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余命わずかな黒騎士様は私の隣でしか生きられない  作者: 秋月 もみじ


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9/10

第9話 溜まりに溜まった王城の汚れ、吸引力が変わらない私が吸い尽くします


 王都は、巨大なゴミ屋敷と化していた。


 かつて白亜と謳われた城壁は、ドス黒い粘液で覆われている。

 美しい石畳の道は、ヘドロのような泥で埋め尽くされ、そこから湧き出した大小様々な「黒い影」が這い回っていた。


「……きたなっ」


 私は馬上で、心底嫌そうな声を上げた。

 生理的な嫌悪感がすごい。

 これはもう、年末の大掃除レベルではない。特殊清掃の領域だ。


「ミナ、掴まっていろ! 突破する!」


 アルベルト様が叫ぶ。

 彼が剣を一振りすると、前方を塞いでいた黒い影たちが、衝撃波だけで消し飛んだ。


「どけェェェッ! 我が妻(予定)がお通りだ!!」


 後ろに続く辺境騎士団も、「掃除! 掃除!」と叫びながら突撃していく。

 彼らの鎧はピカピカに光り輝いているため、瘴気に対する完全な耐性があるらしい。

 私のハンドモップ加護、強すぎない?


 私たちは泥の海を割り、王城前の広場へと躍り出た。


 そこで見た光景に、私は絶句した。


「……うわぁ」


 広場の中央に、山のように巨大な「汚れ」が鎮座していた。

 半液状の黒い塊。

 不定形で、ブヨブヨと脈打ちながら、周囲の建物を飲み込んでいる。

 あれが今回の汚れの親玉ボスらしい。


 そして、その足元には。


「来ないで! こっちに来るなあああ!!」


 無様に逃げ惑うカイル王子の姿があった。

 彼はあろうことか、ボロボロになったアリアちゃんを自分の前に押し出し、盾にしようとしていた。


「アリア! 聖女だろ! なんとかしろ! 僕を守れ!」

「む、無理です……もう魔力が……」

「役立たずめ! これならあの『ハズレ』の方がマシだったか!?」


 アリアちゃんは膝をつき、今にも倒れそうだ。

 彼女の白いドレスは泥まみれで、光魔法の輝きも消え入りそうになっている。


 ブチッ。


 私の中で、何かが切れる音がした。

 血管ではない。

 我慢の限界ラインだ。


「アルベルト様、降ろしてください」

「ミナ? まだ危険だ」

「いいえ。……あんな粗大ゴミ、さっさと片付けないと目障りです」


 私の声が低かったのか、アルベルト様は一瞬目を見開き、それからニヤリと凶悪に笑った。


「承知した。露払いは任せろ」


 彼は私を地面に下ろすと、馬から飛び降り、カイル王子と魔物の間に割って入った。


 ドォォン!!


 アルベルト様が着地した衝撃で、迫っていた黒い触手が弾け飛ぶ。


「ひぃっ!? あ、アルベルト!? 助けに来てくれたのか!?」


 王子が情けない顔で縋り付こうとするが、アルベルト様は彼を見もしない。

 ただ、剣を構えて魔物を牽制し、私への道を確保する。


「掃除の時間だ、ミナ」

「はい」


 私はモップを片手に、ツカツカと歩み寄った。

 泥の上を歩くのは嫌だが、長靴(ゴム製)を履いてきて正解だった。


 アリアちゃんが私に気づき、涙目で顔を上げる。


「ミナ、さん……?」

「お待たせ。随分と散らかしたわね」


 私は彼女の頭をポンと撫でた。

 そして、目の前にそびえ立つ巨大な汚泥の山を見上げる。

 近くで見ると、臭いが強烈だ。

 腐った卵と古油を混ぜて煮込んだような悪臭。


「(これを吸うのは、ちょっと勇気がいるけど……)」


 私は大きく息を吐き、肺の中を空にした。

 イメージする。

 私の体は高性能な掃除機。

 吸引力は変わらない。フィルターの目詰まりもない。

 目の前のこれは、ただの「綿埃の塊」だ。


「……すぅぅぅぅぅぅぅぅ」


 私は両手を広げ、息を吸い始めた。


 ゴォォォォォッ!!


 風が巻く。

 私の口元を中心に、台風のような気流が発生した。


 広場の空気が、泥が、黒い霧が、すべて私の方へ引き寄せられる。


「な、なんだ!? 風が……吸い込まれていく!?」


 王子の驚愕の声が聞こえるが、無視だ。

 私は集中する。

 肺の奥にある「虚無」の空間へ、汚れを放り込んでいくイメージ。


 巨大な黒い塊が、掃除機に吸われるゼリーのように変形し、私の口元へと収束していく。

 味は……うん、不味くはない。

 高カカオチョコレートを焦がしたような、苦味とコク。


『ギィィィィィィ……!』


 魔物が断末魔のような音を立てた。

 抵抗しようと触手を伸ばしてくるが、その端から私が吸い込んでしまう。

 私の吸引力(肺活量)からは逃れられない。


「もっと! まだ吸える!」


 私はさらに強く吸い込んだ。

 広場だけでなく、王城にへばりついた汚れ、空を覆う黒雲、すべてを根こそぎ持っていく。


 ズズズズズズッ!

 ジュボッ!


 最後の一滴まで吸い尽くし、私は口を閉じた。


 ――静寂。


 風が止んだ。

 目を開けると、そこには信じられない光景が広がっていた。


 ドス黒かった空は、突き抜けるような青空に。

 ヘドロまみれだった王城の壁は、洗いたてのように白く輝き。

 足元の石畳は、塵ひとつない清潔な状態になっていた。


 空気も美味しい。

 まるで高原のリゾート地に来たみたいだ。


「……ふぅ」


 私は満足げにお腹をさすった。

 満腹だ。

 ちょっと食べすぎたかもしれない。


「げぷっ」


 あ。

 静まり返った広場に、私の可愛くないゲップが響いた。


「し、失礼」


 口元を抑えて赤面する。

 恥ずかしい。

 OLとしてあるまじき失態だ。


 しかし、周囲の反応は予想外だった。


「……女神だ」

「奇跡だ……空が、晴れた……」

「あの黒い悪夢を、一息で飲み込んだぞ……」


 瓦礫の陰から見ていた騎士や、逃げ遅れた市民たちが、呆然と空を見上げている。

 そして、次々と私に向かって跪き始めた。


「あ、アリア……これはいったい……」


 カイル王子が腰を抜かしたまま、震える指で私を指差している。


「ハズレじゃ……なかったのか……?」

「……はい」


 アリアちゃんが、よろめきながら立ち上がった。

 彼女の顔色は、もう悪くない。

 周囲の空気が浄化されたおかげで、彼女の魔力も回復し始めているようだ。


「ミナさんはハズレなんかじゃありません。……全てを受け入れ、浄化する、真の『無』の聖女様です」


 アリアちゃんは泣きながら、私に抱きついてきた。


「うわぁぁぁん! ミナさぁぁん! 怖かったよぉぉぉ!」

「よしよし。汚いのはもうなくなったからね」


 私は彼女の背中をポンポンと叩いた。

 泥だらけだった彼女のドレスも、私が触れた端から白さを取り戻していく。


「さて、と」


 私はカイル王子を見下ろした。

 彼はまだ地面にへたり込んだままだ。

 その豪華な服は泥まみれで、私の靴よりも汚い。


「殿下。とりあえず、お風呂に入った方がいいですよ」

「あ……う……」

「それと、ここは掃除が終わったので、私は帰ります。……あ、でも」


 私はニッコリと笑った。


「清掃代金、高くつきますけど覚悟してくださいね?」


 その時、背後からアルベルト様が歩み寄ってきた。

 彼は私の肩を抱き寄せ、勝ち誇ったように王子を見下ろした。


「聞いたな? 我が妻への請求書は、後日、国庫が空になる額で送りつける。……覚悟しておけ」


 王子は顔面蒼白になり、何も言い返せなかった。

 周囲の視線――騎士たちの冷ややかな目と、私を見る崇拝の目が、彼を完全に孤立させていたからだ。


 こうして、王都の大掃除は完了した。

 物理的な汚れは落ちたけれど、人間関係の汚れ(主に王子まわり)の清算は、これからが本番らしい。


 私は満腹のお腹を抱えながら、

「(今日の夕飯は抜きでいいかな……)」

 と、のんきなことを考えていた。

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