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余命わずかな黒騎士様は私の隣でしか生きられない  作者: 秋月 もみじ


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第1話 「ハズレ」として捨てられたので、黒騎士様の鎧を雑巾がけします


 床が、汚い。

 それが私の第一印象だった。


 磨き上げられた大理石のように見えるけれど、私の目にはうっすらと黒いすすのようなものがへばりついているのが見えたからだ。

 四隅には綿埃のような塊も溜まっている。


「――鑑定終了。聖女アリア、光属性『無限』。一方、ミナミ・サトウは……魔力反応なし。属性『うつろ』」


 神官長の厳かな声が、広い謁見の間に響く。

 周囲の貴族たちから、「おお」という感嘆と、「ああ」という落胆の声が同時に漏れた。


 玉座にふんぞり返る金髪の青年――カイル第二王子が、つまらなそうに鼻を鳴らす。


「決まりだな。聖女はアリア。もう一匹は『ハズレ』だ」


 ハズレ。

 その言葉が、私、佐藤南サトウ ミナミに向けられたものだと理解するのに、数秒かかった。


 隣には、私と一緒に召喚された女子高生のアリアちゃんがいる。

 彼女はキラキラしたドレスを着せられ、困ったような、でも満更でもないような顔で王子を見つめていた。


「あの、カイル様? ミナミさんはどうなるんですか?」

「心配はいらないよ、愛しいアリア。彼女には相応の処遇を用意する。君は国の宝だが、無能力者を養う余裕は我が国にはないからな」


 王子の視線が、私を射抜く。

 そこには侮蔑しかなかった。


「おい、その女を摘み出せ。視界に入れるのも不愉快だ」

「はっ!」


 近衛兵たちが私の両腕を乱暴に掴む。

 痛い。

 二の腕に食い込む指の感触に、私は顔をしかめた。


「待ってください。せめて説明を――」

「黙れ穀潰し! 貴様のような無能が、聖女召喚に紛れ込んだこと自体が罪なのだ!」


 王子の怒鳴り声に、私は口を閉ざす。

 ああ、これは駄目だ。

 前世のブラック企業で何度も見た光景だ。

 上司が一度「こいつは使えない」と決めつけたら、どんな正論も届かない。


 私は小さく溜息をついた。

 抵抗しても無駄に体力を消耗するだけだ。

 それに、この王城……なんだか空気が淀んでいて息苦しいし。


「連れて行け! 魔の森の境界へ捨ててこい!」


 私の身体は、荷物のように引きずられていった。

 最後に見たのは、アリアちゃんの背中と、部屋の隅でユラユラと揺れる黒い蜘蛛の巣のような汚れだけだった。


 あーあ。

 誰かがあれを掃除しないと、そのうち空調フィルターが詰まると思うんだけどな。


 ◇


 ガタガタと揺れる馬車の荷台で、私は数時間ほど揺られた。

 窓の外の景色が、美しい田園風景から、鬱蒼とした暗い森へと変わっていく。


 日が傾き、空が紫色に染まる頃。

 馬車が急停車した。


「降りろ」


 御者の男が、短く告げる。

 私はよろけながら地面に降り立った。

 湿った土の匂いと、腐葉土のようなツンとした臭いが鼻をつく。


「ここは?」

「王都と辺境の境目だ。この先は『魔の森』。運が良ければ辺境伯の巡回兵に拾われるかもしれんが……まあ、無理だろうな」


 男は憐れむような、それでいて厄介払いができた安堵を含む目で私を見た。

 手切れ金代わりなのか、小さな革袋を足元に投げ捨てる。


「精々、魔物に食われないよう祈るんだな」


 言うが早いか、馬車は逃げるように走り去っていった。

 砂煙が舞う。


 私は一人、森の入り口に取り残された。


「……さて」


 足元の革袋を拾う。

 中には硬貨が数枚と、乾パンのようなものが少し。

 水はない。


 普通なら泣き叫ぶ場面かもしれない。

 でも、不思議と涙は出なかった。

 むしろ、肩の荷が下りたような感覚さえある。


「やっと終わった……」


 前世での連日の残業。

 召喚されてからの、見世物のような検査の日々。

 それらから解放されたのだ。


 私は大きく背伸びをした。

 ポキポキと関節が鳴る。


「とりあえず、寝床を探さないと」


 日が暮れたら真っ暗になる。

 野宿するにしても、もう少し風除けになりそうな場所がいい。


 私はスカートの裾を少し持ち上げ、森の中へ足を踏み入れた。

 ヒールのあるパンプスでは歩きにくいけれど、文句を言っても仕方がない。


 しばらく歩くと、奇妙なことに気づいた。

 この森、すごく「汚い」。


 落ち葉や泥の話ではない。

 木々の幹や、地面の草の表面に、べっとりと黒い油のようなものが付着しているのだ。

 空中に漂うホコリも異常に多い。

 まるで何年も掃除していない換気扇の中を歩いている気分だ。


「うわぁ……服が汚れそう」


 私は眉をひそめながら、なるべく黒い部分に触れないように進んだ。

 職業病というべきか、こういう汚れを見ると無性に拭き取りたくなる。

 洗剤と雑巾があれば、この木ももっと綺麗になるはずなのに。


 そんなことを考えていた時だった。

 前方の開けた場所に、何か大きなゴミの山があるのを見つけた。


「……不法投棄?」


 近づいて見て、息を飲む。

 ゴミではない。

 人だ。


 全身を漆黒の鎧に包んだ大柄な男が、大木に寄りかかるようにして倒れていた。

 顔は見えない。兜を目深に被っているからだ。


 でも、何よりも気になったのは――その汚さだった。


「ひっどい……」


 思わず声が出た。

 鎧の表面は、何層にも重なった黒いすすでコーティングされている。

 隙間からは、ドロリとしたタールのような黒い煙が漏れ出していた。


 怪我をしているのかもしれない。

 でも、血の赤さは見えない。ただひたすらに、黒い。

 全身泥パックでもしたのかと思うくらいだ。


 恐る恐る近づいてみる。

 男はピクリとも動かない。

 死んでいるのだろうか。


 私は彼の胸元に手を伸ばそうとして、あまりの汚れ具合に躊躇した。

 このまま触ったら、私の手まで真っ黒になる。


「……これじゃあ、傷の確認もできないじゃない」


 私はポケットから、会社支給のハンカチを取り出した。

 唯一の私物だ。

 勿体ないけれど、人命には代えられない。


「すみません、ちょっと失礼しますね」


 私はしゃがみ込み、男の胸甲むねあての部分にハンカチを当てた。

 そして、力を入れてグイッと拭う。


 ズルッ。

 重い感触と共に、黒い汚れがハンカチに移った。


「うわ、重っ。なにこれ、油?」


 拭った部分は、黒いコーティングが剥がれ、銀色の美しい金属光沢が顔を覗かせている。

 やっぱり、元は綺麗な鎧だったんだ。

 ここまで汚れるまで放っておくなんて、この人はズボラなのだろうか。


 一度綺麗な部分が見えると、スイッチが入ってしまった。

 周りの汚れとの対比が気持ち悪い。

 あそこも、ここも拭きたい。


「もうちょっと綺麗にしますね。じっとしててください」


 返事はない。

 私はハンカチを折り返し、今度は肩の部分をゴシゴシと擦った。

 汚れは意外なほど簡単に落ちる。

 まるで掃除機でホコリを吸い取る時のように、黒いモヤが私の手元に集まって、消えていくような感覚があった。


 キュッ、キュッ。

 森の中に、鎧を磨く音だけが響く。


 気づけば、私は無心で作業に没頭していた。

 胸から肩、そして二の腕へ。

 拭けば拭くほど、銀色の輝きが広がる。それがたまらなく気持ちいい。

 前世でデスク周りを完璧に整頓し終えた時のような、あの全能感。


「ふぅ……だいぶ落ちたかな」


 十分ほど格闘しただろうか。

 上半身の鎧は、見違えるようにピカピカになっていた。

 ハンカチはもう真っ黒で使い物にならないけれど、達成感はある。


 これで、怪我の状態もわかるはずだ。

 私は兜の隙間から漏れていた黒い煙も、手でパタパタと払った。

 煙は私の手に触れると、シュワッと音を立てて消滅した。

 換気成功だ。


「あのー、聞こえますか? 大丈夫ですか?」


 鎧の肩を軽く叩く。

 その時だった。


 ガシッ!


 強烈な力で、私の手首が掴まれた。


「ひゃっ!?」


 悲鳴を上げる間もなく、私は引き寄せられる。

 兜の奥、暗闇の中から、青白く光る瞳が私を覗き込んでいた。


「……な、ぜ……」


 男の声は、錆びついた鉄格子が擦れるような、酷く掠れた音だった。


「なぜ、痛くない……?」


「は、はい?」


 痛くない?

 私の手首は今にも折れそうなくらい痛いんですけど。


「貴様……何をした?」

「な、なにって……汚かったから、拭いただけですけど!」


 私が正直に答えると、男の瞳が大きく見開かれた。

 彼は信じられないものを見るような目で、自分の輝く胸甲と、私の真っ黒になったハンカチを交互に見た。


「拭いた……? 俺の『呪い』を……?」

「のろい?」


 何言ってるんだろう、この人。

 これはただの頑固な油汚れでしょう。

 中二病なのかな。


 私が困惑していると、男は不意に立ち上がった。

 でかい。

 見上げると首が痛くなるほどの巨体だ。

 彼はまだふらついているようだったが、私の手首を掴む力だけは緩まない。


「逃がさん」


 低く、唸るような声。


「え?」

「お前が離れると……また、あの痛みが戻ってくる気がする」


 男は兜のバイザーを乱暴に跳ね上げた。

 現れた素顔を見て、私は思考を停止した。


 美形だった。

 月明かりを吸い込んだような銀髪に、氷のようなブルーの瞳。

 顔色は青白いけれど、それがかえって彫刻のような美しさを際立たせている。


 ただし、その美貌は必死な形相で歪んでいた。

 彼は縋りつくように、私の両肩を掴む。


「頼む。俺の側にいてくれ。……物理的に」

「ぶ、物理的に?」


「そうだ。半径一メートル以内だ」


 次の瞬間。

 私の体はふわりと宙に浮いた。

 お姫様抱っこだ。

 いや、そんなロマンチックなものではない。

 捕獲された宇宙人のように、ガッチリとホールドされている。


「ちょ、ちょっと! 何するんですか! 降ろして!」

「無理だ。俺の屋敷へ来るんだ」


 男は問答無用で歩き出した。

 その足取りは、倒れていたのが嘘のように力強い。

 近くに繋がれていた漆黒の馬が、主人の復活を喜ぶようにいなないた。


「待って! 私、捨てられた身なんです! 関わると迷惑が――」

「知ったことか。俺が許す」


 男は私を馬の背に乗せると、自分もその後ろに飛び乗った。

 背中から伝わる冷たい鎧の感触と、男の微かに震える吐息。


「絶対に行かせない。……お前は、俺の女神だ」


 耳元で囁かれた重すぎる言葉に、私は遠い目をした。

 

 女神じゃないです。

 ただの通りすがりの掃除好きです。


 馬が走り出す。

 私の平穏無事なスローライフ計画は、始まって数時間で、謎の黒騎士によって拉致されるという形で修正を余儀なくされたのだった。

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