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杏の大きな目は、奇妙に凪いでいた。感情の揺らぎもなく、光のない虚ろに近い昏い瞳。
それを見据えつつ、凪はぬいぐるみを抱え直した。
「ほら、日野宮。こっちへ来い」
それでも少女は動かない。ハサミを握ったまま、男に向いたまま。
不味いな、と内心舌打ちする。
前にとある先生がぬいぐるみを取り上げた時もこうなったのだ。
ちなみにその時はシャーペンを思いっきり先生に突き刺しており、怪我こそなかったが冬用の厚いスーツとベストを貫いたのだ。
今回はさらに殺傷能力の高いハサミ。流石に流血沙汰は不味い。
「日野宮……」
「凪、かせっ」
サッと晴彦がぬいぐるみを取り上げ、杏の前にかざす。
「杏ちゃん、もう平気だよ」
晴彦の口から裏声が出た。合わせてぬいぐるみの手をパタパタと動かせば、ゆるゆると杏の瞳に光が戻る。
「……レイチェル?」
どうやら、このぬいぐるみはレイチェルというらしい。
恐る恐る手を伸ばし、杏はぬいぐるみを抱き締めた。
「レイチェル、レイチェル……っ、ごめんね、ごめんねっ」
嗚咽と共に何度も告げられるのは謝罪。
すっかり我を取り戻した杏の手から、カシャンと音を立ててハサミが落ちる。
それを拾って安心したように凪と晴彦は顔を見合わせ。
「……さて、先輩方」
「ちょっとお付き合い頂きましょうか」
ガシッと男子生徒達の襟首をひッつかむと、ズルズルと職員室へ歩き出した。
「日野宮、行くぞ」
まだ泣いている杏に声をかければ、ゴシゴシと目を擦りながらもついてくる。
その様子が実に仔犬そっくりで、凪はほんの少し笑ってしまった。
ちょこまかと歩く杏と、男子生徒を引き摺る凪達は、はっきり言って悪目立ちしていた。
「……良かったのか?」
ボソッと小さく訊ねる晴彦。何が、と言わないのは、凪に遠慮してか、杏に聞かせない為か。
「良くないが、構わない」
対する凪の返事は苦笑。
「こんな俺でも、誰かを救えるなら」
「凪……」
いつだって自分を否定する凪が悲しい、と晴彦は視線を落とす。
確かに自分達は『普通』ではないけれど、幸せになる権利はあるのだ。
凪はその権利さえも求めず、ただひたすら自分を否定し続ける。
親友として、その姿が悲しい。そう思う一方で、その気持ちも理解出来てしまう晴彦には、かける言葉が見つけられないでいた。
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