1 踏みつけられた花
「ははっ、そんなに綺麗なもんじゃないね」
そう笑いながら床に散らばった紫の花弁を踏みつける、その画がいつまで経っても頭から離れない。
花吐き病、片思いを拗らせると口から花を吐く奇病。その花が体のどこから来るのか、何故花なのか。謎が尽きないもののわかっているのは、花に触れれば感染るということと、思いが実れば白銀の百合を吐き出して治るということだけ。
昔々多くの人が罹患したというこの病が数年前から流行るようになって、今では1000人に1人くらいの割合で発症しているのだとメディアは報じる。花や花言葉の知識は当然知っているものとして扱われるようになっていた。
俺が初めて吐いたのは高校の頃だった。
小さめのアガパンサス。見ただけじゃわからなくて、吐き気を堪えながら図書室まで走って植物図鑑を開いた。花言葉は「恋の訪れ」。もう最初っから拗らせることが確定していた。きっと。
相手は当時どこに行くにも一緒にいるほど仲の良いやつだったから、常に幸福感と嘔気を抱えていた。
最初こそ上手くやっていたけれど、三ヶ月くらい経った頃に「なんか最近変じゃない?」と勘繰られて、そこからは早かった。もう一気に、病のこともその相手もバレた。何よりもその時、目の前で吐いたのが最大の失敗で。
「うわっ、吐物かかっちゃったよ」
アスファルトに膝をついて花をかき集める俺の頭上から降ってきたのは、そんな言葉だった。
本人を前にして嘔吐したこと、告白も同然の行いをしたこと、複数の要因から来る羞恥心でもう全身が焼けたんじゃないかと思うほど熱かったのが、一瞬で冷えた。
多分、油断していた。病に至るほどの深い思いを忌避する人間は一定数いたものの、花を吐き出す様は、それだけをまとめた写真集が発売されたりするほど美しいものとして人気があったから。吐き出したそれが、まさか“汚いもの”として扱われるとは思っていなくて。
思わず顔を上げると、「ん?」といつもと何ら変わらない優しげな笑みを浮かべているから、何が何だかわからなかった。
地獄はそこから。
日に何度も嘔吐感に襲われトイレへ走る俺を、好奇心だけを持って追いかけてきた。
意地でも見られたくなくて個室に入るのに「ねえ、まだ? どんだけ吐くの?」とドアを叩きながら尋ねてきたり、やっと落ち着いて出れば「スッキリした?」とニヤニヤ笑っていたりする。
次第に向こうがその状況に慣れてくると、隣の個室の上から俺の吐いている様を覗くこともあった。
常にある息苦しさと嘔吐感から食事もままならなくなってくると俺の体力は落ちに落ち、あいつより速く走ることもふざけて個室の前に立つあいつを退けることもできずに、手洗い場で吐くことが増えた。
学校の小さな手洗い場は俺の吐物の全てを受け止めてはくれなくて、床にも落ちていくそれを、あいつは少し離れたところから見ていたのだと思う。吐いている最中顔を上げると、鏡越しに目が合うことが何度もあった。
距離感は以前より確実に近くなっているのに花の量は増す一方だった。寧ろ近いからこそ増えたのだろうか。
友人関係とは到底言えない歪んだ関係性を、向こうは続ける気のようだった。思いを受け取りも突っ返すこともせずに、浴びていたいようだった。そんなことを続けていれば、こちらの気持ちが枯れることなんて分かりきっていただろうに。
ある日、あいつは隣のクラスの女の子に昼休みの教室で告白された。大胆にも大勢の人が囲む中で。
頷いて「俺も好きだったんだ」とこれ見よがしに俺の方を見たあいつと目が合った時、握り潰されたように心臓が痛んで、何でこっち見るんだよって、どういうつもりなんだって、そうやって考えるのが駄目だとわかっていても次から次へと溢れてきて、喉にも花が溢れた。程なく床に青が広がって、近くの席の女子が悲鳴をあげて離れていった。
まるで溺れているかのように息ができなかった。前のようにかき集める余裕は無かった。
肩を上下させて汗と涙をダラダラと流しながら尚も吐く俺に、愉快そうな笑い声と不愉快そうな足音が近付いてきて、散らばった花が潰れるのを見た。
それで、俺はそこで意識を失ったんだけど。
目覚めた保健室でも吐いて、帰路でもビニール袋いっぱいになるほど吐いて、家に着いてからも部屋に閉じこもって60ℓのゴミ袋数枚を使って吐いて、吐いて、とにかく吐いて吐いて吐いて。
気付いたら朝になっていた。むせ返るような花の匂いと、散乱する吐物に囲まれていた。もう何も吐き出せなかったし、声も出なかった。ふと手元のゴミ袋に目をやって一番上の花を見た瞬間、ようやく自分の気持ちが枯れたことを知った。
最後の最後に吐いていたのは、キンセンカだった。




