話だよね? 俺の首筋をちらっと見るのやめてくださいませんか。
「ところでリム、あんた本当に身体のほう大丈夫なの? あのクソみたいな魔族に取り憑かれたりしてないよね」
どうやらレイは、ディノが死んだことによってフワフワと飛び出てきた光の玉のようなものがリムへと入っていくところを見たらしい。事情を知らない者がそんな光景を見れば、取り憑かれでもしたのかと心配するのも無理はない。
というか、レイとリムもいつの間にか距離が縮まってる気がする。俺が拠点を留守にしている間に一体何が起こったんだろうか。ちょっと前まで殴り合いの喧嘩をしていたのに。
さて、ここで俺とリムのアイコンタクトが発動する。
さっき色々と説明した際、ひとまず皆には極大スキルのことは黙っていたほうが良いだろうと忠告をしたのだ。リムが自分の能力のことを誰かに話すのは自由だが、ほんの少し極大スキルとの付き合いが長い俺の提案を、彼女は素直に受け入れてくれた。
「うん、別に変なところはないよ」
「ふぅん……なら良かったよ。仕留めた獲物は血抜きしてから調理場に置いておくから、またいつもみたいによろしく。ってかさ、最近あんた料理に特別なものでも入れてる? なんかやたらと身体の調子が良かったりするんだけど」
レイの疑問に、ふるふると首を横に振るリム。
ふむ。たしかリムの料理スキルはこないだLv1からLv2に上がったはずだが……それが関係しているのだろうか。極大スキルが宿ったことによる変化がどのような形で現れるかわからないので、色々と調べてみる必要があるな。
「あ、そういえば、どっかでシャニアを見なかったか?」
「あ、それならオイラ見かけたよ。遺跡の奥にある部屋でベルガさんと一緒に何かやってた」
レンの言葉に頷き、俺は手に持っているオーブの試作品を握りしめた。
奥の部屋というと……過去に竜人が遺した情報を検索できる部屋だろう。
うう……やっぱりこれ返さなきゃいけないよな。何か色々と使えそうなんだけど。
「ちょっと忘れ物届けてくる」
遺跡の廊下を歩きながら、自分の手に握られている宝玉へと意識を集中させた。
さっきはリムと話すことを優先させたわけだが、この試作品は極大スキルを封印するドラゴンオーブとやらを模して作られたものだと聞いた。極大スキルを封じておけるほどの性能はないそうだが……普通の汎用スキルではどうなのか。
個人が保有しておけるスキル個数は十個。
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・盗賊の神技Lv3(47/150)
・狂戦士化Lv2(1/50)
・剣術Lv4(6/500)
・体術Lv3(16/150)
・元魔法Lv3(102/500)
・身体能力強化Lv3(129/150)
・状態異常耐性Lv3(45/150)
・生命力強化Lv2(38/50)
・モンスターテイムLv2(22/50)
・チャージLv2(44/50)
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ご覧の通り、俺のスキル枠は満杯となってしまっている。これでは新たなスキルをゲットするために既存のスキルを破棄する必要があり、かといって苦労して集めたスキルを捨てるのは勿体ない。
どれもこれも役に立つものばかりだ。
狂戦士化にしたって、リムの心に刺さっていた楔を引き抜いた記念として大切に取っておきたい代物である(※危険思想)。
このスキルオーブ(※勝手に命名)にスキルを保管しておくことが可能だとすれば、俺にとって大変に貴重な代物となる。
戦闘系スキル構成で冒険者の依頼を解決する日もあれば、気分によって生産系スキル構成に変更して鍛冶や細工に勤しむなんてことも夢じゃない。
相手によって戦闘系スキルを対個人用から対攻城用に変えることで戦闘の幅だって広がるのだ。
まさに夢の宝玉! ドリィィィィム!
……ふぅ、ちょっと興奮してしまったようだ。冷静になれ……ビー・クール。
「といっても、さすがに勝手にスキルを入れてみるのはダメだよな……」
《盗賊の神技》による『スキル譲渡』を実行するイメージで、オーブにスキルを移行させることが可能か試してみたいが、忘れ物を届ける前に使用済にしてしまうのは人としてどうかと思う。
「お、どったの~? ちゃんとリムに説明してあげた?」
……などと思考しているうちに、結局シャニアのところに来てしまった。
不思議な光を帯びる石版にはびっしりと古代竜言語が浮かんでおり、何か調べ物の最中だったことが窺える。
「ああ、ちゃんと説明したよ。ところで、これ忘れてっただろ」
「おわっと~、今ちょっと手が離せないからベルガに渡しといてよ」
すぅっと傍に控えていたベルガが前に出て、無言のまま俺からオーブを受け取ろうとした。
しばしの静寂。
「なあ、ベルガ。このオーブには極大スキルを封じておくだけの力はないんだよな?」
「ああ、そう言っただろう。封印の呪もかけられていないため、今のままだと観賞用の宝石といったところか」
「……封印の呪?」
「わかりやすく言えば、器にする栓みたいなものだよ~。ドラゴンオーブに封じた極大スキルが外に出ないように呪をかけるっていうのかな。でも、その試作品は器として完成してないから、封印の呪も施されていないんだよね」
手を動かしながらシャニアが代わりに答えてくれた。
……なるほど。ということは、この中に入れたスキルは出し入れ自由なんだろうか?
「ふぅん。もし必要ないんだったら、これ俺にくれないか?」
特にがっつくような素振りは見せず、スキルオーブを譲ってくれないかと交渉してみる。
心の中には喉から手が出るほどに欲しがっている自分がいるが、そこは必死にこらえた。
「ん? そうだね~別にいいけど、何に使うつもりなのさ?」
「なんというか、こういうレアそうなアイテムの収集は癖みたいなもんでさ」
ああ~納得だわ、といった表情でこちらを見やるシャニア。
「しかしシャニア様……それとて貴重なもので、気軽にヒューマンに与えるなど……」
「そっか、じゃあやめとく?」
おいぃぃぃ!! ベルガ、余計なこと言わないでぇぇぇぇ!!
「う~ん、やっぱり“天緑石”が必要かぁ……地道に探すしかないってことだよねぇ」
何やらブツブツと呟いていたシャニアは石版の操作をそこで中断したようで、浮かんでいた文字群がゆっくりと消えていく。
「天緑石……ってなんだ?」
「ドラゴンオーブを修復するのに必要な鉱石だよ。少量で十分らしいけど、すんごく珍しい物だから、何か代わりになる物質がないかを調べてたのさ」
天緑石、か。聞いたことないな。
「そうだ。もし天緑石を探すのを手伝ってくれるんなら、その試作品を君にあげてもいいよ」
おっと、そういう交換条件できますか。そうですか。
「手伝ってもいいけど、そんなに貴重な物がすぐ見つかるとは思えないな」
「ままま、とりあえず天緑石の特徴は教えとくからさ。街とかで情報が手に入ったら教えるぐらいの感じでいいから」
わりとグイグイくるじゃないの、シャニアのやつ。
――結局のところ、俺はスキルオーブ欲しさにその条件に合意した。
だって欲しかったんだもん。
自室に戻り、さっそく手に入れたスキルオーブへと意識を集中させる。
手始めにどのスキルをオーブへと移すかは悩んだが、《生命力強化》のスキルを選んだ。
万が一スキルを失うことになったとしても、ブラッドオーガを狩りにいけば取り返しがつくからだ。
……よし、やるか。
やや緊張しながらも、慎重にスキル譲渡のイメージでオーブにスキルを移動させた。
興奮を抑えながら、《盗賊の眼》でアイテム情報を確認してみる。
《スキルオーブ》――竜人が造ったとされる不思議な宝玉(1/10)。
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・生命力強化Lv2(38/50)
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きたぁぁぁぁぁ!!
この1/10っていうのは容量と考えていいのだろうか。これだけの容量に入りきらない極大スキルってどんだけだよ。人間に宿るのとでは、また違ったメカニズムなのかもしれないな。
いや、待て。まだだ!
ここから自分にスキルを戻すことができなければ、何の意味もない。
スキルオーブを握りしめ、自分のなかに戻ってくるように念じてみる。
暖かなものが全身に伝わり、身体の中に浸透していく慣れ親しんだ感覚。
このとき――俺の部屋から響き渡った狂人のような笑い声は、階下にいた数人をひどく心配させたと……後で聞いた。
◇◇◇◆◆◆◇◇◇
「――ねえ、どうかした?」
ぼーっとしていた俺を覗き込むようにして、リムが声をかけてきた。
ばらばらに砕かれた巨岩は、すさまじいまでの破壊の痕だ。
「……ちょっと掃除しておくか」
散乱したまま放っておくのもなんなので、土魔法で一気に片付けてしまおうと思ったのだが……魔法が発動しない。
「おっと、そうだった」
発動しなかった原因は、スキルオーブの中に元魔法をしまっているからではない。
大気中にあるはずのマナが、この周辺だけ一時的に枯渇しているからだ。
属性魔法を発動させるには、術者が体内のマナを起爆剤にして大気中のマナを変換し、魔法へと昇華させる必要がある。大きな魔法ほど大量のマナを変換することになるため、術者の負担も大きくなるのだが、大気中にあるはずのマナが枯渇していれば変換のしようもなく、したがって属性魔法は発動不能となるのだ。
さて、周囲からマナを枯渇させた犯人は誰か。
何を隠そう、俺の隣にいるリムである。
ディノは魔物を喰ってグロテスクな姿へと変化していたが、リムは魔物の死骸を貪り喰うような能力を獲得したわけではない。
宿る人間によって千差万別な能力を与える大罪スキル――《暴食》が喰う対象に選んだのは、大気中に豊富に存在するマナそのものだったのだ。
――《魔喰武装闘衣》
喰った膨大な量のマナを肉体強化に注ぎ込むという単純な能力だが、これが恐ろしく強い。体内に取り込んだマナが視覚化できるほどに膨れ上がり、ほんのりと光る衣のようにリムの身体を包み込むのだ。強化された獣人のしなやかな動きは、舞うような美しさすら感じさせる。ちなみに命名したのは俺だ。
対峙する相手が魔法使いだった場合などは、悲惨の一言に尽きるだろう。
大気中のマナが枯渇し、魔法が使えなくなった状態で、最強の物理攻撃に対抗しなくてはならないのだ。俺なら泣く。
しかも今後の成長によって能力が変化する可能性もあり、まだまだ発展途上というポテンシャルの高さ。
「そういえば……そろそろじゃないかな」
拠点としている遺跡への帰り道、リムに話しかけた。
「なにが?」
「アーノルドさんとドーレさんに、ミレイさんが生きていたことを教えたろ? クロ子が持ち帰った手紙によると、すぐにこっちに向かうって書いてあったから」
もうそろそろ、着いてもいいころだ。
「そうだね、お父さん……喜ぶだろうなぁ」
ほがらかな笑みを浮かべるリムと一緒に歩きながら、手紙の内容を思い出す。
文字から読み取れた雰囲気では、アーノルドさんが喜ぶのはわかるのだが、ドーレさんがやたらと興奮しており、ミレイさんがいるならこっちで商売するとか書いてあった。もしここを拠点にして商売をしてくれるのなら、物資の調達の手間が省けるから助かる。
たくさんの種族が協力しあって暮らす場所……というコンセプトに沿っているといえるだろう。
そんなことを考えていると、自分の頬をふわりと強めの風が撫でた。
見れば、グリフォンに騎乗する銀髪の魔族がこちらに降下してくるではないか。
「アルバ、さん……?」