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余命わずかな黒騎士様は私の隣でしか生きられない  作者: 秋月 もみじ


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5/10

第5話 王都から「聖女が倒れた」と聞こえてきましたが、お茶が美味しいです


 サクッ。

 口の中で、バターの香ばしい香りが広がる。


「……んん、美味しい」


 私は思わず声を漏らした。

 焼きたてのスコーンに、たっぷりのクロテッドクリームとベリージャム。

 合わせるのは、ベルガモットの香り高いアールグレイ。


 最高だ。

 ここは天国かもしれない。


 辺境伯邸の裏庭にあるガゼボ(西洋風の東屋)。

 ここ数日で劇的に浄化された庭園は、今や色とりどりの花が咲き乱れる楽園と化していた。

 淀んだ空気は微塵もない。

 私が毎日、洗濯物を干すついでに空気を吸いまくった成果である。


「気に入ったか?」


 向かいの席で、アルベルト様が頬杖をついて私を見ていた。

 彼は一口もお茶を飲んでいない。

 ただひたすら、私がモグモグと食べる様子を観察している。


「はい、とても。……あの、アルベルト様も召し上がっては?」

「いや、俺は君を見ているだけで胸がいっぱいだ(物理的に呪いが静まるから)」

「はあ、そうですか」


 相変わらず重い。

 最近の彼は、私のストーカー兼保護者兼ファンクラブ会員第一号みたいになっている。


 今日も公務でお忙しいはずなのに、「休憩が必要だ」と言い張って、こうしてティータイムに同席しているのだ。

 まあ、彼が近くにいると空気が澄む(私が吸うから)ので、ウィンウィンの関係ではあるけれど。


 平和な午後だった。

 そよ風が吹き、小鳥がさえずる。

 前世のブラック企業時代には考えられなかった、優雅な時間。


「(この生活、悪くないなあ……)」


 私が二つ目のスコーンに手を伸ばした時だった。


 ザッ、ザッ、ザッ。

 慌ただしい足音が、静寂を破った。


「閣下! 申し上げます!」


 息を切らせて駆け込んできたのは、セバスさんだ。

 普段は冷静な彼が、珍しく焦りの色を浮かべている。


 アルベルト様の目が、スッと細められた。

 一瞬で、甘い「旦那様」の顔から、冷徹な「辺境伯」の顔に戻る。


「なんだ。ミナとの時間を邪魔するなら、それ相応の理由があるんだろうな」

「はっ、申し訳ございません! しかし、王都より急使が……!」


 王都。

 その単語が出た瞬間、場の空気が凍りついた。


 アルベルト様が立ち上がる。

 ガタン、と椅子が音を立てた。


「ミナ」

「はい」

「ここで待っていろ。動くな。誰が来ても声を出すな」

「はあ」


 彼は私の返事も待たずに、風のような速さでガゼボを出て行った。

 その背中からは、隠しきれない殺気が漏れ出していた。

 黒い湯気みたいに見える。あれ、あとで吸っておかないと花が枯れちゃうな。


 ◇


 取り残された私は、とりあえず紅茶を飲んだ。

 冷めても美味しい。


 ガゼボからは、屋敷の入り口付近は見えない。

 でも、風に乗って微かに怒鳴り声が聞こえてきた。


『――勅命であるぞ!』

『――サトウを――返還――!』

『――聖女アリア様が――限界で――!』


 断片的な単語。

 よく聞こえないけれど、穏やかではない雰囲気だ。


「聖女様が、限界?」


 私は首を傾げた。

 アリアちゃんのことだろうか。

 召喚された時、彼女は「光属性・無限」と判定されていたはずだ。

 無限の魔力があるなら、限界なんて来ないんじゃないの?


 ふと、空を見上げる。

 この庭の上空は快晴だ。

 けれど、遠く南の方角――王都がある方角の空だけが、インクを垂らしたようにドス黒く濁っていた。


「……うわぁ」


 掃除好きの本能が、警鐘を鳴らす。

 あの雲、ただの雨雲じゃない。

 あれは、巨大な換気扇の油汚れが、何年も放置されて固まったような「こってりとした汚れ」だ。


 見ているだけで胸焼けがする。

 あんな空気の中にいたら、肌荒れ待ったなしだ。


「(帰りたくないなあ……)」


 私は本能的にそう思った。

 あそこに戻れば、また「無能」と罵られ、そのくせ雑用を押し付けられる日々が待っている気がする。

 それに比べてここは、ご飯は美味しいし、空気は綺麗だし、イケメン騎士様は過保護なくらい優しい。


 カツ、カツ、カツ。

 足音が戻ってきた。

 アルベルト様だ。


 彼は何事もなかったような顔をしているが、その右手の手袋が少し破けていた。

 何かを握り潰したみたいに。


「お待たせ。冷めてしまったな、淹れ直させよう」

「いえ、大丈夫です。……あのお客様は?」

「迷子だ」


 彼は即答した。

 絶対に嘘だ。


「道に迷った野良犬が、少し吠えていただけだ。丁重に森へお帰り願ったよ」

「野良犬ですか。王家の紋章をつけた」

「……視力がいいな、君は」


 アルベルト様は苦笑すると、私の隣に座り直した。

 そして、私の肩を抱き寄せる。

 さっきよりも力が強い。

 まるで、どこにも行かせないというように。


「ミナ。しばらく、屋敷の結界強度を上げる」

「結界?」

「ああ。害虫が入ってこないようにね。少し窓の外が見えにくくなるかもしれないが、構わないか?」


 彼の声は優しいけれど、瞳の奥は笑っていなかった。

 青い瞳が、暗い炎のように揺らめいている。


「……アルベルト様が良いと思うなら、お任せします」

「ありがとう。君を守るためだ。絶対に、あの泥沼(王都)には返さない」


 彼は私の髪に口づけを落とした。


 泥沼。

 その言葉が、王都の現状を何よりも的確に表している気がした。


 私は知らないふりをして、三つ目のスコーンを手に取った。

 今はまだ、この甘い平穏に浸っていたかったから。


 でも、気づいてしまった。

 彼の袖口に、微かに「焦げ臭い」ような臭いがこびりついていることに。

 それは、王都から漂ってくる、破滅の臭いと同じだった。


「(……掃除道具、準備しておいた方がいいかな)」


 私は紅茶を飲み干し、密かに覚悟を決めた。

 この平穏を守るためなら、出張清掃くらいはしてあげてもいいかもしれない、と。

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