すーぱぁお母さんとピクニック(1)
(1)
僕は松戸庄之介。小学校の六年生だ。
父さんは清次郎。電機会社のサラリーマンで婿養子だ。
だから、いつもお母さんには頭があがらない。生まれた時から付き合ってる僕がそう言うんだから、まず間違いない。
毎朝暗いうちに起きて家事をこなし、御殿場の会社へ出掛ける。
夕方も一目散に帰ってきて、家事の続きをする。当然出世なんか出来る訳ないし、給料だって上がる筈がない。家で働いているのは父さんだけなのにどうして暮らして行けるのだろう?
不思議な事だ。
今、父さんはお弁当を作っているところだ。
今日は連休の真ん中の日曜日。家族みんなでピクニックに行くんだ。
既にテーブルの上には、おにぎりやのり巻き、サンドイッチ、揚げ物類、煮しめ、サラダ等々が山のように並んでいた。お約束の出汁巻玉子もしっかり作ってある。
父さんはそれらを手際良く──と言うより手品のように、折り詰めにしていく。ところが、最後の一つを0.275秒で詰め終えると、ぴたりとその手が止まってしまった。
「…………」
父さんはしばらく何か思案していたようなのだが、くるりと後ろを向くと
「頼む」
と、40センチ角ほどの籐で編んだランチバッグをお母さんに差し出した。
如何に父さんといえども、小さなランチバッグの中に十数個の折り詰め納めることは、物理的に不可能だったからである。
「もう、しょうがないわねぇ〜」
「すまん……」
お母さんは面倒くさそうにランチバッグを受け取ると、テーブルの上の折をその中に無造作に放り込み始めた。
「は〜い。できたわよぉ」
数分後には全ての折詰めとお箸やフォーク、ナプキン類等が、小さな編み上げのランチバッグの中に収まってしまっていた。
「……そ、そんなバカな」
僕等には見慣れた当たり前の光景だったんだけど、初めて見る輝兄ちゃんには新鮮な驚きだったらしい。まだ目を白黒させている。
僕にも一体どういう訳なのか未だによく分からないのだが、お母さんの手に掛かれば空間の物理的大小は意味を失うらしい。純粋な情報の形で圧縮されるんだろうか?
まさか四次元ポケット、っていうはずはないだろうけど。
多少疑念は残るが、便利なんだから、まぁいいじゃないか。
「みんな、もう準備は出来てるか?」
父さんの言葉に、皆は元気に応えた。
「いいよぉ」
「OKです」
「いつでもいいぞい」
「僕も準備できた」
「よし、じゃあ、出発だ」
僕達は思い思いの荷物を詰め込んだリュックやバッグを持って出発した。
(2)
天気予報は一昨日から連続で大雨だったんだけれど、今日僕等の出掛けるところだけは快晴だった。
流しっぱなしのカーラジオでは、やっぱり雨雨雨。
「上手い具合に晴れましたねぇ」
輝兄ちゃんが窓から外を見上げながら、不思議そうに言った。そんなのは当たり前の事なのにね。僕等がピクニックに行くのに、雨が降る訳ないよ。
お母さんは、いつものようにつまんなさそうに空を眺めていた。時たま一瞬、お母さんの瞳が金色に光るように見える時もあるが、これは光の加減だろう。
自動車でバイパスを一時間ほど流してから、やや細めの県道に入る。
更に三十分ほど走ると、急ごしらえの駐車場が見えて来た。
雨続きで、しかも天気予報も確率100%の雨と言うためだろう。折角の晴れた休みなのに、車や人の数は少な目であった。多分、他のところは大雨なんだろうな。
駐車場の隅っこの売店も、今しがた店を開いたばかりのようで、かなりの年配のおばさんが忙しく立ち働いていたが、お客はまだ誰も来てはいない。
この駐車場からハイキングコースを徒歩で2時間くらい行くと、目的の高原に到着する。今は、十時をちょっと過ぎたところだから、ちょうどお昼の時間に着く筈だ。
この頃は開発などで景観が損なわれて来たけれど、標高300mほどの山と高原は、まだまだ自然を残しているはずだ。少なくとも去年まではそうだった。
僕等は車から荷物を引張り出すと、ハイキングコースの入り口へ向かった。
(3)
朽ちてぼろぼろになった門柱──本当は違うのかもしれないけれど──をくぐろうとした時、いきなり中型の4WDが、そこから飛び出して来た。門柱を出てすぐ、急ブレーキをかけて止まる。ぬかるんだ原っぱに、タイヤの跡が深くきざまれた。
このハイキングコースは、自動車は進入禁止の筈なんだけどな。
えらくマナーの悪い人がいるなと思ったら、乗っていたのは見るからに人相の悪い輩だった。
面白い事に、全員が全員、パンチパーマにサングラスで統一されていた。
もし、暴力団に制服があったとしたら、きっとこうなるんだろうなぁ。
なんて、バカな事を考えていると、チンピラ達の中でも一番頭の悪そうなのが、ウィンドウから首を突き出した。
「バッキャッロー! こんなとこでモタモタしてんじゃねぇ!」
そいつは、口汚く罵ると、加えていたタバコをつばと共に地面に吹き出した。
後部座席からは、空き缶や食べかけの弁当が無造作に投げ棄てられ、辺りに散らばった。
「マナーの悪い連中ですね」
輝兄ちゃんが嫌そうに呟いた。
「物を粗末にするとバチが当るぞい」
おじいちゃんは、そう言った。
「なんだぁ。文句あんのかよぉ」
「ガキやじじいは引っ込んでろい」
「へっ! こんなやつら放っておいて、さっさと行こうぜぇ」
哄笑をまき散らしながらチンピラ共は車を降りると、売店の方へ向かって行った。
「ヤな連中だな。ちょと腹が立ちましたね。注意してやりましょうか」
輝兄ちゃんが奴等の方に向かって行こうとすると、
「やめておけ」
と、父さんが止めた。
「ふんっ、クズどもが」
おじいちゃんも露骨に嫌そうな顔をした。腰を曲げて、その場に棄てられた残飯や火の点いたままの吸い殻を拾い上げると、ブツブツと何かの経文を唱え始めた。
そうしてしばらくすると、売店の方から悲鳴が聞こえて来た。きっとバチが当ったんだろう。
いつの間にか、おじいちゃんの手の中から吸い殻なんかが消えていたが、僕等はそんな事はお構いなしに、ハイキングコースへと入って行った。