すーぱぁお母さんとピクニック(3)
(7)
僕等が爺さんの小屋に着いた時、時刻はもう1時を過ぎていた。どうりで、お腹が空いている訳だ。僕等は、早速小屋の前でお昼をとる事にした。
実は、爺さんの小屋と言っても山小屋のような人の寝泊まり出来る類の物ではなく、芝や草木を植えたり手入れをしたりするための道具や肥料なんかを置いておくための、ようするに物置だった。
当然、中に入ってという訳にはいかず、小屋の前の空き地で、という事になった。
「ちょっとだけ、待っとってくれんかのう」
爺さんは、僕等にそう言うと、小屋の中からヤカンと中型の持ち運び式万能コンロを引張り出した。それから、これも小屋にあったポリタンクからヤカンに水を汲むと、コンロにかけた。
「心配すんなって。こりゃぁ、わしん家から汲んできた水道水じゃよ」
そう言うと、コンロを誘導加熱モードで起動しようとしたのだが、どうも上手く動かない様だ。
「くそっ、まぁたへそを曲げおって。わしと同じで年期のいった偏屈じゃかんな。もちっと待っとってくれよな」
そう言いながら、あちこちいじり回していた。
「私が見ましょう」
見かねた父さんが助け船を出した。
「いやいや、こんなもの後少しで、……」
「まま、そう言わずに。ちょっと見せて下さい」
父さんは、万能コンロの正面パネルと背面を調べていた。
「わかりましたよ。燃料電池のフィルターが目詰まりを起こしてたんです。後は、スイッチがちょっと接触不良を起こしているくらいですね。これならすぐに直りますよ」
「ほう、目詰まりねぇ。血の巡りが悪くなったようなモンかい。これじゃぁ、ますますわしとおんなじじゃなぁ」
爺さんはそう言うと、はっはっはっと笑った。
「これでよし。大事に使ってますね。クライオストロンも制御チップも何の問題も無いです。基本的に身体がしっかりしているところも、あなたとそっくりだ」
「そうかい。照れるねぇ」
「これでよし。直りましたよ。……ちょっと、やってみてくれませんか」
父さんは、燃料電池のカートリッジを元に戻すと、爺さんにそう言った。
「どれどれ……」
爺さんは、さっきと同じように、ヤカンを乗っけると、パネルを操作し始めた。ブンというかすかな音がして、コンロが作動する。加熱モードはIH方式。5分もしない間に、ヤカンから湯気が立ち始めた。
「ほう、すごいすごい。直ったどころか、購った時よりも調子がよくなってるなぁ」
当たり前だ。父さんが直したのだから。
「電子レンジモードが使えれば、もう少し熱効率が上がるんですけど。ヤカンが金属製なもので」
「いやいや。上等だよ。……ちっと待っててくれよなぁ。すぐに茶を入れてやるからのう」
そう言いながら、爺さんはごそごそと急須やお茶葉を用意し始めた。
「ついでに、わしのいかれたとこも治してもらえると、もっと助かるがのう」
と言うと、冗談冗談と、笑った。
……この時、爺さんには分からなかったと思うけど、僕等は一瞬言葉に詰まった。
誰もが思ったのは、『この場にお母さんが居なくて本当によかった』って事だ。そんな、ある種の気まずさを何とかしようと思ったんだろう、
「俺達も、お昼にしましょうよ。……ウゲッ!」
って、輝兄ちゃんは傍らのランチバッグを持ち上げようとしたんだけど、そのあまりの重さにずっこけてしまったのだ。
「大丈夫か?」
父さんはそう言うと、軽々と小さなバッグを左手で持ち上げると、中から御座やマットを出し始めた。
輝兄ちゃんは肩を揉みながらそれらを受け取ると、何かブツブツ言いながら赤茶けた地面に広げはじめた。爺さんは最初は輝兄ちゃんをあきれたような目で見ていたのだが、そのうちにその眼が驚愕に変わった。輝兄ちゃんは差し出された御座を、無造作な片手の一降りで広げた。それは、約4m四方のしわ一つ無い座敷になった。それから、ナイロン製のマットをこれも片手で無造作に次々と放り投げると、見事に整然とした座席が出現した。
極めつけは、バッグから1m四方くらいのミニテーブルが出現した時だ。何せ、バッグは40cm四方しかなかったのだから。
それから、出るわ出るわ。父さんが作った大量のお弁当や、飲み物・デザートが、あっという間にテーブルに広げられた。
「おめぇら、一体何もんだぁ?」
爺さんも驚いたと言うよりも、最後には呆れたように訊いてきた。
それに対して輝兄ちゃんは、ニヤニヤしながら、
「だから、ただのハイカーだって言ってるでしょう」
って、得意げに答えた。
「折角ですから一緒に食べませんか?」
父さんが、誘った。
「いいんかのう……」
「別に毒は入ってませんよ。……ああ、勿論、葉っぱとか木の枝に化ける事も無いですから」
「そうかい……、じゃ、ごちそうになるかのう」
爺さんは、まだ納得がいかないようだったが、僕達が食べ始めるのを見て、おずおずと空揚げをつまみ始めた。食事をしながら、爺さん──本名を原田源蔵さんと言うんだけれど──は、ここでの事を話し始めた。
この辺りが、こんな荒れ果ててしまったのは、半年くらいほど前からだそうだ。
木や草が徐々に、または突然に赤みを帯びて枯れ始めたんだそうだ。生息していた虫や鳥達も、いつの間にか姿を消し、またあるものは死体となって消えていった。
「わしの思うに、鳥や虫がいなくなり始めたのは、それより3〜4ヶ月ほど前だったよ。その頃からおかしくなってったんだな」
つまり、10ヶ月前。大雑把に、1年前ってとこだろう。例のKN興産が関って来るのは、それからさらに2年前を遡る。
源蔵爺さんの話によると、3年程前、KN興産はこの辺りの一角の土地を信じられないような格安で購入すると、土地改良と称して色々な薬剤をその土地に投棄し始めたのだそうだ。確かにその時は、周辺住民もちょっとおかしいとは思ったらしい。でも、山林に囲まれてあまり産業も収入の当ても無いこの土地に、彼等は迷惑料という名目で、幾許かの金を落としていた。
そのほとんどは村への収入であり、それは老人ばかりのこの村の社会保障費と消えていった。また、村人の幾人かは、KN興産の雇い人となる事で、これまで以上の稼ぎを手にしたんだ。
「あん時ゃ、わしも金が落ちるんならまぁいいかぁって思ってたんだがよ」
人口も百人ちょっとくらいのこの村で、KN興産の存在は大きかったようだ。源蔵爺さんも、つい2月前までは、彼等の事をほとんど気にはしていなかった。自宅の僅かな畠から取れる野菜を売って得た収入と、年金で静かに暮らす毎日だったんだそうだ。
そんな、源蔵爺さんが今のような事を始めるきっかけとなった事件が、3ヶ月くらい前に起こったんだ。
(8)
今から約3ヶ月くらい前の事だ。
源蔵爺さんの家には、東京に住んでる息子夫婦が二人の孫を連れて遊びに来ていた。数年前に、奥さんを亡くして、山村に一人暮らす爺さんにとって、晩年に出来た一人息子と孫達に会うのは、数少ない楽しみの一つだった。
その日、爺さんは8才と5才になる孫達と連れ立って山に入った。上の子の『自然観察日記』のためだ。東京周辺からはほとんど無くなってしまった生の自然に接する機会は、孫達には滅多に無い事である。また、いつもは苦手なテレビゲームやビデオをせがまれる爺さんにとっても、山野の散策は名誉挽回の絶好の機会だったんだ。
その頃は、未だ今日ほどは荒れていなかった道をぶらぶらと散歩するうちに、爺さんが思いついたのは、さっきの原っぱに孫達を連れて行く事だった。そこは、先祖伝来の土地ではあったが、林業も廃れ、一時流行ったゴルフ場建設の波にも乗れずに、ここ二十数年の間手付かずのままに放っておかれていた場所だった。
「あそこはなぁ、わしが女房にプロポーズした所なんだよなぁ。女房もさぁ、あそこが気に入っててよう、日に必ず一度は花畑を見に行ってたもんさ。そんでな、女房の死んだ時に、内緒で骨の一部をさぁ、あそこに埋めたんだよな。ま、もっとも、それ以来一度も行ってなかったんだけどよぉ」
爺さんははっきりとは言わなかったんだけど、僕が思うに、孫達に祖母の事を伝えようと思った訳ではなくて、奥さんに孫達を見せようという意図だったのかも知れないな。
だけど、行ってみたら、かつての花畑は荒涼たる荒れ地になってしまっていた。これは爺さんにとって、ショックだったに違いない。
「わしゃぁ、最初、わしがあんまり不義理なもんだから、女房が怒っちまったんだと思ったよ。情けなかったね。それで、元通りとは言わないまでも、せめてわしの生きてる内には、ちっとはましにしようと思ったのさ。ただ、それだけだったのに……」
それから、毎日、爺さんは荒れ果てた原っぱを手入れし始めたんだ。2人の孫も、爺さんに付き合って作業を手伝っていた。
そんな彼等に異常が現れるのには、大して時間はかからなかった。作業を始めて3日後、下の子が皮膚や喉に異常を訴え、微熱が続いた。上の子や爺さんにも僅かながら兆候が見え始めていたそうだ。工業試験場の研究主任だった長男は、自分の息子の症状を見て、また、例の原っぱの状態を訊いて、これがただのアレルギーなどではない事に気がついた。そして、単独で調査をする内に、その原因を突き止めたらしいんだ。
”らしい”ってのは、その辺りの詳しい情報を爺さんが知らされていなかった、と言うよりも理解出来ていなかったからだけど、その元凶がどうもKN興産であるらしい所までは知らされていたらしい。
「わしがもっと息子の話をよおく聞いてりゃ、あんな事にはならなかったんだ、きっと。あいつは、前からずっと、『あいつ等のやってる事はどうもおかしい』って言ってたんだ」
源蔵爺さんの息子が調査を始めてから、爺さん達の回りに人相の悪い連中がうろつくようになっていた。そして、何かと言っちゃぁ文句をつけてきたり、嫌がらせをしてきたんだそうだ。爺さんは多分KN興産に関りのある者達に違いないって言ってたけど、おそらくその通りだろう。
勿論、爺さんも彼の長男も村や県なんかに訴えたんだけど、結局取り合ってくれなかったそうだ。工業試験場を通じての照会もしてたらしいけれど、それすらも音沙汰なしのありさまだった。どう考えても、何処かで政治的な圧力が働いているとしか考えられない。その辺りを察知していた息子夫婦は、対策を立てようとしていたのだけれど、結局間に合わなかったんだ。休暇を終えて東京へ帰る途中に事故に巻込まれて、彼等は帰らぬ人となった。
爺さんは、警察にもマスコミにも、これが単なる事故じゃなくって、KN興産の仕業に違いないって何度も訴えたんだけれど、誰も聞いてはくれなかったんだ。
それ以来、源蔵爺さんは孤独な戦いを続けている。それは、ほとんど効果の期待出来ない空しい戦いかもしれなかったけれど、それだけが今の爺さんの生きがいになっていた。
「多分、わしなんかがこんな事をやってても、なんもかわらんのだろうなぁ」
爺さんは、うつむいてぽつりと呟いた。
でも、不思議な事がある。
「どうして、あなたは今まで無事だったんですか?」
父さんが、僕の代わりに訊ねた。
「ん? 息子達のアドバイスでなぁ、一寸した手品を仕掛けといたんだよ。」
「手品ぁ?」
今度は僕が訊いた。爺さんは、僕に細くなった目を向けながらこう答えた。
「わしの遺言書を書き換えたんだよ。わしが死んだら、わしの持ってるこの辺の土地全部を、国内外の環境保護団体に寄付する事になってるんじゃ。ただし、完全な環境調査をして、全てを世界に公表する事が条件じゃ。費用は全部わしの財産と保険金から払う事になってるし、複数の非政府団体を指定してある。中には、やつらと対立している組織の息がかかったところもあるに違いないさ。これなら奴等も迂闊には、わしを殺りに来れんだろうて」
なるほど。これなら、相手には結構なプレッシャーだろうな。
あれ? でも、だったら、さっさと死んじゃった方が得策と言うことにならないかぁ。
「このわしの命をくれてやるのは最後の手段じゃ。どの道こんな事をやってりゃ、そう先の話じゃなかろう。ただ、出来ればわしのこの手で敵を打ってやりたいもんじゃがな」
源蔵爺さんは、お茶をすすりながらそう言った。
(9)
しばらくして、僕等は源蔵爺さんに別れを告げた。
そして、例の投棄場所とか言うところを目指していた。結局、お母さんはあれっきりなんだけど、この際しようがない。ひょっとすると先に現場に行っているかもしれない。だって、他に面白そうなところ(勿論お母さんにとってだけれど)は、無さそうだから。
「もう少し先だな」
最後尾の父さんが言った。
父さんの「もう少し」は、あてにならない。自動車より速く歩く(!)ことの出来る父さんにしてみれば、100km先だろうが200km先だろうがもう少しである。ひょっとすると、まだまだ先かもしれないなぁ。うんざりしかけた僕は、すぐ横の輝兄ちゃんの顔を見て、ちょっとだけ安心した。大分バテ気味のようである。
ウ〜ン、よく考えたら、僕んちの人間で普通(?)なのは、僕と輝兄ちゃんくらいなんだ。
父さんは超人だし、おじいちゃんは仙人だし。お母さんに至ってはひょっとすると人類じゃないかもしれないしなぁ。あっと、輝兄ちゃんは浪人で特撮オタクの変人だったけ。だとすると、僕だけなんだ、まともなのは……。
僕んちって、本当にこれでいいんだろうか? よく、社会が容認しているもんだ。普通に考えたら、軍隊やらスパイやらが嗅ぎつけて、押し寄せて来てもいいもんだけどな。何にもないって事は、それだけ世界が平和なんだって事だろうな、きっと。
その平和の何分の一かくらいを僕んちに分けてくれてもよさそうなもんだよな。なんてくだらない事をぶつぶつ考えていたら、ふいにおじいちゃんの声がした。
「ここのようじゃのう」
錆びだらけのフェンスの向こうには、さっきの野原と負けず劣らずの荒れ地が広がっていて、あっちこっちを数台の産業用サーボ=スレイヴが巨大なシャベルでひっくり返していた。時折、大型のダンプカーがやってきては、赤褐色の土砂のようなものを降ろして去って行った。
荒れ地の遠くに二階建のプレバブが建っている。屋根の看板には『KN興産』の文字が読み取れる。
「ねぇ、あれが毒の元なの?」
僕は尋ねてみた。
「俺には、普通の産廃にみえるなぁ。焼却場からの灰なんかの」
輝兄ちゃんは珍しく真剣な目で意見を言った。
「さぁて、どうじゃな?」
おじいちゃんは、父さんに意見を求めた。
「そうだな、……輝久君の言う通り、焼却灰がメインの産業廃棄物ってところだな。人畜無害とは到底言えないが、源蔵さんが言うようなものじゃないな」
「やっぱり、源蔵爺さんの思い違いなのかなぁ」
「それは、どうかの。……さて、どうするね?」
「中に入って調べてきましょうか?」
「輝兄ちゃん、それはまずいんじゃないの。だって、ここって私有地でしょう」
僕は近くに見える[立ち入り禁止]と書かれた看板を指差した。
「大丈夫だよ、こんなの」
輝兄ちゃんが、フェンスを乗り越えようとするところを、父さんが止めさせた。
「ここを調べても、何も出てきはすまい。……、少し廻ってみよう」
「そのようじゃのぉ。やれやれ年寄りには辛い道行きじゃが、もうちっと歩いてみるかの」
おじいちゃんもそう言って、フェンスに沿って歩き始めた。僕と輝兄ちゃんも、後をついて行った。
しばらく歩いた後、僕等は父さんの指示に従って、フェンス沿いの道から森の中へ進路を変えた。
「さっきの土地から遠ざかってますよ」
輝兄ちゃんが、僕に代わって訊いた。
「うん、地下水脈の流れからすると、むしろこっちの方だろう。臭いもきつくなってるしな」
臭いなんて僕にはわかんなかったけど、父さんがそう言うなら、きっとその通りなんだろうな。
僕等は、獣道のような道を、枯れ草をかき分けて進んだ。そして、三十分も歩いたろうか、僕達は急に開けた場所に出くわした。周りじゅうが枯れ木や枯れ草だらけなのは今までの荒れ地とおんなじだ。そんな中に、100m四方くらいの空き地が広がっていて、丁度その真ん中辺りにバラックの建物が建っていた。その建物から右手方向に、やや広めの道が続いていて、轍の跡が何本も続いていた。察するに、あれが正式な出入り口らしい。
「ここかな?」
おじいちゃんが訊いた。
「ええ……。ですが、これほどとは。思ったより大規模です」
何が大規模なんだかよく分からないけれど、とにかくここが元凶らしい。
と言っても、建物と広場以外に何にもないんで、僕にはよく分からなかった。
「さて、もちっと近くで見物させてもらおうかのぉ」
おじいちゃんは呑気そうにそう言った。
「大丈夫ですかね」
「別に構わないだろう。フェンスで覆っている訳でもなし、立ち入り禁止の立て札があるでなし。そこのプレハブにさえ入らなければ、特に不法侵入とも言えんだろう」
輝兄ちゃんは心配げだったが、父さんにこう言われて従った。僕達4人は、枯れ草や干からびた落葉の絨毯を踏みしめて、プレハブへ歩みを進めた。