第3話 騎士団の皆様が「女神」と拝んできますが、私はただの掃除婦です
翌朝、私は小鳥のさえずりで目を覚ました。
最高の目覚めだ。
昨夜、アルベルト様にはこっぴどく怒られたけれど、ふかふかのベッド(除菌済み)と清浄な空気のおかげで、前世を含めても一番の熟睡ができた気がする。
「よし、今日もいい天気」
窓を開けて深呼吸をする。
入ってくる空気は少し冷たいけれど、澄んでいて美味しい。
昨日お掃除した甲斐があったというものだ。
朝食後、私はじっとしていられず庭へ出ることにした。
アルベルト様は「部屋から出るな」と言っていた気がするけれど、せっかくの晴天だ。
洗濯物を干さない手はない。
私は勝手口で見つけたカゴと、自作のハンドモップ(棒の先に余った布を巻きつけたもの)を持って裏庭へ向かった。
「……ん?」
裏庭に続く広場に出ると、異様な光景が広がっていた。
死屍累々。
そんな言葉が浮かぶ。
数十人の屈強な男たちが、地面に座り込んだり、大の字で寝転がったりしている。
全員が騎士の格好をしているが、その鎧はボロボロで、ドス黒い泥のような汚れにまみれていた。
「あーあ、真っ黒」
私は眉をひそめた。
彼らの周囲には、陽炎のように黒いモヤが立ち上っている。
演習か何かで、泥んこ遊びでもしてきたのだろうか。
それとも、この辺りの騎士団は泥浴びが健康法なのか。
どちらにせよ、見ていて気持ちのいいものではない。
あの汚れが乾いて風に乗ったら、せっかく干した洗濯物に付着してしまう。
「すみません、ちょっと通りますよ」
私は騎士たちの間を縫って、物干し台へ向かおうとした。
その時、一人の若い騎士が苦しげに呻き声を上げた。
「ぐ……っ、足が……焼ける……」
見ると、彼の右足の脛当て部分に、べっとりとコールタール状の汚れが付いている。
そこから黒い煙が出ていて、なんとも体に悪そうだ。
「あらあら、そんな汚れたままにするから」
私は見過ごせず、足を止めた。
職業病だ。
目の前に汚れがあると、体が勝手に動いてしまう。
「じっとしててね。今、払いますから」
私は持っていたハンドモップを構え、彼の方へしゃがみ込んだ。
「ひっ!? な、何をする気だ……!?」
「いいからいいから」
怯える騎士を無視して、私はモップでその黒い塊をパシパシと叩いた。
パシッ、パシッ。
いい音がする。
私のモップが触れるたび、黒い粘液は乾燥した砂のようにサラサラと崩れ落ち、空中に霧散していく。
ついでに、彼の肩や背中についていた黒い煤も、サッサッと払ってやる。
「はい、綺麗になりました」
数十秒の早業だ。
彼の鎧は新品同様の輝きを取り戻していた。
「……え?」
騎士の青年は、呆けたように自分の足を見下ろした。
そして、恐る恐る膝を曲げ伸ばしする。
「痛くない……? 嘘だ、半年前に受けた呪傷の痛みが……消えた?」
彼は信じられないという顔で私を見上げた。
その瞳に、じわじわと涙が溜まっていく。
「き、奇跡だ……! 聖女様だ……!」
「いえ、掃除です」
私が訂正するのも聞かず、彼は地面に額を擦り付けて平伏した。
「ありがとうございます! ああ、なんと慈悲深い!」
大袈裟だなあ。
ちょっと泥を払ったくらいで。
しかし、その騒ぎを聞きつけて、周りでへばっていた他の騎士たちが一斉に顔を上げた。
「なんだ? 何が起きた?」
「おい見ろ、ジャックの鎧から瘴気が消えているぞ!」
「あの女性か? 団長が連れ帰ったという……」
ゾロゾロと、薄汚れた男たちが集まってくる。
全員、顔色が悪いし、鎧は真っ黒だ。
私は思わず後ずさった。
汚い。
集団で来られると、圧迫感と不潔感がすごい。
「あー、もう! 並んでください、並んで!」
私はカゴを置き、モップを持ち直した。
これだけ人数がいると、一人ひとり丁寧に拭いている時間はない。
流れ作業でいくしかない。
「はい、次の方。背中向けないで、前向いて」
「は、はいっ!」
大男が直立不動になる。
私は彼の胸元についた黒いシミを、モップでゴシゴシと擦った。
シュワァァ……。
炭酸が抜けるような音と共に、汚れが消える。
「おおおお……体が軽い! 鉛のような怠さが嘘みたいだ!」
「はい、次」
私は回転寿司の職人のような手際で、次々と騎士たちの汚れを落としていった。
パシパシ、サッサッ。
パシパシ、サッサッ。
「女神様だ……」
「光の化身だ……」
「俺の五十肩(呪い由来)が治ったぞ!」
騎士たちは浄化されるたびに感涙し、その場で膝をついて拝み始める。
気づけば、私の後ろにはピカピカになった鎧の男たちが、整然と土下座の列を作っていた。
何この宗教。
怖いんだけど。
私はただ、洗濯物を干す前に環境を浄化したかっただけなのに。
「……最後の一人、と」
列の最後尾にいた小柄な少年兵の頭についたホコリ(呪い)をポンポンと払う。
少年は顔を真っ赤にして、「あ、ありがとうございましゅ!」と敬礼した。
ふぅ、やれやれ。
これでようやく空気が綺麗になった。
私は額の汗を拭い、満足感に浸った。
その時だ。
「貴様らァァァァッ!!」
雷のような怒号が広場に轟いた。
ビクッとして振り返ると、屋敷のテラスに仁王立ちするアルベルト様の姿があった。
彼は手すりをメリメリと握り潰しながら、般若のような形相でこちらを睨んでいる。
全身から黒いオーラ(これは呪いじゃなくて殺気だ)が噴き出している。
「だ、団長!?」
土下座していた騎士たちが跳び上がった。
「誰の許可を得て! 俺のミナに! 群がっているんだあああっ!!」
アルベルト様がテラスから飛び降りた。
三階から。
ドォォォン!!
着地の衝撃で地面が揺れ、土煙が舞う。
彼はゆらりと立ち上がると、抜剣した。
「汚らわしい男どもが……気安く近づくな。その空気は俺のものだ」
「ひぃぃっ! 誤解です閣下! 私たちはただ浄化を……!」
「浄化だと? ミナの手を煩わせたのか? 貴様らの穢れを、あのか細い腕で拭わせたと言うのか!?」
アルベルト様は私の方へスタスタと歩み寄ると、私の前に立ちはだかり、騎士たちを背中で遮断した。
そして振り返り、私の顔を覗き込む。
「ミナ、大丈夫か。気分は悪くないか。どこか触られたか。ここか? ここを消毒すればいいか?」
彼は私の手を取り、自分の頬にスリスリと押し付けた。
ひんやりとして気持ちいい。
いや、そうじゃなくて。
「アルベルト様、落ち着いてください。私が勝手にやったんです」
「君が?」
「はい。あまりに皆様が汚……いえ、お辛そうだったので。ちょっとホコリを払っただけです」
私が説明すると、彼は痛ましげに眉を寄せた。
「なんて慈悲深いんだ……。自分の身を削ってまで、こんなむさ苦しい男たちを救うなんて」
「身は削ってません。運動不足解消です」
「だが、許さん」
アルベルト様は再び騎士たちに向き直り、氷点下の声で告げた。
「以後、ミナの半径五メートル以内への接近を禁ずる。視線を合わせることもまかりならん。彼女は俺の専属だ。……呼吸する空気すら共有させたくない」
最後の一言は聞き捨てならなかったけれど、騎士たちは「ははーーっ!」と一斉に平伏した。
彼らの目は、恐怖と同時に、私への崇拝でキラキラと輝いている。
「(これは……掃除のおばちゃんとして、完全に認められたわね)」
私は心の中でガッツポーズをした。
これでこの屋敷での居場所は確保できたも同然だ。
みんな、綺麗好きな人は歓迎してくれるはずだから。
しかし、私は気づいていなかった。
彼らが私に向けている視線が、「便利な清掃員」へのそれではなく、「降臨した生ける伝説」への狂信に近いものだということに。
アルベルト様が私の腰に腕を回し、引き寄せる。
「部屋に戻ろう。……君が他の男を見ていると、呪いが暴れそうだ」
彼の低い声が耳元で甘く響く。
その腕の力強さに、私は少しだけドキリとしながら、大人しく屋敷へと連行されるのだった。




