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余命わずかな黒騎士様は私の隣でしか生きられない  作者: 秋月 もみじ


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3/10

第3話 騎士団の皆様が「女神」と拝んできますが、私はただの掃除婦です


 翌朝、私は小鳥のさえずりで目を覚ました。

 最高の目覚めだ。


 昨夜、アルベルト様にはこっぴどく怒られたけれど、ふかふかのベッド(除菌済み)と清浄な空気のおかげで、前世を含めても一番の熟睡ができた気がする。


「よし、今日もいい天気」


 窓を開けて深呼吸をする。

 入ってくる空気は少し冷たいけれど、澄んでいて美味しい。

 昨日お掃除した甲斐があったというものだ。


 朝食後、私はじっとしていられず庭へ出ることにした。

 アルベルト様は「部屋から出るな」と言っていた気がするけれど、せっかくの晴天だ。

 洗濯物を干さない手はない。


 私は勝手口で見つけたカゴと、自作のハンドモップ(棒の先に余った布を巻きつけたもの)を持って裏庭へ向かった。


「……ん?」


 裏庭に続く広場に出ると、異様な光景が広がっていた。


 死屍累々。

 そんな言葉が浮かぶ。


 数十人の屈強な男たちが、地面に座り込んだり、大の字で寝転がったりしている。

 全員が騎士の格好をしているが、その鎧はボロボロで、ドス黒い泥のような汚れにまみれていた。


「あーあ、真っ黒」


 私は眉をひそめた。

 彼らの周囲には、陽炎のように黒いモヤが立ち上っている。

 演習か何かで、泥んこ遊びでもしてきたのだろうか。

 それとも、この辺りの騎士団は泥浴びが健康法なのか。


 どちらにせよ、見ていて気持ちのいいものではない。

 あの汚れが乾いて風に乗ったら、せっかく干した洗濯物に付着してしまう。


「すみません、ちょっと通りますよ」


 私は騎士たちの間を縫って、物干し台へ向かおうとした。

 その時、一人の若い騎士が苦しげに呻き声を上げた。


「ぐ……っ、足が……焼ける……」


 見ると、彼の右足の脛当て部分に、べっとりとコールタール状の汚れが付いている。

 そこから黒い煙が出ていて、なんとも体に悪そうだ。


「あらあら、そんな汚れたままにするから」


 私は見過ごせず、足を止めた。

 職業病だ。

 目の前に汚れがあると、体が勝手に動いてしまう。


「じっとしててね。今、払いますから」


 私は持っていたハンドモップを構え、彼の方へしゃがみ込んだ。


「ひっ!? な、何をする気だ……!?」

「いいからいいから」


 怯える騎士を無視して、私はモップでその黒い塊をパシパシと叩いた。


 パシッ、パシッ。

 いい音がする。


 私のモップが触れるたび、黒い粘液は乾燥した砂のようにサラサラと崩れ落ち、空中に霧散していく。

 ついでに、彼の肩や背中についていた黒い煤も、サッサッと払ってやる。


「はい、綺麗になりました」


 数十秒の早業だ。

 彼の鎧は新品同様の輝きを取り戻していた。


「……え?」


 騎士の青年は、呆けたように自分の足を見下ろした。

 そして、恐る恐る膝を曲げ伸ばしする。


「痛くない……? 嘘だ、半年前に受けた呪傷の痛みが……消えた?」


 彼は信じられないという顔で私を見上げた。

 その瞳に、じわじわと涙が溜まっていく。


「き、奇跡だ……! 聖女様だ……!」

「いえ、掃除です」


 私が訂正するのも聞かず、彼は地面に額を擦り付けて平伏した。


「ありがとうございます! ああ、なんと慈悲深い!」


 大袈裟だなあ。

 ちょっと泥を払ったくらいで。


 しかし、その騒ぎを聞きつけて、周りでへばっていた他の騎士たちが一斉に顔を上げた。


「なんだ? 何が起きた?」

「おい見ろ、ジャックの鎧から瘴気が消えているぞ!」

「あの女性か? 団長が連れ帰ったという……」


 ゾロゾロと、薄汚れた男たちが集まってくる。

 全員、顔色が悪いし、鎧は真っ黒だ。


 私は思わず後ずさった。

 汚い。

 集団で来られると、圧迫感と不潔感がすごい。


「あー、もう! 並んでください、並んで!」


 私はカゴを置き、モップを持ち直した。

 これだけ人数がいると、一人ひとり丁寧に拭いている時間はない。

 流れ作業でいくしかない。


「はい、次の方。背中向けないで、前向いて」

「は、はいっ!」


 大男が直立不動になる。

 私は彼の胸元についた黒いシミを、モップでゴシゴシと擦った。


 シュワァァ……。

 炭酸が抜けるような音と共に、汚れが消える。


「おおおお……体が軽い! 鉛のような怠さが嘘みたいだ!」

「はい、次」


 私は回転寿司の職人のような手際で、次々と騎士たちの汚れを落としていった。


 パシパシ、サッサッ。

 パシパシ、サッサッ。


「女神様だ……」

「光の化身だ……」

「俺の五十肩(呪い由来)が治ったぞ!」


 騎士たちは浄化されるたびに感涙し、その場で膝をついて拝み始める。

 気づけば、私の後ろにはピカピカになった鎧の男たちが、整然と土下座の列を作っていた。


 何この宗教。

 怖いんだけど。


 私はただ、洗濯物を干す前に環境を浄化したかっただけなのに。


「……最後の一人、と」


 列の最後尾にいた小柄な少年兵の頭についたホコリ(呪い)をポンポンと払う。

 少年は顔を真っ赤にして、「あ、ありがとうございましゅ!」と敬礼した。


 ふぅ、やれやれ。

 これでようやく空気が綺麗になった。

 私は額の汗を拭い、満足感に浸った。


 その時だ。


「貴様らァァァァッ!!」


 雷のような怒号が広場に轟いた。

 ビクッとして振り返ると、屋敷のテラスに仁王立ちするアルベルト様の姿があった。


 彼は手すりをメリメリと握り潰しながら、般若のような形相でこちらを睨んでいる。

 全身から黒いオーラ(これは呪いじゃなくて殺気だ)が噴き出している。


「だ、団長!?」


 土下座していた騎士たちが跳び上がった。


「誰の許可を得て! 俺のミナに! 群がっているんだあああっ!!」


 アルベルト様がテラスから飛び降りた。

 三階から。

 ドォォォン!!

 着地の衝撃で地面が揺れ、土煙が舞う。


 彼はゆらりと立ち上がると、抜剣した。


「汚らわしい男どもが……気安く近づくな。その空気は俺のものだ」

「ひぃぃっ! 誤解です閣下! 私たちはただ浄化を……!」

「浄化だと? ミナの手を煩わせたのか? 貴様らの穢れを、あのか細い腕で拭わせたと言うのか!?」


 アルベルト様は私の方へスタスタと歩み寄ると、私の前に立ちはだかり、騎士たちを背中で遮断した。

 そして振り返り、私の顔を覗き込む。


「ミナ、大丈夫か。気分は悪くないか。どこか触られたか。ここか? ここを消毒すればいいか?」


 彼は私の手を取り、自分の頬にスリスリと押し付けた。

 ひんやりとして気持ちいい。

 いや、そうじゃなくて。


「アルベルト様、落ち着いてください。私が勝手にやったんです」

「君が?」

「はい。あまりに皆様が汚……いえ、お辛そうだったので。ちょっとホコリを払っただけです」


 私が説明すると、彼は痛ましげに眉を寄せた。


「なんて慈悲深いんだ……。自分の身を削ってまで、こんなむさ苦しい男たちを救うなんて」

「身は削ってません。運動不足解消です」


「だが、許さん」


 アルベルト様は再び騎士たちに向き直り、氷点下の声で告げた。


「以後、ミナの半径五メートル以内への接近を禁ずる。視線を合わせることもまかりならん。彼女は俺の専属だ。……呼吸する空気すら共有させたくない」


 最後の一言は聞き捨てならなかったけれど、騎士たちは「ははーーっ!」と一斉に平伏した。

 彼らの目は、恐怖と同時に、私への崇拝でキラキラと輝いている。


「(これは……掃除のおばちゃんとして、完全に認められたわね)」


 私は心の中でガッツポーズをした。

 これでこの屋敷での居場所は確保できたも同然だ。

 みんな、綺麗好きな人は歓迎してくれるはずだから。


 しかし、私は気づいていなかった。

 彼らが私に向けている視線が、「便利な清掃員」へのそれではなく、「降臨した生ける伝説」への狂信に近いものだということに。


 アルベルト様が私の腰に腕を回し、引き寄せる。


「部屋に戻ろう。……君が他の男を見ていると、呪いが暴れそうだ」


 彼の低い声が耳元で甘く響く。

 その腕の力強さに、私は少しだけドキリとしながら、大人しく屋敷へと連行されるのだった。

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