すーぱぁお母さんとピクニック(9)
(20)
お祖父ちゃんの結界を吹き飛ばした爆風は、僕らに吹きつける直前、ビデオの逆再生のように急速に収縮しはじめた。それは、瞬く間に最初の一点──父さんの指先の黒点に集まると、異形の戦闘機械と化した『大五郎』の拳の中に染み込むように消えていった……。
そして、微風に乗って流されるように、父さんはふわりと地上に降り立った。
もう、さっきまでの違和感は無い。見えているシーンは、普通の時間軸上の世界に戻っている。にもかかわらず、『大五郎』は引き伸ばされた腕を頭上に伸ばしたままの姿勢で静止していた。
父さんは固まったままの大五郎に背を向けると、ゆっくりと僕らの方に歩き始めた。
──決着はもうついたのだ
一歩、二歩……、三歩目で変化が現われ始めた。心なしか、父さんの表情に哀しげな陰りがよぎったように見えた。
四歩、五歩、……六歩目で、それは誰の目にも分かるまでになった。中空高く伸ばされた『大五郎』の腕が、先端の拳から雑巾をねじり絞るように、くしゃくしゃにつぶれながら破壊され始めた。その破壊は、あっという間に肩にまで到達すると、サーボ=スレイヴのボディーが何か巨大な手に握り潰されるかのように、ひしゃげ、押し潰れて行った。
そして、遂に耐えきれなくなったのか、マシンは片膝をついた。<ズシン>という地響きとともに、足下の地面に細かな亀裂が生じると、『大五郎』を中心にして、見る見るうちに陥没していった。
「わわぁ! ま、まずい。わしの施設がぁ!」
破壊音と土煙の舞いあがる中で、KN興産の海道社長の叫びが虚しく響いていた。
「しゃ、社長、いけません。この先は危険です!」
SDキャラよろしく上下につぶれた相撲取りのような体躯を、何人もの護衛達が取り押さえていた。
「あの施設にいったい幾ら注ぎ込んだと思ってるんだ。後もう少しで完成だったんだぞ。あれさえ完成すれば……」
駄々をこねている社長様に、代議士様もお怒りのようだった。
「海道君、この失態をどう繕うつもりだぁ!」
しかし、ごく小規模な地震のように振動する大地の上で、社長も代議士もよろめいていた。
「終わったのう……」
お祖父ちゃんが呟くように父さんに話し掛けた。
「しかし、無茶をしおる。なにも『荷重力破砕弾』なんぞ使わなくとも、『雷鳴波』でも『亜空破断』でも良かったろうに。結界を張っとるわしの身にもなってみろ」
その負担がどれほどのものか、お爺ちゃんは荷物から取り出したスポーツタオルで、吹き出た汗を拭っていた。
「……『亜空破断』を指一本で放つのは、ちょっと制御がきついですから」
「ふん、指一本にこだわりおって。この、ええカッコしぃが」
そうなのだ。父さんは、お母さんの言った『カッコ良く指一本でやっつけて』を忠実に守ったのだ。それさえなければ、きっと、もっと早くに勝負はついていたに違いない。
「カッコ良かったぞ」
「うむ」
お母さんにそう言われて、父さんの顔が心なしか赤らんでいる。まんざらでもないらしい。
「う〜ん、もう、そろそろかなぁ?」
「そうだな……」
父さんとお母さんは、そんなやり取りをしていた。何がそろそろなんだかよく分からないが、お母さんの問いかけに父さんは、『大五郎』の沈んだ陥没を眺めた。
ひしゃげたサーボ=スレイブの頭がちょこんと飛び出しているところを見ると、陥没の深さはそれほど深くはないのかも知れない。でも、窪みの端は傍らのプレハブを飲み込むほどに広がっていた。その上、穴からは異様な色と臭いの煙や火花とともに、あの赤緑色の液体が至るところから噴出しているのが見えた。
いつの間にか、2台のリムジンの周囲に白衣の男たちが二十人ばかり群がっていた。きっと、この地下施設で働いていた人達に違いない。誰も彼も、どこかしらに傷を負っていたり、咳込んでいたりしているところを見ると、社長の言うところの大枚はたいた地下施設とやらは、惨澹たるありさまに違いない。
「くっそう! てめぇら、このまま済むと思ったら大間違いだぞ!」
地下から破壊音が轟く中、海道社長の罵声がこちらまで届いてきた。そしえ、それに呼応するかのように、黒服達の半数が掻き消すように消えた。
「確かにその通りじゃな……。じゃが、代償を払うのは、果たしてどちらか……」
お祖父ちゃんの謎の呟きが聞こえた。
それとほとんど同時に、陥没の中心部──ひしゃげて見る影も無い『大五郎』の有る辺りが派手に弾けると、無数の異様な色彩の触手が四方八方に向け飛び出していたのだ。
ちょっと日本語がおかしいけれど、一瞬にして広がった触手のあまりの早さに、実際僕にはそう見えたんだ。そして、その触手には何人もの黒服達がからめとられていた。きっと、僕らに報復しようとしていたんだろうが、触手のスピードは違法BBHであるはずの彼らを遥かに凌駕していたのだろう。
「う、うわぁ! 何だぁ、これはっ」
不気味な触手は、尚もうねうねと蠢いて、僕らを襲おうとしたガード達だけでなく、リムジンの周りに陣取るKN興産の連中をも捕獲し始めていた。
「大丈夫よぉ。こっちには襲って来ないから」
お母さんがそう言っても、僕は内心不安だった。
「本当に大丈夫なの?」
「うむ、大丈夫のようじゃのう。もっとも、襲ってきたところで、どうってことは無いがのう。ほっほっほっほ」
「確かに……」
お祖父ちゃんの言うように、こちらには父さんが居るのだ。何も心配することは無かった。
「うわはははは、全て計算通り。わしの改造に間違いは無かった。だろう、葵君っ」
「うるさいっ、じじい。そもそもあんなガラクタにちょっかいなんか出すから、こんな訳の分からない事になったんだろうが」
「何を言っとる。元々は、あやつらが違法に強化麻薬なんぞを作ろうとしとったんが間違いなんじゃ。ま、自業自得じゃな」
「なら、貴様もあいつの餌になって来いっ」
「うわわわ、やめんか、こら」
また、始まった……。輝兄ちゃんと御手洗のお爺ちゃん達といったら、全く仲が良いんだか悪いんだか……。
「うおぉっ。は、放せ。放さんか」
「かか、か、海道君、何とかしたまえ。そ、そっちの君達も見てないで何とかしてくれぇ」
僕ら以外のみんな──議員先生殿や社長も含めて、触手に絡みつかれ陥没に引きこまれつつあった。
ある者は空中高く掴み挙げられ、またある者は地面を引きずられて。
その行為には、相手に地位があろうが、金や権力を持とうが、無関係だった。彼らはこれからどうなるのだろう? 輝兄ちゃんは『餌』と言った。『餌』? ……あんなよく分からない触手に喰われて、果たしてそれで終わりなんだろうか……。
「足りそうか?」
父さんが訊いた。何がだろう?
「う〜ん、どうだかねぇ。何とかなるとは思うけどぉ。ふむん、……あと一人か二人投入すれば確実だと思うけれどねぇ」
お母さんは妙な事を言うと、チラッとまだ争っている輝兄ちゃんたちを一瞥した。
「ひっ……」
二人とも、瞬時にその意味するところ察したのか、真っ蒼になって掴みあったまま固まってしまった。父さん達の言っている意味とは……?
「まっ、大丈夫でしょう、BBHもいるし。それにあの社長さん、あんだけ元気があれば、BBH以上に効果があるんじゃないのぉ」
「本当か?」
「あたしが信じられない?」
「……い、……いや……」
「そ。じゃぁ、最後の仕上げといきますかっ」
お母さんは、そう父さんに応えると、微風に棚引く髪を片手で掻き上げるた。指の間には、幾本かの髪の毛が絡まっていた。
お母さんは、髪の毛の絡まった手を頭上にかざした。細くて艷やかな毛髪は、風に吹かれてゆらゆらと舞っていた……。
その時、僕は初めて気が付いた。
──風など最初から吹いてなんかいない
全く風の吹かない中で、僕の顔は汗でじっとりしていた。
だのに、お母さんの指に絡まっていた髪の毛は指を離れると、あるはずの無い風に乗って陥没の中心へ向かって飛んで行った。
──いったいぜんたいどうやって?
悩んでも無駄な事なのは分かっているのだけど……。
それ自身に意思があるかのように、細い、黒い、長い髪の毛が数本、飛んで行く。それは、KN興産の人達を捕えているいる不気味な触手がうねくる中を、陥没の中心──『大五郎』の沈んだ辺りへ吸い込まれるように消えた。いや、見えなくなっただけかも知れない。
「お、お前達! た、助けてくれ。か、金なら幾らでも出す」
「わしを誰だと思ってるんだっ! わしにこんなことをして、ただは済まないぞ。今なら、御便に処理してやるから、早く何とかするんだ」
この期に及んでも、議員先生も社長も往生際が悪かった。
「ま、諦めな。あんた達、手を出した相手が悪かったんだ。自業自得だよ」
「な、何? 訳の分からんことを言わずに、助けてくれ」
「くっくっくっ。いくら田舎もんのあんたでも、代議士の端くれなら噂だけでも聞いた事が無いかな……」
お祖父ちゃんは意味深な言葉の後に、ある『名前』を告げた。
代議士先生は、しばらくの間、自分の記憶の中を彷徨う如く痴呆のような顔をしていた。そして、何か思い当たることがあったのだろう、見るみるうちにその目が見開かれ、たちまち驚愕の表情となった。
「思いだしたか……、このうつけ者が」
「……そ、そんな、バカな。……あ、あれは、伝説の……。まさか、そんな……お前が……」
「そのまさかだよ。『アカシアの女王』に逆らって、安らかに死ぬことはできないよ」
お祖父ちゃんも輝兄ちゃんも、謎の言葉を口にした。勿論、助ける気など毛頭ない。
「ん……、施設との同化はほぼ完了したようだな。……後は、お前達が後始末をするんだ」
「な、な、何のことだ」
「今に分かる」
父さんの言葉が終わるよりも早く、その意味する結果は現われ始めた。
軟体動物の一部のようにうねくり動いていた触手は、急速に動きを失い、みるみる内に変色と硬化を開始した。それは、まるで動物から植物への変態を見ているようだった。
同時に、触手に捕われた人達にも変異は及び始めた。
肌が色を失い、樹木のような色彩を帯びていく。それは、醜くうねり、剥き出しとなった大木の根に人型の実をつけた、巨大な植物を思わせた。
施設を取り込み、触手に捕えた人間をも同化して、一体何が起ころうとしているのだろう……。
「うううう、……た、助けてくれぇ……」
こんなになっても、人間としての意識は残っているらしく、誰も彼もが、苦しみうめき、助けを求めていた。
「んふ♡、変換終了っと。後はがんばってねぇ、みんな」
お母さんは、見る影も無くなった彼らに投げキッスを送ると、ルンルン気分でその場を後にしようとしていた。
「ちょ、ちょっと待ってよ、お母さん」
お母さんにしてみれば、こんな事でも単なる暇潰しでしかないのだろうが、このまま彼等を放ったらかしにして大丈夫なんだろうか? 国会議員やヤクザの親分だっているんだぞ。
「あの人達、置いて行っていいの? このままじゃ、大騒ぎになるんじゃないの」
僕は一般市民として当然考えられるであろう問題点を指摘した。
「え〜、面倒くさぁい。そんなの、もう関係無いじゃないのよぉ」
これが、お母さんの返事である。
「……か、関係無いって」
「別に、何ともならんじゃろうて。悪徳代議士の一人や二人いなくなったって、どおって事はない。ましてや、ヤクザモンが何人いなくなろうが、知ったことじゃなかろう」
「世の中って、そんなモンなの?」
「そんなモンじゃよ」
お祖父ちゃんにも諭されて、僕はそういうモンなのかなぁと思った。
「さて、帰るとするかい」
「うん」
お祖父ちゃんは軽く伸びをすると、お母さんに着いてスタスタと帰り始めた。確かに、僕なんかがそのままここ残っても、どうしようもない。僕も皆の後に従って、その場を後にしたんだ。
(21)
「ところで、あの人達って、これからどうなるの?」
僕は、帰りの山道を歩きながら、父さん達に訊いてみた。
「う〜ん。あそこで、ずっと大地を浄化する装置の一部として生きて行くことになるかな」
父さんは、もうさして興味も無いという感じで、僕に応えてくれた。
「ずっと? 死なないで? あのまま固定されっぱなしなんて、退屈するかなぁ」
「それはどうだかな。彼らのタレ流していた破棄物は、かなり質が悪かったから、浄化・精性作業には相当の苦痛が伴うはずだ。退屈してる暇なんて無いだろう」
「ふぅん、そうなんだぁ」
僕は、父さんのその答えで一応満足することにした。
「おまえ、わざと意識が残るようにしただろう。完全なマシンとして組み込んだ方が、効率が高くなるはずだぞ」
「ん〜? 何、それ。そ〜んなややこしい事なんか、もう忘れちゃったわよ。……でも、まっ、そうかもね。10年かかるか20年かかるかは知らないけど、せいぜい頑張ってキレイにしてもらおうね」
「……そうか。まぁ、いい」
お母さんと言葉を交わした父さんの顔には、どこかしら誇らしげな笑みが微かに浮かんでいた。
「ねぇ、ところで、あの地下施設って、一体何を作ってたのかなぁ。国会議員とかが関わっていたけど、きっとそれで儲けてたりしてたんだろうね」
「ん? そうだな。何を作ってたんだか……。何だろうが、タレ流しの副製廃棄物がまともじゃないんだから、どう考えてもまっとうなモノじゃ無いには違いない」
「そうなんだ……。でも、これで源蔵爺さんも安心して暮せるね」
「そうだな」
「あの原っぱも、早く元に戻るといいね。……そう言えば、アカシアのなんとかって何なの?」
「んー? そんな事言ったかなぁ?」
そうだっけ? まぁ、いいや。
今日も何だかいろんな事があったけれど、それなりに充実した一日だった。
連休はまだ一日あるけど『明日からまたいつもと同じ退屈な日が戻ってくるんだ』と思うと、お母さんじゃないけど、ちょっとだけ憂鬱になった。
……その後、国会議員行方不明の報が、小さく新聞やテレビのニュースで取り挙げられた他は、荒廃した山や異様な浄化システムについては、何事も無かったかのように、ただの一つも報道されなかった。
警察が事情聴取にくることも、ヤクザがお礼参りに来る事さえなかった。唯一、ネットワークの掲示板で、KN興産がつぶれたらしいとか、その裏に対抗する暴力組織がいるとかの無責任な噂が一時的に飛び交ったくらいだ。
ちなみに、このピクニックに行った日から一月くらいしてから、僕らのところに源蔵爺さんから一枚の絵葉書が届いた。
KN興産が引き上げた村は若干寂れはしたものの、少なくとも源蔵爺さんへの嫌がらせだけは無くなったそうだ。さすがに数週間では膨大な土壌汚染の浄化は進まないようで、山林のほとんどは依然荒廃したままだそうだ。もっとも、源蔵爺さんは、あの『浄化装置』については何も知らないはずだけど。
ただ、源蔵爺さんの『想い出の原っぱ』だけは、これまで手入れをしてきた甲斐があってか、部分的に緑と花を取り戻したらしい。爺さんは、この調子で山全体を復活させると、意気込んでいた。
実は、源蔵爺さんの絵葉書は復活した原っぱを撮影したものだった。近所の知合いに頼んで、わざわざデジカメで写してもらったんだそうだ。
懐かしい禿頭の背後には、茶褐色の荒地の中に、そこだけが萌えるような緑の青草と狂ったように芽吹き咲き乱れる色とりどりの花々で飾られた『人型』の花畑が写っていた。
そこは偶然にも、この前ピクニックに行った時に、お母さんが暇そうに寝そべっていた場所であった。
(了)