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余命わずかな黒騎士様は私の隣でしか生きられない  作者: 秋月 もみじ


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4/10

第4話 旦那様が「君は座っているだけでいい」と過保護すぎて掃除ができません


 暇だ。

 死ぬほど暇だ。


 私はふかふかのソファの上で、天井のシミ(うっすらとした呪いの残り香)を見上げていた。


 辺境伯邸での生活が始まって数日。

 私の生活は一変した。

 「掃除の達人」から「ニート」へ。


「ミナ様、紅茶のおかわりはいかがですか?」

「……いただきます」


 メイドの少女が、恐る恐るティーカップを差し出す。

 彼女の手は震えている。

 無理もない。この部屋の外には、私を護衛するという名目で、強面の騎士が二名も立っているのだから。


 アルベルト様の過保護ぶりは、異常の域に達していた。


『掃除などしなくていい』

『重い物(雑巾)を持つな』

『歩くな、俺が運ぶ』


 結果、私は部屋に軟禁され、上げ膳据え膳の生活を強いられている。

 最初は楽でいいかと思った。

 でも、根が社畜で掃除好きな私にとって、汚れを前にして手出しできないのは拷問に近い。


「あそこの窓枠、ホコリ溜まってるなあ……」


 私が無意識に立ち上がろうとすると、メイドさんが「ひぃっ! 私がやります!」と慌てて布巾を取り出した。

 でも、彼女には見えていないのだ。

 物理的なホコリは取れても、その下にこびりついたドス黒い粘着汚れ(呪い)は残ったまま。


 うずうずする。

 あの汚れをキュッ!と拭き取って、空気を美味しくしたい。


「……もう限界」


 私は立ち上がった。

 護衛の騎士が止めようとするのを「トイレです!」と強引に突破し、廊下を歩く。

 目指すは、この屋敷で一番汚染源に近い場所。

 すなわち、旦那様の執務室だ。


 ◇


「入れ」


 ノックをすると、重々しい声が返ってきた。

 扉を開ける。


 執務室は広かったが、空気は重かった。

 部屋の中央にある巨大な黒檀の机。

 そこで書類と格闘しているアルベルト様からは、湯気のように黒い瘴気が立ち上っていた。


「ミナ? どうした、何かあったのか」


 私を見るなり、彼が椅子から立ち上がる。

 その瞬間、部屋の空気圧が下がった気がした。


「アルベルト様、お話があります」

「なんだ。欲しいものがあるのか? 宝石か? ドレスか? それとも隣国を一つ買い取ってほしいか?」

「スケールが大きすぎます。私が欲しいのは『労働』です」


 私が訴えると、彼はきょとんとした顔をした。

 整った顔立ちが、不思議そうに歪む。


「労働? 君にそんな真似はさせられない。君はただ、そこにいて笑ってくれていれば……」

「笑えません。退屈で顔の筋肉が固まりそうです」


 私は一歩踏み出した。

 机に近づくと、漂っていた瘴気をスーッと吸い込む。

 美味しい。

 ミントのような清涼感が肺を満たす。


「それに、あなたが辛そうです」


 私は彼の眉間にある深い皺を指差した。

 私と離れている間、彼はまた呪いの痛みに耐えているのだ。

 その証拠に、ペンを持つ指先が白くなるほど力んでいる。


「……君には敵わないな」


 アルベルト様は苦笑し、脱力したように椅子に座り直した。

 途端に、彼から放たれる威圧感が霧散する。


「わかった。掃除は禁止だが、妥協案を出そう」

「妥協案?」

「ここで仕事をしろ」


 彼は自分の太腿をパンパンと叩いた。


「は?」

「ここに座っていろ。それが君の仕事だ」


 ……正気か?

 私は目を疑ったが、彼は大真面目だった。


「俺は君が近くにいないと、痛くて集中できない。君は退屈を紛らわせたい。ならば、俺の膝の上で俺の魔力を管理(浄化)するのが、最も効率的な業務フローではないか?」


 悔しいけれど、理屈は通っている。

 彼の周りは常に新鮮な呪い(ご馳走)が湧き出ているし、私はそれを吸えば満腹になる。

 完全な需要と供給の一致。


「……わかりました。業務として承ります」


 私は割り切ることにした。

 これは椅子だ。

 高機能なマッサージチェアみたいなものだ。


 私が恐る恐る彼の膝の上に腰を下ろすと、背後から強靭な腕が回された。

 ガシッ。

 完全にロックされた。


「……いい匂いだ」


 首筋に顔を埋められ、深く息を吸い込まれる。

 くすぐったい。

 というか、心臓に悪い。


「あの、仕事してください」

「ああ、今なら何でもできそうだ」


 アルベルト様はペンを走らせ始めた。

 その速度が異常だった。


 サラサラサラサラッ!

 決裁書類が次々と処理され、積み上げられていく。


「予算承認、却下、再提出、承認……」


 早い。

 まるで倍速再生を見ているようだ。

 普段は痛みのせいで思考が鈍るらしいが、痛みが消えた今の彼は、元来の超有能な領主様に戻っているらしい。


 私は彼の方に体重を預け、彼から漏れ出る黒いモヤを、パクパクと金魚のように吸い続けた。

 うん、美味しい。

 高級なアロマを焚いている気分だ。

 彼の体温も心地よくて、なんだか眠くなってくる。


 その時、扉がノックされた。


「失礼します、閣下。至急の決済を……」


 入ってきたのは、副騎士団長の男性だった。

 彼は部屋の惨状――もとい、光景を見て、石になった。


 鬼の形相で知られる主君が、女性を膝に乗せ、蕩けるような顔で書類仕事をしているのだから。


「……あ、あの」

「なんだ、置いていけ。すぐ終わる」


 アルベルト様は視線も上げずに言った。

 副団長はパクパクと口を開閉させ、助けを求めるように私を見た。

 私は気まずくて、とりあえず愛想笑いをして手を振ってみた。


「ひぃっ!」


 副団長は悲鳴を上げ、書類を机に叩きつけて逃亡した。


「逃げましたけど」

「放っておけ。それよりミナ、もう少し右に寄ってくれ。そこが一番落ち着く」

「注文が多いですね」


 私は文句を言いながらも、言われた通りに位置を調整した。

 背中越しに伝わる彼の心音が、驚くほど穏やかになっているのがわかる。


 なんだか、悪い気はしない。

 誰かの役に立っているという実感。

 前世では「便利屋」扱いだったけれど、ここでは「不可欠なパーツ」として扱われている。


 私は彼のシャツについた小さなホコリを、指先で摘まみ取った。

 

「……まあ、しばらくはこうしてあげてもいいかな」


 私は小さく呟いた。

 アルベルト様の手が、私の腰を抱く力を少しだけ強めた。


 こうして、私の新しい役職「人間空気清浄機(兼抱き枕)」が爆誕したのだった。

 平和だ。

 この平穏がずっと続けばいいのに。


 ――王都から、あの迷惑な元婚約者たちが迫ってきているとも知らずに。

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